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2007年3月28日 (水)

山本一力を読む

平成19年3月31日に山本一力が直木賞をとることになった「あかね空」の映画化作品が封切られます。主演はNHKの大河ドラマ「風林火山」で活躍中の内野聖陽と中谷美紀(恥ずかしながらこの女優については知りませんでした)です。江戸時代、市井の片隅で貧しくも家族で助け合って生きる温かい庶民のお話です。

 山本一力の小説には歴史上有名な英雄はほとんど出てきません。藤沢周平の小説が山形県の小さな藩の貧しい武士が主人公であるに対して、山本一力の小説は江戸の下町深川や富岡八幡宮や大川(隅田川)の近くで暮らす貧しい町民が主人公です。2人の作家が描く世界は異なるものの、くしくも同じような舞台回しで人気を得ているのは不思議ではありません。共通してストーリーの背景に流れているのは、登場人物の人間としての温かさと家族に対する愛です。

 また山本一力の深川近辺に対する愛着は大変なもので、よくここまで同じところを書けるものと感心させます。たまに生まれ故郷の土佐が出てきますが、後はほとんど深川が小説の舞台です。

 山本一力は1948年高知県生まれ、いろいろな人生経験を経た末、巨額の借金を抱え、その借金を返すために作家になったという変わった経歴の持ち主です。

 私はこの2年余り吉村昭と高杉良と山本一力にはまっています。

2005年7月に初めて山本一力の世界に夢中になって以来、「損料屋喜八郎始末控え」「大川わたり」「家族力」「あかね空」「深川駕籠」「いっぽん桜」「はぐれ牡丹」「蒼龍」「欅しぐれ」「梅咲きぬ」「お神酒徳利」「深川黄表紙掛取り帖」「峠越え」「だいこん」「背負い富士」「赤絵の桜(損料屋喜八郎始末控)」「辰巳八景」「草笛の音次郎」「牡丹酒」「道三堀のさくら」を読みました。現在は「銭売り賽蔵」を読んでいます。全て我孫子市の図書館で借りて読んだものです。

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2007年3月23日 (金)

デジカメで記録映画を作る

 3月はじめの沖縄旅行に1月に購入したソニーの「サイバーショットDSC-T50」を持参し動画を撮ってきました。妻のデジカメで普通の写真を撮り、私は動画専門に徹しました。

 Photo 「サイバーショットDSC-T50」は3万3千円ほどのごく普通のカメラです。液晶画面が大きいのとタッチパネルで操作するのが特徴です。静止画と動画が取れます。1ギガのメモリースティックで約45分撮ることができます。今回は1ギガを2枚持って行ったため約1時間半撮ることになりました。

 旅行から帰った後の編集はソースネクスト社の動画編集ソフト「パワーディレクター」を使いました。ソースネクストのソフトは安いのが特徴です。その代わり説明は舌足らず、トライ&エラーで使っていくしかありません。

Photo_1  「パワーディレクター」も海外で開発されたソフトのようで、使用方法や使用例などの解説書が付いていないため、使うのに苦労しました。

 今回はショットの接続、入れ替え、トリム、テロップの挿入などの機能を使いました。それをCD-Rに出力し、家族を集めてパソコンで公開しました。あまり出来はよくありませんが、一応記録映画となりました。

 詳しいことは手賀沼通信5月号に書く予定です。 

 このブログでは動画は使えないので静止画をご紹介いたします。

 写真をクリックすれば大きくなりはっきり見えます。

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2007年3月18日 (日)

手賀沼のほとりに温泉誕生

 平成19年3月15日に手賀沼のほとりに天然温泉「満天の湯」が誕生しました。手賀沼観光にまた一つ目玉が増えたことになります。

 場所は手賀大橋のたもと、道路を挟んで「しょうなん道の駅」の向かい側になります。前にさえぎるものがないため手賀沼がよく見えます。

 オープン当日の10時半ごろに行ってみました。我が家から歩いて10数分です。駐車場は満車に近い繁盛を見せていました。

 いただいたパンフレットによると温泉かけ流しで13種類のお風呂と26の館内付帯施設があります。

 入浴料は平日650円、土・日・祝日は750円、手ぶらセット(フェイスタオル、バスタオル)が250円となっていました。別料金ですが岩盤浴や手もみサービスや韓国式アカスリなどもあります。地元の野菜などの満天市場も併設されていました。

Dsc00474 満天の湯のHPは下記のアドレスです。

http://www4.ocn.ne.jp/~manntenn/index.htm

 5月に所属している「あけぼの会」で40人くらいで利用する予定です。3月24日に下見に行ってきます。

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2007年3月12日 (月)

26年ぶりの沖縄本島旅行

 平成19年3月1日より7日まで沖縄旅行に行ってきました。おととし沖縄先島諸島の9島めぐりの帰りに那覇で乗り継ぎをしましたが、それを除くと26年ぶりの沖縄本島でした。

 26年の年月が日本を大きく変えたように、沖縄も大きく変わっていました。

 日本に返還されて10年目を迎えていた当時の沖縄はまだ外国のような感じでした。空港では洋酒が安く買えたので、そのころ外国旅行に行った人が帰りに必ずするように、お酒3本と外国タバコ10カートンを買ってきたのを覚えています。

 ごみごみしていた国際通りは見違えるようにきれいになっていました。ムーンビーチくらいしかなかった観光客用のビーチは、プライベートビーチが開発されたこともあり大幅に増えて、そこには素晴らしいリゾートホテルが威容を誇っていました。

 守礼の門しか建っていなかった首里城公園には首里城が再建され昔の面影をしのぶことができるようになりました。海洋博公園は海洋博のシンボルだった鉄筋の建造物は撤去されいましたが、「世界一と世界初がここにある」という沖縄美ら海水族館がありました。当時未整備だった高速道路も本島南部から中部を結んでいました。

 ところが変わらないものが1つだけありました。本当の中央部を占めている米軍基地です。普天間基地と嘉手納基地は沖縄本島の心臓部のようなところにあります。観光バスの通る道は鉄条網で囲まれた基地をぐるりと迂回するように作られていました。基地の中の施設や航空機はおそらく最新式のものに変わっているのでしょうが、基地がでんと腰をすえている実情は変わっていませんでした。

 ふだん私たちは基地の側に住んでいる人を除けば基地に気づくことはほとんどありません。しかし沖縄の人々は常に基地を意識しながら生活しているのではないでしょうか。テロ国家が存在する限り基地をなくすことはできませんが、移転したり縮小するなどして、もう少し何とかならないかと感じました。

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2007年3月 9日 (金)

2週間ぶりのブログ

 3月1日から7日まで沖縄旅行、8日はあけぼの会(柏市の高齢者の会)の日帰りバス旅行、その前後は旅行の準備などがあって2週間ぶりのブログとなりました。昨年8月にブログを始めてからこれだけ間隔があいたことはありませんでした。ご心配をおかけしてすみません。

 沖縄では5ヶ所のホテルに泊まりましたが、どこのホテルの部屋にもインターネットにアクセスできるようケーブルがありました。もしパソコンを持ってきていたら、ブログを書きこめたのにと思いました。

 今の時代、おそらくビジネスの出張でしたら、パソコンを持って歩く人が多いと思います。今から30年くらい前のことですが、私の現役時代、ハワイのコンベンションに出席した時、ハワイのホテル設置された端末から、日本にある自分のIDにアクセス出来て驚いたことがあります。もちろんインターネットなど気配さえなく、テレックス(といっても若者には分からないでしょうが)が中心でやり取りする時代でした。

 いまではモバイルPCや携帯から簡単にアクセスできるのが常識です。おそらく若い人たちには当たり前のことで、そんなことに「驚くほうがおかしい」ということでしょう。

 さりとて世界遺産を巡り歩く観光旅行には、軽くなったとはいえパソコンは持ち歩く気になりません。

 ややフレッシュさは失せますが、次はそこで感じたことをブログに書いてみましょう。

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