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2012年3月29日 (木)

京都家族旅行-その3

 前回のブログの続きで、京都旅行記は今回で完結です。

<3日目-3月25日(日)>

 今日も不安定な天気で、わずかな時間ですが傘が必要になりました。昨日と同じくらい寒い1日でした。

 ホテルを8時半ころ出発、初日に乗った奈良線にまた乗りました。宇治駅で下車、平等院の観光です。宇治駅の駅舎は平等院をかたどっていました。

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 宇治川にかかる宇治橋のたもとには紫式部の銅像がありました。宇治は源氏物語と深い関係があり、紫式部が選んだ源氏物語の最後の舞台です。宇治市には源氏物語ミュージアムがあります。

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 平等院は宇治駅から歩いて10数分、宇治川の側にありました。

 平等院は1052年、関白藤原頼道によって開創され、10円銅貨に刻印されている鳳凰堂(国宝)は、翌年の1053年、阿弥陀如来(国宝)を安置する阿弥陀堂として建立されました。

 鳳凰堂の前には美しい阿字池が配置されています。

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 阿字池には逆さ鳳凰堂が写っていました。

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 そのあと、奈良線で京都方向に戻り、途中の稲荷駅で下車し伏見稲荷大社を見物しました。

 稲荷駅を出るといきなり目の前に伏見稲荷大社の大鳥居がありました。

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 鳥居を2本くぐると目を見張るような楼門がそびえていました。奥には本殿が見えます。

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 そのあとが驚きでした。伏見稲荷に行きたいと言ったのは長女です。よくテレビのコマーシャルなどで見るたくさんの鳥居をくぐってみるのが目的でした。

 千本鳥居という言葉も知らなかったのですが、そのスタート地点です。

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 千本鳥居は1本1本企業や個人が寄付したものです。裏には寄進者の名前と日付が記されていました。

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 奉納する鳥居の初穂料は、大きさと場所によって違うようです。

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 鳥居は上へ上へと続きます。途中石段ややしろが出てくるのでここでおしまいかと思うとさらに先に鳥居が続きます。

 電車の時間が気になるので途中で登るのを中止し引き返しました。

 登るときは気がつかなかったのですが、入口にしっかりと案内板がたっていました。

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 千本鳥居をすべて回ると2時間かかるようです。

 京都駅に戻り、昼食と買い物を済ませて15時53分の「のぞみ」で京都をあとにしました。

 京都の3日間は雨や不安定な天気で、すっきりした青空は拝めませんでしたが、新幹線の中からは素晴らしい富士山を見ることが出しました。

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 孫と親とじじばばの3代の旅行は無事終了しました。

 

 

 

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2012年3月28日 (水)

京都家族旅行-その2

 前回のブログの続きです。

 今回の旅行はJR東海ツアーズの「都ホテルズスペシャル 京都2泊 新都ホテル」というツアーを利用しました。新幹線のぞみ往復、ホテル2泊(食事なし)がパックになっていて割安の料金となっています。妻がインターネットで探し当てました。

<2日目-3月24日(土)>

 2連泊の新都ホテルは京都駅の南、新幹線八条口から徒歩2分のところにあります。朝食は2日間ともホテルのバイキングを利用しました。

 朝食を済ませて早々に8時半ころホテルに近い東寺へ向かいました。

 天気予報は、「不安定な1日で寒く、晴れと曇りと雨の可能性がある」とのこと、傘を持ち厚手のコートを羽織って出かけました。

 東寺は西暦794年桓武天皇によって建てられましたが、東寺のシンボルの五重塔は弘法大師が826年に創建着手しました。五重塔も金堂も国宝、講堂の中の立体曼陀羅の仏像も国宝のオンパレードです。残念ながら仏像は撮影禁止でした。

 東寺入り口、五重塔、講堂の写真です。

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 東寺を出て、下の孫のリクエストで梅小路蒸気機関車館まで歩いて行きました。

 梅小路蒸気機関車館は、1972年に日本の鉄道開通100周年を記念し、貴重な交通文化財である蒸気機関車を末永く後世に伝えるため、博物館として誕生しました。

 日本の鉄道史に輝く蒸気機関車の名車がずらりと展示されていました。

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 しばらく待って蒸気機関車の体験乗車を楽しむことができました。妻と私は蒸気機関車全盛時代の世代です。スチーム号で懐かしい汽笛の音と石炭の燃えるにおいを思い出しました。

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 次に向かったのは石庭で有名な龍安寺です。時間を節約するためタクシーに乗りました。

 龍安寺の石庭は東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものです。パンフレットには「極端なまでに象徴化されたこの石庭の意味は謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられています」とありました。

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 龍安寺には石庭だけでなく、美しい庭がありました。

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 龍安寺から金閣寺までは、途中で京うどんの昼食をとりながら北山を歩きました。

 金閣寺は、釈迦の骨をまつった舎利殿の「金閣」が有名なため金閣寺と呼ばれていますが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗の禅寺です。

 何度見てもその美しさには目を見張ります。この日最大の観光客が来ていました。

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 この日最後の観光は、京都の西北にある金閣寺から反対側の東南の三十三間堂でした。今度はバスで移動しました。

 バス停を降り三十三間堂に行くまでに、鴨川にかかる七條大橋を渡りました。

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 三十三間堂は正式には蓮華王院といい、1164年に平清盛が造営しました。

 長いお堂は120メートルあり、中には中央の巨像(国宝中尊)を中心に左右に各500体の「十一面千手千眼観音像」(重文)がまつられています。そして観音像を守るため、28体の国宝観音二十八部衆像が前列に置かれています。

 中は撮影禁止のため写真はありませんが、まことに見事な眺めでした。また三十三間堂は通し矢でも有名です。

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 夕食はホテルの「四川」で中華料理をいただきました。

 

  

 

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京都家族旅行-その1

 平成24年3月23日から25日まで妻と長女一家の合計6人で京都旅行に行ってきました。長女一家は長女夫婦と小学校を卒業したばかりと中学校を卒業したばかりのいずれも男の子の4人家族です。

<1日目-3月23日(金)> 

 東京発9時30分の新幹線「のぞみ23号」で旅のスタートです。行き先を京都に決めたのは上の孫の希望です。昨年修学旅行で京都に行ったのですが、台風のため十分見物できなかったため再挑戦です。下の孫は大好きな新幹線に乗るのが最大の楽しみでした。

 お天気は予報通り、東京を出発した時は曇りでしたが、京都に着いたときは雨になっていました。

 荷物を新都ホテルに預けた後京都駅に戻り、法隆寺に行くためJR奈良線に乗りました。奈良駅で関西本線に乗り換え、3つ目の法隆寺駅で下車すると、小僧の看板が迎えてくれました。

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 法隆寺は日本最初の世界遺産です。雨の法隆寺見物となりました。

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 雨のせいか観光客はそれほど多くなく、ゆっくり見物することができました。雨もまたいいものかもしれません。

 法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く世界に知られています。

 西院伽藍には五重塔、金堂が、東院伽藍には古い1万円札でおなじみの夢殿が静かにたたずんでいました。

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 夕食には関東ではあまり食べる機会のない串カツ店「串の坊」でいただきました。

 そのあと駅前にそびえる京都タワーに上り雨の夜景を楽しみました。

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2012年3月14日 (水)

平成24年の手賀沼公園の梅

 手賀沼公園の梅がやっと咲きました。

 3月12日は寒いながらも2月28日以来の13日ぶりの好天でした。手賀沼公園と遊歩道の梅がどうなっているかを見るためカメラを持って出かけました。

 今年はずっと寒い日が続いていたので2月中旬になっても梅は咲いていませんでした。昨年ははやばやと2月5日に見ごろになっていた手賀沼の梅をブログで紹介しました。

 今年の3月12日の手賀沼公園の梅です。昨年と比べると1ヶ月以上の遅れです。

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 同じ木の昨年2月5日の状態です。

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 ところが手賀沼遊歩道の梅の咲き具合はちょっと変でした。

 昨年の2月5日の遊歩道の白梅の写真です。

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 次のように今年の3月12日は花はほとんどありませんでした。

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 もう散ってしまったのでしょうか。時々この木のそばを散歩していますが、昨年のようなきれいな花は見かけませんでした。2月末から3月上旬は天候が悪かったので、咲かないで終わってしまったのでしょうか。

 梅は桜と違って花の期間が長いので、咲いていたら気がついたはずです。

 次は桜のシーズンですが、今年の桜がどうなるかちょっと心配です。

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2012年3月11日 (日)

東日本大震災から1年がたった

 平成24年3月11日の今日から1年前の14時46分東日本大震災が起きました。

 今日は全国各地で追悼の式典が行われました。また新宿や渋谷など都市の繁華街でも、震災発生時刻に通りがかりの人が黙とうしているニュースがテレビに映されていました。

 新聞もテレビも1日中東日本大震災関連の特別報道があふれていました。

 1年後の被災被害の状況が読売新聞に出ていました。

・死者 15,854人(下と合計19,009人)

・行方不明 3,155人

・避難者 343,935人

・がれき 2,253万トン

 私は地震発生2か月後まで毎日の新聞を保管していました。5月11日の読売新聞の記録です。

・死者 14,949人(下と合計24,829人) 

・行方不明 9,880人

・避難者 117,085人

 死者と行方不明者の合計が今日の数字が発生2か月後の数字より減っているのは、発生2か月後は現場の混乱や重複などがあったためでしょう。

 ところが避難者の数字は2か月後より今の方が3倍ほどになっています。原発事故で避難者が増えたためなのでしょうか、それとも2か月後の時点では避難者の数字を正確につかみ切れていなかったためでしょうか。

 あれから1年経ちましたが被災地の復興が進んでいません。いろいろな原因があるようです。

 その第一はがれきの処理が遅れているためとのことです。現地だけでは処理できないため、他の自治体が協力する必要があるにもかかわらず、なかなか引き受けてもらえないようです。

 戦後、日本人の美徳であった我慢とか辛抱がなくなったように、助け合いとかお互い様の精神もなくなってきたのでしょうか。

 国の対応も現地の声を的確につかんでいないようです。縦割り行政、提出すべき書類の多さ、スピードの遅さ、不十分で片手落ちの援助など相変わらずのお役所の仕事ぶりです。政治も政治家も頼りになりません。

 しかし日本人は優秀な民族です。戦争で廃墟と化した国土を復興させた実績があります。

 国民一人一人が持てる力を出し合えば必ずより良い日本になるはずです。制度の悪いところは改革し、駄目な人には辞めてもらい、お互い助け合いながら、みんなが自分を信じて努力すれば新しい日本が生まれるはずです。

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2012年3月10日 (土)

「ザ・タワー」展を見た

 平成24年3月9日江戸東京博物館で特別展「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」を見ました。

 今年の5月22日に東京スカイツリーが開業しますが、それを祝っての「東京スカイツリー完成記念特別展」です。

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 展示会のタイトルから、日本国内や海外の塔やタワーについての展覧会を私はイメージしていました。ところが最初にバベルの塔や薬師寺の東塔についての展示物がありましたが、あとはパリのエッフェル塔と東京と大阪の塔や高所などの展示物だけで、合計368点並んでいました。ほかのタワーのものまで展示するスペースはなかったのかもしれません。

 エッフェル塔に関する展示物はパリのオルセー美術館に保存されている絵画や写真が主で、エッフェル塔開発会社とフランス国立図書館やフランス国立文書館などの資料もありました。

 東京は言うまでもなく東京タワーの展示物が目玉ですが、江戸時代や明治大正の高層建造物やそこから見た風景画などが数多く掲示されていました。大阪の目玉は2代の通天閣でした。これらの展示物の大半は江戸東京博物館所蔵のものです。

 朝から雨が降る冷たい日だったせいかそれとも集客力の少ない展覧会だったせいか、人が少なく説明を読みながらゆっくり見て回ることができました。

 江戸東京博物館のチラシの説明を載せておきましょう。

人はなぜ塔を建てるのか-洋の東西において、多くの塔は、教会や寺院といった信仰の空間にあり、祈りの対象でした。『塔』という言葉は、サンスクリット語の『ストゥーパ』を語源としています。もともとは、仏舎利(釈迦の遺骨)を納める墓でしたが、仏教とともに日本に伝わり、三重塔、五重塔といった多層塔に変化しました。また、旧約聖書に登場する『バベルの塔』の物語は、人はなぜ塔を建てるのか、という問いを今でも私たちに投げかけています。

近代の都市と塔-そのような中で、1889年(明治22)にパリで開かれた万国博覧会で建造されたエッフェル塔は、300メートルという高さへ挑戦した新しい『都市の塔』であり、『近代』という時代の到来をも告げるものでした。

パリから東京、大阪へ-開国維新を経て、急速な近代化の過程にあった東京では凌雲閣(1890年、明治23)、大阪では通天閣(1912年、明治45)と、都市の眺望を楽しむ塔の誕生を見ることになります。そしてその流れは、戦後の復興の象徴ともなった東京タワー、そして東京スカイツリーへと引き継がれて行くのです。」

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2012年3月 5日 (月)

ほがらか会土肥温泉旅行

 平成24年3月3日(土)~4日(日)、伊豆の土肥温泉にバス旅行に行ってきました。私にとっては、2月26(日)~27日(月)に続く2週連続の伊豆旅行となりました。

 民謡の紀楊美会を中心としたほがらか会のバス旅行です。参加者は男性13名、女性6名の合計19名、いずれも温泉と、お酒と、歌の大好きな連中です。

 成田線の湖北駅を坂東バスのサロンカーで8時に出発、いくらも走らないうちに酒盛りが始まりました。

 土曜日とあって首都高速が大渋滞のため、常磐道から外環に入り、戸田から首都高に入って、東名に抜けるという大回りをしました。

 酒盛りが進んだところで、民謡と演歌のカラオケで盛り上がり、渋滞も気になりません。

 沼津インターを出たところで昼食をとり、旅行の安全とみんなの健康を祈って三島大社に詣でました。

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 宿は土肥温泉の伊藤園ホテル、365日同一料金バイキングで6800円が売りのチェーンホテルです。

 5時20分からバイキングの食事が始まるというので風呂に入る前に食事となりました。飲み放題ですが海が近いにかかわらず刺身などの新鮮な魚は出ませんでした。

 そのあとカラオケ、入浴、部屋で2次会が12時ころまで続きした。

 翌日は朝風呂を楽しんだ後、バイクキングの朝食、記念撮影のあと出発です。

 夕食と朝食の会場です。

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 サロンでの記念撮影。

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 伊藤園ホテルの玄関。

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 坂東バス。

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 9時に出発して土肥金山を観光しました。

 江戸時代、約400年前、土肥の街は金の産出で栄えました。金の採掘の様子が人形を使って再現されていました。

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 そのあと象牙美術宝庫に行きました。

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 実に手の込んだ象牙の彫刻が並んでいました。

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 「西遊記」と「楊貴妃物語」の大型彩石象嵌屏風が見事でした。中国で作られたものです。

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 こんなところによくこんな貴重なものが集まったものだという印象を受けました。都会に持って行って、洗練されたディスプレイの方法を考えれば、きっと評判になること間違いなしと言えるでしょう。

 昼食は前日と同じ店で海鮮丼をいただき帰途につきました。

 途中珍しく渋滞がなく、5時ころ我孫子駅近くで下してもらい帰宅しました。

 料理がいまいちで、寒くすっきりしない天気で、富士山は行きも帰りも拝めませんでしたが、愉快な仲間と十分なアルコールとカラオケに恵まれた楽しい旅でした。

 幹事さんご苦労様でした。

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2012年3月 2日 (金)

椿と河津桜と菜の花を見に行ってきた-2

 前回の続きです。

 翌日の平成24年2月26日も曇り空の寒い1日でした。朝6時前に露天風呂に入ったときは快晴でしたが、朝8時出かける時には雲が広がっていました。

 添乗員の平吹さんの配慮で座席はいちばん前です。宿の部屋が他の人たちに比べてよくなかったためのようです。

 大島バスで向かったのは、今回の旅行の目玉、大島公園の椿まつりです。今年の椿まつりは1月29日から3月18日まで行われています。今がちょうど花の見ごろとのことでした。

 約1時間の自由行動、まず椿資料館に入りました。ここは昨年1月リニューアルオープンしたばかり、素晴らしい資料館でした。

 隣接する椿園で咲いている椿の主な花が1輪ずつ切り花として展示されていました。花は毎日取り換えるとのことでした。

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 椿園入り口では大島あんこさんが出迎えてくれました。

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 椿園は22ヘクタールの広大な土地に、450種3700本の園芸種の椿と約5000本のヤブツバキが植えられています。

 中に入ると道の両側にいろいろな椿を見ることができました。

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 温室の中には珍しい椿が咲き誇っていました。

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 椿園の外の舞台では、椿園入り口で私たちを迎えてくれたあんこさんが、踊りで歓迎してくれました。

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 椿まつりを楽しんだ後、大島の岡田港から高速ジェット船で伊豆の下田港に渡りました。

 下田港には前日舘山港で別れたバスが待っていました。そして「みなみの桜と菜の花まつり」が行われている下賀茂に向かいました。まず下賀茂熱帯植物園に入りました。

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 青野川沿いには河津桜が植えられています。5分咲きくらいでしょうか。

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 次に訪れたのはこのツアーの2つ目の目玉河津桜まつりでした。今年の河津桜まつりは2月5日から3月10日まで、例年なら2月末は満開のころです。

 ところが寒さのためたったの1分咲きでした。人出ばかりが目につきました。

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 河津桜の原木だけは5分咲きになっていました。

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 椿と河津桜の満開の時期を狙った今回のツアーは半分だけの花見で終わりました。自然の気まぐれを感じさせられた旅でした。

 ただ菜の花は房総でも伊豆でも十分に楽しめました。

 河津からは伊豆半島を縦貫する国道414号線をたどり、昭和56年に開通した河津七滝ループ橋を眺めながら帰途につきました。

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2012年3月 1日 (木)

椿と河津桜と菜の花を見に行ってきた-1

 平成24年2月26、27日、妻と房総、大島、伊豆旅行に行ってきました。

 クラブツーリズムの「春の花紀行!房総・花の道と河津桜&みなみの桜 椿の花に酔いしれる花の楽園・伊豆大島」という長いタイトルのバスツアーです。松戸駅西口から出発、船橋駅でも参加者を拾い、バス2台、67名の大軍団となりました。いつもの通り、ほとんどが高齢者、女性が多数を占めていました。

 京葉道路から舘山自動車道を通り、最初の観光地は白浜・野島崎です。ここは野島崎灯台がランドマークになっています。

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 千葉県の民謡白浜音頭に「野島崎から、大島呼べば‥」と唄われているとおり、すぐそこに大島が見えます。ところがこの日は雲が厚く、かすかに島影が望める程度でした。

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 菜の花のフラワーラインは車窓から眺めただけで、舘山港に向かいました。

 今度のバスツアーは船に乗る時間が決まっているため、昼食は2回とも、翌日の夕食もバスの中でお弁当を食べるという忙しさでした。お弁当はツアー料金には入っていません。バスの中で注文するようになっていました。

 舘山港発14:10の高速ジェット船に乗りました。航空機の技術で製造されたボーイング929の「セブンアイランド号」です。佐渡に行く時に乗ったジェットフォイルと同じでした。

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 時速80キロ近くの高速で走るためシートベルト着用が義務付けられています。

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 55分ほどで大島の元町港に到着しました。港からは三原山が間近に迫っていました。

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 大島バスで三原山に登りました。三原山は標高758メートルの火山で、最近では昭和61年に噴火しています。

 まず展望台に行きました。曇天の下にわずかな草地があるだけの荒涼とした風景でした。

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 そのあと溶岩が残る遊歩道を歩きました。活動中の火山であることがうかがえました。

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 5時ごろ「ホテル椿園」に到着、温泉に入ったあと、魚介類中心の夕食となりました。

 夜に椿まつりの夜祭りが出帆港待合所であったのですが、寒かったのと旅館の送り迎えのバスの時間があまり便利でなかったので、パスして宿でのんびり過ごしました。

 

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