軍艦島、ハウステンボス、姫路城ツアー その2(NO.904)
前日の続きです。
第2日 4月8日(金) 午前の部 曇りのち晴れ
富貴屋ホテルを7時10分に出発しました。早く出発したのは長崎港発9時10分の船に乗るためです。
5時10分に起きて温泉につかり、6時30分に朝食をとりました。
今日からはバスガイドがつきました。
添乗員 伊藤さん
ドライバー 安田さん
バスガイド 楮畑(かきはた)さんです。
高島海上交通のブラックダイアモンド号による軍艦島上陸クルーズに9時10分長崎港を出帆しました。
200人乗りの快速艇です。1階は船室、2階はデッキになっていて、ほぼ満員の乗客で埋まっていました。
長崎港は奥深い湾になっていて、両岸には造船所や停泊中の船が所狭しと並んでいました。
上陸してブラックダイアモンド号のガイドさんから軍艦島の模型で軍艦島の概要の説明を聞きました。
海岸に三菱グループを起こした岩崎弥太郎の銅像が立っていました。
高島から軍艦島までは約20分でした。軍艦島は俗称で端島が正式名称です。その外観が軍艦「土佐」に似ているところから軍艦島と言われるようになりました。
波が高いと上陸はできません。前日のうねりがあり第1便は上陸できませんでした。
私たちは乗員に助けられながら上陸できました。
端島は1891年から三菱が採炭を開始、1974年位閉山となるまで約1570万トンもの石炭を採掘しました。
最盛期には約5300人もの人が住み、東京都の約9倍もの人口密度に達しました。東西約480m、南北約160m、周囲約1200mという小さな島です。
1916年には日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建設されました。島には幼稚園、小中学校、プール、神社、郵便局、理髪店、共同浴場、映画館、パチンコ屋までありました。電気や水道は海底ケーブルや海底送水管で送られました。
しかし1974年閉山、無人島となりました。
そして2015年世界文化遺産に登録されました。
観光客が入れるのは端島の鉱山側のごく一部です。島の反対側の住宅など生活した遺跡は見学できません。
3か所の見学広場で船のガイドから説明がありました。
ガイドさんが一番力を入れて説明したのは次の階段でした。坑夫たちはこの階段を渡って600メートルの地下まで手すりだけのエレベーターを下り、さらに2キロの坑道をトロッコで奥まで行って、気温30度、湿度95%の悪条件のもと石炭を掘ったとのことです。坑夫たちはここを登るときが一番つらかったようだと語りました。
船に戻って島の中からは行けない島の反対側を、島の周りを船で回りながら説明を受けました。
長崎港に戻った後自由昼食をとりました。妻と2人で長崎ちゃんぽんをゆめタウンの紅虎餃子房でいただきました。
13時40分次の目的地ハウステンボスに向かいました。
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