中国西域の旅-その5(敦煌観光-鳴沙山、莫高窟ほか)
中国西域の旅の続きその5です。
9月14日(水)(5日目)天気は晴れ
敦煌賓館はいままで泊まった2つのホテルと比べると、設備、食事、サービスとも1番よいホテルでした。ここに3泊しました。道路を隔てた向こう側にはVIP用の棟がありました。
朝食はバイキング方式ですが、コーヒーはウェイトレスがテーブルにサービスしてくれました。
昨夜敦煌空港に着いてから、16日に敦煌空港を出発するまでのガイドは女性の方艶青さんです。最後歌のサービスをするなど、懸命にガイドしてくれました。
9時ホテルを出発 日中の暑さを考慮して予定を変更し、午前中に鳴沙山と月牙泉を観光しました。
鳴沙山は敦煌の南約5キロにあり、東西約40キロ、南北約50キロの広大な砂の山です。NHKのシルクロードの最初の画面は莫高窟の背景の鳴沙山の上をラクダの隊商が歩いているイメージから始まっています。
観光の門を入ると、一面砂山の光景でした。早速記念写真を撮りました。
ここも移動はカートに乗ります。
靴に砂が入らぬよう、有料でオレンジ色のオーバーシューズを借りました。
メンバーの中でも若い元気な仲間はそりを使っての砂丘の滑降に挑戦しました。
月牙泉は鳴沙山の谷あいに湧く三日月形の泉です。東西200メートル、幅は広いところで50メートルあり、どんなときにも枯れたことがないと言われています。そばには月泉閣があります。
行きはカートに乗りましたが、 帰りはラクダの背にゆられて門のところに戻りました。
スカーフをかぶった女性が引く5頭のふたこぶラクダに一人ずつ乗って砂の上を進むと、昔の隊商の一員になったような気分になりました。
市内に戻ってレストランで昼食を済ませ莫高窟に向かいました。
莫高窟は鳴沙山東端の断崖に開削された大規模な石窟で366年に楽僔という僧によって造営が始められたといわれます。確認されている石窟は734窟で、北涼から元の時代まで途切れることなく造営されたようです。
莫高窟に入るにはカメラを預けなくてはなりません。窟内でカメラのフラッシュで壁画や塑像の色が退色するからです。撮影禁止という標識くらいではいうことを聞かない人がいっぱいいるのでしょう。
カメラをあづける前に記念写真を撮りまくりました。
莫高窟内は日本語ガイドの張さんが、懐中電灯で壁画や塑像を照らしながら説明してくれました。
回ったのは以下の10窟でした。(説明は「地球の歩き方」から)
1.94窟 晩唐 北大仏殿に隣接する晩唐の代表窟
2.96窟 初唐 莫高窟のシンボル九層楼
3.130窟 盛唐 唐代の様式を完備した南大仏
4.148窟 盛唐 空前絶後の巨大涅槃経変
5.172窟 盛唐 透視画法を用いた観教変相
6.428窟 北周 すべてを布施してしまうスダーナ太子
7.427窟 隋 過去、現在、未来の仏
8.328窟 盛唐 ウォーナーに持ち去られた盛唐の塑像
9.17窟 晩唐 20世紀最大の発見「蔵経洞」
10.16窟 晩唐 16窟への通路に17窟があった
一般に開放されている石窟は40か所ですが、ガイドがバランスを考えてあまり集中しないよう案内する石窟を選ぶようです。
私たちが案内された石窟はどれも素晴らしいものでした。
そのあとは沙州古城と白馬塔を見物しました。それまでいいものばかりみたせいか、2か所の観光地は「何だこんなとこ」という感じでした。
夕食は市内のレストランでとりました。
ホテルに戻り、全員で敦煌名物の夜市に繰り出しました。
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コメント
新田さん。新田さんのブログは凄いですね~。楽しい7日間の中国の旅を改めて思い出します。私の感動番付けは(1)鳴砂山(2)蘭州大学生の観光と交流会(3)莫高窟(4)陽関、、、、でしょうか。いずれにしても仲間に恵まれ楽しい旅でした。
投稿: 馬場史郎 | 2011年9月24日 (土) 14時07分