トルコの旅-再編集版(NO.1154)
<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>
トルコの旅ー再編集版
2008年5月29日 (木)
ほぼ2週間留守にしていたためブログを書くのは5月10日以来となってしまいました。こんなに間が空くのは初めてです。その間ブログを覗いてくださった方には申し訳ありませんでした。
利用したのは阪急交通社ロイヤルコレクション「VIPバスでめぐるトルコ13日間」というパッケージツアーです。
現役時代、仕事で航空機のビジネスクラスを利用したことはありますが、観光旅行では初めてでした。ルフトハンザのビジネスクラスは横は6人で2人ずつに分かれていて、自分の席の空間でほぼ水平に椅子が倒せます。前後 の人を気にするわずらわしさもありません。苦手な往復の長距離の機内も快適に過ごすことができて、よく眠れました。
参加者は8組の夫婦と1人の男性の17人でした。ロイヤルコレクションでは参加人数も最大20名に絞っています。ビジネスクラス利用や人数制限などで料金は高目に設定されていますが、2人の体調も考えて張り込みました。
12日間バスに乗りましたが、トルコ国内のVIPバスは横3列30人乗りで、添乗 員と現地ガイドを加えて19名でしたので、ゆったりと座ることが出来ました。
私たちをお世話くださったのは経験豊富な人気添乗員の星野かほりさんと日本語がぺらぺらの現地ガイドのツナさんでした。
旅行する前はトルコについては西洋と東洋の境界にある国というくらいしかほと んど知りませんでした。ガイドブックを購入、にわか勉強に励みました。それによるとトルコは国土は日本の約2倍、人口は日本の約半分です。
今回の旅程はミュンヘンで乗り継いで、まずイスタンブールに入りました。そこで1泊、翌朝カイセリまで飛行機で行き、そこからバスで8日間観光地を回りイスタンブールまで戻ってきました。
写真は星野かほりさんとツナさんです。
2008年6月 2日 (月)
ホリディ イン シティホテルに着いたのは夜中の12時ちょっと前、翌日のホテル出発が5時45分のためほとんど寝る時間はありませんでした。
2日目(5月16日)はまずイスタンブール空港からカイセリまで国内線で飛びました。イスタンブール空港はセキュリティ検査が厳しく、搭乗するまでにズボンのベルトをはずすようなチェックが2度ありました。17名の仲間のうち2名は荷物を開けるよう指示されました。
カイセリはカッパドキア観光の入口、VIPバスが待っていました。ここから最終日までこのバスで移動です。添乗員の星野かほりさん、ガイドのトゥナさんにドライバーのチェティさん、助手のヨルゴさんが加わりました。このメンバーでイスタンブールまでの長い観光が続きます。
2日目と3日目はカッパドキア観光です。カッパドキアは世界遺産に登録されています。トルコには7つの世界遺産がありますが、今回はそのうち4つを回ります。
6000万年前にタウロス山脈が隆起、そのとき生まれたエルジエス火山とハッサン火山が長期にわたって火山灰を堆積させ、柔らかい石灰岩層を形成しました。そこに流れ込む雨水と風雪による侵食がカッパドキアの摩訶不思議な光景を作り出しました。
私たちは何ヶ所かで写真をとった後、洞窟をくりぬいたレストランで昼食を取りました。中はひんやりとして暗く、いかにも昔の時代にさかのぼって食事をしているような感じでした。
そのあとギョレメ野外博物館を見物しました。迫害から逃れ定住したキリスト教徒が造った30あまりの教会が集まっていて、中にはフレスコ画が描かれていました。
カッパドキアではテメンニ エヴィ洞窟ホテルに2泊しました。大きな岩の上に立てられたホテルで、地下には昔のワイン工場のあとがありました。部屋の壁は岩に漆喰を塗ったもので、大きな洞窟に入っている趣がありました。一応ホテルの設備は備わっていましたが、テレビや冷蔵庫はありませんでした。
3日目(5月17日)はまずカイマクル地下都市を見物しました。イスラム教徒の迫害から逃れるためキリスト教徒が造った地下都市です。地下8階ですが観光客が入れるのは4回まで、内部はありの巣のような迷路になっていました。地下の岩を繰り抜いて、教会、ホール、居室、台所、家畜小屋などが備わっていたのは驚きでした。
午後上ったウチヒサール(尖った城砦)の頂上からの眺めはまさに絶品。まるでほかの星にやってきたような感じでした。
2008年6月 3日 (火)
4日目(5月18日)はカッパドキアを後に、途中観光をしながら、コンヤへ向かいました。走行キロは約235キロ、約3時間かかります。4日目も2日目、3日目と同様天気は快晴、抜けるような青空でした。
コンヤへ向かう道は往年のシルクロードです。バスの車窓からはかなり長い間カッパドキアを生んだ3200メートルのハッサン山の勇姿が望めました。
シルクロードが貿易の大動脈だった頃、隊商宿のキャラバンサライが点々と設けられていました。キャラバンサライは人とらくだが泊まれるようになっており、命がけで旅をする人たちにとっては大変心強い宿だったのでしょう。まず最初にそのキャラバンサライの遺跡を訪れました。
昼食はキャラバンサライを改造したレストランで取りました。トルコは湿度が低いためのどが渇きます。高い天井と広々とした席でいただいたEFESビールの味は格別でした。
午後はコンヤのメヴラーナ博物館を見物しました。コンヤはセルジュク時代の首都でトルコの中でも特に宗教色の強いところです。メヴラーナ博物館は施舞の儀式で知られるイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団の創設者メヴラーナ・ルーミのもと霊廟です。
その日の宿リクソス(旧ヒルトン)ホテルは日本人の観光客でいっぱいでした。
5日目(5月19日)はトルコ共和国の建国の父「アタチュルクの日」で祝日です。天気は快晴、バスは425キロを約5時間30分かけて走りました。
今回の世界遺産の2つ目はバムッカレ観光でした。パムッカレ観光はヒエラポリスの石灰棚です。
時間が限られているのでヒエラポリスの遺跡を横目でみて私たちは石灰棚に急ぎました。石灰分を多量に含む温泉の湧き水が台地にあふれ、岩肌を伝い、沈殿して、長い年月のうちに幾重もの棚を形成したのです。まさに綿の城(パムック・カレ)です。
私たちは靴を脱いでズボンをまくりあげ、石灰棚の浅いプールに入りました。日本人ではありませんが、水着になってどっぷり浸かっている観光客もいました。
宿はリゾートホテルのサーマル コロッセア、やはり大勢の日本人観光客と一緒でした。
2008年6月 8日 (日)
6日目(5月20日)はイズミールへ向かいました。走行距離は約360キロです。晴れときどき曇り、かなり暑くなりました。
午前中はアフロディシアス観光でした。アフロディシアスは女神アフロダイテ(ヴィーナス)の庇護のもとに発展したと言われています。ローマの皇帝たちはアフロダイテをローマの母なる神とたたえ、この町を厚遇しました。
競技場の跡が残っていました。長さ262m、幅m、収容人員は3万で、陸上競技、レスリング、剣闘士の戦いなどが行われたそうです。近隣から大理石を算出したため、大理石彫刻も多く残っていました。神殿のあともありました。
昼食はマスのフライ、途中の売店でトルコ名物のお菓子、ロクムをお土産に10箱買い込みました。トゥナさんのお勧めの店です。イズミールのヒルトンホテルには6時ころ到着、23階の部屋からは眼下にエーゲ海が広がっていました。イズミールはイスタンブール、アンカラに続くトルコ第3の都市です。
食事の後、31階のラウンジに全員集合して、エーゲ海とイズミールの夜景を眺めながらいっぱいやり、交流をはかりました。妻と私はトルコ名物のラクを飲みました。ラクは45度と強く、水で割ると白く濁る、独特の香りのするお酒です。
7日目(5月21日)も快晴。今のシーズンのトルコは雨には縁がないようです。添乗員の星野さんと助手のヨルドさんが体調を崩し、ヨルドさんは今日の観光はお休みでした。
今日はエフェソス観光です。今回の旅行では6ヶ所の遺跡を回りましたが、スケールの壮大さ、華麗さ、遺物の多さなどから、エフェソスの遺跡がもっとも見ごたえがありました。エフェソス遺跡の往復には、トルコで初めて高速道路を利用しました。
まず、聖母マリアの家に行きました。聖母マリアはその晩年キリストの弟子のヨハネの世話を受けながらエフェソスで過ごしたと言われています。その家の跡に建つ小さな教会に大勢の人が集まっていました。エーゲ海クルーズの観光客も合流して大変な人数です。
エフェソスの遺跡はまるで古代の都市が現代に現れたような感じでした。図書館、公衆トイレ、野外劇場、神殿、住宅、門、浴場などが残っており、立派な通りもありました。ここも人が多く、油断しているとすぐ迷子になりそうでした。
遺跡を見た後、エフェソス考古学博物館を見物しました。エフェソス遺跡からの発掘物が展示されていて見ごたえ十分でした。
エフェソス遺跡はなぜか世界遺産には登録されていません。世界遺産のトロイの遺跡に比べると、エフェソス遺跡のほうがはるかに立派という感じがします。ガイドのトゥナさんの話では、エフェソスはまだ発掘が継続中なので世界遺産になっていないとのことでした。
ホテルはイズミールのヒルトンに連泊でした。夕食前の時間を利用してエーゲ海岸の公園に行ってみました。岸壁ではパンをエサに素手での投げ釣りでボラを釣っている人がいました。
トルコ旅行-5
8日目(5月22日)はベルガモンの遺跡を観光後、チャナッカレに行きました。走行距離は約350キロ、5時間のバス旅行です。天気は晴れ、暑い1日でした。
ベルガモンの遺跡アスクレピオンとアクロポリスがあります。私たちははまずアスクレピオンに行きました。
アスクレピオンは医術の神アスクレピオスを祭るとともに、ローマ時代の病院です。
入口の壁に「死は入るべからず」と彫られていて、入院したい人はまず医師の診察を受け、直る見込みのある人だけが入院を受け付けられたそうです。治療棟への地下道がしっかりと残っていま した。
昼食後アクロポリスを訪れました。アクロポリスとは、「高いところ、城市」を意味し、パルテノン神殿が建っているギリシャのアテネのアクロポリスが有名です。
ベルガモンのアクロポリスはアテネよりもはるかに高い山の上にありました。バスで登りましたが、かなりの時間がかかりました。ここにもアテネ神殿の跡がありました。
どうやってこんな高い山に重い石を運んだのでしょう。素朴な疑問が頭を掠めました。
チャナッカレのコリンホテルの窓からは、ダーダネルス海峡がよく見えました。ホテルはアジア側、海峡の向こう側はヨーロッパです。大きなタンカーと貨物船がゆっくり進んでいました。
9日目(5月23日)も快晴、トロイの遺跡観光後、海峡を渡ってイスタンブールへ向かいます。
今日は初めてバスの一番前に座りました。一日長いバス旅行となりました。
トロイの遺跡は今回の旅行の3つ目の世界遺産です。遺跡の入口にはトロイの木馬のレプリカが建っていました。トロイ戦争で中にギリシャ軍が入っているのを知らずにトロイに引き込んだ言われる木馬です。トロイが負ける原因になりました。私たちも中に入って狭いはしごを登ってみました。
トロイの遺跡は19世紀末にシュリ-マンが発掘するまでは埋もれていました。残っているのは城壁や城門や建物の台座や道などで、他の遺跡に比べると大変地味な遺跡でした。トロイの木馬を引き込んだという傾斜路もありました。
そのあと、バスごと乗り込めるフェリーに乗り、ダーダネルス海峡を渡りました。青い海、静かな海面、30分あまりの航海でしたが、トロイ戦争の頃は手漕ぎや帆船の軍艦が、海面をいっ ぱいに埋めていたのでしょう。
ヨーロッパ側にわたると、バスはイスタンブールに向かって約5時間半ひたすら走りました。車窓からはオリーブの木が延々と続いているのが眺められました。
イスタンブールではリッツカールトンに3連泊です。今回利用したホテルの中では最高のホテルでした。
夕食は町のレストランで日本食をいただきました。メニューと味はいまいちでしたが、値段は結構高いとのことでした。
2008年6月11日 (水)
10日目(5月24日)今日から2日間はイスタンブール市内観光です。
イスタンブールはボスフォラス海峡でヨーロッパ側とアジア側に分けられていて、ボスフォラス海峡には2本の橋がかかっています。ヨーロッパ側は金角湾で旧市街と新市街に分かれていて、3本の橋がかかっています。
イスタンブールはシルクロードの西の端です。東の端は中国の長安(現西 安)、らくだの背に乗って貴重な物資が運ばれました。
そんな地理的、歴史的背景を反映してか、イスタンブールはいろいろな文化や人種が渾然と交じり合っている感じでした。
今回訪れた4つ目の世界遺産はイスタンブールの歴史地区です。ブルーモスクやトプカプ宮殿やアヤソフィアなどが歴史地区を構成しています。
初日のイスタンブール観光は、午前中に旧市街にあるブルーモスク、トプカプ宮殿を見学、宮殿レストランで昼食をとり、グランドバザールで買い物をしたあと、新市街にある軍事博物館に行きました。
ブルーモスクは17世紀初め、オスマン帝国の14代スルタン、アフメット1世によって建立されました。内部の装飾はイスラムの特徴の幾何学模様です。世界で最も美しいモスクと言われています。
イスラム教の寺院は日本と同じように土足禁止です。日本では下駄箱に入れるか、用意されている袋に入れて持って歩くのが普通ですが、トルコのモスクでは使い捨ての靴カバーが用意されています。とても便利でした。
トプカプ宮殿で印象に残った所は3つあります。1つは陶磁器展示室です。中国の陶器に混じって、日本の有田焼と伊万里焼があ りました。2つ目はハーレムです。言葉と反対に暗い感じがしました。3つ目は宝物館、86カラットのダイヤなど、あきれ返るほどの宝物が展示されていました。
軍事博物館ではオスマン軍楽隊メフテルの演奏を聞くことが出来ました。世界最初の軍楽隊といわれたそうです。
夜はレストランで名物のベリーダンスを見ながら夕食をとりました。ベリーダンスはそれなりでしたが、それよりも観客の国籍に合わせてその国の唄とギャグを聞かせてくれた男性のエンターテイナーに拍手喝 采でした。
11日目(5月25日)はイスタンブール観光の後半です。いよいよトルコ観光の最終日です。天気は晴れ、トルコは毎日が好天でした。
まずアヤソフィアに行きました。アヤソフィアは現在は博物館ですが、元は6世紀に建てられたキリスト教の大聖堂でした。イスラム教のオスマン帝国の時代には、大聖堂のモザイク絵は漆喰で塗りこめられました。現在は漆喰がはがされ見事なモザイク画を鑑賞 することが出来ます。
カッパドキアもそうですが、イスラム教のトルコはキリスト教の遺産を最大の観光資源にしているのではないかと感じました。
そのあと、地下宮殿(地下貯水槽)、カーリエ博物館、ドルマバフチェ宮殿を見物しました。
そして観光の最後はボスフォラス海峡クルーズでした。わずか17名で1雙の観光船を貸切、美しい海峡の景観を楽しみながらのんびりした時を過ごしました。イスタンブール観光の総仕上げといった感じでした。
楽しい旅を演出してくださった、添乗員の星野さん、ガイドのトゥナさん、ドライバーのチェティさん、助手のヨルゴさん、旅の仲間15人の皆さん、そして一緒に旅を楽しんだ妻に感謝感謝です。ありがとうございました。
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