松井秀喜選手夢をたくさんありがとう
平成14年12月27日プロ野球の松井秀喜選手がニューヨークで記者会見し現役引退を表明しました。
松井選手は石川県出身、1992年に星稜高校が甲子園に出場したとき4番打者でした。対戦相手の明徳義塾高校の馬渕監督から5打席連続敬遠四球を指示され、1度もバットを振ることができませんでした。星稜高校は敗退しましたが、松井選手が一躍有名になりました。
1993年読売ジャイアンツにドラフト1位で入団しました。ドラフト会議では4球団が指名、ジャイアンツの長島監督がくじを引き当てました。
ジャイアンツに10年在籍し、その間にセ・リーグMVP3回、本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回を獲得しました。
入団1年目はそこそこの成績でしたが、2年目からフル出場し大活躍しました。松井が打席に立つたびわくわくドキドキでした。
2003年にフリーエージェントでニューヨークヤンキースに入団しました。
ニューヨークでの本拠地の開幕戦で、満塁ホームランを打って華々しくデビューしたのをはっきり覚えています。ベンチを飛び出し観客の拍手にこたえていました。
入団3年目までは全試合に出場、ジャイアンツ時代からの連続出場を続けました。トーリ監督の配慮もありました。
ところが2006年5月11日レッドソックス戦で左手首を骨折、連続出場記録は1768で途切れました。
その後は足の故障などとも戦いながら懸命に頑張りました。
2009年にはワールドシリーズで大活躍、ヤンキースはワールドチャンピオンになり、松井はワールドシリーズMVPを獲得しました。
2010年はエンゼルス、2011年はアスレチックス、2012年はレイズに移籍しました。
松井は日本のジャイアンツで10年、アメリカのメジャーリーグで10年、合計20年の野球人生でした。
20年間テレビで松井の活躍を見続けてきました。退職して時間ができたため、NHKのBS1で放送されるメジャーリーグの放送は楽しみでした。最後の2年間はがっかりすることが多かったのですが、ヤンキース時代の松井の活躍は今でも鮮明に思い出すことができます。
松井選手、夢をたくさんありがとう。
今度は解説者やコーチや監督での活躍を望みます。
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