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2016年1月23日 (土)

我孫子市に寄贈された「禎子鶴」(NO.882)

 ブログに書くのが遅れました。遅まきながら書きます。

 2015年12月、広島市のNPO法人SADAKO LEGACYより、我孫子市に「禎子鶴」が寄贈されました。

 その鶴は我孫子市のアビスタの1階フロアに展示されています。鶴の両側には鶴と一緒に寄せられた寄贈メッセージと、鶴をいただいた我孫子市のメッセージが掲げられています。

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 「禎子鶴」寄贈メッセージ

 この小さな折り鶴は、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになっている折り鶴の少女「佐々木禎子(ささきさだこ)」が実際に折った折り鶴です。

 1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾によって当時2歳だった禎子は、爆心地から1.6kmの自宅で被爆し、その10年後の12歳の時に突然白血病を発病しました。

 その闘病中に千羽鶴と出会い、「鶴を千羽折れば願いが叶う」という言い伝えを知り、来る日も来る日も折り鶴を続けたのですが、願いは届かず12歳という若さで天国へ行ってしまったのです。

 この闘病中に折った一羽の折り鶴には、そんな禎子の肉体的な痛みや精神的な苦しみに必死に耐え抜いた頑張りや、残された家族の事を気遣う想いやりの心や、絶望の中でも一筋の光を追い求める希望などが込められていますので、少しでも禎子の心に触れて頂き、禎子を含めた、志半ばで道を断たれた多くの命を忘れずに、あのような悲劇を二度度繰り返さぬという平和のメッセージが、この折り鶴を通じて、皆様の心に届きますことを心より願っております。

NPO法人SADAKO LEGACY

佐々木雅弘(禎子の兄)

     祐滋(禎子の甥)

 我孫子市のメッセージ

 戦争や原爆は、罪のない人々から多くの尊い命を奪います。子どもたちの命を奪い、家族を奪い、未来や夢を奪っていきます。

 我孫子市は、1985(昭和60)年に平和都市を宣言し、手賀沼公園に「平和の記念碑」を設置して平和祈念式典を開催しています。2005(平成17)年からは被爆地である広島に、2009(平成21)年からは長崎にも中学生を派遣し、原爆の悲惨さや平和の尊さを若い世代に知ってもらう取り組みを続けています。

 そして、戦後70年・平和都市宣言30年に当たる2015(平成27)年、「平和の記念碑」横に「平和の灯」を設置し、広島平和記念公園にある「平和の灯」から分火をうけた火を点火して、世界に核兵器がなくなるまで灯し続けることとしました。

 禎子さんの兄の佐々木雅弘さん、禎子さんの甥の佐々木祐滋さんは、こうした我孫子市の取り組みを知り、禎子さんが折った貴重な折り鶴を寄贈してくださいました。

 寄贈された禎子鶴をここに展示し、戦争や原爆の悲惨さ、平和の大切さを次の世に伝えていきます。

寄贈日 2015(平成27)年12月6日

                        我孫子市

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