プロ野球のドラフト制度は1965年に始まりました。
それ以前は選手の獲得は球団と選手側の話し合いで決まっていました。1958年に巨人に入団した長嶋選手も翌年の王選手も自分たちで決めて入ったのです。
このやり方だと、人気のある球団、お金のある球団にいい選手が集まりがちです。球団の格差が広がる可能性が強かったのです。
1964年に西鉄ライオンズの社長から、アメリカのアメリカン・フットボールのNFLに倣ってドラフト会議が提案されました。それを受けて1965年から日本のプロ野球でもドラフト制度が取り入れられました。
第1回目のやり方は各球団が指名希望選手30名以内の名簿を順位をつけて事前にコミッショナー事務局に提出、順位が他球団と競合した場合は抽選という方法でした。ところが132名の指名に対し、入団が決まったのは50名でした。選手の入団拒否や球団の交渉権放棄が多かったのです。選手側も球団側もドラフト制度に慣れていなかったのでしょう。
ちなみに第1回のドラフトで入団したのは、巨人の堀内恒夫投手、阪神の藤田平内野手、阪急の長池徳二外野手、東京オリオンズの木樽正明投手などです。その後ドラフト制度は細かい変更を合わせて10回ほど変わりました。
現在のような高校生・大学生・社会人を合わせた一括開催方式で、各球団が欲しい選手をその場で指名し、競合した場合は抽選というやりかたに変わったのは、2008年からです。育成選手は順位折り返し方式です。2008年以降は変更はありません。
それまでの大きな変更を見てみましょう。
1967年~1977年は指名する球団の順位を抽選で決めました。
1978年~1992年は重複する選手を抽選する方式に戻しました。
1993年~2000年は逆指名方式を取り入れました。社会人、大学生に限って1位、2位は選手のほうから球団を選ぶ方式です。
2001年~2004年は各球団が社会人、大学生を2人まで自由に獲得できる方式を取り入れました。
2005年~2007年は高校生のドラフト会議と、社会人および大学生のドラフト会議を分けて開催しました。そして2005年から育成選手のドラフトがはじまりました。
2008年からは現在の方式に統一されたのです。
大きな変更は以上ですが、細かいルール変更はもっと頻繁に行われました。それについては煩雑なので省略します。
ドラフトの始まった年は巨人のV9の始まった年でもありますが、ドラフト60年を過ぎた今では各球団の実力差がなくなってきたと言えます。
ただドラフト上位で選ばれた選手が必ずしも期待度売りに活躍するとは言えません。イチローも山本由伸もドラフトでは4位指名です。入団後の努力が大切と思います。
ドラフト制度が定着したことによって、プロ野球の戦いが激しくなって、プロ野球の人気が広まったことは間違いありません。
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