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2007年3月12日 (月)

26年ぶりの沖縄本島旅行

 平成19年3月1日より7日まで沖縄旅行に行ってきました。おととし沖縄先島諸島の9島めぐりの帰りに那覇で乗り継ぎをしましたが、それを除くと26年ぶりの沖縄本島でした。

 26年の年月が日本を大きく変えたように、沖縄も大きく変わっていました。

 日本に返還されて10年目を迎えていた当時の沖縄はまだ外国のような感じでした。空港では洋酒が安く買えたので、そのころ外国旅行に行った人が帰りに必ずするように、お酒3本と外国タバコ10カートンを買ってきたのを覚えています。

 ごみごみしていた国際通りは見違えるようにきれいになっていました。ムーンビーチくらいしかなかった観光客用のビーチは、プライベートビーチが開発されたこともあり大幅に増えて、そこには素晴らしいリゾートホテルが威容を誇っていました。

 守礼の門しか建っていなかった首里城公園には首里城が再建され昔の面影をしのぶことができるようになりました。海洋博公園は海洋博のシンボルだった鉄筋の建造物は撤去されいましたが、「世界一と世界初がここにある」という沖縄美ら海水族館がありました。当時未整備だった高速道路も本島南部から中部を結んでいました。

 ところが変わらないものが1つだけありました。本当の中央部を占めている米軍基地です。普天間基地と嘉手納基地は沖縄本島の心臓部のようなところにあります。観光バスの通る道は鉄条網で囲まれた基地をぐるりと迂回するように作られていました。基地の中の施設や航空機はおそらく最新式のものに変わっているのでしょうが、基地がでんと腰をすえている実情は変わっていませんでした。

 ふだん私たちは基地の側に住んでいる人を除けば基地に気づくことはほとんどありません。しかし沖縄の人々は常に基地を意識しながら生活しているのではないでしょうか。テロ国家が存在する限り基地をなくすことはできませんが、移転したり縮小するなどして、もう少し何とかならないかと感じました。

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