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2018年8月31日 (金)

冬の北海道旅行-再編集版(NO.1159)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

冬の北海道旅行-再編集版

2008年3月 3日 (月)

冬の北海道旅行-その1
 平成20年2月25日から29日まで、阪急交通社クリスタルハート「北斗星個室で往く大自然の神秘 流氷体験と名湯めぐり5日間」というパックツアーに行ってきました。 費用は一人97500円、ちょっと高めですが、おそらく北斗星に乗るというのと帰りが新幹線のグリーン車というのが目玉なのでしょう。宿のランクと部屋食というのも値段に響いているのかもしれません。飛行機利用よりJRのほうが高い場合が多いようです。

 その旅行体験を何回かにわたって書いてみます。

 旅行の1日目は上野発16時50分の「北斗星1号」に 乗って、車中で特製のお弁当を食べ寝るだけでした。北斗星には食堂車もついているのですが、多分食堂車の収容人数と料理の値段の関係でお弁当になったのでしょう。

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 2日目は朝の8時44分南千歳着、そこからJRバスで4日間の旅が始まりました。日高、日照峠、足寄(あしょろ)を通って、最初の観光地の阿寒湖についたのは午後3時頃でした。途中は白一色の世界、その中をバスはひたすら走ります。覚悟はしていたものの、白の世界に迷い込んだような感じでした。

 途中立ち寄ったのはトイレ休憩のドライブイン、昼食は十勝清水のドライブインで日高牛のさいころステーキがメインの定食でした。

 阿寒湖では凍結した湖の上で写真をとり、寒いのでそそくさとバスに乗り込みました。朝から降っていた雪は阿寒湖につく頃には太陽がちょっと顔をのぞかせる曇り空になっていました。

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 翌日が雪の天気予報だったため、見られるうちにと、翌日予定していた摩周湖観光を急遽繰り入れました。

 摩周湖はすばらしい姿を見せてくれました。不凍湖といわれている摩周湖が見事に凍っていました。前回来たときは看板どおりの霧の摩周湖だったので、家内ともども大喜びでした。翌日は吹雪で摩周湖の道路が閉鎖されました。ツアーコンダクターとバスガイドの判断は正解でした。

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 2日目の宿泊は屈斜路プリンスホテルでした。プリンスホテル系のリゾートホテルです。大きなきれいなホテルにわずかな宿泊客しかいないので快適でした。 

2008年3月 9日 (日)

冬の北海道旅行-その2
 冬の北海道旅行その-2は第3日目の記録です。

 昨日の天気とは打って変わって予報どおり吹雪となりました。全室屈斜路湖が見えるホテルといううたい文句が意味を成さない白一色の世界、ホテルの窓から見えるのは激しく降る雪と風に揺れる枯れ木ばかりでした。

 バスは8時過ぎにホテルを出発、まず屈斜路湖の白鳥飛来地に立ち寄りました。そこは湖の中に温泉が湧いているため凍結しません。そこに白鳥が来るのです。

 網走湯沸湖にはもっと多くの鳥が集まっていました。100円でえさを買ってやりましたが、すばしこいかもめに取られて白鳥は食べられませんでした。

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 このツアーの目玉は網走港から砕氷船オホーツクに乗って流氷見物でした。ところが悪天候のため出港停止、おまけに流氷ははるか沖合いで、流氷に触れることは出来ませんでした。

 また代替案の博物館網走監獄見学も、強風で外を歩くことが危険なので取りやめとなりました。

 ただ、レストランで食べた毛ガニ膳は絶品、食べるのに悪戦苦闘しましたが堪能しました。

 そのあと北浜駅から浜小清水駅まで、「流氷ノロッコ号」に乗車、車窓から流氷のない海を眺めて10分の乗車時間を過ごしました。北浜駅 の待合室に全世界から来た観光客のメッセージや名刺が張ってあるのが印象的でした。

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 途中、キタキツネの放し飼いの場所や銀河流星の滝に立ち寄った後、早めに本日の宿舎層雲峡温泉「ホテル大雪」に着きました。

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2008年3月10日 (月)

冬の北海道旅行-その3
 冬の北海道旅行-その3は、第4日目です。

    前日は砕氷船が欠航するほど風が強く、旅行中もっとも寒い1日でしたが、その寒さは4日目の朝も続いていました。出発するときにホテル大雪の前の寒暖計を見るとマイナス12度を指していました。

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 ツアーのバスの座席は毎日添乗員の人が決めてバスの入口に張り出します。前日は一番後ろだったので、4日目は一番前になりました。365キロ、4日間で一番長い距離です。

 層雲峡温泉を8時に出発、バスは雪道を雪煙を上げて進みました。北海道は山一つ、峠一つ越えると、空模様も、風の強さも、寒さも、雪の降り方や積もり方も変わります。北海道の広さや多様さを感じる瞬間です。

 まず立ち寄ったのは美瑛の丘でした。美瑛の町はとんがり屋根の家が整然の並んでいる美しい町です。家の破風には建てられた年が掲げられていました。

  美瑛の丘では観光用のスノーモービルがあり、私たちはスノーモービルが引くスノーボートに乗ってスリルを楽しみました。スノーモービルを運転した人もいました。

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 そのあと富良野の後藤純男美術館を見学しました。わが町の近くの流山市に住んでいる日本画家が富良野に美術館を作ったのは、この地の美しさに魅せられたためとのことです。

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 美術館のレストランでしゃれた食事を楽しんだあと、バスは一路洞爺湖温泉までひた走りました。

 洞爺湖温泉は平成12年に大噴火した有珠山のふもとにある温泉です。私たちが泊まったホテルから近くの山の上に建つウィンザーホテルが望めました。ウィンザーホテルでは今年7月に環境サミットが開かれます。

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 私たちのホテルは洞爺湖に望んで立つ「洞爺パークホテル天翔」、温泉がすばらしいホテルでした。

 2008年3月14日 (金)

冬の北海道旅行-その4
 最終日です。明るい日差しの中、洞爺湖温泉を朝8時に出発、函館に向かいました。

   洞爺湖は不凍湖です。今回訪れた摩周湖、阿寒湖、屈斜路湖、これから行く大沼の中で洞爺湖が唯一つ氷が全くありませんでした。

 洞爺湖から乗った道央自動車道を長万部で降りました。それからは国道5号線恵山内海ラインを噴火湾に沿って走りました。3日前に通ったJRの路線と並行しています。途中3時間遅れの札幌行きの北斗星とすれ違いました。

 途中大沼公園に立ち寄りました。台湾からの観光団が一度に大勢が乗れる自転車に乗り、台湾の旗を立てて走り回っていました。雪や氷の上を走れるのがうれしいらしく、大声を出していました。おそらく初めて雪や氷を見る人もいたのでしょう。

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  函館では平成18年に建てられた五稜郭タワーに上りました。地上100メートル、五稜郭の側に建てられていて、五稜郭や函館市街や函館山のすばらしい展望が楽しめます。

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 市内をバスで一回り、車窓から市内観光をしたあと、朝市で昼食に名物の海鮮どんぶりをいただきました

 近くに青函連絡船摩周丸が係留され、函館市青函連絡船記念館となっていました。ゆっくりその中を見学、洞爺丸の事故や青函連絡船の歴史を振り返りました。偶然ですが、その数日後、テレビで摩周丸の中で行われた青函連絡船開業100周年の記念行事を報道していました。

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 函館からは特急スーパー白鳥号に八戸まで乗車しました。途中世界最長53.85kmの青函トンネルを23分で通過しました。

 八戸からは新幹線のグリーン車を利用し、上野に着いたのは22時過ぎでした。

 5日間の冬の北海道の旅は新しい発見もあり、印象深い旅となりました。

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山中湖・河口湖旅行-再編集版(NO.1158)

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山中湖・河口湖旅行-再編集版

2007年12月22日 (土)

初冬の山中湖・河口湖
 平成19年12月15日と16日に山中湖と河口湖の旅行に行ってきました。

 妻と長男夫婦とその2歳の娘の5人で、長男夫婦が最近購入したワゴン車に載せてもらっての旅行でした。

 我孫子の我が家を午前10時過ぎに出発、常盤高速道、首都高速道、中央高速道を通って河口湖インターで降りました。土曜日でしたがやや遅めの出発だったためか、大した渋滞もなく、快適なドライブが楽しめました。

 まず立ち寄ったのが「富士山レーダードーム館」です。昭和39年から平成11年 まで35年間にわたって日本の気象観測を続けてきた富士山のレーダードームを富士吉田市に移し、体験学習館として生まれ変わった所です。今読売新聞の「時代の証言者」に藤原正彦氏が取り上げられていますが、そのお父さんの作家新田次郎さんが富士山レーダーの建設に大きな役割を果たしました。

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 館内ではNHKの「プロジェクトX」で放送された、レーダードームをヘリコプターで富士山頂に運ぶ場面が映写されていました。

 15日の宿は山中湖の「岩魚茶舎」です。小さな温泉宿ですが美味しい地酒と食事が楽しめました。

 山中温泉は典型的な冬型気候、この冬一番の寒波が襲来し、16日の最低気温氷点下6度、最高気温3度という寒さでした。その代わりに澄み切った空に恵まれました。

 観光シーズンと違い湖畔は閑散としていました。遊覧船はガラガラで、船から眺 める雪をかぶった富士山は圧巻でした。

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 河口湖の「オルゴールの森」と「富士眺望の眺望の湯ゆらり」を楽しんだあと、東名高速道経由で帰宅しました。

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2018年8月30日 (木)

奈良・吉野・京都旅行-再編集版(NO.1157)

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奈良・吉野・京都旅行-再編集版

 2007年11月23日 (金)

はじめての吉野

  平成19年11月19日から22日まで家内と一緒に奈良、吉野、京都に行ってきました。奈良の「奈良ロイヤルホテル」に3泊し、歴史と文化と紅葉を求めていくつかの名所に出かけました。その報告を地域別に3回に分けて報告いたしましょう。

  20日に行ったのは吉野です。私にとってははじめての吉野でした。
  吉野山は春の桜で有名です。また義経の思われ人、静御前が隠れた場所として、そして足利尊氏に敗れた後醍醐天皇が南朝を開いた場所としても知られています。 

 ホテルから近鉄に乗り、大和西大寺から橿原神宮前までは特急、そこで大阪から来る別の特急に乗り継いで吉野駅に着きました。

   吉野駅からはロープウェイ、ロープウェイの終点からは小型のバスで終点の「奥千本」まで行きました。 

 奥千本からは自然歩道をロープウェイの駅まで歩こうという、妻がガイドブックを見て決めたお勧めのコースをたどりました。

  天気は晴れ、穏やかな秋の日が木々の間からまばゆいばかりです。赤や黄色の紅葉が目を楽しませてくれました。盛りにはもう少しという感じでしたが、赤や黄色といっても1本の木とて同じ色はなく、それぞれ微妙な違いはあることが分かりました。 

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 途中お茶屋「花錦」に立ち寄り、おだやかな女性のご主人と親しくお話をしながら、手製のおいしいくずもちとくずきりをいただきました。心和むひと時でした。

  吉野の秋には花の頃とは大違いの静けさがあります。奥千本のバス停で降りた 人は、私たち夫婦を除いては一人だけ、自然歩道を歩いたのは私たちだけでした。すれ違う人もまれでした。 

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 高城山展望台、吉野水分神社、花矢倉、竹林院、吉水神社、金峯山寺などを見物しながら、また途中で昼食をいただきながら、ロープウェイの駅に着いたのは歩き始めてから3時間後でした。

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 はじめての吉野はすばらしい思い出を残してくれました。

2007年11月28日 (水)

55年ぶりの奈良 
  吉野に続いて奈良の報告です。 

 平成19年11月19日から22日までの旅行は、奈良の「奈良ロイヤルホテル」をインターネットで予約し3連泊しました。

  旅行会社のツアーは料金が安く、面倒な手続きは要らず、効率的に名所を回れるというメリットはありますが、団体行動にしばられ、ゆっくり好きなところを時間をかけて見るわけにはいきません。余裕のあるスケジュールにはなっていません。またJR利 用の場合、喫煙席になる可能性があります。禁煙車しか乗れない私たちには、喫煙席は鬼門です。「愛・地球博」をツアーで行った際は喫煙車両で、妻は気分が悪くなりました。最近は国内旅行は自分たちで企画して、インターネットで宿を探し、JRはジパングクラブに入会しています。 

 奈良は中学校の修学旅行で行って以来、約55年ぶりです。

  初日は法隆寺を訪ねました。修学旅行では法隆寺は行った覚えがなく初めてです。福沢諭吉に変わる前はお札の定番は聖徳太子と夢殿でした。観光客が少なかったので、ゆっくり見物することが出来ました。秋の日は短く、法隆寺についたのは2時過ぎでしたが、拝観して戻る頃には夕暮が迫っていました。 

 3日目に奈良観光を代表するコースを回りました。

  猿沢の池→興福寺→春日大社→春日大社→奈良公園→大仏殿を徒歩で回り、近鉄で西の京まで行って、薬師寺を拝観しました。 

 興福寺では「秘仏の特別公開」が行われていました。妻は念願の「阿修羅像」が見られて大満足でした。

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 大仏殿は多くの観光客で賑わっていました。お水取りの行われる二月堂に上って奈良の町を見渡すことができました。 

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 薬師寺は修学旅行の生徒たちが交代で法話を拝聴していました。新旧の2つの塔が夕映えにそそり立っていました。

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 タクシーのドライバーから、京都はお寺の建物が見ごたえがあるが、奈良は仏像が良いと聞きました。たしかに奈良のお寺の仏像のすごさに圧倒されましたが、建物も見事でした。

  京都ほど多くない紅葉も色づき始めていました。

2007年11月30日 (金)

2年ぶりの京都 
  奈良旅行の最後に京都に立ち寄りました。 

  東京に戻る新幹線の切符は平成19年11月22日の京都発午後3時です。それまでに時間を京都見物に当てました。

  奈良から京都に出る途中で宇治の平等院を訪ねました。平等院は初めてです。平等院の鳳凰堂は10コインの裏側に穿たれています。 

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 JR宇治駅で下車し15分ほど歩くと平等院につきます。途中の歩くみちは歩道がない上に狭く、車の通行量が多いので神経を使いまし た。 さらに、宇治川にかかる宇治橋から平等院までの参道にも容赦なく車が入ってきました。観光地にしては珍しく配慮のない道でした。おそらく生活道路がほかにないのでしょう。

  平等院は落ち着いた雰囲気の建物でした。平安時代の藤原氏の別荘だったそうです。 

 京都の紅葉は2年前に堪能しましたが、今回その時行けなかった南禅寺を訪れました。一昨年に京都に来たのは11月24日、東福寺、 真如堂、哲学の道、永観堂はいずれも見事な紅葉でした。今回はそれより2日早いだけなのですが、南禅寺の紅葉はもう一息といった感じでした。

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 奈良は静かな秋でしたが、京都は人でいっぱいの秋です。ツアーの団体バスが駐車場からはみ出しており、参詣の歩道は向かいから来 る人波を避けながら歩きました。 

  南禅寺は三門で有名です。三門のうえに大勢の人が登っているのをみて私たちも上って見ました。石川五右衛門が三門のうえで「絶景かな、絶景かな」といったという俗説が残っています。

  たしかに京都の市街の眺めと南禅寺の紅葉が絶景でした。 

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白馬旅行-再編集版(NO.1156)

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白馬旅行-再編集版

2007年8月11日 (土)

白馬山麓は花盛り
 平成19年8月5日から4日間、妻と2人で白馬山麓に旅行してきました。

   利用したのは阪急交通社の「白馬アルプスホテルに泊まるくつろぎの休日4日間」というツアーで、交通機関と朝夕の食事が付いたホテルだけのフリープランです。観光は各自自由にというのが魅力でした。料金は1人42800円でした。

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 山や高原の観光つきのツアーは、短い時間に有名な観 光地を効率的に回ろ うとするため、のんびりと山の空気を吸ったり、花をじっくり観察したりという時間はあまりありません。またマイカーで行くのは、歳のせいかクルマの長距離運転がわずらわしくなった私たちにとってはしんどい旅になります。今回の新幹線とホテルの送迎バスの旅行は楽でした。

 白馬アルプスホテルにはいろいろな会社のツアーがやっ てきましたが、夕食時に到着し、朝は早々と食事をして急いで出かけていました。

 白馬山麓はいま花のシーズンを迎えています。標高が高いせいか、紫陽花からコスモスまでいろいろな花がいっぺんに咲いていました。 

 私は若いときは山男でしたが、今回は花の好きな妻が行先を決めました。八方尾根の自然研究路はちょっときついため、ホテルの送迎バスや花三昧のシャトルバスやロープウェイを利用した花の旅となりました。

 栂池自然園、いわたけゆり園、五竜アルプス山野草園を回りました。次回はその花便りをご紹介します。

2007年8月15日 (水)

白馬山麓は花盛り-続編
 今日は前回のブログの続きです。
 

    栂池自然園に行くには栂池温泉から6人乗りのゴンドラリフト・イブと71人乗りの栂池ロープウェイを乗り継いで、ほとんど歩かずに標高1855mの栂池ヒュッテまで登ります。ヒュッテの前が栂池自然園の入口です。

 

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 栂池自然園は自然を生かした花と緑の公園です。園内には「ミズバショウ湿原」「ワタスゲ湿原」「浮島湿原」「展望湿原」などがありま す。木道が整備され、次々に現れる花の間を縫って歩く感じでした。

 

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 体力に応じて途中で引き返したり、周遊できるためよちよち歩きの子どもから杖を突いた高齢者まで多くの観光客で賑わっていました。

 

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 いわたけゆりの園では岩岳スキー場の斜面に植えられた50万株のゆりの花が盛りを迎えていました。リフトで登ったあと、案内板にしたがって木のチップを敷き詰めた道を下ります。その両側にゆりがびっしりと植えられていて、美しい色彩とゆりの香りに満ちていました。早く歩くのがもったいない感じでした。

 

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 いわたけゆりの園から五竜アルプス山野草園までは花三昧のシャトルバスを利用しました。バスの終点で降りて、8人乗りのゴンドラ白馬五竜テレキャビンで標高1515mまで一気に上ります。降りたところが山野草園です。

 

 山野草園は高山植物を中心に花の種類ごとに分けて人の手で植栽した公園です。高山植物の女王コマクサをは じめ、いろいろな高山植物が咲き誇ってました。

 

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2018年8月25日 (土)

アラスカの旅-再編集版(NO.1155)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

 アラスカの旅-再編集版

2008年9月14日 (日)

  アラスカ旅行-1

 平成20年9月6日から12日まで、妻とアラスカ旅行のツアーに参加しました。クラブツーリズムの「秋のアラスカ大満喫7日間」で、うたい文句は「チェナ温泉3連泊、JALチャーター直行便利用」でした。直行便はチャーター便しかありません。乗り継ぎなら10数時間かかるところ、直行便は往復とも7時間前後のフライトですみます。

  今回のアラスカ旅行の目的はオーロラを見ることです。妻は以前から一度はオーロラを見たいと言っていました。ツアーの案内には3回見るチャンスがあると書かれていました。

   申込が遅れたためキャンセル待ちでしたが、運良く参加可能となりました。

  成田空港を6日の20時15分に出発、フェアバンクス空港に6日の10時10分につきました。日本との時差は17時間です。途中ほとんど眠れませんでした。 

 直行便のため飛行機は楽でしたが入国審査が大変でした。グループを3つに分け、待合室に案内されました。入国カードに記入し、一人一人両手の人差し指の指紋と顔写真をとられ、しっかりとチェックさ れました。全員が終わるまで2時間半近くかかりました。

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  全員そろってバスでフェアバンクス市内観光です。まず昼食のレストランに行きました。昼食はハリバット(おひょう)や野菜を挟んだ特大のフィッシュバーガーでした。コーヒーカップも特大です。食事や飲み物の量は旅行中最後まで特大でした。レストランの後には美しいチェナ川がありました。 

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フェアバンクスは小さな町です。バスで一回りしたあと、ゴールデン・ハート・プラザに立ち寄りました。中央にアラスカ人の家族の見事な彫刻がありました。ビジターインフォメーションセンターにはその日のオーロラ予報が掲示されていました。

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   有名なアラスカ大学博物館でアラスカの自然、文化、歴史などの展示物を見学したあと、オーロラ観測の基地、チェナ温泉に向かいました。チェナ温泉はフェアバンクスの東約100キロのところにあります。バスは一般道を約1時間走って到着しました。 

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 チェナ・ホットスプリングス・リゾートは簡素なホテル、ロッジ、レストランなどがあり、温泉の他に、黄葉とオーロラ見物、ネイチャー・ハイキング、アイス・ミュージアム、犬ぞり、遊覧飛行、四輪バイクなどが楽しめます。

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 夕食後部屋で休んだあと、11時過ぎにオーロラ見物にアクティビティ・センターに出かけました。冬に着る厚手のジャンバー、防寒帽子、手袋、冬用の靴下とポケットにはホカロンを入れました。 

 オーロラ見物には辛抱強く待つことです。セスナの飛行場が見物の場所ですが、外なので寒さに耐えねばなりません。そこに椅子を置いて座布団を敷き座っていると、気温マイナスの寒気が忍び込んできます。アクティビティ・センターの中と外とを行ったり来たりしてひたすら待ちました。

  午前1時半頃、そろそろオーロラが見られそうという人の声を合図に、全員外に出で待っていると、見事なオーロラ・ショーがはじまりました。デジカメや使い捨てカメラでは撮れないと知りつつ思わずシャッターを切りました。オーロラは20分くらいで終わりました。 

 私たちは満足して部屋に戻りました。

 2008年9月16日 (火)
 
 アラスカ旅行-2
 
  前回のアラスカ旅行の続きです。
 
 9月7日はバスで北極圏に行きました。時差が17時間あるので私の感覚では3日目なのですが、日付は2日目の7日です。
 
 チェナ温泉のホテルを朝10時5分に出発、まず立ち寄ったのがアラスカ・パイプライン・ビジターセンターでした。北極海の石油を北極海からからアラスカ湾まで、アラスカを縦断する1280キロのパイプラインです。1977年に完成しました。 

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私たちはそのパイプライン建設のために作られた道路を走りました。ほとんどがタイガやツンドラ地帯で、永久凍土の上に作られていて、一部未舗装、パイプラインが見え隠れしていました。すれ違うのは巨大なトラックばかり、おそらくパイプラインに関係するトラックなのでしょう。

  途中ユーコン川を渡り、山火事で焼けた森を抜け、ツンドラ地帯の池塘の景色を楽しみながら、北極圏の入口についたのは、午後4時15分でした。広大なアラスカを肌で感じるバス旅行でした。途中めぼしい観光地があるわけでなく、北極圏入口の公園も、広場に看板と食事用の屋外のテーブルとトイレの小屋があるだけでした。
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17時30分に帰途につき、同じ道路をひた走って、チェナ温泉に着いたのは、8日の午前1時でした。
 
 途中オーロラの予兆が見えたため、さっそくオーロラ観測場に駆けつけました。そして前日見たオーロラ以上のすばらしいオーロラを見ることが出来ました。オーロラは私たちの持ってる小さなデジカメでは撮れませんでした。
 
 8日は1日自由時間でした。私たちは休養に当てました。チェナ温泉に浸かったり、近くを散策したり、アイスミュージアムを見学したりしました。
 

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  アイスミュージアムの中には、氷でできた結婚式場や宿泊施設やバーやホールがありました。バーでは氷で作ったカクテルグラスでマーティニをいただきました。

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 そして夜はまたオーロラ見物です。雲が出ていたため私はあきらめて部屋で寝ていましたが、妻は2度あることは3度あると、1時頃支度してでかけました。そして小さなオーロラを見物できたのです。執念の勝利でした。
 
2008年9月17日 (水)
 
 アラスカ旅行-3
 
 前回の続きです。

  9月9日はチェナ温泉からバスでフェアバンクスに出て、フェアバンクス空港から国内線でアンカレッジに移動しました。

  国内線でもセキュリティチェックは厳しく、液体制限は国際線並み、靴や上着を 脱がされました。なぜか私たち夫婦だけ体を触るボディチェックを受け、妻のスーツケースは開けられていました。帰りのアンカレッジからの国際線では、私のスーツケースが開けられていましたので、スーツケースの鍵をかけないようにという注意はオーバーではありませんでした。 

 アンカレッジには12時50分につきました。小雨が降っていて、薄ら寒い感じです。日本の12月初旬頃の気温でしょうか。

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 市内をバスでめぐり、シップクリーク、地震公園、星野道夫フォトギャラリー(実際は旅行会社の店舗)、日本人向けのお土産屋に立ち寄った後、ホテルのあるアリエスカに行きました。 

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  アリエスカのホテルは元西武プリンスホテルです。堤一族が退いたあと、「Hotel Alyeska」という名前になっています。私たちが泊まった他のホテルと比べると、段違いにすばらしいホテルでした。アラスカで唯一スリッパがあるホテルとのことです。 

 10日は氷河クルーズでした。夕方まで雨が小止みなく降り続きました。

  クルーズ船が出発するウィッティアに行くには列車と車が交互に走るトンネルしかありません。ウィッティアは人口180人ばかりの寒村ですが、人口の10倍以上のヨットやクルーズ船が係留されていて、シーズンには大勢の観光客やレジャーを楽しむ人たちで賑わうそうです。 

 私たちはそこからサプライズ氷河に向かいました。クルーズ船は150人乗りですが、私たちのグループ30人と西洋人20人ほどで、ゆったりとした船旅となりました。船内は暖房が効いており、外に出ない限り快適に過ごせます。

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 ウィッティアを11時に出発し、サプライズ氷河には午後2時半頃つきました。船は静かに氷河に近づきました。大きな青い氷の壁が静かにそそり立っていました。海面には氷河の氷のかけらが一面に浮いています。船を止め、氷河が崩れるのを待ちました。20分以上見物していましたが、その間3回氷河が崩れて海面に落ちるのを見物
できました。 

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 今回のアラスカ旅行はオーロラを見物すること、北極圏を体験すること、氷河を近くで見ることが3つの目玉でした。オーロラは3晩連続で見られ、いずれも満足できました。 

 11日朝早くアンカレッジのホテルを出て帰途につきました。飛行機の中で17時間時計を進め、あっという間に11日が終り、12日の午前10時頃成田につきました。帰りの飛行機も7時間弱のフライトでした。

 

 

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2018年8月24日 (金)

トルコの旅-再編集版(NO.1154)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

トルコの旅ー再編集版

2008年5月29日 (木)

トルコ旅行-1
 平成20年5月15日から27日まで妻とトルコ旅行に行ってきました。その記録と 感想を何回かにわたってまとめたいと思います。

 ほぼ2週間留守にしていたためブログを書くのは5月10日以来となってしまいました。こんなに間が空くのは初めてです。その間ブログを覗いてくださった方には申し訳ありませんでした。

 利用したのは阪急交通社ロイヤルコレクション「VIPバスでめぐるトルコ13日間」というパッケージツアーです。

 現役時代、仕事で航空機のビジネスクラスを利用したことはありますが、観光旅行では初めてでした。ルフトハンザのビジネスクラスは横は6人で2人ずつに分かれていて、自分の席の空間でほぼ水平に椅子が倒せます。前後 の人を気にするわずらわしさもありません。苦手な往復の長距離の機内も快適に過ごすことができて、よく眠れました。

 参加者は8組の夫婦と1人の男性の17人でした。ロイヤルコレクションでは参加人数も最大20名に絞っています。ビジネスクラス利用や人数制限などで料金は高目に設定されていますが、2人の体調も考えて張り込みました。

 12日間バスに乗りましたが、トルコ国内のVIPバスは横3列30人乗りで、添乗 員と現地ガイドを加えて19名でしたので、ゆったりと座ることが出来ました。

 私たちをお世話くださったのは経験豊富な人気添乗員の星野かほりさんと日本語がぺらぺらの現地ガイドのツナさんでした。

 旅行する前はトルコについては西洋と東洋の境界にある国というくらいしかほと んど知りませんでした。ガイドブックを購入、にわか勉強に励みました。それによるとトルコは国土は日本の約2倍、人口は日本の約半分です。

 今回の旅程はミュンヘンで乗り継いで、まずイスタンブールに入りました。そこで1泊、翌朝カイセリまで飛行機で行き、そこからバスで8日間観光地を回りイスタンブールまで戻ってきました。

  写真は星野かほりさんとツナさんです。

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2008年6月 2日 (月)

トルコ旅行-2
 トルコ旅行1日目(5月15日)はイスタンブールに夜11時に到着しました。成田を出発してから約17時間半の長旅でした。

 ホリディ イン シティホテルに着いたのは夜中の12時ちょっと前、翌日のホテル出発が5時45分のためほとんど寝る時間はありませんでした。

 2日目(5月16日)はまずイスタンブール空港からカイセリまで国内線で飛びました。イスタンブール空港はセキュリティ検査が厳しく、搭乗するまでにズボンのベルトをはずすようなチェックが2度ありました。17名の仲間のうち2名は荷物を開けるよう指示されました。

 カイセリはカッパドキア観光の入口、VIPバスが待っていました。ここから最終日までこのバスで移動です。添乗員の星野かほりさん、ガイドのトゥナさんにドライバーのチェティさん、助手のヨルゴさんが加わりました。このメンバーでイスタンブールまでの長い観光が続きます。

 2日目と3日目はカッパドキア観光です。カッパドキアは世界遺産に登録されています。トルコには7つの世界遺産がありますが、今回はそのうち4つを回ります

 6000万年前にタウロス山脈が隆起、そのとき生まれたエルジエス火山とハッサン火山が長期にわたって火山灰を堆積させ、柔らかい石灰岩層を形成しました。そこに流れ込む雨水と風雪による侵食がカッパドキアの摩訶不思議な光景を作り出しました。

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 私たちは何ヶ所かで写真をとった後、洞窟をくりぬいたレストランで昼食を取りました。中はひんやりとして暗く、いかにも昔の時代にさかのぼって食事をしているような感じでした。

  そのあとギョレメ野外博物館を見物しました。迫害から逃れ定住したキリスト教徒が造った30あまりの教会が集まっていて、中にはフレスコ画が描かれていました。

 カッパドキアではテメンニ エヴィ洞窟ホテルに2泊しました。大きな岩の上に立てられたホテルで、地下には昔のワイン工場のあとがありました。部屋の壁は岩に漆喰を塗ったもので、大きな洞窟に入っている趣がありました。一応ホテルの設備は備わっていましたが、テレビや冷蔵庫はありませんでした。

 3日目(5月17日)はまずカイマクル地下都市を見物しました。イスラム教徒の迫害から逃れるためキリスト教徒が造った地下都市です。地下8階ですが観光客が入れるのは4回まで、内部はありの巣のような迷路になっていました。地下の岩を繰り抜いて、教会、ホール、居室、台所、家畜小屋などが備わっていたのは驚きでした。

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 午後上ったウチヒサール(尖った城砦)の頂上からの眺めはまさに絶品。まるでほかの星にやってきたような感じでした。

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2008年6月 3日 (火)

トルコ旅行-3
 前回に引き続きトルコ旅行のまとめです。

 4日目(5月18日)はカッパドキアを後に、途中観光をしながら、コンヤへ向かいました。走行キロは約235キロ、約3時間かかります。4日目も2日目、3日目と同様天気は快晴、抜けるような青空でした。

 コンヤへ向かう道は往年のシルクロードです。バスの車窓からはかなり長い間カッパドキアを生んだ3200メートルのハッサン山の勇姿が望めました。

 シルクロードが貿易の大動脈だった頃、隊商宿のキャラバンサライが点々と設けられていました。キャラバンサライは人とらくだが泊まれるようになっており、命がけで旅をする人たちにとっては大変心強い宿だったのでしょう。まず最初にそのキャラバンサライの遺跡を訪れました。

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 昼食はキャラバンサライを改造したレストランで取りました。トルコは湿度が低いためのどが渇きます。高い天井と広々とした席でいただいたEFESビールの味は格別でした。

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 午後はコンヤのメヴラーナ博物館を見物しました。コンヤはセルジュク時代の首都でトルコの中でも特に宗教色の強いところです。メヴラーナ博物館は施舞の儀式で知られるイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団の創設者メヴラーナ・ルーミのもと霊廟です。

 その日の宿リクソス(旧ヒルトン)ホテルは日本人の観光客でいっぱいでした。

 5日目(5月19日)はトルコ共和国の建国の父「アタチュルクの日」で祝日です。天気は快晴、バスは425キロを約5時間30分かけて走りました。

 今回の世界遺産の2つ目はバムッカレ観光でした。パムッカレ観光はヒエラポリスの石灰棚です。

 時間が限られているのでヒエラポリスの遺跡を横目でみて私たちは石灰棚に急ぎました。石灰分を多量に含む温泉の湧き水が台地にあふれ、岩肌を伝い、沈殿して、長い年月のうちに幾重もの棚を形成したのです。まさに綿の城(パムック・カレ)です。

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 私たちは靴を脱いでズボンをまくりあげ、石灰棚の浅いプールに入りました。日本人ではありませんが、水着になってどっぷり浸かっている観光客もいました。

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 宿はリゾートホテルのサーマル コロッセア、やはり大勢の日本人観光客と一緒でした。

2008年6月 8日 (日)

トルコ旅行-4

 前回のトルコ旅行の続きです。

 6日目(5月20日)はイズミールへ向かいました。走行距離は約360キロです。晴れときどき曇り、かなり暑くなりました。

 午前中はアフロディシアス観光でした。アフロディシアスは女神アフロダイテ(ヴィーナス)の庇護のもとに発展したと言われています。ローマの皇帝たちはアフロダイテをローマの母なる神とたたえ、この町を厚遇しました。

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 競技場の跡が残っていました。長さ262m、幅m、収容人員は3万で、陸上競技、レスリング、剣闘士の戦いなどが行われたそうです。近隣から大理石を算出したため、大理石彫刻も多く残っていました。神殿のあともありました。

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   昼食はマスのフライ、途中の売店でトルコ名物のお菓子、ロクムをお土産に10箱買い込みました。トゥナさんのお勧めの店です。イズミールのヒルトンホテルには6時ころ到着、23階の部屋からは眼下にエーゲ海が広がっていました。イズミールはイスタンブール、アンカラに続くトルコ第3の都市です。

  食事の後、31階のラウンジに全員集合して、エーゲ海とイズミールの夜景を眺めながらいっぱいやり、交流をはかりました。妻と私はトルコ名物のラクを飲みました。ラクは45度と強く、水で割ると白く濁る、独特の香りのするお酒です。

 7日目(5月21日)も快晴。今のシーズンのトルコは雨には縁がないようです。添乗員の星野さんと助手のヨルドさんが体調を崩し、ヨルドさんは今日の観光はお休みでした。

 今日はエフェソス観光です。今回の旅行では6ヶ所の遺跡を回りましたが、スケールの壮大さ、華麗さ、遺物の多さなどから、エフェソスの遺跡がもっとも見ごたえがありました。エフェソス遺跡の往復には、トルコで初めて高速道路を利用しました。

 まず、聖母マリアの家に行きました。聖母マリアはその晩年キリストの弟子のヨハネの世話を受けながらエフェソスで過ごしたと言われています。その家の跡に建つ小さな教会に大勢の人が集まっていました。エーゲ海クルーズの観光客も合流して大変な人数です。

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 エフェソスの遺跡はまるで古代の都市が現代に現れたような感じでした。図書館、公衆トイレ、野外劇場、神殿、住宅、門、浴場などが残っており、立派な通りもありました。ここも人が多く、油断しているとすぐ迷子になりそうでした。

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 遺跡を見た後、エフェソス考古学博物館を見物しました。エフェソス遺跡からの発掘物が展示されていて見ごたえ十分でした。

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   エフェソス遺跡はなぜか世界遺産には登録されていません。世界遺産のトロイの遺跡に比べると、エフェソス遺跡のほうがはるかに立派という感じがします。ガイドのトゥナさんの話では、エフェソスはまだ発掘が継続中なので世界遺産になっていないとのことでした。

 ホテルはイズミールのヒルトンに連泊でした。夕食前の時間を利用してエーゲ海岸の公園に行ってみました。岸壁ではパンをエサに素手での投げ釣りでボラを釣っている人がいました。

 夕食は海鮮レストランで黒鯛の蒸し焼きをいただきました。

トルコ旅行-5

 トルコ旅行の続きです。

 8日目(5月22日)はベルガモンの遺跡を観光後、チャナッカレに行きました。走行距離は約350キロ、5時間のバス旅行です。天気は晴れ、暑い1日でした。

 ベルガモンの遺跡アスクレピオンとアクロポリスがあります。私たちははまずアスクレピオンに行きました。

 アスクレピオンは医術の神アスクレピオスを祭るとともに、ローマ時代の病院です。

 入口の壁に「死は入るべからず」と彫られていて、入院したい人はまず医師の診察を受け、直る見込みのある人だけが入院を受け付けられたそうです。治療棟への地下道がしっかりと残っていま した。

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 昼食後アクロポリスを訪れました。アクロポリスとは、「高いところ、城市」を意味し、パルテノン神殿が建っているギリシャのアテネのアクロポリスが有名です。

 ベルガモンのアクロポリスはアテネよりもはるかに高い山の上にありました。バスで登りましたが、かなりの時間がかかりました。ここにもアテネ神殿の跡がありました。

 どうやってこんな高い山に重い石を運んだのでしょう。素朴な疑問が頭を掠めました。

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 チャナッカレのコリンホテルの窓からは、ダーダネルス海峡がよく見えました。ホテルはアジア側、海峡の向こう側はヨーロッパです。大きなタンカーと貨物船がゆっくり進んでいました。

 9日目(5月23日)も快晴、トロイの遺跡観光後、海峡を渡ってイスタンブールへ向かいます。

   今日は初めてバスの一番前に座りました。一日長いバス旅行となりました。

 トロイの遺跡は今回の旅行の3つ目の世界遺産です。遺跡の入口にはトロイの木馬のレプリカが建っていました。トロイ戦争で中にギリシャ軍が入っているのを知らずにトロイに引き込んだ言われる木馬です。トロイが負ける原因になりました。私たちも中に入って狭いはしごを登ってみました。

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 トロイの遺跡は19世紀末にシュリ-マンが発掘するまでは埋もれていました。残っているのは城壁や城門や建物の台座や道などで、他の遺跡に比べると大変地味な遺跡でした。トロイの木馬を引き込んだという傾斜路もありました。

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 そのあと、バスごと乗り込めるフェリーに乗り、ダーダネルス海峡を渡りました。青い海、静かな海面、30分あまりの航海でしたが、トロイ戦争の頃は手漕ぎや帆船の軍艦が、海面をいっ ぱいに埋めていたのでしょう。

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 ヨーロッパ側にわたると、バスはイスタンブールに向かって約5時間半ひたすら走りました。車窓からはオリーブの木が延々と続いているのが眺められました。

 イスタンブールではリッツカールトンに3連泊です。今回利用したホテルの中では最高のホテルでした。

 夕食は町のレストランで日本食をいただきました。メニューと味はいまいちでしたが、値段は結構高いとのことでした。

2008年6月11日 (水)

トルコ旅行-6
 トルコ旅行の続きです。今回が最終回になります。

 10日目(5月24日)今日から2日間はイスタンブール市内観光です。

 イスタンブールはボスフォラス海峡でヨーロッパ側とアジア側に分けられていて、ボスフォラス海峡には2本の橋がかかっています。ヨーロッパ側は金角湾で旧市街と新市街に分かれていて、3本の橋がかかっています。

 イスタンブールはシルクロードの西の端です。東の端は中国の長安(現西 安)、らくだの背に乗って貴重な物資が運ばれました。

 そんな地理的、歴史的背景を反映してか、イスタンブールはいろいろな文化や人種が渾然と交じり合っている感じでした。

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 今回訪れた4つ目の世界遺産はイスタンブールの歴史地区です。ブルーモスクやトプカプ宮殿やアヤソフィアなどが歴史地区を構成しています。

 初日のイスタンブール観光は、午前中に旧市街にあるブルーモスク、トプカプ宮殿を見学、宮殿レストランで昼食をとり、グランドバザールで買い物をしたあと、新市街にある軍事博物館に行きました。

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 ブルーモスクは17世紀初め、オスマン帝国の14代スルタン、アフメット1世によって建立されました。内部の装飾はイスラムの特徴の幾何学模様です。世界で最も美しいモスクと言われています。

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 イスラム教の寺院は日本と同じように土足禁止です。日本では下駄箱に入れるか、用意されている袋に入れて持って歩くのが普通ですが、トルコのモスクでは使い捨ての靴カバーが用意されています。とても便利でした。

 トプカプ宮殿で印象に残った所は3つあります。1つは陶磁器展示室です。中国の陶器に混じって、日本の有田焼と伊万里焼があ りました。2つ目はハーレムです。言葉と反対に暗い感じがしました。3つ目は宝物館、86カラットのダイヤなど、あきれ返るほどの宝物が展示されていました。

 軍事博物館ではオスマン軍楽隊メフテルの演奏を聞くことが出来ました。世界最初の軍楽隊といわれたそうです。

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 夜はレストランで名物のベリーダンスを見ながら夕食をとりました。ベリーダンスはそれなりでしたが、それよりも観客の国籍に合わせてその国の唄とギャグを聞かせてくれた男性のエンターテイナーに拍手喝 采でした。

 11日目(5月25日)はイスタンブール観光の後半です。いよいよトルコ観光の最終日です。天気は晴れ、トルコは毎日が好天でした。

 まずアヤソフィアに行きました。アヤソフィアは現在は博物館ですが、元は6世紀に建てられたキリスト教の大聖堂でした。イスラム教のオスマン帝国の時代には、大聖堂のモザイク絵は漆喰で塗りこめられました。現在は漆喰がはがされ見事なモザイク画を鑑賞 することが出来ます。

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 カッパドキアもそうですが、イスラム教のトルコはキリスト教の遺産を最大の観光資源にしているのではないかと感じました。

 そのあと、地下宮殿(地下貯水槽)、カーリエ博物館、ドルマバフチェ宮殿を見物しました。

 そして観光の最後はボスフォラス海峡クルーズでした。わずか17名で1雙の観光船を貸切、美しい海峡の景観を楽しみながらのんびりした時を過ごしました。イスタンブール観光の総仕上げといった感じでした。

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 明日は帰国の途に着きます。すばらしいトルコの旅でした。

 楽しい旅を演出してくださった、添乗員の星野さん、ガイドのトゥナさん、ドライバーのチェティさん、助手のヨルゴさん、旅の仲間15人の皆さん、そして一緒に旅を楽しんだ妻に感謝感謝です。ありがとうございました。



 

 

 

 

 

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2018年8月22日 (水)

今年の高校野球からも感動をもらった(NO.1153)

 平成30年8月21日夏の高校野球が終わりました。

 大阪桐蔭高校が秋田の金足農業高校を13対2で破って春夏2連覇を達成しました。春夏2連覇したのは大阪桐蔭が初めてです。

 この夏もまたいろいろ感動をもらいました。

 まずは大阪桐蔭です。2回も春夏連覇したのは立派でした。その戦いは堂々として負ける気がしない戦いでした。

 金足農は103年ぶりの決勝戦進出でした。第1回に秋田県の中学が決勝戦に出ていたのは思いもよりませんでした。東北勢は9回目の決勝戦でした。東北勢初優勝の期待をしょって戦いましたが、今年も東北の願いはかないませんでした。吉田投手は甲子園6試合で881球を投げました。本人はプロ野球に行きたいと言っていましたが、きっと活躍してくれると思っています。

 わが故郷の済美高校も球史に残る試合をしました。2回戦で石川県の星稜高校と対戦、8回に8点を入れて6点差をひっくり返し、その同点となって延長13回のタイブレークになりました。2点入れられた13回の裏、満塁逆転サヨナラホームランという史上初の勝利を収めました。準決勝で大阪桐蔭の破れましたが、よく戦ったと思います。

 私は高校野球が最も感動をくれるイベントと思っています。特に夏の高校野球は地方予選から始まり、千葉県なら甲子園優勝までに最大14試合勝つ必要があります。

 1月半くらいの間に若い高校生がひたむきに勝利を求めて闘い続ける姿は、プロ野球にもサッカーにもラグビーにも大相撲にもありません。それに高校野球は故郷を思い出させる効果もあります。

 今年は100回大会ということもあり、新しい試みもありました。

 参加校が7校多い56校となり、始球式には過去甲子園で活躍した18人のレジェンドが登場しました。開会式の第1戦では松井秀喜さんが、決勝戦では初めての引き分け再試合を投げ合った井上明さんと太田幸司さんが登場しました。優勝旗は優勝校のリボンが重くなったため、優勝校を記した用紙をポールの先端に収めた新しい優勝旗が登場しました。

 今後も大好きな高校野球を応援し続けたいと思います。

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2018年8月19日 (日)

2018年手賀沼トライアスロン(NO.1152)

 2018年8月19日手賀沼トライアスロンが手賀沼とふれあい緑道で行われました。

 スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロのオリンピック仕様です。スイムは沼南道の駅の下のボート場の桟橋付近から出発して沼の中央で折り返し、バイクはふれあい緑道を東のほうに5回折り返し、ランはふれあい緑道を西のほうに5回折り返すコースになっています。

 今年は6月末に梅雨が明け、7月いっぱいと8月のお盆のころまで台風の時を除いては猛暑が続きました。当日はからっとした秋を思わせるようなトライアスロン日和でした。ただ猛暑が続いたため手賀沼の水質はあまりいいとは言えません。

 朝8時過ぎ、花火の音がしたのでPCで調べたらトライアスロンが行われていることに気が付きました。花火はスタートの合図でした。

 しばらくして自転車で駆け付けたところ、スイムは最終泳者がゴールするところでした。手賀大橋の上からとった写真です。

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 橋の下の自転車置き場から自転車を引き出し、ふれあい緑道で自転車に乗ります。

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 少し先の折り返し点です。

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 見物客も結構出ていました。

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 手賀大橋の上から見たランの折り返しとゴール地点です。先頭グループがバイクから戻ってランを始めていました。

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 以前はランの場所まで行って応援したのですが、きついので橋の上で写真を撮ったところで家に戻りました。

 家についてしばらくしてトップがゴールした花火の音が聞こえました。

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今回のアジア大会は日本の本気度が違うようだ(NO.1151)

 2018年8月17日第18回アジア大会がインドネシアのジャカルタで始まりました。

 アジア・オリンピック評議会に加盟する45の国・地域から約1万1500人の選手が参加し9月2日まで、計40競技465種目が行われます。リオ・オリンピックは28競技306種目でしたので、アジア大会のほうが参加国や人員は別として大規模な大会になります。

 日本からは男子408人、女子354人、計762人の選手を派遣します。前回の韓国仁川大会の712名の選手に比べると50人増えています。

 今回は2年後に東京オリンピックを控えています。選手の気合いや本気度は仁川大会よりテンションが高くなっているようです。マスコミの報道もいつものアジア大会より大きく取り上げられる感じです。今回の大会が東京オリンピックの前哨戦か試金石ととらえられているためでしょう。

 偶然にも1964年の東京オリンピックの2年前のアジア大会がジャカルタでした。ジャカルタには縁があるようです。

 仁川のアジア大会では金メダルの目標は50個でした。ところが実績は47個、151個の中国、79個の韓国に大きく水をあけられました。

 今回はあえて金メダルの目標は掲げていません。2020年の東京オリンピックの金メダル目標30個を達成するためにはアジア大会で相応の成績を残す必要があります。頑張ってほしいと思います。

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2018年8月15日 (水)

終戦記念日に思うこと(NO.1150)

 平成30年8月15日、戦後73年目の終戦記念日を迎えました。

 平成最後の終戦記念日です。戦後生まれの日本人は80%を超えたそうです。

 私は昭和12年1月生まれ、終戦の時は8歳、小学3年生でした。8月15日の天皇陛下のお言葉は聞きませんでしたが、母から戦争が終わったということを聞かされました。

 私の妻は昭和18年生まれなので、戦争のことは覚えていません。戦争時代の事をかすかに覚えているのは昭和15年生まれ以後くらいでしょうか。

 終戦でそれまで教えられていた価値観が逆になりました。「鬼畜米英」が「アメリカさんいらっしゃい」になりました。あの時の学校の先生は何を教えていいかわからない状態で、さぞ困ったことと思います。

 先日お盆のお迎えで長男一家と食事をしたとき、長男が子供だったころと、孫の時代とは時代が大きく変わっているという話が出ました。

 私は長男が子供だったころと自分が子供だったころとはもっと時代が変わったと伝えました。

 戦争を体験した人たちは戦争を知らない人たちに語り継がなければとたびたび言われます。しかしそれは私の場合は難しいことと思っています。戦争からはひもじい思いをしたくらいで、あまり大っきいショッキングな経験がないからです。子供や孫たちに戦争の時代のことを話しても、理解できないせいかあまり関心を示しません。

 終戦は時代が変わる大きなきっかけでした。価値観が変わったのも大きかったですが、新しいモノがつぎつぎと生まれました。

 今では当たり前になっている、テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫、炊飯器、掃除機、電気カミソリ、携帯電話などの電化製品はすべて戦後生まれでした。集合住宅、マンションなどで住まいも変わりました。、水道、ガス、舗装道路などの普及でインフラも整備されました。一部にはあったけど庶民は持っていなかった家庭電話、自動車が当たり前になり、汽車は電化され、新幹線が誕生、航空機での旅行が当たり前になりました。これらは終戦がもたらしたと言っても過言ではありません。

 しかし私たちが子供だったころと、自分の親が子どもだったころとはもっと時代が変わったのではないかと思っています。それは戦争です。親の世代は戦争のため人生そのものが変わったというか、戦争に翻弄された世代だったと思います。

 幸いにして私は戦災にも遭わなかった田舎暮らしで、家族にも出征などを経験した人が居なかったので、比較的平安でした。でもその後知り合った友人の中には家族の戦死や戦災にあった人、大陸からの引揚者など大変な経験をされた人が多くいます。

 そのような方は語り継ぐことが多くあるのではないでしょうか。

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2018年8月 6日 (月)

高校野球の応援にちょっと迷ってしまった(NO.1149)

 平成30年8月5日、第100回夏の高校野球選手権大会が始まりました。

 記念大会のためいつもより7校多い56校が参加しています。松井秀喜さんが始球式、開会式に花を添えました。

 そして初日の第2試合で千葉県西地区代表の我孫子市の中央学院高校と愛媛県代表の松山市の済美高校が対戦しました。

 私はいつもはふるさとの愛媛県代表の高校を応援します。そして今回は我孫子市の中央学院も応援しようと決めていました。

 ところが皮肉にもその2校が当たってしまったのです。56校の中から応援しようと決めていたただ2つの学校が当たる確率は少ないと思いますが、抽選で決まったことなので仕方がありません。

 済美高校は2004年の春の大会で初出場初優勝の成績を残しています。同年夏の大会では準優勝しています。2013年の夏の大会でも準優勝を果たしました。「やればできるは魔法の合言葉」の校歌で有名です。

 一方の中央学院は今年春の大会が初出場、今回千葉県西地区を勝ち抜いて夏の大会にも初出場を果たしました。我孫子市からは我孫子高校についでの甲子園出場です。

 今回は何とか中央学院に甲子園での勝利の経験をしてもらいたいと思っていました。しかし試合は5対4で中央学院が敗れました。残念ですがいい試合だったと思います。春の大会で敗れたのも四国の明徳義塾です。これもさよならホームランで敗れる接戦でした。

 千葉県大会で優勝するのは甲子園で優勝するより難しいのですが、来年も頑張ってぜひ甲子園に出てきてほしいと願っています。

 今年の夏は今後は済美高校に絞って応援していきたいと思っています。

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2018年8月 5日 (日)

2018年手賀沼花火大会(NO.1148)

 2018年8月4日恒例の手賀沼花火大会が実施されました。

 先週の土曜日は台風のため隅田川花火大会が翌日に延期されましたが、4日は猛暑のど真ん中、絶好の花火日和となりました。

 昨年は長男一家が北海道に里帰りで留守だったため、家の近くの手賀沼遊歩道で見物しましたが、今年はまた長男のマンションからゆっくり見物することができました。

 手賀沼花火大会は我孫子会場、柏第1会場、柏第2会場(元沼南会場)の3か所から打ち上げられる豪華花火大会です。年々見物客も増えています。開始2時間前から会場は混雑が始まっていました。手賀沼公園の様子です。

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 手賀沼の対岸はふれあい緑道となっており、見物する場所が広く、JCOMテレビが実況放送をします。ただ足の便は手賀沼公園が駅から10分と一番便利なため人気が高いようです。

 マンションの部屋からは柏第1会場が見えるため、涼しい場所でワインをいただきながら見物しました。

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 バルコニーに出ると間近に我孫子会場と柏第2会場の花火も楽しめました。

 当日は各地で花火大会が花盛りで、手賀沼花火以外にも3か所で花火が打ち上げられているのが遠くに見られました。

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 マンションの下の道路からも多くの見物客が我孫子会場の花火を楽しんでいました。

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 残念ながら私のカメラは花火をうまくとらえることができず、豪華な花火ショーを伝えることができません。カメラだけでなく、腕もいい加減なせいもあります。雰囲気だけでも感じていただければと思います。

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 花火大会は7時10分から、8時30分まで続きました。とりあえずブログ用の写真を撮ったため、後半は写真を撮るのをやめて、ワインと花火見物を楽しみました。

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2018年8月 2日 (木)

本田早美花ヴァイオリンコンサートを聴きに行く(NO.1147)

 平成30年8月30日、我孫子市のけやきプラザふれあいホールで本田早美花のヴァイオリンコンサートを聴きました。

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 これはふれあい塾あびこと我孫子市教育委員会が主催したコンサートです。前売券1000円という安さです。

 本田早美花さんはパリ国立音楽院の大学院修士課程を首席で卒業し、2016年よりフランス国立ストラスブールフィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターとして、欧州、アジアで演奏活動を展開しています。

 ピアノ伴奏はフランスのエマニュエル・クリスチャンでした。やはりパリ国立高等学院修士課程を首席卒業、世界各地で活躍しています。

 2人だけの出演でしたが、久しぶりの本格的なクラシック音楽のコンサートでした。ふれあいホールは満員、いつものふれあい塾とは違った女性の観客が多数を占めていました。

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 演奏曲目は次の通りでした。

・モーツァルト ヴァイオリン・ソナタK.304 ホ短調

・シューマン 幻想小曲集作品12(ピアノ曲)

・ラヴェル ツィガーヌ

・ドルドラ 思い出

・サンサーンス ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調

 私はどちらかというとクラシック音楽は苦手で、あまりコンサートには行きませんが、素晴らしいヴァイオリンとピアノの調べにうっとりとしました。たまにはクラシック音楽もいいもんだと感じました。

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