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2013年5月26日 (日)

我孫子第一小の運動会

 平成25年5月25日我孫子市立第一小学校の運動会が開催されました。

 数年前から第一小学校の子どもたちの下校見守りを毎週金曜日に行っているため、毎年運動会の招待状をいただいています。昨年長男のところの孫娘が第一小に入学し、今年は2年生になりました。昨年からは家族全員で応援に行くことにしています。

 同じ我孫子市に住んでいる長女のところの現在高校2年と中学2年の男の孫たちも、我孫子第四小学校の生徒でした。2人が小学生の頃は9年間運動会に妻と一緒に顔を出していました。運動会は私たち老人夫婦には秋や春の大きなイベントになっています。

 前日までの猛暑がちょっと影をひそめ、最高気温22度くらい、時々雲が太陽をさえぎってくれる絶好の運動会日和になりました。

 開会式です。

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 運動場は広々としています。トラックは1周180メートルほどあります。

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 孫娘が出場した50メートル走と玉ころがしとダンス学園天国です。

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 最後の団体競技、5、6年生による組み体操です。見事に演じ切りました。

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 小学生の一生懸命な姿勢にに心から拍手を送りたいと思います。

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2013年5月20日 (月)

神代植物園のバラ

 平成25年5月18日わいわい楽遊会の仲間で神代植物園と深大寺に行ってきました。

 わいわい楽遊会は気楽な高齢者の男たち、2か月に1度集まってちょっとした観光と飲んだり食べたりを楽しんでいます。

 今回参加した仲間です。

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 当日は風もなくからりとした晴天、絶好の行楽日和でした。

 柏駅に9時前に集合し、常磐線と山手線と京王線を乗り継ぐコースで調布を目指しました。

 ところが山手線の巣鴨駅に着いたところで、新宿駅で人身事故が発生、1時間ほど電車が止まることになってしまいました。

 1時間は待てないと巣鴨から都営地下鉄三田線に乗り換え、神保町で京王線に乗り入れている都営地下鉄新宿線に乗り換えて、30分ほどの遅れで調布駅につきました。幹事さんの見事な判断でした。

 調布からはバスで神代植物園に行きました。好天の土曜日、ちょうどバラの見ごろとあって、園内はかなりの混雑でした。

 正門から入るとしゃくやくが咲いていました。

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 お目当てのバラはばら園中央の噴水の周りにここを先途と咲き誇っていました。

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 以下の2枚は最初の集合写真と同様、わいわい楽遊会の幹事で写真の名人小宮山さんが撮ったものです。

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 近くに温室があったので入ってみました。

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 バラ園のカリヨンの下で集合写真を撮ったあと深大寺に向かいました。

 深大寺も多くの観光客で混雑していました。

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 そして最後の目的は深大寺そばをいただきながら飲むことです。12名一緒に入れるところはなかなか見つかりません。

 バス通りに出て探していると、入れるところがあると向こうから声がかかりました。どうやら団体客相手のお蕎麦屋さんのようでした。

 天ぷらそばとこんにゃくの味噌田楽に深大寺ビールと焼酎のそば湯割りをいただき、皆さん満足の1日でした。

 幹事さんご苦労様でした。

 

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2013年5月19日 (日)

春の軽井沢1泊旅行-その2

 前回の続きです。

2日目(5月16日)

 今日も風弱くさわやかな好天です。

 7時起床、朝食は前日の部屋食と違い、レストランでいただきました。おかずは1皿に卵やソーセージや野菜などが載せられて1人づつ配られ、パンと飲み物がバイキングという方式でした。

 ホテルを10時前にチェックアウト、駅までタクシーに乗りました。ドライバーに今日の観光予定を話していたら、決まりより安い料金で案内してもよいとのこと、その場でタクシー観光をすることに決めました。駅までの料金もおまけしてもらいました。

 駅のロッカーに荷物を預け、白糸の滝に向かいました。

 途中で軽井沢の別荘地を通りましたが、ドライバーがそれぞれ持ち主の名前を挙げながら、エピソードやネタ話を披露してくれました。

 白糸の滝は浅間山の伏流水が岩の隙間から糸のように流れ落ちていて、まるで水のカーテンのような美しい景観です。一定の水量を保ちながら流れ落ちてくるようです。

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 ここまで登ると緑はまだ少なく、早春といった感じです。

 帰り道で旧三笠ホテルに立ち寄りました。1905年(明治38年)に日本人によって造られた西洋風の木造ホテルです。多くの財界著名人の社交場として利用され、軽井沢の鹿鳴館とも言われました。国の重要文化財として公開されています。

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 次の目的地に行く途中で聖パウロカトリック教会に立ち寄りました。軽井沢のシンボル的存在として有名な教会で、ここもあこがれの結婚式場となっています。妻の甥もここで結婚式を挙げました。

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 次に向かったのは長野県と群馬県の県境の旧碓氷峠にある熊野皇大神社でした。左が長野県、右が群馬県です。

 石段を上ると神社があり、賽銭箱も二つ用意されていました。

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 神社から歩いて数分のところに見晴台がありました。

 妙義山、榛名山、八ヶ岳などが見渡せました。曇っていたため遠くの山は見られませんでしたが、冬の晴れた日には富士山も望めるとのことでした。

 見晴らし台も長野県と群馬県の県境の標識がありました。

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 旧軽井沢のロータリーでタクシーを降り、旧軽井沢の街を散策しました。

 ゴールデンウィークや夏の観光シーズンには、大勢の観光客で混み合う旧軽井沢の街も、シーズンオフの平日とあってがらがらの状態でした。

 ゆっくりお店を見て歩くには、絶好の機会だったと思います。

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 旧軽井沢のそばやでそばをいただいた後、ぶらぶら歩きながら軽井沢の駅に向かいました。

 16時24分の新幹線に乗り帰宅しました。のんびりした気楽な軽井沢旅行でした。

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2013年5月17日 (金)

春の軽井沢1泊旅行-その1

 平成25年5月15日~16日、妻と二人で軽井沢に1泊旅行に行ってきました。

 3か月ほど前、妻に楽天市場からサンダンス・リゾートの会員募集のための体験旅行の案内が送られてきました。どうやら誕生日を迎える人宛にそのような案内を送っているようです。

 5月は海外旅行を計画していたのですが、私の体調が原因で海外旅行をキャンセルしたため、ものはためしにこの体験旅行をしてみようということになった次第です。軽井沢なら上野から新幹線で1時間、1泊なら体に負担も少ないのと、費用が大変安いというのもありました。利用しても会員になる必要はありません。

 軽井沢は現役の頃は何度か行きましたが、退職してからは初めてです。

 5月の軽井沢は八重桜や山桜の花が満開、新緑が美しく、我孫子の4月中ごろといった感じでした。

1日目(5月15日)

 上野駅を10時半の新幹線で出発、軽井沢駅で荷物を預け、無料の星野エリア行きのシャトルバスでトンボの湯に行きました。妻が最初に行きたいと望んでいた石の教会のあるところです。

 まず昼食をとるためハルニレテラスに行きました。湯川の清流に寄り添うように自生していた100本を超えるハルニレ(春楡)の木立を生かしながら、9棟のモダンな建物を広いウッドデッキでつないだ「小さな街」がハルニレテラスです。

 バスストップからテラスまで湯川沿いに新緑のまばゆい遊歩道がありました。

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 木でできたテラスがなんとも言えない雰囲気を出していました。

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 昼食はテラス内の「川上庵」で軽井沢名物のそばをいただきました。旧軽井沢の街中の「川上庵」の姉妹店のようです。

 お目当ての「石の教会 内村鑑三記念堂」は、近くのホテルプレストンコートの庭の中に立っていました。

 入り口の表示板です。

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 ガイドブックには、「幾重にも重なるアーチ型の石とガラスのアーチ、その隙間から差し込む光がなんとも神秘的な教会」とあります。ここでの結婚式は大変な人気のようです。

 「神の造った天然の中には、神の生命が宿っている」との内村鑑三の考えを元に建てられたとのことです。

 教会内部は撮影禁止でしたので、残念ながら外回りだけの写真です。

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 入り口を入ったところには、教会と内村鑑三との説明板がありました。

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 軽井沢駅に戻り荷物を持って、宿のサンダンス・リゾートに行きました。

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 到着後に部屋でサンダンス・リゾートの説明がありました。国内と海外に宿泊施設があり、会員は入会金と年会費を払って、決められた枠内で自由に施設を利用できるとのことでした。

 夕食は洋食にビールとワインをいただきました。

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2013年5月11日 (土)

指の青色足趾症候群に悩まれる

 平成25年4月20日突然右手の薬指と小指が紫色に変色し、痛みが走り、感覚がなくなり、冷たくなりました。

 前日までは特に変わったことはなかったのですが、目が覚めるとおかしくなっていたのです。

 当日は首の牽引と背中に低周波を当てるために小田川病院に行く日だったので、先生に指を見てもらいました。先生は「霜焼けみたいなものです」と言われ、塗り薬のユベラ軟膏を出してくれました。

 翌週になっても直らないので、心配になり妻のすすめもあり火曜日に新しくできた名戸ヶ谷あびこ病院の整形外科に行きました。ところが名戸ヶ谷あびこ病院には血管の専門医がいないので、柏の名戸ヶ谷病院に行くように言われました。

 翌水曜日に名戸ヶ谷病院の内科の渡邉先生に診察してもらい、指の動脈が動脈硬化のため詰まる「青色足趾症候群」になっていると言われました。4日間通いで点滴をして、そのあと薬を飲むことになりました。

 初めて聞く病名です。足に出ることが多いのだそうですが私の場合は手に現れたのです。。

 病院で指の写真を撮られたので、家に帰って自分でも指の写真をとってみました。

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 病院で指を保護するように言われたので、100円ショップで買ったドライバーズ手袋から妻が写真のような2本指の手袋を作ってくれました。

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 発病後3週間たった5月11日に撮った写真ではほぼ元に戻っています。

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 ただ、小指の第1関節から先がまだ完全ではありません。冷たさはなくなりましたが感覚が半分くらいしか戻っていない感じです。

 5月8日に再度病院に行き4週間分の薬を処方してもらいました。あと1週間もすれば完治するのではないかと期待しています。

 

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2013年5月 7日 (火)

宮尾登美子{きのね」のモデル

平成25年5月6日、妻のすすめで読み始めた宮尾登美子の小説「きのね」を読み終わりました。

この小説は、今年の2月3日に亡くなった市川団十郎の両親をモデルにした小説です。女性の視点から書かれています。

読み出したらやめられないほどの面白さで、約450ページの上下2巻を数日で読み終りました。

11代市川団十郎というより9代市川海老蔵の名前で有名、多くの女性ファンから「海老さま」と呼ばれ1世を風靡した俳優に、女中として仕え、ぴったりと寄り添い、子供を産み、最後は正妻に迎えられた女性が主人公です。

よくここまで書けたものと驚きました。

小説のモデルをネットを頼りに探してみました。私は歌舞伎については特にファンではありません。普通の人が知っていることと同じくらいだと思います。

9代海老蔵についてただ一つ覚えていることは、海老蔵と松本幸四郎と尾上松緑の3兄弟が、日替わりで「勧進帳」の弁慶と富樫と義経を演じた舞台のテレビ放送を見たことです。まだ白黒のテレビ放送でした。

なお下記のモデルはあくまで私の類推で、当たっている保証はありません。

登場人物  人物関係  モデル

・光乃     主人公  千代

・雪雄(鶴蔵) 光乃の夫 市川海老蔵(9代)

(松川玄十郎)     市川団十郎(11代)

・勇雄    雪雄長男 市川団十郎(12代)

・雪代    雪雄長女 市川紅梅(2代)

・新二郎   雪雄の弟 松本幸四郎(8代)

・明子    新二郎の妻 初代中村吉衛門の娘

・優     雪雄の弟 尾上松緑(2代)

・蝶子    優の妻

・竹本宗四郎 雪雄の父  松本幸四郎(7代)

・松川六円  雪雄の養父 市川団十郎(10代)

・松川麗扇  松川家の血筋 市川翠扇(2代)

・横田黄邨  鶴蔵後援会長 前田青邨

・幸右衛門       中村吉右衛門(初代)

・梅五郎        中村歌右衛門(6代)

・市川象之助      市川猿之助(3代)

・諸岡仁雀  雪雄の親友 片岡仁左衛門(14代)

・関東豆助  東宝劇団移籍 坂東三津五郎(8代)

・山村ひょうたん ライバル 中村勘三郎(17代)

・松川澄之助 東宝劇団移籍 市川寿海(3代)

・菊間流   踊りの流派 藤間流

・白木屋   屋号    高麗屋

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2013年5月 6日 (月)

長嶋茂雄氏、松井秀喜氏の国民栄誉賞表彰式

 平成25年5月5日に東京ドームにおいて長嶋茂雄さんと松井秀喜さんに国民栄誉賞を贈る表彰式が行われました。

 国民栄誉賞の表彰式は今までは首相官邸で行われましたが、今回は子供たちに夢を与え続けた両氏の表彰式とあって、子供の日に子供を含む大観衆の面前で実施され、テレビで実況中継されました。

 表彰式に先立って松井秀喜さんの引退セレモニーが行われました。日本に復帰しないままアメリカメジャーリーグを引退した選手が日本で引退セレモニーを行われるのは初めてです。

 引退セレモニーでの松井さんのあいさつの中で、「僕の心の中にはジャイアンツが存在続けます。いつかまた皆様にお会いできることを夢見て、新たに出発します」と述べました。おそらくいつかジャイアンツの監督になりたいということではないでしょうか。

 引退セレモニーのあと松井さんが恩師と仰ぐ長嶋元監督が登場し、オープンカーで場内を一周しました。

 そのあとはいよいよ国民栄誉賞の表彰式です。安倍首相が2人に、表彰状、盾、黄金のバット(銀製のバットを金メッキし受賞者の名前が刻まれている)を贈りました。安倍首相の祝辞のなかで「文句なしの国民栄誉賞。2人の明るさこそ私の求めているもの」と述べました。

 ゲストにはすでに国民栄誉賞を受賞している、王さん、衣笠さんが登場、2人に花束をささげました。

 脳梗塞で倒れて以後、初めてファンの前に現れた長嶋氏は「ファンの皆様本当にありがとうございます」とあいさつしました。

 松井さんは「王さんや衣笠さんのように世界記録を作ったわけではありません。長嶋さんのように日本中のファンを熱狂させる活躍したわけではありません。誇れることは日米の素晴らしいチームで、素晴らしい指導者、チームメート、ファンに恵まれたことです。本当にありがとうございます」と謙虚に述べました。

 それにしても松井さんは大変ラッキーな人だと思います。ドラフト会議では4チームが松井選手を指名しましたが、長嶋監督がくじを引き当てました。そして巨人の4番にふさわしい打者にするため、2人での特訓を続けました。それが素晴らしい素質を一層開花させたのだと思います。

 大鵬に死後国民栄誉賞を贈ったとき、なぜ生前に贈らなかったかという批判がありました。日本プロ野球の恩人の長嶋さんに生前に国民栄誉賞を贈りたいと考えていた政府にとって、松井さんの引退はいいきっかけになりました。そこで2人に同時に国民栄誉賞を贈ることにしたのではないかと思います。

 テレビで日テレの徳光アナウンサーは、「王さん、衣笠さんは記録が残った人、長嶋さん、松井さんは記憶に残った人」と言っていました。その通りでしょう。

 表彰式の後には、巨人-広島戦が控えていましたが、そこでまた楽しい演出がありました。

 ピッチャー松井、バッター長嶋、キャッチャー巨人原監督、審判安倍首相で、始球式がおこなわれたのです。

 私は、イチロー、野茂も当然国民栄誉賞に値すると思っています。イチローは2度推薦されましたが、現役を理由に辞退しています。イチローが引退したときに、また2人に国民栄誉賞が贈られるのではないかと期待しています。

 

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2013年5月 2日 (木)

富士山が世界遺産に

 平成25年4月30日、富士山が世界文化遺産になることが決まりました。日本の5つ目の自然遺産ではなく、13件目の文化遺産です。これで日本の世界遺産は17件となりました。

 ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が、「三保の松原」を除外する条件付きで世界遺産への登録を勧告したのです。「三保の松原」が除外されたのは、45キロ離れており山の一部とは見なせないからとのことでした。

 同時に日本が登録を推薦していた「武家の古都・鎌倉」は「不登録」が勧告され、世界遺産となる望みが断たれました。鎌倉の武家文化の重要性を示す文化財が少ないことなどが理由になったようです。

 富士山がなぜ自然遺産でなく文化遺産なのか、読売新聞のコラム「よみうり寸評」から借りてきました。(一部省略)

『「この日本一の山について今さら何を言う必要があろう」-深田久弥氏の<日本百名山>の富士山の書き出しです。「おそらくこれほど多く語られ、歌われ、描かれた山は世界にもないだろう」「日本人は子供の時から富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山をさして何々富士と名づける」

 こう読んでくると世界文化遺産に登録の運びとなった富士山がなぜ<自然遺産>でなく<文化遺産>なのかが分かる。「世界各国にそれぞれ名山がある。しかし、富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産となった山はほかにないだろう」とこれも<百名山>にある』

 私もなぜ今まで富士山が世界遺産でないのか不思議に思ってきました。富士山より美しくない山が世界遺産になっている例はいっぱいあります。やっと日本のエースが登場したと言えるのではないでしょうか。

 TBSテレビで日曜日の午後6時から「世界遺産」が放映されていますが、ここに富士山がどういう形で描かれるか楽しみです。

 ただこれからが大変です。今でさえ年間三十万人の人が富士山を訪れています。世界遺産になればもっと増えるでしょう。

 環境をどう保全していくか、ごみ処理、糞尿の処理など問題山積です。入山制限や有料化などの声が上がっています。みんなで知恵を出し合って富士山という世界遺産を守っていく必要があります。

 写真は昨年4月新幹線車中から家族が撮った富士山です。Conv0003

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