中国西域の旅-その6(玉門関、陽関その他の観光、そして日本へ)
中国西域の旅の続きその6、これが最後です。
9月15日(木)(6日目)天気は晴れ
敦煌と北京の距離は約3200キロ、実際は1時間40分ほどの時差があります。ところが中国政府は中国全土を1つの時間に統一、時差を設けていません。こんなところにも共産党中央政権の強権が顔を出しています。
今の季節、敦煌では朝は7時ころになってやっと明るくなり、逆に夜は8時ころまで明るさが残っています。
ホテルを8時30分に出発しました。今日は敦煌からちょっと遠出の観光です。
バスはひたすらゴビ砂漠の中を走りました。ゴビ砂漠は鳴沙山のような細かい砂でなく、砂礫の大地です。
10時10分 漢の長城の遺跡に到着しました。
漢の長城は万里の長城の西端といわれる嘉峪関のはるか西に延びていました。
長城跡の近くに玉門関があります。漢代に作られた関所で、シルクロードの天山北路は玉門関を、天山南路は陽関を通過しました。
玉門関から東約15キロには漢代の遺跡河倉城がありました。武器庫だったと言われています。
昼食はオアシスのブドウ畑のそばにあるレストランで、そこで作られたワインを飲みながら田舎料理をいただきました。それまでで一番おいしい昼食でした。
「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」唐の詩人王維の詩で有名な古代の関所跡には陽関博物館と狼煙台がありました。
陽関古道からはシルクロード天山南路が見渡せました。
次に訪れたのは敦煌古城でした。井上靖原作の日中共同制作の映画「敦煌」を撮影した時の実物大のセットです。敦煌市の郊外のゴビ灘のなかに観光施設として残されていました。その後も、中国や韓国の映画制作にも使われているようです。
最後の晩餐はホテルのレストランのデラックス個室でいただきました。
そのあと希望者で市内の劇場で上演されている「飛天ショー」を見に行きました。雑技団が出演するアクロバティックでスピーディ、色彩豊か、しかも敦煌の観光地を舞台にした豪華ショーでした。
9月16日(金)(7日目)敦煌の天気は晴れ。北京、東京は曇り
今日は日本に戻る日です。
8時30分 ガイドの方さんの案内で、朝から開いている市場に向かいました。
思い思いに干しブドウなど、この地方の名産などを購入しました。
そこで最後の記念写真を撮りました。
9時50分 ホテルをチェックアウト。
敦煌空港に着いたところ、10時35分発の北京行き飛行機が1時間遅れるとの表示が出ていました。何の説明もありません。そのうち北京行きの飛行機が空港に着きました。何やら飛行機をバックに大勢の人が横断幕を持って記念撮影をしていました。
結局飛行機が飛んだのは1時間35分遅れの13時10分でした。誰か要人が来たせいかといううわさが立ちましたが、大門団長が問い合わせたところ、中国航空が新しい航路を開発するためのテスト飛行ということが分かりました。中国は鉄道省といい、航空会社といい、いい加減なところがあるようです。
おかげで北京での乗り換えは時間がなくなりかけ足の乗り換えとなりました。空港内で昼食を取る予定はお預けとなりました。もっとも両方の飛行機内で食事が出たため特に空腹を我慢したということはありませんでした。
羽田にはほぼ予定通り、21時50分到着。全員無事に帰途につきました。
今回の旅行では、昼食、夕食ごとの飲み代や、ラクダ利用料やオーバーシューズの費用など全員が支払うものを、アイラスの大野さんが立て替えて支払い、最後にまとめて徴収するよう便宜を払ってくれました。大変いい方法でした。個人参加のツアーでは毎回飲み代の清算を個人が行いますが、時間と手間がかかります。今回はその煩雑さがまったくありませんでした。大野さんに感謝感謝です。
団長の大門さんは自在に話せる中国語を活かして、情報を仕入れ、交渉をこなし、さらには豊富な中国や仏教や食べ物の知識で私たちにいろいろと教えてくれました。感心したのは見知らぬ人とすぐいい関係になることです。真似したくてもなかなかできません。余人をもって代えがたい団長でした。
大川さんはこの旅行のプランのもとを考えてくれただけでなく、遠方より来たる友を喜ばすことを用意してくれました。蘭州大学生との交流会はこの旅行のスタートとしてまことにふさわしいイベントでした。ありがとうございました。
また皆さんいい仲間ばかりで、本当に楽しい旅行でした。佐々木さんの部屋は夜の飲み会の場でした。
ありがとうございました。
今回の旅行メンバーです。
団長 大門美代松
アイラス 大野裕児
武藤清志
武藤直子
新田良昭
小嶋弘明
石間啓一
三寺昭雄
馬場史郎
木澤要治
佐々木和夫
田口政澄
また機会があったら一緒に旅を楽しみましょう。
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