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2015年10月 6日 (火)

富岡製糸場に行ってきた(NO.851)

 平成27年10月5日クラブツーリズムの「おぎのや横川『峠の釜飯御前』の昼食 解説員付きでご案内!世界遺産の富岡製糸場 国の重要文化財・碓氷峠 めがね橋」という長いタイトルのツアーに妻と参加しました。

 天気は曇り、バスの中でカーテンを引く必要がなくバスツアー日和でした。人気があるツアーらしく、2台のバスが満席となっていました。

 朝も余裕があり、松戸駅8時50分集合でした。お盆の時のツアーは渋滞に巻き込まれましたが、今回は全く渋滞がなく、帰りも予定より早く松戸に着きました。

 松戸を9時に出発、外環自動車道、関越自動車道を経て、昼食をとる「おぎの屋横川」には11時10分に到着しました。

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 おぎのやの峠の釜飯は1958年に益子焼の土釜を使って誕生した駅弁です。それ以後長野新幹線が開業する1997年9月30日まで、信越本線の横川駅の名物駅弁でした。信越線に乗るときは、いつも峠の釜飯を食べることが楽しみでした。

 長野新幹線の誕生とともに、横川-軽井沢間は廃線となり、横川駅が信越本線の終点になりました。いまは駅弁というより道路沿いのドライブインの名物になっているようです。

 久しぶりに峠の釜飯をいただいた後、めがね橋を見物しました。

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 めがね橋はアプト式の横川-軽井沢間の線路で使われていた橋梁です。

 1893年(明治26年)の横川-軽井沢間の開通時から、1963年(昭和38年)にアプト式を使わない新線に変わるまで使用されていました。

 レンガ造りの美しいアーチ橋です。1993年に国の重要文化財に指定され、2001年に廃線跡を利用した遊歩道「アプトの道」として整備され、橋の上を歩くことができます。

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 橋の両端はトンネルにつながっていました。また橋の上からは眺めを楽しむことができました。

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 再び関越自動車道に戻り、富岡製糸場に行きました。富岡製糸場は昨年ユネスコの世界遺産に登録されました。

 製糸場の正面入り口です。

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 券売所近くに記念碑がありました。

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 最初に目に入るのが東繭倉庫です。主な建物は明治5年に作られました。

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 場内は製糸場のガイドが約60分間案内してくれました。案内は音声ガイド器を通して、ガイドの声を聴くようになっていました。

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 倉庫は、木で骨組みをつくり、柱の間にレンガを積み上げて壁をつくる「木骨レンガ造」という工法で建てられました。それが昔のまま残っていました。

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 世界遺産は新しく作り変えることが難しいのです。錆びた標識がそのまま残っていました。

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 繰糸所は、繭から生糸を作る作業が行われていた場所です。

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 創業当初はフランス式の繰糸機300釜が設置され、世界最大規模の製糸工場でした。現在は、昭和40年代以降に設置された自動繰糸機が保存されています。

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 小屋組には「トラス構造」という従来の日本にない建築工法を用いています。そのため、建築内部は中央に柱のない広い空間が保たれています。

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 繰糸所は多くのツアーグループでごった返していました。

 富岡製糸場は一度は来てみたいと思っていた世界遺産です。あけぼの会でも企画していたのですが、柏の市バスは行かないということで中止になりました。個人で来るのは面倒ですが、ツアーは効率的です。

 富岡を15時10分に出発、松戸には17時25分に到着しました。

 添乗員の庄司さん、ドライバーの名和さん、ありがとうございました。またいつもツアーを見つけてくれる妻にも感謝です。

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