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2009年7月31日 (金)

急ピッチで進む「かすみストア」建設

 シャッター通りのわが街に珍しく新しい建設の槌音が響いています。

Dc071608  郵政公社の社宅が取り壊されて空き地になっていた場所に、スーパー「かすみストア」が建設されています。

 商店が次々と店を閉じ、シャッターの閉まったままの店が3分の1を占めていますが、「かすみストア」の建設は久々の嬉しい話題です。

 その影響か、かすみストアの向いに新しい飲食店が3軒ほど、店を開いたり、あるいは開店のための改装をしています。

Dc071609  ただ新たな心配もあります。

 1つはそれでなくても混雑している道路が、ますます混むのではないかということです。道が混むと、混雑を避けてわが若松の住宅地の道路に車が入り込んでくるのではないかということです。

 若松は沼を埋め立てた住宅地のため道路が整備されています。静かな住宅地によそからの車がバイパス代わりに入り込んでくるのはごめんです。

Dc073101  もう一つの心配は我が家から歩いて2分の「京北スーパー」が「かすみストア」の開店で営業不振になり店を閉めるのではないかということです。「かすみストア」は歩いて6,7分はかかります。「京北スーパー」はやや料金は高めですが、肉や魚などの食材が高級です。なくなったら困ってしまいます。

 この通りには、約1キロの間に既に「ライフ」「マツモトキヨシ」「BIG-A」「京北スーパー」があります。そこに最大の大きさの「かすみストア」が進出するのです。スーパーが多すぎます。

Dc073102  むしろコンビニができてほしいのです。

 写真は上の2枚が平成21年7月14日に撮ったもの、下の2枚が7月26日に撮ったものです。

 クリックすると鮮明になります。

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2009年7月24日 (金)

七曜会の2回目の暑気払い

 平成21年7月23日、七曜会の暑気払い食事会を手賀沼で行いました。今回は私が世話役を務めることになったので、地元の手賀沼を知ってもらう絶好のチャンスとばかり、幹事の特権を行使して手賀沼で開催したのです。

 七曜会は千葉県生涯大学江戸川台校舎25期福祉科Aの卒業生の親睦会です。今年で生涯大Dc072405学を卒業して6年目になります。現在会員は57名、年4回集まって親交を温めています。

 今回の暑気払いには32名が参加しました。

 午前10時に我孫子駅近くのけやきプラザ1階に集合しました。早朝土砂降りの豪雨で心配しましたが、9時前に雨はあがりました。雨やかんかん照りなら歩くのは大変ですが、曇りは歩くのには絶好の天気です。

 手賀沼公園まで10分くらい歩きました。アビスタでトイレ休憩のあと、まずは1時間ほどの手賀沼船上観光です。湖上園の桟橋から40人乗りの船に乗りました。   

Dc072406  船は貸し切り、料金は2万円です。雨でも大丈夫なように屋根がついています。操縦と案内は湖上園社長の津川さんです。

 ハスの花や野鳥のえさとりなどを眺めながら、また津川さんの分かりやすい説明にうなづきながら、のんびりと沼を船の上から観察することができました。

 暑気払いの食事は老舗割烹旅館の「富桝」いただきます。手賀沼公園で記念撮影をしたあと、手賀沼遊歩道を富桝まで10分ほど歩きました。

 富桝での食事は和定食、ビールと冷酒とウーロン茶でのどを潤しました。

 全員に近況報告のスピーチをお願いいたしました。近況報告は1年ぶりですが、皆さん老いてますます元気、生活を楽しまれているのがよく分かりました。

 2時ころに秋の旅行での再開を約束し、散会いたしました。

 写真はクリックすると鮮明になります。

 

 

 

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2009年7月20日 (月)

我孫子八坂神社の祭礼

 平成21年7月18日、19日と我孫子市八坂神社の祭礼が行われました。

Dc071901  今年は手賀沼花火が中止となりました。花火を主催する柏市と我孫子市の商店街が不況のため花火のお金が集まらず、自治体も財政悪化のためお金を出せないため中止となったのです。

 早々と柏市が中止に決め、我孫子市だけでもやりたいと市長が頑張ったのですが、ない袖は振れずと中止になりました。

 夏の最大イベントの花火大会が中止となり、子供たちにとっては八坂神社の祭Dc071902 礼が最大のイベントとなりました。

 8月29日にはカッパ祭りが行われますが、今年で第2回のためまだ市民のお祭りとしては定着していません。

 八坂神社の祭礼は付近の町内会などのお神輿が出ます。少子化の影響で以前ほどの規模ではありませんが、私の住んでいる若松でも子供みこしが出ました。

Dc071903  なんと言っても子供たちに一番人気があるのは、我孫子駅から手賀沼公園までの公園通りの屋台です。18日の夕方から18日の夜まで、公園通りの両側には屋台が隙間なく並びます。

 ブログ用の写真を撮るため、19日の夜7時頃手賀沼公園から八坂神社まで公園通りを歩きました。少子化の時代と思えないほど、子供たちが繰り出していました。

 Dc071904 男の子よりも女の子のほうが数が断然多く、特に浴衣を来た中学生らしい女の子が目立ちました。幼児や小学生は大人と一緒ですが、中学生は友達と一緒に来るようです。

 先生も心配なのでしょう。我孫子中学校の腕章をつけた先生がパトロールしていました。

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2009年7月16日 (木)

第七六回歌舞伎教室

 Dc071605_4 平成21年7月15日、国立劇場で第76回歌舞伎鑑賞教室を楽しみました。

 6月5日に「歌舞伎教室を楽しむ」というタイトルでブログを書きましたが、今回はその続きです。今回も柏市のあけぼの会の7月の例会として鑑賞しました。

 開演前には前回同様、「向日葵」 で美味しい幕の内弁当をいただきました。

Dc071607  前回の出し物は市川猿之助演出の「華果西遊記」でしたが、今回の出し物は市川団十郎監修の「矢の根」と二世藤間勘祖振付の「藤娘」でした。

 観客はほとんど女子高校生、その中に私たち白髪頭や禿頭の高齢者が混じりました。

 教室はいつものとおり「歌舞伎の見方」という解説から始まります。今回の解説者は立役の中村亀鶴さんでした。

Dc071604  ユーモアを交えて分かりやすく解説してくれました。途中2名の女子高生を舞台に上げて、歌舞伎の衣装を着せたり、所作を真似させたりして観客を沸かせました。

 「矢の根」は曾我兄弟の敵討ちにからむ曾我五郎、十郎が登場する一幕の舞台です。

 解説書には「みどころはなんといっても五郎の”荒事"にあります。”荒事"では扮装にも工夫が凝らされ、例えば"隈取”です。その五郎が現実にはありえないほど大きな矢の根を研ぐのも面白いところです」などとあDc071606 りました。最後に出てくる馬も愉快でした。

 市川男女蔵、沢村宗之助、嵐橘三郎、中村亀鶴が演じました。

 女方の中村梅枝が踊った「藤娘」は、容姿と衣装と舞台の美しさが圧巻でした。

また、長唄、三味線、鳴物の音楽も素晴らしく、踊りを引き立てました。

 舞台撮影が禁止されているのがなんとも残念でした。

 写真はクリックすると鮮明になります。

 

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2009年7月10日 (金)

皆既日食が楽しみ

 平成21年7月22日に日本の南西諸島で皆既日食が見られます。

 皆既日食が見られるのはトカラ列島、屋久島、種子島の南部、奄美大島の北部などです。関東でも部分日食が見られます。

 日食を始めて観測したのは1948年5月9日でした。私は小学校6年生でした。太平洋戦争が終わって3年目、北海道の礼文島で金環食が見られるというニュースは、混沌とした世の中を元気づけたように記憶しています。

 私は四国松山の近くに住んでいたので見えたのは部分食でしたが、ガラスに煤をつけて黒くし、太陽を眺めたのを覚えています。

 今回は金環食よりすばらしい皆既食です。おそらくテレビで皆既食の初めから終りまで放送されるのではないでしょうか。すばらしい自然のドラマが楽しめるはずです。

 そのドラマについての楽しみを増やすため、我孫子市の図書館で武部俊一著「完全ガイド 皆既日食」を借りてきました。予備知識があるのとないのとでは楽しみ方が違います。

 さっそくその本に出ていた「日食グラス」を近くの眼鏡屋で取り寄せてもらい購入しました。ピクセン社の「高品位遮光プレート”ソーラープロテック”」です。1470円でした。

 その本には、小学生のとき使った煤で黒くしたガラスは目をいためるので使わないようにと書かれていました。

 東京では部分食が9時55分33秒に始まり、11時12分58秒に最大の食分となって太陽の74.9%が欠けます。部分食は12時30分20秒まで続きます。東京でもかなり暗くなるはずです。

 皆既日食がもっとも長く続くのはトカラ列島の悪石島で、10時53分から6分25秒続きます。皆既食の中心線に近いほど皆既日食の時間が長くなります。

 私の年齢ではもうそんなにチャンスは多くありません。7月22日が待ち遠しくてなりません。当日晴れることを祈っています。

 

 

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2009年7月 6日 (月)

日本郷土民謡西南地区大会

 平成21年7月5日、日本郷土民謡教会の茨城西南地区連合大会が常総市地域交流センター大ホールで行われました。

 090705_093335_6 私の所属している民謡クラブ「アビコ愛友会」は千葉県の上部団体でなく茨城県の西南地区に登録しています。

   今までは常総市(旧水海道市)の市民ホールで大会を開催していましたが、市民ホールは立て替えのため使用できず、地域交流センターに変更になったのです。

 地域交流センターは写真にあるようにお城の形をしています。バブルの頃、竹下内閣のふるさと創生の1億円で作ったという話です。

 場所は常総市の石下にあります。昔平将門が活躍したところです。

090705_093150_2  プログラムは個人のコンクールが年齢別に分けた3組と上級者の1組、合唱のコンクールが2組、その他コンクールでなく普段の練習成果を発表するプログラムなどが組まれていました。

 愛友会からは個人4人と合唱に参加しました。

 残念ながら合唱だけが入賞でした。合唱の入賞も3組中3位の成績でした。

 写真は携帯でとったものであまり鮮明ではありませんが、クリックすると多少鮮明になります。

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2009年7月 2日 (木)

「劔岳 点の記」を見た

 平成21年6月30日、MOVIX柏の葉で「劔岳 点の記」を見ました。

 この映画は山岳小説の第一人者新田次郎の原作、同じ新田次郎原作の映画「八甲田山」のカメラマンを務めた木村大作が初めて監督・撮影に取組んだことで話題になっています。

 またCGを使わず、出てくる山の風景はすべて実写とのこと、その迫力は怖さを感じさせます。春の雪をかぶった山、夏の険しい岩壁、秋の紅葉した山など、冬を除く四季の景色が見事に捉えられていました。

 物語の時代は日露戦争直後の明治40年代初めです。

 物語の内容は陸軍測量部の測量士と山の案内人が未踏峰だった劔岳に登って三角点を設置するという実話に基づいています。海軍の支援を受けた日本山岳会と初登頂を競います。

 最後はちょっとしたどんでん返しがありますが、苦労を重ねて登頂に成功する感動的な映画です。

 私は今から46年前の26歳の頃、剣岳に登ったことがあります。黒部ダムが完成した年でした。富山側から入り、室堂から立山と劔岳に登り、黒部ダムまで下山、ダムを見て、完成したばかりのトロリーバスで関電トンネルを扇沢まで抜け、信濃大町から帰った記憶があります。当時は立山トンネルトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカーはまだ出来ていなかったように思います。

 立山は登りやすい山でしたが、劔岳は岩山をよじ登ったり、鎖にぶら下がったりの連続だったように覚えています。

 それでもしっかりした道だったので、素人の私にも登れましたが、道のないところを登頂した明治の先人達の苦労は大変なものだったということが、この映画から分かりました。命を懸けた登頂でした。

 映画に感動すると共に、青春時代の山行を懐かしく思い出しました。

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