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2008年2月21日 (木)

またなつかしい寝台車がなくなる

 また古くて懐かしいものが消えることになりました。

 平成20年3月15日のJRのダイヤ改正で、いくつかの寝台車が廃止されます。  

 廃止されるのは東京-大阪間の「銀河」、京都-熊本間の「なは」、京都-長崎間の「あかつき」です。また、上野-札幌間の「北斗星」と、大阪-青森間の「日本海」は1日2往復が1往復に減ります。

 理由は利用者が激減したことだそうです。安くなった航空機、速くなった新幹線、増えた夜行バスなど、ライバルが乗客を奪いました。

 ビジネス客や帰省客やスケジュールのきつい観光客などは、おそらく寝台車よりも飛行機や新幹線を選ぶでしょう。列車に乗ることを楽しむ人や昔の旅を愛する人や寝台車に乗ることを売り物にしたツアー客などしか寝台車を利用しないのではないでしょうか。

 私は四国松山にちかい伊予市出身です。今から50年ほど前の学生時代やサラリーマンになりたてのころは、急行「瀬戸」、宇高連絡船、準急「瀬戸」を乗り継いで東京と伊予市を往復していました。当時は3等寝台というのがあり、3段ベッドでした。

 飛行機が普及してからは帰省はほとんど飛行機でした。瀬戸大橋やしまなみ海道が出来た時は新幹線や汽車や高速バスを利用したこともありましたが、「瀬戸」を利用したことはありません。

 寝台車は「ブルートレイン」の名称で親しまれました。1958年に登場し、2005年に廃止された東京-博多間の「あさかぜ」がその代表でした。1960年代、1970年代がブルートレインが最も輝いていた時代でした。

 今後、東京駅発の寝台車は「銀河」がなくなると、大分行きの「富士」、熊本行きの「はやぶさ」(途中まで同時連結)と、高松行きの「サンライズ瀬戸」、出雲行きの「サンライズ出雲」(途中まで同時連結)の2系統だけになってしまいます。

 最近海外での豪華寝台車の旅を取り上げたテレビ番組が増えていますが、寝台車の消滅とともに鉄道王国ニッポンの名前もあせてくるのではないかと心配しています。

著者に関係するHPです。

http://members3.jcom.home.ne.jp/ynitta/(手賀沼へいらっしゃい)
http://members3.jcom.home.ne.jp/nittay/(手賀沼通信バックナンバー)
http://www.josuikai.net/semi/koyukai(最新の手賀沼通信)

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2008年2月17日 (日)

過疎の団地-NTT社宅

 私の住んでいる千葉県我孫子市若松にあるNTTの社宅が過疎の団地となっています。

Dc021602   平成20年2月3日に我孫子市にも大雪が降り久しぶりの積雪となりました。雪がやむと同時にどの家も雪かきに精を出し、翌日の午後には道の真ん中は雪がなくなりましたが、NTTの社宅の前の道は雪かきがなされず、いつまでも雪が残り、固く凍り付いて歩くのに大変危険でした。

 NTTの社宅に大勢の人が住んでいるときはそんなことはDc021604 考えられませんでした。一番早く雪かきをしていたのがNTTの社宅前でした。

 NTTの社宅は手賀沼を埋め立てて、若松地区が造成されると同時に建築されました。その頃はNTTではなく、民営化される以前の電電公社でした。鉄筋4階建て32世帯の建物が8棟、4階建て16世帯の建物が1棟建てられて、272世帯が住んでいました。

Dc021601  その後民営化などでだんだん住民が減り、32世帯の4棟が取り壊されました。現在は、正確な数は分かりませんが、おそらく収容世帯数144世帯の15%前後の居住となっているのではないかと思われます。

 外部からみても、道路わきの2棟は別として、その後ろの3棟は、ほとんど空き家の状態です。

Dc021603_2  一時は駐車場に収容しきれない車が路上にびっしり駐車していましたが、今は駐車場はガラガラです。団地の中央に作られている立派な公園に、人影を見ることはありません。

 住民の方はおそらく自治会活動が出来ないだけでなく、防災や防犯上に不安を抱えて暮らしているのではないでしょうか。お隣との楽しい語らいやコミュニティでの集まりなども途絶えているかもしれません。

 そして撤去された4棟のあとは、放置されたままで荒れ果てています。たまに周囲の生垣の刈り込みが行われてはいますが、夜は道路は暗く、ゴミなどがたまり、治安上も好ましくありません。若松地区のさびれにもつながっています。

 NTTはこのような社宅住民の情況を何とかする必要があるのではないでしょうか。また、街を活性化するために、放置された土地を適正に利用してくれるところに売却してほしいと思います。

 もし全部の土地をまとめて売却したいのなら、今の住民の方にもっと環境の良い社宅に移ってもらって、更地にするなどそれなりの方策を考えてほしいと思います。

 写真はクリックすると大きくなります。

著者に関係するHPです。

http://members3.jcom.home.ne.jp/ynitta/(手賀沼へいらっしゃい)
http://members3.jcom.home.ne.jp/nittay/(手賀沼通信バックナンバー)
http://www.josuikai.net/semi/koyukai(最新の手賀沼通信)

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2008年2月10日 (日)

糖尿病との闘い第1ラウンド

 平成20年1月4日から糖尿病と闘っています。糖尿病との戦いは己との戦いです。自分自身をどうコントロールしていけるかです。

 とりあえず1ヶ月間の結果が出ました。今後も長く続きますが、とりあえず第1ラウンド終了といったところです。

 昨年11月にホームドクターの竹内医院で高齢の血液検査をしたところ、空腹時の血糖値が145、グリコヘモグロビンが7になっていました。糖尿病予備軍が糖尿病正規軍に昇格したのです。

 糖尿病は空腹時の血糖値が126以上、ブドウ糖負荷試験2時間値が200以上を言います。予備軍は空腹時の血糖値が110~125、ブドウ糖負荷試験2時間値が141~199といわれています。ただブドウ糖負荷試験は手軽には出来ないので、通常の血液検査ではグリコヘモグロビンの値で判断するようです。

 グリコヘモグロビンは5.8以下が正常、5.9以上になると糖尿病又は予備軍です。グリコヘモグロビンはどの値が予備軍と糖尿病の境かは決まっていないようですが、6.5以下なら糖尿病の合併症はまず出ないといわれています。

 糖尿病は合併症が大変怖い病気です。壊疽が進行して下肢の切断、網膜症による失明、腎症による血液透析の3大合併症や神経障害などがあり、死に至ることもあります。

 現役の頃、会社の健康診断で糖尿病予備軍と診断されたため、退職後も検査を続けていました。そして5年ほど前から、3ヶ月に1回のペースで実施している血液検査の結果をパソコンにインプットして記録しています。

 それを見ると、記録を始めてから空腹時血糖値は常に110を越えていましたが、グリコヘモグロビンは2年ほど前までは6.0以下でした。

 ところがその後グリコヘモグロビンが6.5前後となり、ついに昨年11月、空腹時血糖値が145、グリコヘモグロビンが7になりました。立派な糖尿病です。

 またしょっちゅう足がつったり、足がしびれたり、足が痛んだり、足の裏に違和感を覚えたり、などという合併症の症状がでてきました。

 そこでこれは大変と、今年の1月4日から糖尿病克服の戦いを始めたわけです。1月4日にした理由は、くれは忘年会がいくつもあったり、お正月はファミリーが集まったり、お酒を飲む機会を避けられないというためです。ちょっとしまらない話ですね。

 戦いは食事制限とアルコール制限と運動の実施です。私の第1の楽しみは食べルことと飲むことでした。食事は30代の息子たちよりたくさん食べていました。アルコールは好きなだけ飲んでいました。夕食時と夜遅くには必ずアルコールを飲み、週2回くらいは朝食時にもビールを一本飲んでいました。不摂生そのものです。

 1月4日以後、食事の量は普通の人並みに落としました。アルコールは夕食時に薄くした焼酎のお湯割を少々だけにしました。日本酒やビールはやめました。甘いものもやめ、砂糖を使うようなときはパルスイートにしました。

 そして毎食後、20~30分のウォークングを欠かさないようにしました。

 その結果、2週間後の血液検査では、空腹時血糖が101、グリコヘモグロビン6.4、1ヵ月後の空腹時血糖は104、グリコヘモグロビン6.1となりました。まずまずの成果です。

 今後も今の食事制限とアルコール制限と運動療法を続け、血糖値は今の水準で、グリコヘモグロビンは5.8以下にしたいと考えています。自分との戦いは始まったばかりです。

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2008年2月 4日 (月)

光に映える雪の手賀沼

Dc020404  平成20年2月3日の昨日は「雪の手賀沼」の風景を載せましたが、今日は一夜明けた「光に映える雪の手賀沼」をご覧ください。

  雲ひとつない冬の日を浴びて、昨日の雪に覆われた手賀沼はすばらしい景観を見せてくれました。

 朝食後は手賀沼公園へ散歩に行きました。雪がまぶしく輝いていました。

Dc020405  昼食後は親水公園へ散歩しました。温かい太陽の陽を浴びて雪はどんどん解けていました。水の館のあたりは道の雪はなくなりかけていましたが、草や土の上の雪はまだたっぷり残っていました。

Dc020403  

写真はクリックすると大きくなります。

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2008年2月 3日 (日)

雪の手賀沼

Dc020301  平成20年2月3日午後2時30分、いま深々と雪が降っています。ひさし振りの大雪です。

 朝8時から9時頃にかけて手賀沼公園と親水広場に雪景色の写真を撮りに出かけました。手賀沼公園と親水公園に一人ずつ、やはり写真を撮りにきている人を見かけました。あとは犬の散歩をしている2組ほどの人に出会ったくらいで、日曜日にしては大変静かな公園の朝でした。

 Dc020302 遊歩道も足跡はありましたが、誰にも会いませんでした。遊歩道は白一色、道と草むらの区別がなくなり、普段とはかなり違った感じでした。

 ただ水鳥だけは普段と同じように、賑やかに泳ぎまわっていました。

 写真をクリックすると大きくなります。 

Dc020303

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2008年2月 1日 (金)

「あらたにす」発足

 平成20年1月31日、読売新聞・日経新聞・朝日新聞を読み比べできる新しいウェブサイト「あらたにす」が発足しました。

 これは「日経・朝日・読売インターネット事業組合」が解説したサイトで、3紙の一面や社会面の記事、社説などを一つの画面で「読み比べ」することができます。

 「あらたにす」のアドレスは

 http://allatanys.jp

 です。ぜひ「お気に入り」に登録して、読み比べて見てください。

 「あらたにす」が何を意味するか知りませんが、販売競争でしのぎを削り、あまり仲のよくなかった3紙が、協調してサ-ビスを提供するのは画期的なことではないかと思います。

 1月31日付の朝日新聞には、「あらたにす発足-言論の戦いを見てほしい」という社説が掲げられました。そのなかで

「比べて読めば、それぞれの主張が立体的に浮かび上がる。どちらに説得力があるかは読者が判断する。これは新聞の側にも大きな緊張感をもたらす。3紙による共同の試みを、日本の新聞がいっそう個性を磨き上げ、競い合う出発点にしたい。」とありました。素晴らしいことです。

 我が家は数年前まで、読売、日経、朝日の3紙を購読していました。読売は我が家の家庭用、日経は私の仕事用、朝日は同居していた妻の父がとっていたものでした。

 そのとき気づいたのが3紙の主張にかなりの違いがあるということでした。一言で言うと、読売は右より、朝日は左より、日経は中間でした。

 そして「新聞は偏向しいるのがあたりまえ」ということを知りました。主義主張が違うからでしょう。

 以前北朝鮮問題で朝日と読売が対立した時、「コリア・レポート」の編集長は次のように書いています。

「朝日は、日本の戦後処理、過去の清算、朝鮮半島の緊張緩和、北東アジアの平和という視点から北朝鮮を展望しているのに対して、読売は、拉致、核、ミサイル、工作船など現象的な面から北朝鮮を凝視している。その結果、見えてくるものは、朝日は期待と願望であり、読売は失望と不信である。」

 これは一つの例です。北朝鮮問題ではその後の経過を見ると、どうやら読売の見方が正しかったようです。

 いずれにせよ今後出てくるいろいろな問題を3紙がどう考えるか、読み比べてみることは大変興味深いと思います。

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