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2011年9月29日 (木)

待望の日本人大関が誕生

 平成23年9月28日 大相撲に待望の日本人大関が誕生しました。琴奨菊です。

 伝達式の口上で、琴奨菊は「万里一空の境地を求めて、日々稽古精進いたします」と述べました。宮本武蔵の兵法書から選んだとのことです。

 日本人大関の誕生は、2007年名古屋場所後に昇進した琴光喜以来で、4年ぶりとなります。

 琴奨菊は佐渡ヶ嶽部屋、27歳、福岡県出身、明徳義塾高校卒業です。明徳義塾高校の先輩には元横綱朝青龍がいます。

 琴奨菊は今場所は12勝3敗、最終日まで優勝戦線にとどまりました。今場所を含め関脇での直近の3場所が33勝と、大関昇進のめどとされる33勝をクリアしたため、満場一致で大関に推挙されました。

 先場所も大関昇進のチャンスでしたが、終盤にメンタル面での弱さが出てチャンスを逃しました。メンタル面でのトレーニングに励んだようです。

 今場所は東京の国技館での秋場所でしたが、入場者は前年を大きく下回りました。これは八百長事件が大きな原因ですが、大関以上に日本人は一人もいないことも、大相撲人気の足を引っ張ったと言えるでしょう。

 琴奨菊の大関昇進は大相撲人気挽回の大きなきっかけになるのではないでしょうか。琴奨菊のお得意は左四つかもろ差しからのがぶり寄りです。柏鵬時代の元横綱柏戸の左前みつ右おっつけで一気に寄り切る相撲をほうふつさせます。頑張ってほしいと思います。

 もう一人の関脇稀勢の里も今場所は12勝3敗と活躍しました。来場所は今度は稀勢の里が大関取りの番です。こちらも頑張ってほしいと思っています。

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2011年9月24日 (土)

中国西域の旅-その6(玉門関、陽関その他の観光、そして日本へ)

 中国西域の旅の続きその6、これが最後です。

 9月15日(木)(6日目)天気は晴れ

 敦煌と北京の距離は約3200キロ、実際は1時間40分ほどの時差があります。ところが中国政府は中国全土を1つの時間に統一、時差を設けていません。こんなところにも共産党中央政権の強権が顔を出しています。

 今の季節、敦煌では朝は7時ころになってやっと明るくなり、逆に夜は8時ころまで明るさが残っています。

 ホテルを8時30分に出発しました。今日は敦煌からちょっと遠出の観光です。

 バスはひたすらゴビ砂漠の中を走りました。ゴビ砂漠は鳴沙山のような細かい砂でなく、砂礫の大地です。

 10時10分 漢の長城の遺跡に到着しました。

 漢の長城は万里の長城の西端といわれる嘉峪関のはるか西に延びていました。

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 長城跡の近くに玉門関があります。漢代に作られた関所で、シルクロードの天山北路は玉門関を、天山南路は陽関を通過しました。

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 玉門関から東約15キロには漢代の遺跡河倉城がありました。武器庫だったと言われています。

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 昼食はオアシスのブドウ畑のそばにあるレストランで、そこで作られたワインを飲みながら田舎料理をいただきました。それまでで一番おいしい昼食でした。

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 「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」唐の詩人王維の詩で有名な古代の関所跡には陽関博物館と狼煙台がありました。

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 陽関古道からはシルクロード天山南路が見渡せました。

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 次に訪れたのは敦煌古城でした。井上靖原作の日中共同制作の映画「敦煌」を撮影した時の実物大のセットです。敦煌市の郊外のゴビ灘のなかに観光施設として残されていました。その後も、中国や韓国の映画制作にも使われているようです。

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 最後の晩餐はホテルのレストランのデラックス個室でいただきました。

 そのあと希望者で市内の劇場で上演されている「飛天ショー」を見に行きました。雑技団が出演するアクロバティックでスピーディ、色彩豊か、しかも敦煌の観光地を舞台にした豪華ショーでした。

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 9月16日(金)(7日目)敦煌の天気は晴れ。北京、東京は曇り

 今日は日本に戻る日です。

 8時30分 ガイドの方さんの案内で、朝から開いている市場に向かいました。

 思い思いに干しブドウなど、この地方の名産などを購入しました。

 そこで最後の記念写真を撮りました。

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 9時50分 ホテルをチェックアウト。

 敦煌空港に着いたところ、10時35分発の北京行き飛行機が1時間遅れるとの表示が出ていました。何の説明もありません。そのうち北京行きの飛行機が空港に着きました。何やら飛行機をバックに大勢の人が横断幕を持って記念撮影をしていました。

 結局飛行機が飛んだのは1時間35分遅れの13時10分でした。誰か要人が来たせいかといううわさが立ちましたが、大門団長が問い合わせたところ、中国航空が新しい航路を開発するためのテスト飛行ということが分かりました。中国は鉄道省といい、航空会社といい、いい加減なところがあるようです。

 おかげで北京での乗り換えは時間がなくなりかけ足の乗り換えとなりました。空港内で昼食を取る予定はお預けとなりました。もっとも両方の飛行機内で食事が出たため特に空腹を我慢したということはありませんでした。

 羽田にはほぼ予定通り、21時50分到着。全員無事に帰途につきました。

 今回の旅行では、昼食、夕食ごとの飲み代や、ラクダ利用料やオーバーシューズの費用など全員が支払うものを、アイラスの大野さんが立て替えて支払い、最後にまとめて徴収するよう便宜を払ってくれました。大変いい方法でした。個人参加のツアーでは毎回飲み代の清算を個人が行いますが、時間と手間がかかります。今回はその煩雑さがまったくありませんでした。大野さんに感謝感謝です。 

 団長の大門さんは自在に話せる中国語を活かして、情報を仕入れ、交渉をこなし、さらには豊富な中国や仏教や食べ物の知識で私たちにいろいろと教えてくれました。感心したのは見知らぬ人とすぐいい関係になることです。真似したくてもなかなかできません。余人をもって代えがたい団長でした。

 大川さんはこの旅行のプランのもとを考えてくれただけでなく、遠方より来たる友を喜ばすことを用意してくれました。蘭州大学生との交流会はこの旅行のスタートとしてまことにふさわしいイベントでした。ありがとうございました。

 また皆さんいい仲間ばかりで、本当に楽しい旅行でした。佐々木さんの部屋は夜の飲み会の場でした。

 ありがとうございました。

 今回の旅行メンバーです。

 団長   大門美代松

 アイラス 大野裕児

       武藤清志

       武藤直子

       新田良昭

       小嶋弘明

       石間啓一

       三寺昭雄

       馬場史郎

       木澤要治

       佐々木和夫

       田口政澄

 また機会があったら一緒に旅を楽しみましょう。

 

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中国西域の旅-その5(敦煌観光-鳴沙山、莫高窟ほか)

 中国西域の旅の続きその5です。

 9月14日(水)(5日目)天気は晴れ

 敦煌賓館はいままで泊まった2つのホテルと比べると、設備、食事、サービスとも1番よいホテルでした。ここに3泊しました。道路を隔てた向こう側にはVIP用の棟がありました。

 朝食はバイキング方式ですが、コーヒーはウェイトレスがテーブルにサービスしてくれました。

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 昨夜敦煌空港に着いてから、16日に敦煌空港を出発するまでのガイドは女性の方艶青さんです。最後歌のサービスをするなど、懸命にガイドしてくれました。 

 9時ホテルを出発 日中の暑さを考慮して予定を変更し、午前中に鳴沙山と月牙泉を観光しました。

 鳴沙山は敦煌の南約5キロにあり、東西約40キロ、南北約50キロの広大な砂の山です。NHKのシルクロードの最初の画面は莫高窟の背景の鳴沙山の上をラクダの隊商が歩いているイメージから始まっています。

 観光の門を入ると、一面砂山の光景でした。早速記念写真を撮りました。

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 ここも移動はカートに乗ります。

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 靴に砂が入らぬよう、有料でオレンジ色のオーバーシューズを借りました。

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 メンバーの中でも若い元気な仲間はそりを使っての砂丘の滑降に挑戦しました。

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 月牙泉は鳴沙山の谷あいに湧く三日月形の泉です。東西200メートル、幅は広いところで50メートルあり、どんなときにも枯れたことがないと言われています。そばには月泉閣があります。

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 行きはカートに乗りましたが、 帰りはラクダの背にゆられて門のところに戻りました。

 スカーフをかぶった女性が引く5頭のふたこぶラクダに一人ずつ乗って砂の上を進むと、昔の隊商の一員になったような気分になりました。

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 市内に戻ってレストランで昼食を済ませ莫高窟に向かいました。

 莫高窟は鳴沙山東端の断崖に開削された大規模な石窟で366年に楽僔という僧によって造営が始められたといわれます。確認されている石窟は734窟で、北涼から元の時代まで途切れることなく造営されたようです。

 莫高窟に入るにはカメラを預けなくてはなりません。窟内でカメラのフラッシュで壁画や塑像の色が退色するからです。撮影禁止という標識くらいではいうことを聞かない人がいっぱいいるのでしょう。

 カメラをあづける前に記念写真を撮りまくりました。

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 莫高窟内は日本語ガイドの張さんが、懐中電灯で壁画や塑像を照らしながら説明してくれました。

 回ったのは以下の10窟でした。(説明は「地球の歩き方」から)

1.94窟 晩唐 北大仏殿に隣接する晩唐の代表窟

2.96窟 初唐 莫高窟のシンボル九層楼

3.130窟 盛唐 唐代の様式を完備した南大仏

4.148窟 盛唐 空前絶後の巨大涅槃経変

5.172窟 盛唐 透視画法を用いた観教変相

6.428窟 北周 すべてを布施してしまうスダーナ太子

7.427窟 隋 過去、現在、未来の仏

8.328窟 盛唐 ウォーナーに持ち去られた盛唐の塑像

9.17窟 晩唐 20世紀最大の発見「蔵経洞」

10.16窟 晩唐 16窟への通路に17窟があった

 一般に開放されている石窟は40か所ですが、ガイドがバランスを考えてあまり集中しないよう案内する石窟を選ぶようです。

 私たちが案内された石窟はどれも素晴らしいものでした。

 そのあとは沙州古城と白馬塔を見物しました。それまでいいものばかりみたせいか、2か所の観光地は「何だこんなとこ」という感じでした。

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 夕食は市内のレストランでとりました。

 ホテルに戻り、全員で敦煌名物の夜市に繰り出しました。

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2011年9月23日 (金)

中国西域の旅-その4(西寧、青海湖、日月山、そして敦煌へ)

 中国西域の旅の続きその4です。

 その3を書いている途中で中断し、そのあとを追加しようとしたらエラーになりました。原因は分かりません。

 その4では3日目の続きと4日目を書くことにしました。

 9月12日(月)(3日目の続き)

 高速道路を走行中に甘粛省と青海省の省境の料金所がありました。そこで小休止、青海省に入りました。面白いのは省が変わると道路標識の一部が変わります。甘粛省では1キロごとに北京からの距離を示す標識がありましたが、青海省ではそれがなくなりました。

 17時西寧市に入りました。西寧市は街路の清掃が行き届た美しい街です。

 青海省は面積は約72万平方キロメートル(日本の約1.9倍)、人口は約530万人(日本の約25分の1)です。西寧は青海省の州都で人口約200万人、古くはシルクロードの南ルートといわれる唐蕃古道の要衝として発展してきました。標高2275メートルの高地にあります。

 イスラム教徒が多く、白い帽子をかぶった男性や、スカーフを巻いた女性が目につきました。

 バスは青海省最大のイスラム教寺院の東関清真大寺につきました。

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 お祈りの時間が近づくと白い帽子をかぶった男たちが集まってきました。

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 そこで記念写真を撮りました。

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 市内のレストランの夕食のメニューです。

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 宿舎の西寧建銀賓館は市の中心部にありました。

 中国は中秋節の休日とあって、公園では花火や爆竹がならされ、大勢の人出でにぎわっていました。

 9月13日(火)(4日目)天気は晴れ

 7時から朝食がとれるとのことでレストランに行きましたがなにも出ていません。7時から準備を開始した感じでしばらく待たされました。

 8時にホテル出発 高速の入り口で2回目のハプニングです。バスのドライバーと高速入り口の係員とがなにやらもめています。要人の通行のため一時入り口を閉鎖するとのことでした。

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 待っていても仕方がないのでドライバーの決断で別の高速道路の入り口に向かいました。

 別のところから無事高速に乗ることができ、青海湖に向かいました。青海湖への道路は草原の中を走ります。遊牧民の居住地域です。道路上にはヤクが歩いていました。

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 11時青海湖観光の151基地に着きました。広々とした入り口、頭上には経文旗が風になびいていました。湖岸まではカートで移動しました。

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 青海湖は中国最大の塩水湖で、周囲約360キロメートル、面積は琵琶湖の約6倍、海抜約3200メートルです。魚雷発射実験基地ともなっていました。ここでもガイドの丁さんが丁寧に説明してくれました。

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 青海湖蔵族博物館を見た後、近くのレストランで昼食を取りました。

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 次に訪れたのは日月亭です。青海湖の東、標高3500メートルのところに日亭、月亭があります。7世紀に吐藩(チベット)に嫁いだ唐の文成公主が、振り返って唐に別れを告げたといわれる場所です。

 日亭です。

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 月亭です。

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 山肌には面白い飾りがありました。これが何かは聞き洩らしました。

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 日月山のふもとには文成公主の像が立っていました。

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 3500メートルの高度なので高山病を心配しましたが、皆さん全員元気はつらつで高山病にかかる人は出ませんでした。また寒さもそれほど感じず、長そでシャツに薄手の冬のコートをはおるだけで十分でした。

 15時に日月亭を出発、蘭州中川空港に向けての長いバスの旅が始まりました。

 途中で3つ目のハプニングがありました。事故で高速道路が大渋滞です。敦煌への飛行機の時間が気になります。ドライバーの機転で逆方向への車線に乗り入れ、なんとか渋滞から抜け出すことができました。

 朝の高速の閉鎖といい、帰りの渋滞といい、ドライバーの高玉龍さんの好判断で切り抜けることができました。

 18時50分 蘭州中川空港に到着。この4日間で走った距離は1100キロになりました。

 4日間お世話になったガイドの丁さん、ドライバーの高さんとはここでお別れです。謝謝。

 空港内レストランで夕食を取りました。

 21時40分 蘭州発

 23時20分 敦煌空港着

 0時 宿舎の敦煌賓館に到着し、長い1日が終わりました。

 

 

 

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2011年9月22日 (木)

中国西域の旅-その3(炳霊寺観光後、西寧へ)

 中国西域の旅の続き-その3です。

 9月12日(月)(3日目) お天気は晴れのち曇り。

 劉家峡から炳霊寺へ渡り、炳霊寺石窟を観光した後、西寧に移動、東関清真大寺を見物しました。 

 ホテルを7時30分出発。今日はスケジュールがきついため、早朝出発です。

 劉家峡ダムには予定より早く9時に到着。ダムは黄河と洮河の合流点に1974年に水力発電と灌漑を目的に作られました。このダムが出来たため、炳霊寺への陸路は水没、船でしか行けなくなりました。

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 14人乗りの快速艇に乗り換えてダム湖を走りました。風はほとんどなく快適な船旅です。湖水は茶色の部分と青い部分とがありました。

 10時前に水上を50キロ走って炳霊寺に到着しました。

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 船着き場を降りてまず目に飛び込んできたのは圧倒するような奇岩でした。

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 崖に沿って設けられた回廊を通って石窟に向かいました。

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 炳霊寺石窟は黄河北岸の切り立った崖に、長さ約2キロ、上下4層にわたって掘られて、西秦420年から清の時代まで合計183か所あります。

 「写真を撮らないよう」という標識を無視して撮らせてもらいました。

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 残念だったのは一番大きい大仏が修理中で見られないことでした。

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 青いシートをはぐとこのようになるはずです。

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 どこを修理しているのかは分かりません。

 観光ルートを一回りして11時45分炳霊寺を後にし、12時35分ダムに戻りました。

 近くのレストランで中国料理の昼食、ビールを注文すると、冷えたビールと生ぬるいビールと凍ったビールが出てきました。

 13時30分頃西寧に向けて出発しました。

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2011年9月20日 (火)

中国西域の旅-その2(蘭州大学生との交流会)

 中国西域の旅の続きです。

 9月11日(日)2日目

 午前中蘭州市内見学、午後は蘭州大学生との交流会です。

 蘭州は甘粛省の省都です。甘粛省は面積約43万平方キロメートル(日本の約1.1倍)、人口約2677万人(日本の約5分の1)です。蘭州は人口約323万人、古くからシルクロードの要衝、河西回廊の入り口として栄えてきました。

 8時30分にホテルを出て、大川さんの案内で歩いて5分のところにある蘭州大学のキャンパスに行きました。前日までは、はっきりしない天気が続いていたそうですが、空が晴れてきました。

 蘭州大学は蘭州市の市街地の真ん中にあります。通勤時間帯とあってキャンパスは大勢の市民が通行していました。

 キャンパスには大川さんの教え子、蘭州大学の3年生の12人が待っていました。早速キャンパス内で記念写真を撮りました。

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 バスで市内見物に出発です。11人の女子学生と1人の男子学生が、それぞれ私たち一人一人の側に座って日本語でガイドをしてくれました。60代、70代のメンバーにとっては自分の子供と孫の中間の年齢の学生です。皆さん大喜びで、社内が急ににぎやかになりました。

 私とペアになったのは中国最北の黒竜江省出身の女子学生陳さんでした。3年生なのでかなり日本語が話せます。わからない時は持参の電子辞書で手早く調べてくれました。

 最初に訪れたのは、黄河越しに白塔山が望める中山路沿いの公園でした。黄河にかかる中山橋を渡って白塔山公園の近くまで散策しました。

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 次に訪れたのは、甘粛省博物館です。2006年にリニューアルオープンし、省内各地からの文化財や化石などを展示しています。空港前にあった「馬踏飛燕」の原型も陳列されていました。

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 市内の牛肉ラーメン店で蘭州名物の牛肉ラーメンの昼食をいただきました。日本のラーメンと違ってそばは黄色ではなく、こしもありません。めんの太さは注文できるようです。牛肉その他をトッピングでのせます。辛さも加減できます。あっさりした味でやみつきになるかもしれません。

 その後蘭州大学楡中キャンパスに向かいました。

 楡中キャンパスは、大川さんの蘭州近況によると、蘭州市内から47キロほど離れた標高1700メートルのところにあり、1年生から3年生はこちらで学び、生活しています。

 楡中キャンパスは広々としていました。早速教室がある天山堂の前で記念撮影です。

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 14時から16時までは私たち12人を迎えての特別授業です。日曜日を選んで大川さんがセットしてくれました。いわば今回の旅行の目玉といえます。60名の学生が出席しました。

 授業開始の前に私たち12人の紹介がありました。

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 特別授業は蘭州大学と楡中キャンパスの紹介から始まりました。PCとプロジェクターを使い、手際よく分かりやすい説明でした。

 次は、女子学生4人がSMAPの「世界にたった一つの花」を合唱、 続いて2人の女子学生が松田聖子の「赤いスィートピー」を唄って歓迎してくれました。思いもよらないことで大感激です。

 そのあと私たち12人の中から3人が1人30分ほどスピーチを行いました。

 大門さんは中国語を学んだ体験談を、武藤さんの奥様の武藤直子さんは日本の家庭の様子や自閉症の子供たちの面倒をみた体験を、私(新田)は中国が日本文化に与えた影響を話しました。

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 学生は熱心に聞いたようです。懸命に理解しようとしたようです。大川さんから送られたアンケートの結果とコメントから判断されます。

 アンケート集計結果では

  感想        3年生  2年生

・とても面白かった  83%   75%

・面白かった     17%   25%

  理解        3年生  2年生

・よく理解できた    26%    0

・理解できた     57%   28%

・少し難しかった   17%   72%

 学生のコメントから見て、理解の点数が低いのは、講師の声が小さく聞きずらかったのと、話の内容が難しかったところがあるようです。講師の責任も大きいと思います。

 そのあとはキャンパス内を見学したり、大川さんの宿舎を見学したりしました。

 ちょうど9月に入学した新入生が2週間の屋外トレーニングをうけていました。迷彩服に身を包み、教官の指示で、一糸乱れぬ行動です。まるで軍事教練のような感じでした。日本の若者にも鍛えるチャンスがあったほうがいいかもしれません。

 最後はキャンパス内のカフェテリアで学生と夕食兼懇親会を行いました。メンバーは学生と私たち12人と大川さんともう一人の日本人の先生です。

 ビールとワインと中国料理をいただきながら2時間以上にわたって話に花を咲かせました。

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 昨日の夜から今日の懇親会まで、大勢の中国の学生と交流しました。大半は女子学生でした。そこで感じたことは、中国の若人のひたむきさとエネルギーと明るさでした。日本語を懸命に学ぶ若者には夢がありました。

 私たち高齢者はその姿勢に感銘を受けました。このような機会を作っていただいた大川さんと蘭州大学の学生さんに深く感謝したいと思います。謝謝。

  外に出ると中秋節前日のお月さまが輝いていました。

 21時、それぞれの思いを抱きながら宿舎の蘭州飛天大酒店に戻りました。

 

  

 

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2011年9月19日 (月)

中国西域の旅-その1(初日)

 平成23年9月10日から16日まで「中国西域の旅 蘭州・西寧・敦煌7日間の旅」に行ってきました。

 このツアーは日本IBM関連会社のアイラス社の企画で、参加者はIBMのOB11名とそのご婦人1名の合計12名です。

 旅の達人で中国語に堪能な中国通の大門さんが団長として全員をまとめました。またOBで現在アイラス社勤務の大野さんが添乗員として、いろいろとうるさいメンバーの注文を受けてくれました。

 全員気心の知れた昔の仲間です。一緒に仕事をした同僚もいます。こんなに気楽で楽しいツアーは初めてでした。

 この旅行のプランは中国蘭州大学で日本語教師として教鞭をとっている大川さんが中心となりました。大川さんは蘇州、南京、武漢、蘭州で日本語教師を務め、中国滞在9年目です。旅行初日と2日目は大川さんお任せのスケジュールとなっていました。

 旅の様子を日記風にまとめてみました。

 9月10日(土)(1日目) 

 昨年10月にオープンした羽田空港国際線ターミナルに6時30分集合。成田空港ほど大きくなく使いやすい感じ、都心に近いのがなによりです。

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 8時20分 中国国際航空にて羽田空港を出発。

 11時10分 北京空港着。時差1時間、飛行時間3時間50分。

 東京は晴れでしたが、北京は雨、気温14度。

 シャトル電車で国内線ターミナルに移動。とにかく広い感じです。

 空港レストランで昼食。水餃子を食べました。

 空港で日本語ガイドから元への両替、レートは1万円=780元。

 16時30分 北京空港発。蘭州へ向かいました。

 ときどき雲の切れ間から下が見えました。市街地は少なく、砂漠のようなところやはげ山、草原。水のある川の両側は緑がありました。

 18時45分 蘭州中川空港着。蘭州大学楡中キャンパスに住んでいる大川さんが出迎えてくれました。

 空港の前には、武威で出土した「馬踏飛燕」の像がありました。

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 ホテルまではバスで移動。蘭州の空港から蘭州市内までは約1時間かかります。

 13日までの4日間はこのバスで移動します。その間お世話になる日本語ガイドは丁国輝さん、ベテランの男性ガイドです。

 20時15分 2日間泊まる「蘭州飛天大酒店」にチェックイン。

 夕食はホテル内のレストランで中華料理をいただきました。大川さんの教え子の蘭州大学の学生が数人加わり、日本語で話し合いながら楽しい時間を過ごししました。

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2011年9月 6日 (火)

スポーツは勝つことが1番

 サッカーの出場権獲得の試合が盛り上がっています。

 女子サッカーは来年のロンドンオリンピックアジア最終予選です。なでしこジャパンは、タイ、韓国、オーストラリアを連覇し、次の北朝鮮戦に勝てば、中国戦を残して首位となり、3大会連続4度目の出場が決まります。

 オリンピック出場権争いがこんなに注目されるようになったのは、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したためです。スポーツは勝つことが一番ということを実証してくれています。

 男子サッカーは、2014年のワールドカップブラジル大会アジア3次予選が行われています。3次予選は4チームずつ5グループに分かれてリーグ戦(ホームアンドアウェー方式)を行い上位2チームが4次予選(最終予選)に進みます。まだ3次予選ですが、今年は大変注目されるようになりました。今日は3次予選のウズべキスタンとの戦いがウズベキスタンのタシケントで行われます。

 これもなでしこジャパンのワールドカップ優勝のおかげでしょう。

 韓国の大邱で行われた世界陸上が平成23年9月4日に閉幕しました。日本ではあまり盛り上がりませんでした。理由はメダルが男子ハンマー投げの室伏広治の1つだけだったせいでしょう。

 日本の目標はマラソン団体戦を除いて、メダル2、入賞5でしたが、結果はメダル1、入賞4でした。男女のマラソンは入賞2で、メダルゼロでした。

 ラグビーのワールドカップが9日、ニュージーランドで開幕します。日本は7大会連続出場です。そのうえ2019年には日本でワールドカップが開催されますが、あまり関心を引いていません。

 理由はラグビー人口が少ないせいもありますが、1勝18敗1分けと恥ずかしいくらい弱いためです。

 やはりスポーツは勝つことが一番です。

 

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