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2010年10月29日 (金)

ジャイアンツの敗因を考えてみた

 ちょっとタイミングがずれましたが、今年のジャイアンツの敗因を考えてみました。

 平成22年10月25日から27日までの読売新聞に今年のジャイアンツの総括が出ていました。

『25日:勝負弱さ 包囲網破れず

 原監督「同じ投手、同じチームにやられた印象」。名古屋ドームでは9連敗を含む2勝10敗。クライマックスシリーズでも1勝しかできなかった。昨年無かった同一カード3連敗が5度。

26日:先発投手陣 次々と脱落

 昨年34勝をあげたゴンザレス、グライジンガー、オビスポの外国人投手陣が今年は7勝しかあげられなかった。

27日:2番と5番 途切れた打線』

とありました。

 私は今年のジャイアンツは「おごりと油断とコンプレックス」で敗れたと見ています。

 ジャイアンツは開幕から快調で、中日には最大8ゲームの差をつけていました。そこに「今年も優勝間違いなし」というおごりが生じたのだと思います。

 5月に始まった交流戦ではジャイアンツは12勝12敗、中日は11勝13敗、阪神は11勝12敗1引き分けでした。6月末には2位に最大5ゲームの差をつけていました。ここで油断したのです。7月と8月は連続負け越しでした。

 最後はコンプレックスです。名古屋ドームでの9連敗が示すように蛇ににらまれたカエル。中日には結局9勝15敗となりました。最終成績は中日とは1ゲーム差です。中日と対等に戦っていれば、ジャイアンツは問題なく優勝でした。

 おごりと油断とコンプレックスが個人の成績にもうかがえます。

 打撃成績ベスト5に、中日2人、阪神2人に対してジャイアンツはゼロです。ベスト10に小笠原がやっと9位に入っているだけです。

 ホームランはジャイアンツが圧倒的に多かったのですが、打線のつながりに欠けていたのです。

 投手成績では、防御率ベスト10に中日が2人に対してジャイアンツは東野が5位に入っているだけです。

 来年はもっと練習してこの欠点を克服してほしいです。

 

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2010年10月24日 (日)

ジャパンバードフェスティバル2010

 平成22年10月23日、24日の2日間我孫子市手賀沼沿いの親水公園とアビスタでジャパンバードフェスティバル2010が開催されました。

 23日は久しぶりの秋晴れ、カメラを持ってまず親水公園の会場に向かいました。

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 会場近くではコスモスが満開でした。

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 親水公園前の広場や堤の上ではテントが立ち並び、鳥関連の物品や望遠鏡の販売、ショーなどが行われていました。

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 親水公園の水の館ではバードカービングの展示が行われていました。

 廊下では我孫子市の小中学生などの作品の展示、ホールでは全国からの応募作品の展示がありました。

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 我孫子駅からアビスタ、親水公園へはシャトルバスが運行されました。

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 アビスタのある手賀沼公園では、鳥の博物館友の会が鳥の凧を貸し出し、子供たちが凧揚げをしていました。

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 アビスタでは 全国から集まった鳥の写真の作品展などいろいろな展示会が行われていました。

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2010年10月21日 (木)

東北旅行記-3

 前回に引き続き旅の4日目、最終日です。

<4日目-10月17日(日)>

 最終日の天気はめまぐるしく変わりました。晴天から豪雨になり、曇り空に戻りました。

 バスに乗る前、ホテルの前から見た岩木山が朝日を浴びていました。

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 8時にホテルを出発、津軽半島の北端、竜飛崎を目指しました。

 阪急交通社が設定した今回のコースは、3日目と4日目に同じ道を行き来するという、労力と時間の無駄がありました。昨日フェリーが着いた蟹田港まで戻ってそこを通り過ぎて竜飛崎に行くのです。往復3時間以上のロスです。

 蟹田の近くに適当な宿がないのかもしれませんが、せめて青森あたりに泊まれば、もっと時間の余裕ができるのではないかと思いました。

 竜飛崎は津軽半島の最北端で、その下を青函トンネルが通っています。風が強いことでも有名です。

 岬の上に立つと、北海道がすぐそこに見えました。マグロの一本釣りの魚船が数多く出ていました。私は知らなかったのですが、階段国道があるのでも有名とのことでした。

 津軽海峡冬景色の2番の歌詞の碑があり、ボタンを押すと石川さゆりの歌が流れました。風の音に消されないよう驚くほどのヴォリュームでした。

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 十三湖は昔、十三(とさ)湊と呼ばれていた14世紀から15世紀のころ、大変栄えた港でした。国際貿易港でした。いまは静かな寂しいところです。私の一番好きな民謡「十三(とさ)の砂山」のふるさとです。 

 十三湖でシジミ汁をいただきながらお弁当を食べました。

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 青森県の深浦駅から秋田県の岩館駅までJR五能線に乗りました。日本海の美しい海岸を楽しめる路線です。

 曇り空が日本海の厳しい雰囲気をかもし出していました。

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 岩館から秋田までバスに乗り、秋田から午後6時発の秋田新幹線こまちで帰路につきました。

 家に帰りついたのは午後11時ころでした。くたびれましたが、楽しく有意義な旅でした。

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東北旅行記-2

 前回に引き続き旅の3日目です。

<3日目-10月16日(土)>

 青森屋を7時30分に出発しました。9時出発だった2日目と比べると、ちょっとあわただしい朝となりました。

 添乗員の淺野さんが体調を崩し、座席表が間に合わなかったので、昨日の座席に座りました。

 天気予報は雨、今にも降りそうな感じです。ところがしばらくすると青空が広がってきました。快晴となりました。

 下北半島を北上、はまなすラインの国道279号線を恐山を目指してひた走りました。

 途中六ヶ所村を通りました。目を引いたのは巨大な石油備蓄タンクとくるくる回る風力発電の風車でした。六ヶ所村には77基の風車が回っています。

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 恐山には9時50分に到着、地蔵堂におまいりした後、20分間ほど宇曽利山湖畔の賽の河原や地獄めぐりをコースに従ってひと回りしました。ちょっと他では見られない風景が続いていました。

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 もう少し時間がほしかったのですが、船の時間が決まっています。10時30分に恐山を出発、大間崎に向かいました。発車する前に今日の座席に席替えしました。少し前の座席になりました。

 昼食はバスの中でとりました。これも時間稼ぎのためでした。

 大間崎は「大間のまぐろ」で有名な下北半島の本州最北端の岬です。残念ながら時間がないため、バスの車窓から眺めただけで写真をとる時間もありませんでした。

 佐井港でバスを降り、遊覧船に乗って仏ヶ浦観光に向かいました。風が出て津軽海峡が荒れはじめました。遊覧船はジェットコースターに乗っているようにゆれました。

 仏ヶ浦は海の侵食で奇岩が連なり、五百羅漢、鳳鳴山、一つ仏などと名づけられています。

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 下北半島の脇野沢港から、むつ湾フェリーに乗り、津軽半島の蟹田港に渡りました。3時半から4時半までの約1時間の船旅です。津軽海峡と違って陸奥湾は穏やかでした。

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 津軽半島を青森まで走り、青森から東北自動車道で大鰐弘前インターチェンジまで行きました。

 途中夕焼けに映える津軽冨士岩木山の美しさに見とれました。宿の大鰐温泉「青森ロイヤルホテル」に着いたときは6時20分ころ、日はとっぷりと暮れていました。

 大鰐スキー場の上に建つホテルから見る弘前の夜景が見事でした。 

 

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2010年10月20日 (水)

東北旅行記-1

 ブログを書くのが12日ぶりになりました。旅行が入るとブログがおろそかになります。すみません。

 平成22年10月14日から17日にかけて、阪急交通社の「絶景三陸海岸縦断と津軽・下北2大半島 夫婦ふたり旅 4日間」というツアーに行ってきました。料金は2人で18万円でした。

 その旅行記録を3回に分けて書きます。

 ツアー申し込みの条件が「55歳の夫婦ふたりで申し込むこと」ということもあって、夫婦20組40人の参加者が集まりました。平均年齢は70歳くらいでした。

<1日目-10月14日(木)>

 上野駅から9時22分発「はやて11号」に乗車しました。添乗員の淺野さんが迎えてくれました。行きはグリーン車です。なぜか帰りは普通車でした。

 一ノ関で下車、岩手県交通バスに乗りました。このバスで最終日の秋田駅まで行くことになりました。バスはややくたびれたバスでした。しかしバスガイドの佐藤さんは経験豊富、知識豊富で話も面白く、私たちを退屈させませんでした。

 バスは一ノ関から東北自動車道で盛岡まで行きました。なぜ新幹線で盛岡まで行かなかったのかは分かりません。

 最初に立ち寄ったのは酒造「あさ開」でした。見学と試飲、お酒を買って宅急便で我が家に送りました。

 盛岡から宮古に通じる国道106号線に約2時間乗車、陸中海岸国立公園の浄土ヶ浜に着きました。

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 ウミネコが迎えてくれました。

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 次に立ち寄ったのが田老町の真崎海岸でした。海岸美に我を忘れました。

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 5時半ごろ宿の田野畑村「ホテル羅賀荘」に到着しました。

 夕食はズワイガニその他もろもろの海の幸をいただきました。

<2日目-10月15日(金)>

 2日目は天気予報どおりの雨となりました。本降りの雨です。

 朝9時にホテルを出発、陸中海岸を少し南に戻って鵜の巣断崖に行きました。絶壁にうみ鵜が巣作りをします。

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 次に立ち寄ったのが高さ200メートルの絶壁が続く北山崎、晴れていたらもっときれいだったことでしょう。

 そこのレストランで磯どんぶりの昼食をいただきました。

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 普代駅からは終点の久慈駅まで三陸鉄道北リアス線に乗りました。

 普代駅近くのアンテナショップでは岩手県名産のマツタケを売っていました。今年は大豊作、わが我孫子市のスパーの値段の半額以下でした。

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 久慈駅からは八戸の蕪島に行きました。ウミネコの繁殖地として有名なところです。雨もあがりガイドさんの勧めもあって蕪嶋神社の周りを3回巡りました。

 蕪嶋神社の階段のそばには民謡「八戸小唄」の歌詞の碑が立っていました。

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 宿の古牧温泉青森屋は温泉も食事も素晴らしく、津軽民謡のショーに酔いしれました。

  

 

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2010年10月 8日 (金)

鈴木章、根岸英一両氏がノーベル化学賞を受賞

 平成22年10月6日、鈴木章、根岸英一両氏にノーベル化学賞が贈られることになりました。いろいろ問題の多い今の日本にとって久しぶりに大変嬉しいニュースです。

 ノーベル化学賞を受賞したのは、両氏とアメリカのリチャード・ヘック氏の3人です。

 受賞対象となった業績は「有機合成におけるパラジュウム触媒を用いたクロスカップリング」です。

 鈴木章氏は北海道大学名誉教授で80歳、根岸英一氏はアメリカのパデュー大学特別教授で75歳、現在アメリカ在住です。両氏はパデュー大学のハーバート・ブラウン教授に学んだ同窓生です。

 これでノーベル賞を受賞した日本人は18名、化学賞は7名になりました。

   年     賞     受賞者

 ・1949  物理学賞  湯川秀樹

 ・1965  物理学賞  朝永振一郎

 ・1968  文学賞   川端康成

 ・1973  物理学賞  江崎玲於奈

 ・1974  平和賞   佐藤栄作

 ・1981  化学賞   福井謙一

 ・1987  生理学・  利根川進

        医学賞   

 ・1994  文学賞   大江健三郎

 ・2000  化学賞   白川英樹

 ・2001  化学賞   野依良治

 ・2002  物理学賞  小柴昌俊

 ・      化学賞   田中耕一

 ・2008  物理学賞  南部陽一郎

 ・              小林誠

 ・              益川敏英

 ・      化学賞   下村脩

 ・2010  化学賞   鈴木章

 ・              根岸英一

 ノーベル賞受賞で私の印象に強く残っているのは、1人目の湯川秀樹氏と4人目の江崎玲於奈氏です。

 湯川さんが受賞したときは私は中学1年生でした。ノーベル賞の存在を初めて知りました。そしてそれが世界一レベルの高い賞で湯川さんが日本人で始めて受賞したということも知りました。

 当時は終戦後4年のまだまだ混乱の残っている時代、そこに飛び込んだとびっきりの明るいニュースでした。日本中が湧きかえりました。

 江崎玲於奈さんはIBMのワトソン研究所に勤務しているときに受賞しました。私は日本IBMに在籍していました。社員みんな大喜びでした。その後江崎さんは何度も帰国し、日本IBMの社内の会議やお客様の団体などの会議で度々講演されました。

 多少どもりながら味のある内容の話をされ、聞く人に感銘を与えていました。

  

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2010年10月 6日 (水)

我孫子市総合防災訓練

 平成22年10月3日我孫子市第一小学校校庭で「平成22年度我孫子市総合防災訓練」が実施されました。

 若松第2自治会は自治会役員が中心となり、自治会員有志、ふれあい会員など約30名くらいが参加しました。私も防犯パトロールのふれあい会員のユニフォーム姿で参加しました。

 この防災訓練は毎年1回、市内の小学校や中学校の校庭を持ち回りで開催されています。

 私たちは当日朝9時に若松第2公園に集合し、一緒に会場に向かいました。

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 当日は日曜日でしたが第一小学校の児童全員が登校していました。

 会場にはテントが張られ、市長や市役所職員、関係者や市民団体や関連業者、第一小学校の児童などが勢ぞろいしていました。

 消防車や救急車、給水車、警察、郵便局、自衛隊、東日本ガス、東京電力、などの車が順番に登場しました。

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 防災訓練は9時30分から2時間、いろいろな訓練のプログラムが組まれていました。

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 地震体験や煙体験、ロープワークや三角巾の使い方の講習なども行われていました。

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2010年10月 3日 (日)

平成22年国勢調査

 平成22年10月1日国勢調査が行われました。

 我孫子市から配布されたチラシには次のように書かれていました。

 「国勢調査は、統計法という法律に基づき、日本に住んでいるすべての人・世帯を対象として実施する統計調査です。大正9年から5年ごとに行われ、今回が19回目となります。

 平成22年国勢調査は、人口減少社会にある日本の未来を描く上で、欠くことのできないデータを得るために実施するものです。」

 我が家でも調査員から配布された記入用紙に、10月1日に記入し指定の封筒に入れて投函しました。

 郵送でなく、専用の封筒に入れて調査員に渡すこともできます。

 チラシには、「個人情報は厳格に保護されます」とありました。

 千葉県は大正9年から平成17年までの調査では、常に人口が増えていました。ただ、年少人口(0~14歳)は昭和55年の調査をピークに減ってきています。

 平成17年の調査での千葉県と全国の年齢3区分を比べてみましょう。

      年少人口  生産年齢人口 老年人口

      (0~14歳) (15~64歳) (65歳~)

 千葉県  13.5%   68.6%   17.5%

 全国    13.7%   65.8%   20.1%

 今回の調査ではどのように変わっているでしょうか。

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2010年10月 1日 (金)

今年の夏の暑さ-2

 今日から10月、秋の到来です。

 今年の夏の暑さは特別でした。今年の夏の暑さを総括してみましょう。

 以下は9月22日の読売新聞夕刊の記事です。9月23日からは急に寒くなり暑さはおさまったので、これ以降暑さの記事は出ていません。

 『22日東京の気温は午前9時過ぎに30度を超え、真夏日は過去最高の71日になった。今年の暑さは記録的だった。

 今年の暑さの特徴は平均気温の高さ。今月になっても各地の平均気温は軒並み高く、平年差3度以上の地点が目立っている。全国154観測所のデータでみた6~8月の平均気温は半数で最高を更新した。

 東京では最低気温が25度以上となる熱帯夜も、9月7日まで29日間続き過去最長となった。

 <データが示す今年の暑さ>

 ◆9月1日~20日の平均気温 平年との差

 ・札幌   22.2度        +3.6度

 ・仙台   23.6          +2.4

 ・東京   27.3          +2.9

 ・名古屋  28                          +3.6

 ・大阪   28.5          +3.1     

 ◆猛暑日(35度以上)(9月20日現在)

 最多日数‥‥40日(熊谷、館林)

 ◆真夏日(30度以上)(9月20日現在)

 日数の更新‥154観測所のうち27ヶ所

 ◆熱中症(9月12日現在)

 患者の救急搬送‥5万4000人超

 (過去最多の2008年に比べて2.3倍)』

 

 

 

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