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2013年9月27日 (金)

楽天優勝おめでとう(NO.651)

 平成25年9月26日、東北楽天ゴールデンイーグルスは西武ドーム球場で行われた楽天-西武戦に4-3で勝ち、2位のロッテが日本ハムに敗れたため、パシフィックリーグでの優勝が決まりました。

 楽天の優勝は球団創設以来9シーズンぶりの初優勝です。星野仙一監督は、中日、阪神時代を含め4度目のリーグ制覇です。両リーグで優勝した監督は6人目です。

 星野監督は西武戦の9回、22連勝中の田中将大投手を胴上げ投手に起用して、ファンサービスと田中投手に対する感謝の気持ちを表しました。粋な演出でした。

 楽天は、これまでAクラスに入ったのは1度だけで、4位が2度、5位が2度、6位が3度でした。

 今年優勝できたのは、田中投手はじめ則本投手など若手の投手がしっかり試合を造り、ジョーンズ、マギー、銀次などの打者が得点を重ね、星野監督が勝つということを選手に浸透させたことにあるのではないでしょうか。

 それに忘れてならないのは東北のファンの温かい応援です。読売新聞によると、野村元監督は、球団初のマジックが点灯したとき、「あんなに温かく、やりやすいファンはいない。ぜひ優勝して、仙台のファンを喜ばせてほしい」と語ったそうです。

 私は1975年から78年まで家族と一緒に仙台で勤務していました。1973年から1977年まで、パ・リーグのロッテが宮城球場を本拠地にしていました。監督は400勝投手の金田正一でした。パ・リーグは1年を前期と後期に分け、それぞれの優勝チームが年間のペナントを争うシステムになっていました。

 1977年の後期優勝チームはロッテでした。家族とともに何度か球場に足を運んだのを覚えています。

 1988年からはロッテは本拠地を川崎球場に替えたため、仙台を本拠地とする球団はなくなりました。2005年に楽天が新装なった宮城球場を本拠地に選んだ時、一番喜んだのは仙台の野球ファンではなかったかと思います。

 そして今年の優勝は仙台のファンを狂喜させただけでなく、東日本大震災を被災した東北の人たちにも、復興への勇気と希望を与えたことは間違いありません。。

 セ・リーグは、巨人、阪神、広島がクライマックスシーズンに出ることが決まりました。パ・リーグはまだ楽天しか決まっていません。今の順位からするとロッテとソフトバンクになるのではないでしょうか。

 クライマックスシリーズは10月12日から2位と3位のチームの戦いが2位球団のホームグラウンドで開始され、2ゲーム先取のチームが1位のチームと1位チームのホームグラウンドで16日(セ・リーグ)または17日(パ・リーグ)から戦います。1位のチームには1勝の権利が与えられ、先に4勝したチームが日本シリーズに出ることになります。

 仙台と東北のファンは今年は日本シリーズの終わる最後まで野球を楽しみたいと願っていることでしょう。

 かって宮城球場に通った私も、楽天が日本シリーズに出てきて、巨人と戦ってくれることを切に望みます。

 

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2013年9月20日 (金)

手賀沼公園と遊歩道に秋の気配(NO.650)

 平成25年18日から20日にかけて手賀沼公園と遊歩道の秋を探して写真を撮りました。

 すっきりした秋晴れが広がり、さわやかな朝でした。

 手賀沼は秋から春までは水位が下がります。水田に水を引く必要がないため、台風などの災害に備えて水位を下げるのです。干潟が見えていました。

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 秋の草刈が始まっていました。手賀沼公園から遊歩道までかなりな面積になります。

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 手賀沼遊歩道に沿って築堤工事がおこなわれています。築堤の高さがちょうど人の背の高さになりました。

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 排水ポンプが据え付けられる場所では樋管工事が進んでいました。かなり深く掘り下げられていました。

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 夏の間咲き誇っていた百日紅の花が終わりを迎えていました。

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 その代り彼岸花が咲いていました。

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 秋の実りは台風のため稲の一部が倒れていましたが、そばにコスモスが咲いていました。

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 案山子の役目が終わったのか、畔にずらっと並んでいました。

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 9月19日は中秋の名月でした。これぞ秋です。夜中に我が家の窓から撮ったものです。

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2013年9月15日 (日)

エナジートロン・ハピネスプラザの閉店が決まる(NO.649)

 我孫子市のふれあいラインのカスミストアの向かいにあるエナジートロン・ハピネスプラザのお店が、平成25年9月20日をもって閉店することが決まりました。このお店は昨年5月15日に天王台にあったお店が引っ越してきたものです。

 この店は高圧電位治療器エナジートロンを販売するお店です。店の中にエナジートロンから繋がった椅子を10席おき、無料で約20分座らせ、その効果を体験してもらってエナジートロンを買ってもらうという商法です。

 エナジートロンは1台60万円以上するのでそう簡単には売れないはずです。毎月新しく体験する人が決められた期間に何人以上来ればお店を約1ヶ月延長するという方法で店を続けてきました。

 担当者の河原美智夫さんは決して押し売りをするような話し方はしませんでした。新しい人が来たときは、体験者からどんな効能があったかを辛抱強く聞き出し、エナジートロンのよさを理解してもらうよう勤めていました。

 私も何人かの人を誘いましたが、そのうちの1人の方が購入しました。

 しかしこのような方法は同じ場所で続けていく限り、新規購入者は減っていきます。そしてついに9月20日で店を閉めることが会社の方針として決まったのです。毎月、今月で終わりではないかと思っていましたが、よく1年4ヶ月も続いたものです。

 これも河原さんの人柄で販売が伸びたのではないかと思います。

 なお私の場合はエナジートロンが効いたところとあまり効果がなかったところがありました。人によって劇的に効果のあった人もいたようです。

 それにしても河原さんのしみじみとしたお話が聞けなくなるのは残念です。ほかの場所での健闘を祈ります。

 

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2013年9月10日 (火)

高校野球日本代表2位となる(NO.648)

 平成25年9月8日に台湾の台中で行われた、野球の18歳以下ワールドカップで高校野球日本代表は、アメリカに2-3で敗れ2位となりました。

 日本は初優勝を狙いましたが、やはりアメリカの壁は厚かったようです。アメリカは2年連続、7度目の優勝でした。

 IBAF18UW杯は、世界各地からの18歳以下の野球チームがワールドカップを争うもので、今回で26回目、12チームが参加しました。

 日本の成績です。

第1ラウンド

・日本4-1台湾

・日本11-0メキシコ

・日本7-0ベネズエラ

・日本15-0チェコ

・日本7-5カナダ

第2ラウンド

・日本10-0韓国

・日本10-0キューバ

・日本4-10アメリカ

決勝戦

・日本2-3アメリカ

 日本チームは夏の甲子園出場チームが主力メンバーでしたが、甲子園に出場できなかったチームからも選ばれています。

 決勝戦の日本の先発投手は、神奈川県予選で横浜高校に敗れた桐光学園の松井祐樹でした。

 なおベストナインに相当するオールスターチームには、先発投手に安楽智大(済美高校)、捕手に森友哉(大阪桐蔭高校)、救援投手に山岡泰輔(瀬戸内高校)が選ばれました。

 安楽は3試合18イニング無失点、無四球、27奪三振、防御率0.0で、最優秀防御率、最高勝率賞も受賞しました。森は2年連続受賞。9試合で15打点で打点王も獲得しました。山岡は4試合無失点で救援投手賞に選ばれました。

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2013年9月 8日 (日)

2020年東京オリンピック決定(NO.647)

 平成25年9月7日(日本時間8日)アルゼンチンのブエノスアイレスで2020年の夏季オリンピックとパラリンピックの開催都市を決めるIOC総会が開かれ、IOC委員による投票の結果、東京に決まりました。

 1回目は東京42票、イスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)が同数の26票でした。イスタンブールとマドリードは再投票の結果イスタンブールが残りました。2回目は東京60票、イスタンブールが36票でした。

 前回の東京オリンピックは1964年でしたので、56年ぶりの開催となります。

 東京は競技会場が集中するコンパクトな開催計画や、高い輸送能力、4000億円の積立金、高い安全性などをアピールして、イスラム圏初のオリンピックを目指したイスタンブールに勝ったのです。

 メイン会場となる国立競技場は1300億円を投じて立て直されます。収容人数は5万人から8万人に増えます。屋根は開閉式の全天候型になります。

 前回の東京オリンピックのときは私は27歳でした。手賀沼通信第77号にオリンピック回想記を書きましたが、東京オリンピックについて次のように記しています。

 「日本中が熱狂の渦に包まれたのが東京オリンピックです。日本のオリンピック関連の投資額は7年間に1兆円を超えました。その8割は新幹線、高速道路、地下鉄など交通網の整理に当てられました。東海道新幹線の開通は10月1日、オリンピックの開会式は10月10日でした。

 私は9月15日にそれまで勤めていた保険会社を退職し、10月15日に日本アイ・ビー・エムに入社しました。(中略)

 10月10日はすばらしい好天、355名の日本選手の軍隊式の堅苦しいながらも整然とした入場行進に胸を熱くしました。日本選手の活躍も見事で、金16、銀5、銅8で、金メダルの数はアメリカ、ソ連に次ぐ3位でした。(中略)

 極めつけは女子バレーの「東洋の魔女」の活躍です。決勝戦で宿敵ソ連を熱戦の末倒し、見事優勝を飾りました。このときのテレビ視聴率は85%、優勝の瞬間の前後は東京都内では電話をする人がいなかったという伝説が生まれました。

 なお東京オリンピックでは記録の集計や発表に初めてオンラインシステムが使われました。日本アイ・ビー・エムがシステムの開発を行い運用をサポートしました。日本国内での初めてのオンラインシステムでした。(後略)」

 2020年には83歳になります。東京オリンピックをあの世からでなく、自分の目で見てみたいと念じています。

 

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2013年9月 7日 (土)

楽天 田中将大投手開幕20連勝(NO.646)

 平成25年9月6日楽天の田中将大投手が日本ハムに3-2で完投で勝ち、開幕からの連勝を20に伸ばしました。

 これで1957年に西鉄の稲尾和久投手が作った20連勝の記録に並びました。昨年8月からの連勝は24となりました。これは新記録です。

 田中投手は先発登板23試合で20勝、投球回数181回、奪三振155、防御率は1.24というすばらしい成績です。

 7日の読売新聞には楽天・星野監督の「田中はすごいやつだよ。想像を絶する。こんな投手、見たことない」という言葉が載っていました。

 最近は20勝投手が少なくなり、2008年の楽天の岩隈投手(21勝4敗)以来の20勝投手誕生です。今シーズン終了までには、26試合残っているので、あと4~5勝積み重ねる可能性があります。

 月間MVPは4ヶ月連続の受賞、通算の月間MVPはイチローを抜いて11回となりました。

 田中投手は兵庫県出身、2006年駒大苫小牧高校3年のとき、決勝戦でハンカチ王子といわれた早稲田実業の斉藤祐樹投手と投げあい、延長再試合の末4-3で敗れました。

 田中投手は翌年楽天イーグルスに入団、新人王を獲得しました。そして2011年には、19勝5敗で、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、のタイトルを取り、沢村賞を獲得しています。

 早稲田大学を経て日本ハムに入団した斉藤投手とはだいぶ差がつきました。

 田中投手がいま一番欲しいのは優勝とのこと、おそらく今年はパリーグでの優勝は楽天に間違いないのではないかと思います。

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2013年9月 4日 (水)

今年の夏は暑かった(NO.645)

 まだ暑い日が続いていますが、今年の夏は記録を見ても暑かったようです。

 8月12日には高知県の四万十市で41℃の日本記録が出ました。

 9月2日の読売新聞には以下の通りの気象庁の発表が出ていました。

 「今夏(6月~8月)の西日本(近畿、中国、四国、九州)の平均気温が平年を1.2度上回り、統計を取り始めた1946年以降で最も高かった。

 東日本(関東甲信、北陸、東海)の平均気温は1.1度高く、2010年(プラス1.5度)、94年(プラス1.3度)に次ぐ歴代3位、沖縄・奄美は0.7高い歴代2位で、北日本(北海道、東北)は1度高い歴代10位だった」

 我孫子市では8月31日までに、69名が熱中症(疑いも含む)で救急搬送されました。子供が10名、成人が28名、高齢者が31名でした。症状は軽症が27名、中等症が41名、重症が1名でした。ほかの年との比較は分かりませんが、例年より多かったようです。

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