2020年東京オリンピック決定(NO.647)
平成25年9月7日(日本時間8日)アルゼンチンのブエノスアイレスで2020年の夏季オリンピックとパラリンピックの開催都市を決めるIOC総会が開かれ、IOC委員による投票の結果、東京に決まりました。
1回目は東京42票、イスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)が同数の26票でした。イスタンブールとマドリードは再投票の結果イスタンブールが残りました。2回目は東京60票、イスタンブールが36票でした。
前回の東京オリンピックは1964年でしたので、56年ぶりの開催となります。
東京は競技会場が集中するコンパクトな開催計画や、高い輸送能力、4000億円の積立金、高い安全性などをアピールして、イスラム圏初のオリンピックを目指したイスタンブールに勝ったのです。
メイン会場となる国立競技場は1300億円を投じて立て直されます。収容人数は5万人から8万人に増えます。屋根は開閉式の全天候型になります。
前回の東京オリンピックのときは私は27歳でした。手賀沼通信第77号にオリンピック回想記を書きましたが、東京オリンピックについて次のように記しています。
「日本中が熱狂の渦に包まれたのが東京オリンピックです。日本のオリンピック関連の投資額は7年間に1兆円を超えました。その8割は新幹線、高速道路、地下鉄など交通網の整理に当てられました。東海道新幹線の開通は10月1日、オリンピックの開会式は10月10日でした。
私は9月15日にそれまで勤めていた保険会社を退職し、10月15日に日本アイ・ビー・エムに入社しました。(中略)
10月10日はすばらしい好天、355名の日本選手の軍隊式の堅苦しいながらも整然とした入場行進に胸を熱くしました。日本選手の活躍も見事で、金16、銀5、銅8で、金メダルの数はアメリカ、ソ連に次ぐ3位でした。(中略)
極めつけは女子バレーの「東洋の魔女」の活躍です。決勝戦で宿敵ソ連を熱戦の末倒し、見事優勝を飾りました。このときのテレビ視聴率は85%、優勝の瞬間の前後は東京都内では電話をする人がいなかったという伝説が生まれました。
なお東京オリンピックでは記録の集計や発表に初めてオンラインシステムが使われました。日本アイ・ビー・エムがシステムの開発を行い運用をサポートしました。日本国内での初めてのオンラインシステムでした。(後略)」
2020年には83歳になります。東京オリンピックをあの世からでなく、自分の目で見てみたいと念じています。
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