2013年3月26日 (火)
2013年3月22日 (金)
1年生の下校付き添い1年間
平成25年3月22日、1年間続いた我孫子第一小学校の下校付き添いが終了しました。
この小学校では1年生に限り、下校ルートごとに一斉下校を行っています。下校ルートは5つほどあるようですが、私が担当したのは小学校の裏門に当たる南門を出て右折し、坂を下り上りして楚人冠記念館の横を通り、香取神社のそばの建設中の道路のところまでの青コースでした。
青コースの子供たちは15人ほどでした。青コースは子供の足では20分弱ですが、遊びながら帰るため30分近くかかることもありました。
私がボランティアでこの付き添いを始めたのは、1年生の孫娘の住んでいるマンションがこのルートの一番遠いところにあったからです。道は細いにもかかわらず結構車が通ります。歩道は一切ありません。私の家は学校から5~6分です。時間の許す限り付添ボランティアをすることにしました。
1年生は最初は列を作って帰っていましたが、成長しだんだん慣れるにしたがってバラバラになるようになりました。校門を出るときは1列ですが、すぐ列がなくなります。早い子供と遅い子供のスピードが違いすぎるのです。
孫娘はいつも一番遅いグループに入っていました。わたしも仕方なくいつも一番後ろから歩くようになりました。
記念に最後の数日間の写真を撮りました。
校庭で勢ぞろいして出て行くところです。
校門を出ると列が崩れます。
途中の坂のところで遊びが始まります。ここが一番危険なところですが、なかなか言うことを聞いてくれません。
坂を登りきったところに楚人冠記念館があります。ここも車に気が抜けません。
この通りからひかり幼稚園に抜ける道は車がほとんど通りません。ここまでくると一安心です。
青コースのみんなが解散する未開通の道路です。
ここから孫娘のマンションまでは数分です。家の戸口まで送って母親に引き渡しておしまいです。
あっという間の1年でした。子どもたちとの付き合いは大変楽しい思い出となりました。
また関係するお母さんがたや1年生の先生方から感謝の言葉をいただいたのも励みになりました。
2013年3月19日 (火)
手賀沼遊歩道と公園の桜が開花
平成25年3月19日手賀沼遊歩道と公園の桜が開花しました。17日に歩いたときは咲いていませんでした。18日は暖かかったのですが、20メートルを超える強風が吹いたので、遊歩道や公園に行きませんでした。もしかしたら18日に咲いていた木があったかもしれません。
今日(19日)は、気温が25度くらいになり5月のお天気でした。日中は半袖で過ごせました。
写真は午後3時から3時40分~50分の間に撮ったものです。おそらく朝からの5月の暖かさで開花したのでしょう。
昨年も一昨年も4月4日が手賀沼の桜の開花日でした。それに比べると16日も早い開花になります。手賀沼に住んで40年ほど(途中で3年は不在)になりますが、こんなに開花が早いのは初めての経験だと思います。
昨年は4月4日に「手賀沼の桜が咲いた」というタイトルで、一昨年は「手賀沼の桜が開花した」というタイトルでブログを書いています。
今年の遊歩道の桜の開花です。
手賀沼公園の桜です。手賀沼公園の入り口を入り、アビスタの前を通って、沼に一番近い場所に立っています。広場の入り口近くです。
この木が満開になるとこのようになります。昨年撮った写真です。
あと1週間が10日もたてば満開になることでしょう。
よくやった侍ジャパン
平成25年3月18日(日本時間)に米国・サンフランシスコのAT&Tパークで行われたWBC決勝ラウンドの準決勝で、日本はプエルトリコに1対3で敗れ、3連覇の夢は消えました。
WBCは世界28か国・地区のベースボールチームがナンバーワンをかけて争う、いわばサッカーのワールドカップみたいなものです。
サッカーワールドカップは1930年の第1回大会以来、次回の2014年のブラジル大会まで84年の歴史があり、参加国も世界中から集まるという世界規模の大会です。
一方WBCは2006年に第1回がおこなわれ、今回は3回目、予選出場を入れても出場国は28カ国です。
第3回の今回も、第1ラウンドは4チームずつ4組に分かれて総当たりで戦いました。日本は、キューバ、中国、ブラジルのA組でした。
キューバには、3対6で負けましたが、中国を5対2、ブラジルを5対3で破り第2ラウンドに進出しました。第2ラウンドは2回負ける前に2回勝てばよいという、ダブルエリミネーション方式でした。
日本は台湾を4対3、オランダを16対4で破って決勝ラウンドに進んだのです。台湾との試合は9回裏2アウトから同点に追いつき、延長10回で相手を破るというきわどい勝負でした。
決勝ラウンドの相手はアメリカを破ったプエルトリコでしたが、負けるとは思っていませんでした。
しかし世界の20数カ国が出てくるWBCで日本が3連覇するというのは虫のよい話だったかもしれんせん。
WBCの山本監督は「選手は本当によくやった」、阿部主将は「必死にやった結果なので悔いはない」と言っていました。
侍ジャパンありがとうございました。
2013年3月17日 (日)
手賀沼公園に春が来た
平成25年3月9日手賀沼公園の春を探しに行きました。
冬の渡り鳥はまだ残っていましたが、多少数を減らしているように感じました。
紅梅が満開でした。昨年は同じ木の写真を3月12日に撮っていますが、今年の方がちょっと早いようです。
3月16日東京の桜の開花宣言がありました。2002年と同じく、観測史上最速タイ記録とのことでした。
3月17日手賀沼遊歩道の桜はまだつぼみでしが、もくれんや手賀沼公園のこぶしが咲いていました。
3月9日に撮った梅の木がどうなったか見に行きました。
3月10日の煙霧と13日の風速25メートルを超える強風が吹き荒れたからです。無残にも花はほとんど散っていました。
その代り手賀沼公園の白梅が満開でした。
桜も1週間以内には咲き始めることでしょう。
2013年3月 8日 (金)
草津温泉に行ってきた
第1日 3月3日(日)
平成25年3月3日から5日まで、阪急交通社のツアー「天下の名湯 草津温泉大感謝祭3日間」で妻と二人で草津温泉に行ってきました。3日間とも風弱く晴れ、素晴らしいお天気でした。
交通費と2泊3日の朝食と夕食の宿泊費込みのフリープランです。出発は上野駅発12時というゆっくりしたプランになっていました。団体行動はありません。夫婦二人でのんびり温泉を楽しもうという企画です。
草津温泉の最高気温が1度というので厚着をしましたが、列車やバスの中では暑すぎ、草津温泉も懸念したほど寒くはありませんでした。
長野原草津口までは約2時間半、そこからJRバスで草津温泉バスターミナルまで25分、ホテルのバスで約5分、3時半頃ホテルに到着しました。
草津ナウリゾートホテルは草津温泉の一番高いところにあり、標高1200メートル、草津国際スキー場もすぐそばです。
ホテルの全景です。
アジアからの観光客を歓迎するため、ホテルの入り口には、日本、台湾、韓国、香港、シンガポールの旗が立っていました。なぜか中国の旗はありませんでした。
今年は領土問題で中国と韓国からの観光客は減っているとのことです。
ホテルの窓からは上信越高原の山々が望めました。そして気温の低さを示すつららが屋根からぶら下がっていました。
夕食前にゆっくり温泉に入りました。さすが天下の名湯とあって浴場は広く快適でした。
夕食はバイキング、妻が硬い牛肉をのどに詰まらせるハプニングがあって肝を冷やしましたが、ズワイガニやてんぷらを十分いただきました。
第2日 3月4日(月)
朝食前にまず温泉です。朝食は8時30分からバイキングでした。
快晴の天気につられて草津の中心地の湯畑に行くことにしました。ホテルから送迎バスもありましたが、歩いて行くことにしました。
途中片岡鶴太郎美術館に立ち寄りました。
その奥には西の河原公園が広がっていました。温泉の湯が河原のあちらこちらから湧いていました。
湯畑は草津温泉のシンボルで観光の中心になっています。ここを中心に草津の街が広がっているのです。
湯畑とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設のことです。
湯畑のそばには「熱の湯」がありました。草津節の音頭にあわせて、湯もみと踊りが見られるところです。
湯畑のそばのそばやでなめこそばと妻はきのこそばをいただき、帰り道も歩いてホテルに戻りました。
温泉と夕食は前日と同じでした。
第3日 3月5日(火)
今日は帰るだけです。夜明けに合わせて温泉に入りました。誰もいない浴場は静かでしたが、ちょっと不気味な感じでもありました。
帰りは来た時と同じルートです。ホテルの前にはカマクラがありました。
長野原草津口11時発の列車に合わせて、ホテルバスとJRバスに乗りました。
家には3時ころ帰りつきました。今までのツアーは観光が中心でしたが、今回は温泉につかるのが中心のツアーでした。
2013年3月 6日 (水)
若松地区の樋管工事が始まった
平成25年3月2日手賀沼遊歩道を散歩したとき、若松地区雨水整備計画の樋管工事が始まっているのに気がつきました。
このブログで何回か取り上げましたが、若松地区では新しい堤防を作る工事が進んでいます。その堤防の途中の4か所に新しい排水ポンプ場が作られます。そのポンプ場に儲けられる樋管の工事のようです。この樋管を通して若松地区にたまった雨水を新しいポンプが排水するのです。
工事の看板が機材搬入口のそばに立っていました。
機材は若松地区を縦断する一番大きな道路を通って手賀沼の造成中の堤防上の仮設道路に運ばれます。
道路から堤防への入り口です。
造成中の新堤防の仮設道路には、ダンプカーが通れるよう鉄板が張ってありました。
新しいポンプ場は4か所の現在のポンプ場に作られます。そこはすべてスチールの板で囲われていました。
そのためには遊歩道を遮断する必要があります。そのための掲示です。
遊歩道が遮断されたところには一般道路への出口が作られていました。
遊歩道は4か所のポンプ場を迂回しながらつながっています。
スチール板がとれて新しいポンプ場が顔を出すのが楽しみです。
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