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2010年8月23日 (月)

第5回手賀沼トライアスロン

 平成22年8月22日手賀沼の柏側で第5回手賀沼トライアスロンが開催されました。

 当日は気温35度に届きそうな猛暑、朝から夏の太陽が会場を焦がしていました。

 手賀沼トライアスロンはオリンピックと同じ形式です。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロです。

 スイムはしょうなん道の駅の下の桟橋からスタートして手賀沼の中央で折り返します。バイクはふれあい緑道を東向きに手賀大橋の下からスタートして、往復8キロのコースを5周します。ランはふれあい緑道を西向きに3.3キロのコースを3周します。

 参加者は個人340名、うち325名が完走、リレーは49チーム、うち48チームが完走しました。 

 参加者は2組に分かれて、1組目が朝8時にスタート、10分の間隔を置いて2組目がスタートしました。

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 折り返し地点に向っての力泳です。

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 スイムを終わった選手たちです。

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 バイクのスタート地点、力走する選手、折り返し地点です。

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 バイクが終り、ランに入った選手です。Dsc00054

 会場のひとコマです。

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2010年8月21日 (土)

150号を迎える「手賀沼通信」

 私が毎月発行している「手賀沼通信」が平成22年9月1日で150号になります。

 平成10年4月1日が創刊第1号ですので、12年6ヶ月目ということになります。

 「手賀沼通信」はサラリーマンを61歳で退職したとき、なにか退職後の支えとなるものはないかと思って、友人が出している「土佐一人新聞」を参考に、出し始めた一人新聞です。通信のテーマを「高齢者の豊かな生活のために」と決め、高齢者に向っての情報発信を心がけました。本音は「暇つぶしとぼけ防止」です。

 当初の発行部数は70部、勝手に作って勝手に相手を決めて送るスタイルでした。パソコンでマイクロソフトのワードを使って作成し、ほとんどが紙に印刷して郵送していました。もちろん無料です。

 ところがメールに添付して送るほうが簡単なため、次第にメール添付が増えました。カラー写真はメール添付ならそのまま見られますが、紙に印刷すると白黒コピーなので美しくありません。現在は350人ほどの方にメール添付でお送りし、郵送や手渡しは50人ほどの方になりました。

 12年6ヶ月間休むことなく続けられたのは、健康に恵まれ大病をしなかったことと、読者の皆様から毎月励ましのメールや手紙をいただいたためです。

 手賀沼通信の書式は当初は、A4またはB5、4ページに2段組、9ポイント活字、横書きで作っていましたが、途中からA4、4ぺージに統一し、活字も読みやすく11ポイントに大きくしました。150号までで、概算ですが写真を除いて、400字詰め原稿用紙約2500枚ほど書いたことになります。

 内容は高齢者に役立つ情報で、マスコミに出た記事の紹介などではなく、体験記が基本です。当初は比較的固い記事が多くを占めていました。年金問題、健康や闘病記、講演会や株主総会体験記、ハウツーもの、などが多かったようです。途中からだんだん旅行記や読書感想文や趣味の記録などが増えてきました。私の生活パターンが「学習」から「遊び」に変化してきたことを反映しています。

 平成18年8月から「手賀沼通信ブログ」を書き始めました。手賀沼通信が月1回なので載せた時はタイミングがずれたり、またA4、4ページという制限で、書きたいことが書けないことがあるため始めたわけです。

 ところがブログを始めたことから、手賀沼通信のネタ探しに新しい苦労が始まりました。ブログと手賀沼通信をダブらせると新鮮味がなくなります。考えた末逆転の発想で、年2回はブログの記事を抜粋してそのまま手賀沼通信に載せることにしました。それで2回分はネタ探しの苦労がなくなりました。

 読者からの投稿は大歓迎です。当初はいろいろな方から投稿いただきました。ところが次第に投稿が減ってきました。理由は分かりません。大変残念に思っています。

 50号と100号を迎えたとき、記念の本を発行しました。自分で編集、印刷、製本を行いました。文字通りの手作りです。

 50号のときは「未知との遭遇」というタイトルで、海外旅行体験記を集めました。100号のときは「手賀沼通信こだわりの記事」というタイトルで、自分の愛着のある記事を集めました。いずれもそれまでの手賀沼通信からの抜粋でした。

 150号記念の本も出したいと思っています。まだ内容は決めていませんが、おそらく「未知との遭遇 続編」で、それ以後の海外旅行をまとめることになるでしょう。 

 

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2010年8月14日 (土)

7回目のポケモンスタンプラリー

 平成22年8月、今年も孫に付き合ってポケモンスタンプラリーに行ってきました。

 すっかり夏の風物詩になったポケモンスタンプラリー、今年で7年目7回目の出番です。最初一緒に周り始めた孫は中学生になってスタンプラリーは卒業、今年はその下の孫と二人でした。

 最初の3年間は都区内だけを回り、その後の3年間は全駅回りました。孫と2人だけで回るのは今年が初めてです。

 JR東日本ポケモンスタンプラリーとは関東地区の96の駅を回って、改札口の外に設置されているスタンプ台で所定のスタンプ帳にポケモンのスタンプを押していくラリーです。

  遠隔地の駅は常磐線は土浦、高崎線は熊谷、中央線は八王子、東海道線は大船、総武線は千葉です。

 昨年は最初孫とその母親で6駅まわってスタンプ帳をもらい、そのあと3日間かけて私と孫で残りの全駅を回りました。

 今年も同じように4日間かけたのですが、最後に近くの駅が5つ残ってしまいました。その残りを8月12日に孫が1人で回って全駅完走を果たしました。

 昨年のように4日間で終了できなかった理由は、昨年より駅の数が1つ増えたことと、今年から4つの場所でスイカ端末を読ませて、シールをもらうという新しいイベントが増えたことです。JRも余分な時間と交通費ををかけさせる新しい手を考えたわけです。それに昨年と別のルートを通ったため多少時間がかかったのかもしれません。

 スタンプ台が置かれている時間は9時半から4時までです。時間を有効に使うコツは、朝9時半に遠隔地の駅からスタートし、昼食は電車の中か駅のホームで済ませ、駅のホームの歩く距離を少なくすることです。そして終わる時も遠隔地か電車の運転間隔が少ない末端の駅で終えることです。

 そのためには「ポケモンスタンプラリー時刻表」を購入し、それを見ながら回る必要がありました。

 孫に聞いたら来年も行きたいとのこと、おそらく来年が最後の年になるのではないかと思っています。

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2010年8月12日 (木)

やはり多かった日本人観光客

 平成22年7月の先日のスイス旅行で5日目にリヒテンシュタインのファドーツに行きました。

 ファドーツの中心街を歩いていたら、歓迎の旗が頭上にありました。いろいろな国の言葉で書かれていました。中国語や韓国語はありましたが、日本語はありませんでした。

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 街のベンチで休んでいると、中国人や韓国人の団体が目立ちました。ガイドの中国語や韓国語が耳に飛び込んできました。日本語は聞こえませんでした。

 中国人や韓国人のグループは高齢者より若者が目立ちます。子供を連れた家族づれも少なくありません。

 それに比べて日本人のツアーは高齢者の夫婦が多く、必ずといっていいほど帽子をかぶっています。日本人グループもすぐ分かります。

 以前オランダに行ったとき、何ヶ所かで「ニーハオ」と声をかけられたことがありました。日本人の観光客の存在感は小さくなった感じがしました。

 ところがツェルマットやマッターホルンでは日本人ばかりでした。マッターホルンを見ようと早朝に集まった観光客はほとんど日本人でした。

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 ゴルナーグラート展望台に行く登山電車の中は、日本人ばかりという感じでした。私の隣は関西から来たグループらしく、関西弁が飛び交っていました。

 7月23日にはスイス南部フィーシュで氷河特急が脱線、1人が亡くなりました。日本人の観光客でした。

 8月9日アメリカ西部ユタ州で日本人観光客が乗ったバスが横転、3人が死亡、12人がケガをしました。

 死亡事故から観光客の多さを判断するのは大変失礼で申し訳ありません。乱暴な判断ですが、やはり日本人の観光客パワーは衰えてはいないような気がします。

 

 

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2010年8月 9日 (月)

2年ぶりの手賀沼花火大会

 平成22年8月7日手賀沼花火大会が2年ぶりに行われました。

 昨年は景気悪化で資金不足となり、初めて花火大会が中止となりました。

 今年は市民などから募金をつのったり、関係者の必死の努力で開会することができました。

 我が家は一昨年まで長男のマンションから花火を見ていたのですが、長男一家が仙台に転勤になったため、今年初めて市で募集していた有料の見物席を購入しました。定員4人で12000円でした。

 花火は7時より打ち上げですが、6時15分ころに見物席に着きました。ビールとおつまみとお弁当と座布団持参です。

 桟敷席は沼の波打ち際の最前列で、涼しい風が吹いていました。4人席に2人なので余裕がありました。

 2年ぶりの開催とあって人出はいつもより多いように感じました。

 花火は我孫子市と柏市の4ヶ所から打ち上げられ、他に2ヶ所の水中花火がありました。

 花火そのものも2年ぶりとあって例年より豪華に感じました。もしかしたら桟敷席から見たせいかもしれません。

 写真は小型のデジカメでとったためあまりよく写っていません。お許しください。

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2010年8月 5日 (木)

アルプス旅行-6

 旅行9日目の7月25(日)の天気は曇りのち晴れ。いよいよ人気ナンバーワンのマッターホルンを見に行く日です。

 モルゲンロートを見ようと明け方近くの橋に出かけました。同じ目的で多くの人が集まっていました。ほとんど日本人のようでした。しかし雲が立ち込めてマッターホルンは見られませんでした。昨日アーベントロートが見られたのでよしとするしかありません。

 朝8時15分ホテルを出発、8時48分ツェルマット発のゴルナーグラート展望台に向かいました。電車も日本人の乗客が大半を占めている感じでした。

 ツェルマットを出たときは雲が低く垂れ込め、展望は利きませんでしたが、途中で突然登山電車が雲の上に出て視界が開け、マッターホルンが姿を現しました。まるでマジックでも見ているようでした。

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 電車に33分ほど乗ってゴルナーグラート展望台に着きました。展望台からはマッターホルンよりも標高の高いモンテローザが左端に鎮座していますが、右端にあるマッターホルンのほうが目立ちます。独立峰だけに、その存在感は他を圧倒していました。

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 展望台でプロの写真家に集合写真とアルプス犬セントバーナードをはさんでの妻とのツーショットを撮ってもらいました。もちろんマッターホルンがバックです。

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 11時過ぎまで場所を変えながら、快晴のなかのアルプスの眺望を楽しみました。いつまでもそこにいたい気持ちでしたが次のスケジュールがあります。

 帰りはローテンボーデンで下車、逆さマッターホルンの見えるリッフェルゼー湖まで歩きました。

 湖に写った逆さマッターホルンの姿はなんとも言いようがないような美しさでした。

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 下山後、ツェルマットでソーセージの昼食。そのあとは自由時間となりました。

 自由時間は、ツェルマットの街を散策しました。展望台でとった写真を購入し、おみやげの買物をしました。

 ツェルマットは電気自動車の世界です。一番多いのはホテルの送迎と荷物運搬用の電気自動車です。バスやトラックも電気自動車でした。馬車も走っていました。

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 夕食は最後の晩餐となりました。ツアー仲間がスイスの民族衣装を着て歌を聞かせてくれました。

 旅行10日目の7月26日(月)の天気は晴れでしたが、マッターホルンのモルゲンロートは霧で山が隠れ、今日も見られませんでした。

 今日はイタリアミラノに入り、ミラノで少しの時間観光をしたあと、マルペンサ空港から帰国の途につきます。

 ホテルを8時15分に出発、9時の電車でテーシェへ向かいました。電車に乗る前、残ったスイスフランでチョコレートとライターを購入、スイスフランを使い切りました。

 ミラノまでは約3時間半のバス旅行でした。スイスは涼しい高原の空気でしたが、ミラノは夏の暑さです。それでも帰国後の東京の暑さに比べると涼しかったように思います。

 昼食はミラノ名物のカツレツでした。

 そのあと2時にドオモの前で一旦解散し、2時間15分の自由時間がありました。スイス以外のおまけの観光時間です。

 ミラノは3回目ですがドオモの上には登ったことがありません。妻と2人でエレベーターでドオモの屋根に上りました。デパートに入ったり、エマヌエーレ2世のガレリアを歩いたりしてミラノを楽しみました。

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 チェックイン後ビジネスクラスのラウンジで過ごし、20時45分発のJALに乗り込みました。

 翌7月27日(火)の15時30分成田空港につきました。

 「アルプス4大名峰」を目的に、スイス、フランス、イタリアを巡る9泊11日間の旅が無事に終わりました。

 ツアーコンダクターの崎山さん、ドライバーのプリスカさん、旅仲間の皆さん、そして何よりも妻に感謝感謝です。

 

 

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2010年8月 4日 (水)

アルプス旅行-5

 旅行7日目の7月23日(金)天気は雨のち曇りのち雨、モンブランを見るためエギュ・ド・ミディ展望台に登ります。

 9時にホテルの玄関に集合し、雨の中エギュ・ド・ミディへ登るロープウェイの駅まで歩いていきました。歩いて約10分でした。

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 ところが駅に着いてみるとロープウェイは雷のおそれがあるため運行を停止していました。しばらく駅で待ちましたが、雨が降り続いていて運行再開のめどが立ちません。

 添乗員の崎山さんの判断で、午前中を自由時間にして様子を見ることになりました。

 ホテルに引き返し荷物を置いてシャモニーの街を歩きました。シャモニーは1924年第1回の冬季オリンピックが開かれた場所です。しゃれたブランド店、お土産屋、長期滞在者のための日用品を売る店、レストランやカフェが並んでいて、いかにもフランスのアルプスの玄関口といった感じがあふれていました。

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 昼食はロープウェイ駅の近くのレストランでラクレットをいただきました。つるしたチーズをあぶり、解けたところをナイフでこそげ取って、ゆでたジャガイモにつけて食べる料理です。初めて食べましたが、大変おいしくいただけました。

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 さいわいに雨もあがり、ロープウェイの運行も再開されました。途中1回乗り換えましたが、約20分で約3800メートルまで登りました。そしてさらにエレベーターで3842メートルの展望台に昇りました。

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 今回のぼる4つの展望台の最高峰です。残念ながらモンブランの頂上は見えませんでしたが、雲の切れ目からシャモニーの街やボッソン氷河が望めました。

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 展望台のカフェでコーヒーを飲んでいると、また天候が崩れるとの放送があり、皆さん急いでロープウェイで下山しました。

 夕食はレストランでポーク料理をいただきました。

 旅行8日目の7月24日の天気は曇りのち晴れ。観光と移動の1日です。

 朝9時にホテルを出発、水で有名なエビアンに向かいました。エビアンは世界にミネラルウォターを輸出しています。

 エビアンはレマン湖に面した大変美しい街で、ちょうど女子プロゴルフのエビアンマスターズを開催中でした。Dc080408

 街の小高い場所にエビアンの水が注ぎ出ていました。現地の人が空の大きなペットボトルを何本も持ってきて酌んでいました。私たちもならんで一口ずつ飲みました。

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 市街や湖畔を散歩したあと、カジノの中にあるレストランで昼食をいただきました。カジノに入るにはパスポートを提示し、荷物や帽子は預ける必要がありました。

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 そのあとは一路ツェルマットに向けてバスを進めました。途中再び国境を越えてスイスに入りました。

 ツェルマットもウェンゲンと同じようにガソリン車は乗り入れ禁止です。1つ手前のテーシェでバスを降りました。

 2日目からお世話になったバスのドライバーのプリスカさんとはここでお別れです。プリスカさんからは毎日水も買っていました。500ミリリットル1本2スイスフラン(178円)か1.2ユーロ(140円)でした。

 テーシェからツェルマットまでは電車でした。ツェルマットのホテル アストリアに入ったのは17時頃でした。ホテルの近くの橋の上からマッターホルンの勇姿が見えました。

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 夕食はこのツアーで初めて宿泊したホテルでとりました。

 夕食後、橋の上から日が沈むまでマッターホルンを眺めました。アーベント・ロートに輝くマッターホルンは見事でした。

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アルプス旅行-4

 アルプス旅行の続きです。旅行5日目の21日(水)は晴れのち一時雷雨の天気。

 ベルナー・オーバーラントに聳えるアイガー、メンヒ、ユングフラウを眺める1日です。

 8時30分ホテルを出発、9時10分ウェンゲン発の電車でクライネシャイデックまで行き、別の電車に乗り換えました。クライネシャイデック駅のホームから、壮大な3山の勇姿が拝めました。なおこの駅の近くには新田次郎の記念碑があります。

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 途中アイガーバントとアイスミールの駅で5分ずつ停車、それぞれ眺望が楽しめました。アイガーバントはアイガーの壁をくりぬいた駅です。

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 10時ころユングフラウヨッホ駅に到着しました。駅からは全員そろってアイスパレス(氷の洞窟)とプラトーテラスに向かいました。

 アイスパレスは氷河をくりぬいて作られた洞窟の宮殿で、なかの気温は零度、氷の廊下は慎重に歩かないと滑りそうになります。氷の彫刻があったり、氷の額縁で写真をとるスポットがあったり、幻想的な雰囲気でした。

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 外のプラトーテラスからはほぼ360度の眺望がきくはずでしたが、雲や霧がかかっていて下界はほとんど見えませんでした。雲や霧の間からユングフラウがかすかに顔を出しました。

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 スフィンクス展望台に行きたかったのですが、時間がなくあきらめました。行った人の話ではやはりあまり眺望はよくなかったようです。

 世界遺産のアレッチ氷河を上から眺めることもできませんでした。

 11時30分ユウグフラウヨッホ駅を出発、同じ登山電車で、いくら眺めても見飽きない3山の眺めを楽しみながら、来た道を引き返しました。ユングフラウの山頂付近は雲の中、展望台からユングフラウが見えなかったのが理解できました。

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 3つの電車を乗り継いでインターラーケン・オスト駅に到着、日差しの強い中、インターラーケンの街を20分ほど歩いてレストランに行きました。昼食はチーズフォンデューでした。

 インターラーケンはベルナー・オーバーラント観光の基地となっている大きな街です。午後は自由時間だったので、お土産にスイス時計の買物をして、市内の中心にあるメトロポールホテル14階のラウンジでユングフラウを眺めながら休憩しました。待っていたようにタイミングよく雷雨がやってきたので濡れずにすみました。

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 レストランで夕食にチキン料理をいただき、ウェンゲンのホテルに戻りました。

 旅行6日目の22日(木)は曇り時々雨の天気、観光と移動の日です。

 8時15分ホテルを出発、電車でラウターブルンネンまで行き、そこからいつものバスに乗りました。

 まずスイスの首都ベルンを訪れ、バラ公園、熊公園、旧市街を観光しました。

 バラ公園からみるアーレ川に囲まれたベルンの旧市街の眺めが見事でした。旧市街は世界遺産に登録されています。

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 そのあとレマン湖のほとりモントルーへ向いました。

 スイスは九州くらいの広さの国土に約740万人が住んでいます。公用語は使う人の多い順にドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語です。

 看板の文字がベルンではドイツ語でしたが、モントルーに近づくにつれすっかりフランス語に変わりました。

 昼食はレマン湖畔のシヨン城近くのレストランで魚料理をいただきました。シヨン城の周りを散策したあと、世界遺産のラボー地区へ向かいました。そしてここではブドウ畑を散策しました。

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 ラボー地区はレマン湖を望む急峻な傾斜地に、一面にブドウ畑が広がり、世界遺産に登録されています。

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 スイスのワインはとてもおいしいのですが、生産量が限られているため、ほとんど国内で消費され、あまり輸出されていません。日本国内でもスイスワインには余りお目にかかったことがありません。今回の旅行ではスイスのワインとビールを思い切りいただきました。

 その後フランスとの国境を越え、モンブランのシャモニーに入りました。ホテルは、ル プリウレです。

 スイスのウェンゲンはガソリン車乗り入れ禁止でしたが、フランスのシャモニーは車の街です。ホテルの窓からは道の中央に駐車している車の列が見えました。

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 ウェンゲンのホテルはバスタブがありませんでしたが、ここにはバスタブがあり、お湯の温度が下がることはありませんでした。

 夕食はレストランでビーフ料理をいただきました。ワインも一緒だったことは言うまでもありません。

 

 

 

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2010年8月 1日 (日)

アルプス旅行-3

 旅行4日目の19日、天気は快晴。今日から1日おきにアルプスを見るための展望台に登ります。

 まず最初の展望台はディアボレッツア展望台です。ピッツ・ベルニナの連山を眺めます。

 ホテルを9時にバスで出発。サンモリッツ発9時45分のレーティッシュ鉄道ベルニナ線でディアボレッツア駅へ向かいました。

 ディアボレッツア駅から11時発のロープウェイに乗りました。頂上までは約10分、視界にさえぎるものは何もありません。遥か遠くにはアルプスの峰々が連なり、眼下に小さな氷河湖がいくつも見えました。

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 展望台からはすぐ目の前にピッツ・ベルニナなど、4000メートル前後の山々が聳え立っていました。その間から氷河が流れていました。展望台の高度は約3000メートル、冬のコートを着込んでいましたが、まばゆい日差しと無風状態のため暑いくらいでした。

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 次はベルニナ線でモルテラッチ駅に戻り、モルテラッチ氷河が見えるところまで散策しました。道に並行して川があり、氷河からの濁った水が音を立てて流れていました。道端には高山植物の花々が咲き誇り、川の反対側の崖では、小さい子供を交えたハイカーがロッククライミングの練習をしていました。

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 サンモリッツに戻って昼食。昼食後の自由時間はサンモリッツ湖畔の遊歩道を通ったり、道に迷ったりしながら、ホテルまで歩いて帰りました。

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 旅行5日目の20日は移動と観光の日です。この日も快晴です。

 5時30分に起床。ホテルの周りの山々のモルゲン・ロートを写真に取りました。

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 9時2分サンモリッツ発の氷河特急にティーンフェンカステルまで1時間10分ほど乗車、途中ランドバッサー橋を通りました。氷河特急の報道番組などでよく見る有名な風景です。

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 あとで分かったことですが、氷河特急は23日に脱線事故を起こし、日本人女性が1人亡くなっています。脱線事故を起こした場所は通りませんでしたが、もし事故の直後だったらツアーはスケジュールどおりにはいかなったでしょう。

 ティーンフェンカステルからバスでマインフェルトに行きました。マインフェルトは「アルプスの少女ハイジ」の故郷として知られています。ハイジの泉の近くでお弁当をいただき、近くの道を散策しました。

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 そのあとリヒテンシュタインの首都ファドーツに行きました。リヒテンシュタインは人口3万1千の立憲公国です。切手で有名です。ファドーツの歩道には切手のデザインで飾られていました。

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 次に訪ねたのはスイス建国の地として知られる古都ルツェルンでした。中世の面影を残す街並は、絵のように美しいと称えられています。ロイス川にかかるカペル橋が見事でした。

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 宿舎はウェンゲンのホテル ビクトリア ラウバーホルン です。ウェンゲンはガソリン車では入れません。手前のラウターブルンネンでスーツケースを持って登山鉄道に乗り換えウェンゲンに着きました。

 駅からホテルまでスーツケースを運ぶのは電気荷車でした。

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 レストランで鮭料理をいただいたあと、外に出たらユングフラウがアーベントロートに輝いていました。

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 9時15分にホテル ビクトリア ラウバーホルン に入りました。

 ホテルは小さな部屋で、バスタブがありませんでした。苦心してスーツケース2つをひろげました。

 

 

 

 

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