« トルコの旅-再編集版(NO.1154) | トップページ | 白馬旅行-再編集版(NO.1156) »

2018年8月25日 (土)

アラスカの旅-再編集版(NO.1155)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

 アラスカの旅-再編集版

2008年9月14日 (日)

  アラスカ旅行-1

 平成20年9月6日から12日まで、妻とアラスカ旅行のツアーに参加しました。クラブツーリズムの「秋のアラスカ大満喫7日間」で、うたい文句は「チェナ温泉3連泊、JALチャーター直行便利用」でした。直行便はチャーター便しかありません。乗り継ぎなら10数時間かかるところ、直行便は往復とも7時間前後のフライトですみます。

  今回のアラスカ旅行の目的はオーロラを見ることです。妻は以前から一度はオーロラを見たいと言っていました。ツアーの案内には3回見るチャンスがあると書かれていました。

   申込が遅れたためキャンセル待ちでしたが、運良く参加可能となりました。

  成田空港を6日の20時15分に出発、フェアバンクス空港に6日の10時10分につきました。日本との時差は17時間です。途中ほとんど眠れませんでした。 

 直行便のため飛行機は楽でしたが入国審査が大変でした。グループを3つに分け、待合室に案内されました。入国カードに記入し、一人一人両手の人差し指の指紋と顔写真をとられ、しっかりとチェックさ れました。全員が終わるまで2時間半近くかかりました。

0001_32

  全員そろってバスでフェアバンクス市内観光です。まず昼食のレストランに行きました。昼食はハリバット(おひょう)や野菜を挟んだ特大のフィッシュバーガーでした。コーヒーカップも特大です。食事や飲み物の量は旅行中最後まで特大でした。レストランの後には美しいチェナ川がありました。 

0002_31

フェアバンクスは小さな町です。バスで一回りしたあと、ゴールデン・ハート・プラザに立ち寄りました。中央にアラスカ人の家族の見事な彫刻がありました。ビジターインフォメーションセンターにはその日のオーロラ予報が掲示されていました。

0003_32

   有名なアラスカ大学博物館でアラスカの自然、文化、歴史などの展示物を見学したあと、オーロラ観測の基地、チェナ温泉に向かいました。チェナ温泉はフェアバンクスの東約100キロのところにあります。バスは一般道を約1時間走って到着しました。 

0004_31

 チェナ・ホットスプリングス・リゾートは簡素なホテル、ロッジ、レストランなどがあり、温泉の他に、黄葉とオーロラ見物、ネイチャー・ハイキング、アイス・ミュージアム、犬ぞり、遊覧飛行、四輪バイクなどが楽しめます。

0005_21

 夕食後部屋で休んだあと、11時過ぎにオーロラ見物にアクティビティ・センターに出かけました。冬に着る厚手のジャンバー、防寒帽子、手袋、冬用の靴下とポケットにはホカロンを入れました。 

 オーロラ見物には辛抱強く待つことです。セスナの飛行場が見物の場所ですが、外なので寒さに耐えねばなりません。そこに椅子を置いて座布団を敷き座っていると、気温マイナスの寒気が忍び込んできます。アクティビティ・センターの中と外とを行ったり来たりしてひたすら待ちました。

  午前1時半頃、そろそろオーロラが見られそうという人の声を合図に、全員外に出で待っていると、見事なオーロラ・ショーがはじまりました。デジカメや使い捨てカメラでは撮れないと知りつつ思わずシャッターを切りました。オーロラは20分くらいで終わりました。 

 私たちは満足して部屋に戻りました。

 2008年9月16日 (火)
 
 アラスカ旅行-2
 
  前回のアラスカ旅行の続きです。
 
 9月7日はバスで北極圏に行きました。時差が17時間あるので私の感覚では3日目なのですが、日付は2日目の7日です。
 
 チェナ温泉のホテルを朝10時5分に出発、まず立ち寄ったのがアラスカ・パイプライン・ビジターセンターでした。北極海の石油を北極海からからアラスカ湾まで、アラスカを縦断する1280キロのパイプラインです。1977年に完成しました。 

0001_33

私たちはそのパイプライン建設のために作られた道路を走りました。ほとんどがタイガやツンドラ地帯で、永久凍土の上に作られていて、一部未舗装、パイプラインが見え隠れしていました。すれ違うのは巨大なトラックばかり、おそらくパイプラインに関係するトラックなのでしょう。

  途中ユーコン川を渡り、山火事で焼けた森を抜け、ツンドラ地帯の池塘の景色を楽しみながら、北極圏の入口についたのは、午後4時15分でした。広大なアラスカを肌で感じるバス旅行でした。途中めぼしい観光地があるわけでなく、北極圏入口の公園も、広場に看板と食事用の屋外のテーブルとトイレの小屋があるだけでした。
00022

00031

17時30分に帰途につき、同じ道路をひた走って、チェナ温泉に着いたのは、8日の午前1時でした。
 
 途中オーロラの予兆が見えたため、さっそくオーロラ観測場に駆けつけました。そして前日見たオーロラ以上のすばらしいオーロラを見ることが出来ました。オーロラは私たちの持ってる小さなデジカメでは撮れませんでした。
 
 8日は1日自由時間でした。私たちは休養に当てました。チェナ温泉に浸かったり、近くを散策したり、アイスミュージアムを見学したりしました。
 

00041

  アイスミュージアムの中には、氷でできた結婚式場や宿泊施設やバーやホールがありました。バーでは氷で作ったカクテルグラスでマーティニをいただきました。

00051_2

 そして夜はまたオーロラ見物です。雲が出ていたため私はあきらめて部屋で寝ていましたが、妻は2度あることは3度あると、1時頃支度してでかけました。そして小さなオーロラを見物できたのです。執念の勝利でした。
 
2008年9月17日 (水)
 
 アラスカ旅行-3
 
 前回の続きです。

  9月9日はチェナ温泉からバスでフェアバンクスに出て、フェアバンクス空港から国内線でアンカレッジに移動しました。

  国内線でもセキュリティチェックは厳しく、液体制限は国際線並み、靴や上着を 脱がされました。なぜか私たち夫婦だけ体を触るボディチェックを受け、妻のスーツケースは開けられていました。帰りのアンカレッジからの国際線では、私のスーツケースが開けられていましたので、スーツケースの鍵をかけないようにという注意はオーバーではありませんでした。 

 アンカレッジには12時50分につきました。小雨が降っていて、薄ら寒い感じです。日本の12月初旬頃の気温でしょうか。

00011

 市内をバスでめぐり、シップクリーク、地震公園、星野道夫フォトギャラリー(実際は旅行会社の店舗)、日本人向けのお土産屋に立ち寄った後、ホテルのあるアリエスカに行きました。 

00021_2

  アリエスカのホテルは元西武プリンスホテルです。堤一族が退いたあと、「Hotel Alyeska」という名前になっています。私たちが泊まった他のホテルと比べると、段違いにすばらしいホテルでした。アラスカで唯一スリッパがあるホテルとのことです。 

 10日は氷河クルーズでした。夕方まで雨が小止みなく降り続きました。

  クルーズ船が出発するウィッティアに行くには列車と車が交互に走るトンネルしかありません。ウィッティアは人口180人ばかりの寒村ですが、人口の10倍以上のヨットやクルーズ船が係留されていて、シーズンには大勢の観光客やレジャーを楽しむ人たちで賑わうそうです。 

 私たちはそこからサプライズ氷河に向かいました。クルーズ船は150人乗りですが、私たちのグループ30人と西洋人20人ほどで、ゆったりとした船旅となりました。船内は暖房が効いており、外に出ない限り快適に過ごせます。

00031_2_2

00041_2_2

 ウィッティアを11時に出発し、サプライズ氷河には午後2時半頃つきました。船は静かに氷河に近づきました。大きな青い氷の壁が静かにそそり立っていました。海面には氷河の氷のかけらが一面に浮いています。船を止め、氷河が崩れるのを待ちました。20分以上見物していましたが、その間3回氷河が崩れて海面に落ちるのを見物
できました。 

00051_2_3

 今回のアラスカ旅行はオーロラを見物すること、北極圏を体験すること、氷河を近くで見ることが3つの目玉でした。オーロラは3晩連続で見られ、いずれも満足できました。 

 11日朝早くアンカレッジのホテルを出て帰途につきました。飛行機の中で17時間時計を進め、あっという間に11日が終り、12日の午前10時頃成田につきました。帰りの飛行機も7時間弱のフライトでした。

 

 

| |

« トルコの旅-再編集版(NO.1154) | トップページ | 白馬旅行-再編集版(NO.1156) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« トルコの旅-再編集版(NO.1154) | トップページ | 白馬旅行-再編集版(NO.1156) »