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2016年10月30日 (日)

第22回手賀沼エコマラソン(NO.961)

 平成28年10月30日第22回手賀沼エコマラソンが開催されました。

 今年は1万人以上の申し込み(当日のアナウンス)があり、9982人が完走した(翌日の読売新聞)そうです。手賀沼エコマラソンはハーフマラソンですが、全国ランニング大会で連続19回100選に選ばれています。

 今回は、スタート地点とふれあい緑道の折り返し地点の混雑解消のため、コースの一部変更がなされました。

 冬の到来を思わせるような寒空の中、10時に北柏ふるさと公園をスタートしました。

 最初にやってきたのは特別出演の中央学院大学の選手でした。中央学院大学はシード権で来年の正月に行われる箱根駅伝への出場が決まっています。

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 そのあと一般参加の市民ランナーが続々続きます。

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 一般参加の選手が走り終わると、間もなく反対側の帰りのコースにトップの選手が現れました。トップグループに中央学院の選手とともに一般参加の選手も交じっていました。

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 カッパ太鼓が迎えます。

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 ここまで来ると団子状態で走っていた市民ランナーもばらけてきます。

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 2度目となる帰りの手賀大橋の上です。

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 ゴールに向かって頑張る選手たちを手賀大橋の上から応援しました。

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 10月の手賀沼エコマラソンに続いて、11月には手賀沼ふれあいウォークが開催されます。

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2016年10月28日 (金)

最後の関東南六会(NO.960)

 平成28年10月27日関東南六会を東京駅近くの北大路八重洲茶寮で開催しました。

 関東南六会とは関東在住の松山南高校第6期生で、昭和30年度卒業の同期会です。

 今年度末で全員80歳となるため、これが最後の同期会となりました。

 八重洲茶寮は和食のやや高級な感じの料亭です。

 参加者は男性10名、女性9名の合計19名でした。松山から女性のKさんが参加してくれました。

 2名の方が定刻になっても現れないので、幹事をやきもきさせましたが、しばらくして全員がそろい、ビールで乾杯のあと和食膳を楽しみました。

 懇談のあと、全員一言ずつ近況報告です。最後の会となると名残惜しさが募ります。Kさんは松山の銘菓「しょうゆもち」を持ってきて皆さんにふるまってくれました。

 最後に集合写真を撮ってお開きとなりました。

 みなさんいつまでもお元気で。幹事さん素晴らしい会をありがとうございました。

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2016年10月26日 (水)

紀楊美会20周年記念民謡発表会(NO.959)

 平成28年10月23日湖北地区公民館ホールで「間中紀楊美民謡40周年記念 第20回紀楊美会発表会」が開催されました。

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 主催は紀楊美会ですが、我孫子市民謡連合会、我孫子市民踊連盟、松戸市民謡連盟それぞれから一部の会が協力くださり、また紀楊美先生のふるさとからは、弟さんの猪股会が応援のためはるばる駆けつけてくださいました。

 私も愛友会の一員として出演する予定でしたが、体調を崩したため参加を断念、観客席から声援を送りました。

 当日のプログラムです。

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 ここに掲載した写真は紀楊美会と愛友会、および間中紀楊美先生のご親族が出演の写真です。数が多いためほかの出演者については写真を省略させていただきました。ただ最後になってデジカメの電池が切れたため5枚ほど肝心な写真が撮れませんでした。お恥ずかしい次第です。

 当日は素晴らしい天気となり、発表会を祝ってくれているようでした。

 まず藤巻大会実行副委員長の「開会の言葉で」幕を開けました。

 続いて会長挨拶です。

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 会長挨拶 大会実行委員長 森義和さん

 紀楊美会全員による黒田節の合唱からプログラムが始まりました。

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 合唱 黒田節 紀楊美会全員

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 さんさ時雨 紀楊美会 芳賀光夫さん

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 江差馬子唄 愛友会 長嶺千鶴子さん

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 花笠音頭 愛友会 芳賀文子さん

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 南部牛追唄 紀楊美会 高橋栄さん

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 浜小屋おけさ 紀楊美会 奥田和子さん

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 秋田船方節 紀楊美会 青山克美さん

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 ソーラン節 愛友会 佐藤忠雄さん

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 謙良節 愛友会 星宮秀清さん

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 長者の山 愛友会 鯨岡昭八さん

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 道南口説 紀楊美会 青山利幸さん

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 相馬土搗唄 紀楊美会 矢吹弘靖さん

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 両津甚句 紀楊美会 間中武司さん

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 曲弾き 津軽じょんから節 小阿瀬正三、奥田和子、森義和のみなさん

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 尺八連管 津軽山唄 景山芳孝、森義和、星宮秀清、米谷章のみなさん

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 カラオケ 見上げてごらん夜の星を 永野みえ子、立石多鶴子、永崎久美子のみなさん

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 カラオケ 醉歌 矢島守さん

 矢島さんは名司会者として会を盛り上げました。  

 ここで紀楊美先生の会主挨拶がありました。

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 会主挨拶 間中紀楊美先生

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 カラオケ お光 間中紀楊美さん

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 十三の砂山 紀楊美会 菅谷正之さん

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 正調刈干切唄 愛友会 丸岡利市さん

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 白浜音頭 紀楊美会 柿沼操さん

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 津軽願人節 愛友会 長嶺秋夫さん

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 能代舟唄 愛友会 一澤和子さん

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 大漁唄い込み 猪股会 猪股一雄さん

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 北海鱈釣り唄 紀楊美会 高野美津江さん

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 関の五本松 愛友会 三浦喜久江さん

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 筑波山唄 紀楊美会 藤巻文靖さん

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 津軽音頭 紀楊美会 根本富士さん

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 本庄追分 猪股会 三山正千穂さん

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 津軽小原節 愛友会 大越たけ子さん

 ここから会主・会長コーナーです。

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 南部追分 紀楊美会会長 森義和さん

 ここでデジカメの電池が切れました。この後写真を撮るつもりだったのは、

・山形木挽唄 愛友会会長 米谷章さん

 お楽しみコーナーでは

・宮城馬子唄 猪股会会主 猪股一雄さん

・津軽三下り 紀楊美会会主 間中紀楊美さん

・南部餅つき唄 猪股一雄さん、間中紀楊美さん

 そして最後の

・閉会の言葉 大会実行副委員長 高橋栄さん

です。まことに申し訳ありません。

 南部餅つき唄の最中、観客席には紅白のおもちが配られました。面白い企画でした。

 本日は大変楽しい発表会でした。心ゆくまで楽しみました。役員の皆様、出演者の皆様ご苦労様でした。ありがとうございました。

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2016年10月25日 (火)

今年の巨人が優勝できなかった理由(NO.958)

 平成28年のプロ野球セントラルリーグでは巨人が広島に17.5ゲームの差をつけられて優勝を逃しました。クライマックスシリーズでも3位のDeNAに敗れました。

 なぜこんなに弱くなったか私なりに考えてみました。負けた理由が続々出てきました。

 まず1番目はフロントのチーム作りがお粗末ということです。今年のドラフト会議でも狙っていたピッチャーをとれませんでしたが、昨年、一昨年ともドラフト1位の選手が全く活躍できていません。昨年はピッチャーの桜井、一昨年は内野手の岡本でした。

 今年在籍している外国人の助っ人はマシソン、マイコラス、ポレダ、メンドーサ、クルーズ、ギャレット、アンダーソンでしたが、活躍したのはマシソンだけで、まずまずだったのがマイコラスとギャレットくらいであとはダメでした。従来から巨人は助っ人選びは下手です。

 西武でFA宣言した脇谷を連れてきたなどは問題外です。

 2番目の理由は高橋監督の姿勢です。勝利監督インタビューでいつも淡々とした受け答えをしていましたが、まるで評論家のようで、勝利への執念とか情熱が感じられませんでした。ベンチでの姿勢も勢いが感じられませんでした。

 3番目は投手陣の不調です。2016年は2015年と比べると、被安打、被本塁打、失点、自責点、防御率、どれをとっても悪くなっています。

 先発、中継ぎ、抑えすべてに不調が顕著でした。

 個人タイトルでは菅野が防御率と奪三振のタイトルを取っていますが、9勝どまりです。クライマックスシリーズには体調不良を理由に登板を回避しました。エース失格です。

 また、沢村がセーブ王となっていますが、大事な試合ではセーブに失敗し、終盤にはがたがたになりました。自信を失った感じでした。

 4番目は攻撃陣の力のなさです。追加点が奪えるときにやたらに三振したり、ダブルプレーを食らったりするシーンが目立ちました。

 打率0.283、本塁打11本、得点圏打率0.274の長野が長らく4番を務めるようでは勝てません。合格点が与えられるのは首位打者と出塁率のタイトルをとった坂本だけでしょう。

 巨人は逆転負けがリーグ最多、逆転勝ちがリーグ最少でした。投手陣の不調と攻撃陣の力のなさを物語っています。

 5番目は若手の育成に失敗していることです。広島やDeNAで生きのいい若手が出てきて活躍しているのに、巨人ではこれといった若手が見当たりません。3軍を作った巨人になぜ若手が育たないのでしょうか。

 広島のバッターの意識を変え、得点力を増やしたのは3人のコーチと言われています。巨人も選手だけでなく監督やコーチも頑張ってほしいと思います。

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2016年10月24日 (月)

名戸ヶ谷あびこ病院入院記-その2(NO.957)

 前回の続きです。入院の顛末は前回書いたので、今回は入院生活のあれこれです。

 1日目はあわただしく過ぎましたが、2日目から決まりきった入院生活になりました。

 入院生活の流れは次の通りです。

・6:00 起床 採血(数日に1回)

・7:00 看護師によるモーニングケア 血糖チェック

・7:30 朝食

・9:00 ケア(体拭き)

・10:00 医師による回診(3人の医師が交代で)

・11:00 血糖チェック 血圧測定

12:30 昼食

・16:00 血糖チェック

・18:30 夕食

・21:00 消灯

 私の場合は最初の6日間と最後の1日間は点滴がありました。

 4日目からは食事が出ましたが、1分粥、3分粥、5部粥と続き、まともな食事を食べられたのは退院前日の夕食と当日の朝食だけでした。

 入院中にエコー検査(腹部と心臓)と内視鏡検査(大腸)がありました。

 洗面所で2回頭を洗い、点滴がなくなったあとは7階の展望風呂で3日間シャワーを浴びました。展望風呂は眼下に手賀沼が広がり、空が澄んでいるときは富士山が望める素晴らしいお風呂です。お湯につかるのは禁止で、シャワーだけでしたが気分爽快になりました。

 名戸ヶ谷あびこ病院は平成24年12月にオープンした新しい病院です。私は過去3つの病院に入院したことがありますが、ここは設備、施設が新しく一番快適に過ごせた病院でした。

 今回の入院は手術はありません。治療といえば点滴だけです。

 点滴がなくなると時間を持て余します。テレビと読書と新聞で時間を過ごしました。テレビは専用のカードを購入し、イヤホンで聞きます。

 妻は1日だけ休みましたが、あとは毎日来てくれました。妻の顔を見るとホッとしました。

 お見舞いも楽しみでした。長男一家や長女夫妻が時々顔を出してくれました。民謡の仲間がご夫婦が2組とおひとりとあわせて3回来てくれました。申し訳ないことでした。

 外との連絡はデイルームから携帯を使いました。過去3回の入院は公衆電話を利用しましたが、今は公衆電話はありません。時代が変わったことを改めて感じました。

 病気が回復したこと、入院生活を無事に送れたことについて、病院の先生や看護師やその他病院のスタッフに心からありがとうと申しあげたいと思います。

 そして何よりも妻に感謝感謝です。

 

 

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2016年10月22日 (土)

名戸ヶ谷あびこ病院入院記-その1(NO.956)

 平成28年10月8日から18日まで病気のため名戸ヶ谷あびこ病院に入院しました。その記録を2回に分けてまとめました。

 10月8日の深夜2時トイレに行ったところ、便器が真っ赤になりました。肛門から出血したのです。どこにも痛みはありません。そんな経験は初めてでした。特に胃腸や痔の持病もありません。

 その後午前5時ころまでに便意を催して3回トイレに通ったところやはり出血が続きました。

 不安になり妻の勧めもあって、119番に電話し相談して救急車を呼びました。

 身体は普通に動けるので救急車が来るまでの間に、服を着替え、近くの病院の診察券や保険証、携帯電話、その他思い当たるものを持ちました。妻もお金など急いで用意したようです。

 救急車は数分でやってきました。

 実は7日の午後3時ころ我孫子駅の階段で足を滑らして転び、したたかお尻と腰を打っていました。私はそれが出血に関係あるのではないかと考えました。

 救急隊員には転んだこと、何度も出血したことを伝えました。できれば一番近くにある名戸ヶ谷あびこ病院に行ってほしいと伝えました。救急隊員は病院に電話し受け入れてくれることになりました。病院までは数分でつきました。名戸ヶ谷あびこ病院は歩いても10分のところにあります。

 救急病棟で病院服に着替え、腹部のレントゲンとCTをとってもらいました。

 それから朝9時ころまで点滴をしながら医師の診断を待つことになりました。救急隊員や病院の看護師が急な医師の診断は不要としたのか、あるいは担当医がいなかったのかわかりません。

 外科医師の診断の結果、病名は「大腸憩室出血」、約2週間の入院が必要ということになりました。転んだことには関係はないとのことでした。

 病室のベッドが空くまで処置室で点滴をしながら待ちました。11時ころ4階の410号室に移りました。4人部屋の窓側、運よく差額室料なしの部屋でした。

 妻は入院時に用意するものを取りに家に帰り、午後持ってきました。朝あわてて家を出たので、いろいろやることもあったようです。

 出血は1日目は家と病院で合計15回ありました。出血は入院2日目の朝の1回で止まりました。

 1日目の点滴は夜9時半まで続きました。

 点滴は出血止めが入っているものと栄養剤との2種類でした。4日間は2袋ずつの4袋、5日目は栄養剤だけ2袋、6日目は1袋、7日目から点滴なしになりました。ただ10日目は内視鏡検査だったので2袋の点滴がありました。

 点滴は痛みはありませんが、腕に注射針が刺さっている感覚と、行動するときは袋をぶら下げた支柱を持って動くため、わずらわしいことこれ以上なしです。

 入院期間は2週間の予定でしたが、内視鏡検査の結果10日間で済みました。手術はなく、点滴が治療でした。

 「大腸憩室出血」の原因は高齢化で大腸の中に憩室ができます。老化により腸の壁がたるんでくるためです。憩室に内容物がたまり、内容物の水分が吸収されて固くなると周囲の血管を傷つけて出血がおこるようです。

 私は心臓ステントで血液をサラサラにするバイアスピリンを飲んでいますが、飲んでいない人と比べるとこの病気にかかりやすいと言われました。再発の可能性もあるとのことでした。

 今後、食べ物や飲み物の制限はありませんが、食べ過ぎ飲みすぎはよくないとのことです。繊維質のものを食べて便秘を防ぐことが効果があるようです。

 10日目の内視鏡検査の結果11日目の10月18日に退院できました。我が家に戻り、改めて我が家の良さがわかりました。

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2016年10月21日 (金)

今年2回目のアカペラライブショー(NO.955)

 平成28年10月7日、元あけぼの会で小川えみさんのアカペラライブショーが銀座アスター柏店で開催されました。

 小川えみさんはベテランのオペラ歌手、伴奏なしでイタリアオペラや日本の愛唱歌を高らかに歌ってくれました。素晴らしい歌声です。今年の1月14日に次いで2回目です。

 当日は元あけぼの会の会員や元会長の家田さんの友人や知り合い、小川さんの知り合いの方々など27名の方が集まりました。3卓に分かれて着席しました。

 ショーはオペラリゴレットの「あれかこれか」の歌から始まりました。

 オペラの3曲を歌った後、日本の歌、イタリアカンツオーネ、懐かしい歌を、途中衣装を着替えながら次から次へと歌ってくれました。

 事前に小川さん手作りの歌詞を載せたかわいいパンフレットが配られていたので、みなさんそれを見ながら口ずさんでいました。飲み物は飲み放題、食べ物は銀座アスターの本格中華料理です。みなさん大満足でした。

 最後に恒例の「高原列車は行く」「故郷」を合唱しました。そして集合写真を撮ってお開きとなりました。

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2016年10月20日 (木)

柏そごう閉店(NO.954)

 10月8日から18日まで急病のため入院生活を送りました。そのためブログを書くチャンスがなく、今回がしばらくぶりのブログとなりました。

 そのためちょっとタイミングのずれたブログになりました。なお入院生活についてはこの2号あとのブログでくわしく書くつもりです。

 平成28年9月30日で柏そごうが閉店しました。

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 柏そごうは1973年10月にオープンしました。

 私たち一家4人はその翌年の1974年8月に立川市のけやき台団地から、我孫子市の我孫子台マンションに引っ越してきました。

 長女が小学1年、長男が3歳でした。そして家族で最初に行ったのが我孫子から電車で1駅の柏そごうでした。

 その後1975年から78年までの3年間は仙台に転勤していましたが、我孫子に戻ってきてからも柏そごうは大変身近なお店でした。家族で出かける場所としては柏そごうが一番多かったと思います。

 ところが2000年にそごうが民事再生法の適用を申請し事実上倒産しました。柏そごうは本館とプラザ館の2つがありましたが、2003年のリニューアル時にプラザ館の場所を縮小しました。利用者からは本館だけになったような感じでした。

 2005年からはビックカメラがプラザ館の主要階に入りました。

 はっきりとは覚えていませんが、倒産したころから我が家も柏そごうよりも高島屋柏店を利用するようになったと思います。

 そごう柏店は1991年2月期が売上590億円のピークで、2016年2月期は約2割の115億円まで下がったとのことです。

 子育て時代にお世話になった柏そごうが亡くなったのは本当に残念です。

 駅前の一番目立つところにある柏そごうの建物がどう利用されるか決まっていないとのこと、素晴らしい利用方法を考えてほしいと願っています。今はよみうりカルチャーセンターだけが利用しています。

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2016年10月 4日 (火)

大隅良典氏がノーベル生理学・医学賞を受賞(NO.953)

 平成28年10月3日、東京工業大学の大隅良典氏が2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 日本人のノーベル賞受賞は25人目、生理学・医学賞では利根川進、山中伸弥、大村智の各氏に続いて4人目です。また昨年の大村智、梶田隆章、一昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二の各氏に続いて3年連続の受賞となりました。

 大隅氏の受賞理由は細胞が自らタンパク質などを分解してリサイクル(再利用)する「細胞自食作用(オートファジー)」の仕組みを見つけたことです。

 この方面には全く縁遠い私には、新聞の解説記事を読んでも全くちんぷんかんぷんですが、肝臓病や神経疾患やがんの研究に道をつけるものとのことです。

 読売新聞には「良質の基礎研究 脈々」と題して

 「(前略)実用からかけ離れた基礎的な研究ほど、常識の壁を突き破るような成果が出ると、科学の世界に新たな地平が切り開かれ、画期的な応用につながるといわれる。生命の営みに迫る大隅氏の研究はその典型だ。ノーベル賞がたたえる『人類への貢献』にふさわしい。

 日本に西洋の自然科学が本格的に導入されてから、間もなく150年。多数の日本人研究者が世界で活躍し、日本で活躍する外国人研究者も珍しくなくなった。科学の発展に、日本の人材や施設、資金が果たしている役割は、とても大きい。(後略)」とありました。

 大隅氏のノーベル賞受賞はとても喜ばしいことです。

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