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2014年7月23日 (水)

関東地方の梅雨が明けた(NO.734)

 平成26年7月22日関東地方の梅雨が明けました。

 昨年と比べると今年の梅雨はほぼ平年並みです。

・今年 梅雨入り  6月5日(平年より3日早い) 

     梅雨明け 7月22日(平年より1日遅い)

・昨年 梅雨入り  5月29日

     梅雨明け 7月6日

 これを見ると昨年が異常でした。

 今年の梅雨の期間は48日間でしたが、我孫子に雨が少しでも降ったのは21日間でした。7月10日と11日は台風8号がやってきましたが、我孫子はほとんど影響を受けませんでした。

 東京と違ってゲリラ豪雨やひょうが降ることもありませんでした。我孫子は穏やかな梅雨だったといえます。

 昨年より夏の期間は短そうですが、今年の夏の暑さはどうなるのででしょうか。 

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2014年7月21日 (月)

若松の子供みこしがにぎやかになった(NO.733)

 平成26年7月19日(土)と20日(日)、我孫子市の八坂神社のお祭りが行われました。

 19日はちょうど人出が多くなる夕方ににわか雨があり、文字通りお祭りに水を差されましたが、20日は予報が外れて雨は降らず、またかんかん照りでもなく、絶好のお祭り日和となりました。

 昨年は孫のマンションのある地区のおみこしについて歩いたのですが、今年は孫が都合で札幌に行ったためその必要はなくなりました。

 20日10時ころ若松地区を回るだしの太鼓の音が聞こえたのでカメラを持って外に出てみました。ウェルシアの駐車場で若松子供みこしに追いつきました。

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 驚いたのはその人数の多さです。子供たちとそのお父さんやお母さんを合わせると百人以上が参加していました。一昨年暮れに元NTTの社宅があった場所に新築の戸建て住宅の街が完成し子供が大幅に増えました。

 以前は老人ばかりの若松なので、さみしい若松こども祭りだったのですが、昨年からはにぎやかなこどもみこし祭りになりました。

 夕方屋台の集まる公園坂通りに行ってみました。例年と同じ賑わいでした。

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2014年7月16日 (水)

歌舞伎の道具の手水鉢の仕掛け(NO.732)

 平成26年7月15日、あけぼの会の7月の行事として国立劇場の第86回歌舞伎鑑賞教室に行きました。

 いつもの通り高校生対象の教室で、最初に歌舞伎の見方の解説があり、そのあとに1時間半ほどの歌舞伎を見ることになっています。今回は近松門左衛門作「傾城反魂香」土佐将監閑居の場一幕を楽しみました。

 この一幕の見せ場は、石の手水鉢の裏に主人公の浮世又平が書いた自画像が石を通して手水鉢の表に浮かび上がる場面でした。

 謹慎中の絵の師匠土佐将監から「土佐」を名乗ることを拒絶された又平は、失意のあまり庭の手水鉢に自画像を描き残して自決し、死後土佐の名をもらうことにしました。

 又平は最後の念力を込めて手水鉢に自画像を描きます。すると絵は厚い石の手水鉢を通り抜け、向こう側に抜け出るのです。又平と妻お得はこれを見て驚きます。そこへ将監が現れ、この不思議な出来事を見て、又平に「土佐光起」という名を与えます。お芝居はめでたしめでたしで終わりました。

 私の席は一番前でしたので絵が手水鉢の表側に浮き出るのがよくわかりました。又平が裏で書いている絵がゆっくりとふわーとした感じで絵が浮かび上がってきます。しかしその場ではどんな仕掛けで絵が浮き出てくるのかはわかりませんでした。

 家に帰ってさっそくネットで調べてみました。同じように不思議に思う人が大勢いることがわかりました。さらに調べていくうちにあるグラフィックデザインの事務所の人のブログが見つかりました。

 その人は20数年前ある劇場の大道具の人から「傾城反魂香」の手水鉢の仕掛けを頼まれた話を書いていました。仕掛けは手水鉢の中に上半身を入れて内側から絵を描いていくというのです。石は石に見せかけた灰色の和紙に、アルコールを入れた墨で筆を使って書いていくわけです。おそらく又平は裏で描くしぐさだけなのでしょう。又平の合図に合わせて手水鉢の中で描いたとブログに書かれていました。

 20数年前の話なので、今も同じ手法かどうかはわかりませんが、伝統を重んじる歌舞伎の世界ではあまり変わったやり方ではないと思います。おそらく今は歌舞伎の裏方が書いているのではないでしょうか。

 お芝居も面白かったですが、謎が解けて胸のつかえがおりました。

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2014年7月15日 (火)

サッカーワールドカップが終わった(NO.731)

 平成26年7月13日(日本時間14日)サッカーワールドカップ・ブラジル大会はリオデジャネイロで決勝戦が行われ、ドイツが延長戦の末アルゼンチンを1-0で破り、24年ぶりの優勝を果たしました。3位はオランダがブラジルを破って獲得しています。

 ベスト16にはヨーロッパ6、南米5、中米2、アフリカ2、北米チーム1で、日本を含むアジアからの4チームはすべてリーグ戦で敗れました。

 MVPに当たるゴールデングローブ賞はアルゼンチンのメッシが選ばれました。

 過去の優勝チームはブラジルの5回を含めて南米が9回、ドイツ、イタリアの各4回を含めてヨーロッパが11回となっています。

 日本のワールドカップが終わったとブログに書いたとき、勝敗は時の運と述べましたが、トーナメントの試合を見た後では、やはり日本は弱かったと思います。まだまだ優勝を争うには力不足です。体力、技術、勝利への執念、どれを見てもレベルアップが必要です。

 それと私の独断ですが、日本人の指導者を育てていく必要があると思います。いつまでも外国人の監督に頼るのではなく、世界に通用する日本人の指導者、監督が日本チームを率いるべきと思います。それが日本が優勝する第1の条件と思います。

 多くの選手が外国のチームに出て行っているのですから、将来は必ずその人たちの中から素晴らしい指導者が生まれるものと信じています。

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2014年7月14日 (月)

野球のタイブレーク(NO.730)

 平成26年7月14日の読売新聞に、日本高校野球連盟が春夏の甲子園大会で選手のけがを防ぐため、全国の加盟4030校に、球数制限、投球回数制限、延長戦でのタイブレークについて、アンケートを実施するとありました。

 たまたま7月12日孫が出場している千葉県中学校葛南大会で、白山中学校が湖北台中学校との公式戦でタイブレークの結果敗れるということがありました。7回まで0対0、8回からタイブレークでノーアウトフルベースで試合が続けられ、9回3対4で負けました。

 タイブレークはテニスが有名です。日本のプロ野球やメジャーリーグではお目にかかったことがありません。

 印象的だったのは野球ではありませんが、北京オリンピックの女子ソフトボールで、日本対アメリカ、日本対オーストラリアの試合でタイブレークにもつれ込んだことです。

 ソフトボールでは7回終了時点で同点の場合、8回からノーアウト2塁から試合が続けられます。日本はアメリカとのタイブレークには敗れましたが、オーストラリアとのタイブレークに勝ち決勝戦に進出、決勝戦ではアメリカを破って金メダルを獲得しました。

 Wikipediaで調べてみると野球でもやっていました。WBCでは延長13回からノーアウト1・2塁から試合が続くとことになっているそうです。まだ適用されたケースはないと思います。

 社会人野球では2003年からルールが3度変わり、現在は延長12回以降ワンアウト満塁で続けられます。

 大学選手権では決勝を除く全試合で、2011年から延長10回からワンアウト満塁で試合が続けられます。

 時代の流れから甲子園でもタイブレークが採用される可能性がありますが、そうなったら1958年の夏の大会での準々決勝戦の徳島商業と魚津高校、1969年の夏の大会での決勝戦の松山商業と三沢高校、2006年の夏の大会での決勝戦の早稲田実業と駒大苫小牧の引き分け再試合という球史に残る名勝負は見られなくなります。

 それも残念です。

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2014年7月 7日 (月)

音紡ぎ 箏 ぷち ちゃりてぃLIVE(NO.729)

 平成26年7月6日「音紡ぎ 箏 ぷち ちゃりてぃLIVE」が我孫子市のケヤキプラザ9階多目的ホールで開催されました。

 これは入場料(大人1人500円、中学生以下無料)の利益の全額を東日本大震災の被災地に寄付する箏のチャリティライブショーです。

 主催・演奏はNHK邦楽技能者育成会の第47期卒業生の女性6人の箏の会「音紡ぎ」です。今回は北海道の2人を除く4人が参加しました。秋田、横浜、取手、我孫子に住む4人です。

 「ぷち ちゃりてぃLIVE」は今回で4回目となります。今回の入場料の利益は9月に訪問する予定の名取市と南三陸町の仮設住宅自治体に寄付するとのことです。そこでも慰問のための演奏会を開きます。

 我孫子市の会場には赤ちゃんから80代の高齢者まで広い世代の方が来られました。100席の椅子は開演前にいっぱいになりました。赤ちゃんと幼児を背中とおなかにしょって熱心に耳を傾けているお母さんもおられました。

 演奏された曲は

①ふるさと

②ことうた~日本の歌~

③雨のち晴レルヤ(前回の朝ドラ「ごちそうさん」の主題歌)

④絃歌(17絃の箏2台による合奏)

⑤花は咲く(東日本大震災のために作られた曲)

 アンコール曲にはAKB47の曲が用意されていました。

 なお音紡ぎの我孫子のメンバーは長男の妻です。今回も家族全員で人集めや当日の会場の運営に協力しました。孫娘はオープニングで会場の皆様へのお願いを他のメンバーの子供と一緒にアナウンスしました。

 当日の様子です。

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2014年7月 3日 (木)

北海道旅行が催行中止となる(NO.728)

 平成26年7月6日から妻と行く行く予定だった北海道旅行が催行中止となりました。

 今までツアーには何度も申し込みましたが、台風のため中止となった以外は初めてのことです。

 北海道のツアーは過去4回利用しました。長男一家とレンタカーで回ったのを合わせると有名な観光地はほとんど行っています。今回は一部を除き今まで行ったことがない地方でした。

 阪急交通社主催で、3泊4日です。

 1日目は羽田空港から女満別空港。オシンコシンの滝・知床五湖・高架木道をめぐって知床ウトロ温泉泊。

 2日目は羅臼ビジターセンター・根室・納沙布岬・花咲線ローカル列車で厚岸・釧路市内泊。

 3日目は原生花園・霧多布湿原・釧路湿原・釧路-帯広列車・十勝川温泉泊。

 4日目は襟裳岬・日高本線で静内駅・新千歳空港・羽田空港。

 という日程でした。

 最少催行人員は14人。6月25日発、7月6日発、7月16日発と3回ありました。

 それがすべて参加者不足で中止となったのです。確かに地味なコースで有名な観光地はあまり含まれていません。しかし北海道で最後に残った場所でぜひとも行きたいところでした。失望は大きく、特に妻は楽しみにしていただけに大変ショックを受けていました。

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2014年7月 2日 (水)

日本尊厳死協会に加入する(NO.727)

 平成26年6月に日本尊厳死協会に妻と2人で加入しました。

 尊厳死とは、不治かつ末期の病態になったとき、自分の意思により無意味な延命治療を中止し、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。

 一般社団法人日本尊厳死協会は尊厳死の法制化に取り組んでいます。 

 4年ほど前、友人が加入したと聞き、協会から書類を取り寄せました。その時はまだ時期が早いかなと思ったのですが、そろそろ真剣に考えたほうがいいと思って再度協会に電話して書類を送ってもらいました。

 入会は1人ずつ「尊厳死の宣言書」(リビング・ウィル)に住所氏名等を記入し、協会に送ります。協会はそれに登録番号を付けて保管します。そして印鑑を押した書類のコピーを2通と会員証を送ってきました。

 コピーは1通は妻の分と一緒に保管し、1通は長女に渡しました。

 書面には「必要が生じたときにコピーを医師に示してください」とありました。万一医師に理解してもらえないときは協会が理解してもらうよう努めてくれるようです。

 宣言書には次のことが書かれていました。

①私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命治療はお断りいたします。

②ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。

③私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。

 年会費は2人で3000円。入会費は不要です。年4回会報を送ってくれます。

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