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2009年8月30日 (日)

あびこカッパまつりと花火

 平成21年8月29日、第2回あびこカッパまつりが開催されました。

Dc083001  午前10時から我孫子駅南口を中心に、ダンスや演奏、地元商店街や市民団体の出店などで賑わいました。

 午後3時からは公園坂通を交通規制してヒルクライムレースがありました。自転車で坂道を登り速さを競うレースで、3歳から小学生までが対象です。

 4時からはカッパ音頭の大行進が公園坂を手賀沼公園の仮設やぐらまで行われ、和服姿の踊り手や仮装のカッパなどが河童音頭の唄に合わせて踊り歩きました。

Dc083002  やぐらの周りでは市民も加わりさらに踊りの輪が広がりました。市長も浴衣姿で現れ、仮装カッパ音頭コンテストなどの表彰を行いました。

 カッパまつりの最後は花火大会でした。今年は手賀沼花火大会が中止になったため寂しい夏でしたが、それを補うために夏の終りのささやかなプレゼントです。

 7時半から20分ほどの花火でしたが、手賀沼花火大会のような混雑もなく、、妻と二人でゆっくり花火見物を楽しむことができました。

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2009年8月24日 (月)

第4回手賀沼トライアスロン大会開催される

 平成21年8月23日、第4回手賀沼トライアスロン大会が手賀沼で開催されました。

Dc082301  コースは手賀沼を途中の標識で折り返す1.5キロのスイム、ふれあい緑道を片道の一部4キロを5往復する40キロのバイク、同じくふれあい緑道の一部を3往復する10キロのランとなっています。

 参加者は手賀沼トライアスロンの公式ホームページから拾ってみると、個人は約350名、チーム60組となっていました。 

 午前8時手賀大橋のたもと、旧沼南町のボートの桟橋からスイムがスタートしました。人数が多いので2組に別れてのスタートでDc082302 す。沼の中央で折り返し水からあがるとバイクはふれあい緑道の手賀大橋の下からです。ふれあい緑道を東に向って4キロ走ります。自転車で5往復したあとは、ふれあい緑道を沼南道の駅の裏から西に向って3往復10キロ走ります。

 バイクのスタートは手賀大橋の上から眺めましたが、オリンピック選手並みに、手際よくウェットスーツを脱ぎ自転車に飛び乗る人とゆっくり身支度をととのえておもむろに自転車に乗る人との2通りの人がいるのに気がつきました。

 Dc082303 記録を意識している人と競技を楽しむ人との違いなのでしょうか。

 ふれあい緑道は道幅の広い遊歩道なのですが、同じ道をたくさんの自転車がすれ違うにはちょっと狭い感じです。おそらく一方通行ならもっと早く走れるのではないでしょうか。

 トップの選手が最後のランを始めましたが疲れた様子もなく力強く走って行きました。

 Dc082401 1位の選手の記録は2時間5分39秒でした。

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2009年8月21日 (金)

東京ドームで巨人横浜戦を見る

 平成21年8月20日東京ドームで孫二人と一緒に巨人対横浜戦を観戦しました。

 Dc082102 8月6日に東京ドームで巨人対楽天の2軍戦を見ましたが、今回は1軍戦です。

 読売旅行のお弁当つきの「巨人戦観戦パック」(1人4000円)を3人分申し込んでいたのですが、申込者が少ないということで、1人2300円のチケットと残金を送り返してきました。読売旅行にチケットの手配を頼んだ恰好になったので、チケットを取る手間が省け、好きなものが食べられることになりかえっていい感じです。

 夏休み最後の東京ドームでの巨人戦とあって、球場は43,140人の満員、主役の子供たちが大半を占めていました。

Dc082106  席は2回席の三塁(横浜)側の内野席です。東京ドームで2階席から見るのは初めてです。2階席といってもビルの4,5階から下を見下ろすような感じです。選手の顔はよく見えませんが全体の動きはよく見えました。

 試合は横浜が先手を取り、巨人が追いつくとまた横浜がリードするという展開になりました。巨人の先発投手は今年初めて先発する久保、数年前に多少活躍しましたが、ここ数年はほとんど登板していません。私は全く買っていない投手です。

Dc082101  他にもピッチャーはいるのに何で久保なんかを先発に選んだか分かりません。案の定、4回3分の2を投げたところで、8安打、3失点で降板しました。そのあとの4投手が横浜をパーフェクトに抑えたことを考えると、今年はもう久保の先発はないでしょう。

 阿部のホームランで逆転し試合は巨人が横浜に3連勝しました。

 孫は二人ともパリーグの大のロッテファンなのですが、セリーグではひとりが巨人ファン、一人が横浜ファンなので下の孫には気の毒な思いをさせました。

 いつまで続くか分かりませんが、孫たちとともにする夏のナイター見物は私の大きな楽しみの一つです。

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2009年8月18日 (火)

WIIを買った

 平成21年8月2日、高齢者二人の我が家にWIIを購入しました。発売されたばかりの黒いWIIです。

 近くに住んでいる中学1年と小学4年の男の孫と仙台に住んでいる幼稚園年少組の女の孫の家にはWIIがあります。それぞれ平成18年12月と平成19年1月に行列に並んで買ったものです。

 孫たちが我が家に来る時は我孫子の孫が持っているWIIをバッグに詰めて持ってきていました。我が家のテレビのほうが大きく、大きい画面で遊べるためです。仙台の孫は買った時は1歳でしたが、今ではすっかり上達してボーリングゲームでは私より上手です。

 我が家にWIIがあればいちいち孫が持ってくる必要がないと妻のアイデアで買うことになりました。今は孫たちはお気に入りのソフトだけ持ってやってきます。

 WIIのソフトはここ2年半ばかりの間に本数も内容も驚くほど充実したようです。

 男の孫のお気に入りのソフトは、今は「実況パワフルプロ野球」です。12球団の選手が実名で登場します。攻撃と守備の選手の動きを、リモコンで操作するのですが、私にはとてもついていけません。

 もう一つのお気に入りのソフトは「WIIスポーツリゾート」です。平成18年にWIIが発売された時の「WIIスポーツ」と比べてみましょう。

 「WIIスポーツ」で遊べるスポーツは、テニス・ベースボール・ボウリング・ゴルフ・ボクシングの5種類でした。

 ところが「WIIスポーツリゾート」で遊べるスポーツは、ボウリング・ゴルフ・フリスビー・スカイレジャー・ウェイクボード・ピンポン・自転車・マリンバイク・カヌー・アーチェリー・バスケットボール・チャンバラの12種類に増えています。両方に入っているボウリングとゴルフは内容や動きが複雑になっています。

 孫にバカにされないよう我が家のWIIでトレーニングをする必要があるなと感じています。

 

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2009年8月14日 (金)

6回目のポケモンスタンプラリー

 平成21年8月12日、恒例になっている夏休みのイベント「ポケモンスタンプラリー」を完走しました。

 今年で6年連続の6回目、全駅完走は3年連続3回目です。

 Dc081401 ポケモンスタンプラリーはJR東日本が開催する夏休みの子供たちを対象にしたイベントというか恰好のビジネスです。山の手線を中心とした首都圏95駅の改札口の外にポケモンのスタンプ台を置き、専用のノートに各駅ごとのスタンプを押させるようになっています。スタンプの押せる時間はラッシュを避けるため9時半から4時までです。

 子供たちは改札口を出てスタンプを押しながら回ります。小さい子供には当然付き添いの大人も一緒に同行します。

 95駅全部をまわるには効率よく回っても最低4日はかかります。私の経験では最低大人2300円、子供1150円のホリデーパスを3日、都区内パス(我孫子駅出発の場合は大人1300円、子供650円)を1日購入する必要があると思います。

Dc081402  これは元気にいい動きの速い子供が回る、9時半までに遠隔地の駅に行きそこからスタートする、昼食は駅のベンチか電車内でとるなどの条件がそろって初めて可能です。遅く出発し幼い子供をつれて外で食事を取っていたらおそらく1週間以上はかかるでしょう。

 JR東日本は夏枯れの時期にいい商売を始めたものです。

 我が家のスタンプラリーは長女の孫兄弟2人の上のほうが小学校2年生の時から始めました。最初の3年間は都区内の全駅、その後の3年間は95の全駅を回りました。最初の3年間は下の孫は途中まで、あとの2年間は兄弟とも全駅を回りました。そして今年は最終日だけ中学1年になった上の孫が加わりました。

 今年は長女と下の孫が最初の1日を回り、2日目と3日目は私と下の孫の2人で回り、4日目は私と孫兄弟の3人で回りました。

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2009年8月11日 (火)

フジヤマのトビウオの思い出

 平成21年8月2日、国際水泳連盟副会長で元日本オリンピック委員会会長の古橋広之進氏がローマで死去しました。出発時間になっても姿を現さないので、関係者が部屋を訪ねたら、ベッドでなくなっている古橋氏を発見したと読売新聞に出ていました。

 まだまだ活躍してほしいことは多かったと思いますが、高齢者の一人としてはすばらしい死に方だったのではないかととうらやましく思いました。

 ここで私の記憶に残っている若き日の古橋選手の活躍の思い出を、NHKの「スポーツ大陸」と講談社の「日録20世紀」を見ながらまとめてみたいと思います。

 古橋選手は昭和3年静岡県生まれで、水泳は浜名湖の手作りのプールで覚えました。戦時中動員された工場の旋盤で左手中指の先端を失い一時は水泳をあきらめました。

 その後日本大学に進み生涯のライバル橋爪四郎選手と猛練習に明け暮れました。一日に3万メートルも泳いだそうです。

 昭和22年の全日本水泳選手権大会の400メートルの決勝で、4分38秒4の世界記録を出しました。ところが日本は国際水泳連盟から除名されていたため認められませんでした。

 翌昭和23年はロンドンで戦後初のオリンピックが開催されましたが、日本は参加が認められませんでした。日本水泳連盟はロンドンオリンピックの水泳大会と同じ時期にぶつけて全日本大会を開催しました。

 1500メートルでは古橋と橋爪両選手がデッドヒート、古橋選手が18分37秒、橋爪選手が18分37秒8でした。オリンピックの優勝者は19分18秒5、実に40秒以上の差で日本選手が勝ったことになりました。

 私は当時小学校6年生でした。映画館のニュースで日本選手権の様子をみて感激したことを覚えています。

 翌昭和24年、日本選手はロサンゼルスで行われた全米水泳選手権大会に招待されました。外務省からは国交が回復していないので生命の保証はできないといわれて出かけました。

 当時のロスの対日感情は悪く、「ジャップのプールはアメリカより短い」「日本の時計はゆっくり動いているに違いない」などといわれていました。

 日本選手団はホテルにも泊まれず日系人のフレッド和田氏の家に宿泊しました。

 1500メートル予選A組では、橋爪選手が18分35秒7で1位、予選B組では古橋選手が18分19秒で1位、2位のアメリカ選手に180メートルの差をつけました。陸上の5千や1万メートルでは周回遅れというのがありますが、水泳で周回遅れというのは聞いたことがないと元アメリカ選手が述べていました。

 翌日から新聞の論調は「ジャップ」から「ジャパニーズ」になり、古橋は「Flying Fish of Fujiyama]といわれました。

 「生命の保証はできない」から「日の丸を掲げたパレード」に変わったのです。日系人は大喜び、日本国内でも号外が発行され、臨時ニュースが流れました。フジヤマのトビウオは敗戦後の日本を奮い立たせるとともに、すばらしい民間外交を果たしたのです。

 古橋広之進さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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2009年8月10日 (月)

裁判員による初めての裁判

 裁判員によるわが国初の裁判が、平成21年8月3日から6日まで東京地裁で行われ、6日には被告に対し懲役15年の判決が言い渡されました。

 裁判員は6名で、途中体調を崩した女性裁判員の代わりに3日目から補充裁判員の男性参加しました。

 裁判員を決めるに当たって東京地裁は候補者名簿の中から抽選で100人を選びました。その中から70歳以上の人や、事前の調査票に辞退を希望した人などを除いて、選考の出席予定者は49名となりました。

 そのうち47名が参加、最終的な抽選が行われて、6人の裁判員と裁判員が病気などで出席できなくなったときに代わりを務める補充裁判員3名が選任されました。裁判員は女性が5人、男性が1名でした。約2時間で選任手続きを終了したと新聞に出ていました。

 裁判員が担当した事件は、今年5月に東京足立区の路上で72歳の男性が近所の66歳の女性をサバイバルナイフで刺殺した事件です。被告は犯行を認めていたため、裁判の争点は刑の重さに絞られました。どれだけ強い殺意を持って被告を刺したかが量刑を決めるポイントとなりました。

 裁判員は市民の目線で被告に質問したようです。

 懲役16年の求刑に対して、判決は懲役15年となりました。

 8月7日の読売新聞の朝刊には、「裁判員裁判初の判決 全員が会見 『大約成し遂げた つらい部分も』」のタイトルでトップ記事で報道されました。新聞の論調も、裁判を膨張した人も、初の裁判員裁判に肯定的でした。

 平成20年12月12日のブログで、裁判員制度に反対する意見が多い風潮に対して、私は次のように書きました。

 「裁判員制度はこれからのシステムです。最初から万全のシステムなどありません。いたずらに反対するのでなく、少しずつでも、よりよいシステムにするよう国民が守り立てていくべきと考えます。」

 最初の裁判員裁判の報道をみて、裁判員制度はまずは国民に受け入れられたという感を強く感じました。

 

 

 

 

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2009年8月 7日 (金)

東京ドームで巨人2軍戦を見る

 平成21年8月6日、東京ドーム球場でイースタンリーグ公式戦巨人対楽天の試合を観戦しました。

Dc080701_2  小学校4年生になる孫が友達がらもらったというチケットが3枚あり、そのお供を頼まれたからです。会社が終わってあと、孫のパパが合流しました。

 野球の試合は夜6時からですが、午前11時から「芝生で遊ぼう」というイベントがありました。東京ドームの人工芝のグラウンドに入って、いろいろ体験してみようという試みでした。

 30分前に行けば十分と思い、10時半頃東京ドームに到着しました。ところが驚Dc080702 いたことに、入場するための行列が東京ドーム前の広場を埋め尽くしていました。数千人の行列です。幼児から中学生くらいまでの子供とその付き添いの大人です。入場までに約1時間かかりました。

 広い芝生のグラウンドにぎっしりと人が入っていました。キャッチボール、ベースランニング、ピッチャーマウンド上やマスコット人形との撮影会などが行われていました。子供たちが 芝生の上に座り込んだり、寝転がったりして楽しんでいました。

 私たちは12時過ぎにグラウンドを後にしました。試合のための開場は午後4時です。昼食後、孫と葛西の地下鉄博物館で時間をつぶしました。

 Dc080703 4時過ぎに東京ドームに戻りました。そこでまた長い長い待ち行列に加わりました。人出は午前中の2倍くらいありました。ただ、入場ゲートが午前中の1ヶ所から3ヶ所になっていたため、30分くらいで入場できました。

 席は一部を除いて内外野とも自由です。私たちは内野の前のほうに座ることが出来ました。回りには孫と同じようにグローブを持った子供たちが大勢いました。ファールボールを取るためですが、残念ながらこちらには飛んできませんでした。

Dc080704  試合中にも続々観客は増え続け、1階は内外野ともほぼ満員、3階席も半分くらい埋まりました。おそらく3万5千人以上の人が2軍戦を見に来たことになります。おそらくほとんどが無料のチケットをもらった人なのでしょう。 

 試合は8回途中までですが、7対1で楽天の一方的な勝ちゲームとなりました。巨人の4年前のドラフト1位の辻内投手が打たれ、今年のドラフト1位の太田が2つのエラーや三振、いいところはありませんでした。

 混雑を避けるため8回途中で帰途につきました。

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