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2018年9月24日 (月)

鬼平犯科帳全24冊を読む(NO.1170)

 平成30年9月23日池波正太郎の鬼平犯科帳の文庫本全24冊を読み終わりました。

 鬼平犯科帳は何十年か前に時々読んでいました。またテレビドラマも時々見ていました。今では中村吉右衛門の当たり役として有名ですが、最初は吉右衛門の父親が松本幸四郎を名乗っていたとき鬼平を演じました。

 鬼平を全巻読んでみようと思ったのは、たまたま図書館で目に留まった鬼平の第1冊を読み、その直後に浅草にある池波正太郎記念文庫に行ったのがきっかけです。

 最近は佐伯泰英の小説を発行を待って読んでいましたが、図書館で借りるため、発行直後に予約しても何十人か待ちでした。鬼平は古いためすぐに借りられます。5月12日から9月23日までに読み終えることができました。

 24冊に短編が130話、長編が5話詰まっていました。最後の長編「誘拐」は作者死亡のため未完でした。池波正太郎は亡くなる直前まで鬼平犯科帳を書き続けていたのです。

 池波正太郎の作品は全部読んだわけではありませんが、鬼平から感じたのは会話が生き生きとしており、ドラマ化するのに脚本家が会話の部分はそのまま使えたのではないかと思います。

 これは池波正太郎の生い立ちにあるのではないかと思います。浅草に生まれ、働き者の母と職人かたぎで江戸っ子気質の祖父に育てられました。小学校を卒業後、株式仲買店に奉公したり、旋盤機械工になったり、海軍に徴兵されたり、戦後東京都職員になったりしています。

 作家としてのスタートは劇作家、脚本家としてでした。その後小説家になったのです。会話が生き生きしているのは、その多彩な人生経験と劇作家として台詞を書き続けたことにあるように思います。世界中で3億冊を売り上げ、「ゲームの達人」「真夜中は別の顔」などで有名なアメリカの小説家、シドニイ・シェルダンが脚本家としてスタートしたのを思い出しました。

 鬼平が終わったので、池波正太郎の3大シリーズの2つ目、「剣客商売」を読み始めています。

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2018年9月12日 (水)

大阪なおみ選手がテニス全米オープンで優勝(NO.1169)

 2018年9月8日テニスの全米オープン女子シングルスで第20シードの大阪なおみ選手が第17シードのアメリカのセリーナ・ウイリアムズを破って優勝しました。6-2、6-4のストレート勝ちです。

 日本人選手が男女を問わずテニス四大大会のシングルスで優勝したのは大阪なおみ選手が最初です。しかも20歳の若さです。今までは錦織選手の全米オープン準優勝が最高記録でした。

 大阪なおみ選手の世界ランキングは19位から一挙に7位に上がりました。相手のセリーナ・ウイリアムズは36歳、4大大会優勝23回、大阪なおみ選手が以前から対戦したいと願っていた強豪でした。

 第2セット、セリーナはコーチから指導を受けたとして警告を受け、我を失ったセリーナはラケットを折り、さらに審判に暴言を吐いて3度の警告を受けました。観客が主審に激しくブーイングする中、大阪は冷静に試合を続け、勝利を手にしました。最後は2人で抱き合い感動的な表彰式でした。

 読売新聞には、「現在女子テニス界は本命不在の時代なので、20歳の大阪が成長を続ければ女子テニス界の中心となるかもしれない」と書かれていました。また「急成長の陰には今季から迎えたドイツ人のサーシャ・バインコーチの存在があった」そうです。メンタルと体幹面で変わったとありました。

 大阪なおみ選手はハイチ人の父と日本人の母を持つハーフです。最近はハーフの日本人アスリートが活躍しています。ジャマイカ人の父を持つ陸上のケンブリッジ飛鳥、同じフィリッピン人の母を持つ大相撲の高安と御嶽海、ナイジェリア人が父の楽天のオコエ瑠偉などです。

 過去にはウクライナ人が父の大横綱の大鵬、高校野球で18回延長再試合のアメリカ人が父の太田幸司などがいました。ハーフは両親のいいところを受け継ぐのでしょうか。

 これからの大阪なおみ選手が楽しみです。

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2018年9月 8日 (土)

金沢・白川郷旅行-再編集版(NO.1168)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

金沢・白川郷旅行-再編集版

2010年2月 6日 (土)

  金沢、白川郷旅行記-1

  平成22年2月2日から4日まで阪急交通社のツアー「世界遺産白川郷・飛騨高山と古都金沢滞在3日間」に妻といってきました。

  その旅行記を3回に分けて日記風に紹介いたします。
 
   1日目の2月2日、首都圏は今年はじめての積雪がありました。通常なら上野駅から長野新幹線に乗れるはずですが、ツアーで利用したのは上野駅に停車しない新幹線、おかげで東京駅集合は早朝6時50分でした。 

 家を5時30分に出て一番バスで我孫子駅に向かいました。雪で電車が遅れていたのが幸いして予定より早く東京駅に到着しました。

  食事は朝食しかついていませんが、2泊のホテル代と交通費で1人2万円の低料金のせいか、バス3台分の参加者が集まっていました。
 
 7時28分発のあさま505号に上田駅まで乗車、沿線は夜積もった雪が朝日に輝いてきれいでした。ところが上田駅から金沢まで乗るバスが雪のため到着していず、30分待たされました。私たちのバスは38名の参加者でした。
 
 上田駅からはバスで上信越自動車道、長野自動車道で松本に出て、松本からは野麦街道、安房トンネルを通って高山に出ました。途中上高地に行くトンネルは冬季通行止めになっていました。
 
 高山では2時間40分ほどの自由時間がありました。雪も上がって曇り空です。昼食には高山ラーメンと飛騨牛の串焼きをいただきました。
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 古い街並保存地区を散策したあと、高山陣屋を見学しました。古い町並みの中にはいろいろな高山名産を販売するお店が並んでいました。造り酒屋で清酒「山車」3本と焼酎1本を購入し家に送りました。
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 高山を3時半に出発、高山清美道路、東海北陸自動車道、北陸自動車道をへて5時45分宿舎のANAクラウンプラザホテルに到着しました。
 夕食は自由食のため妻がインターネットで捜した「あかめ寿司」で金沢名物のおすしや、ガスエビ、金時草、白エビなどをいただきました。
 
 天気予報では翌日からは雪とのことでした。
2010年2月 8日 (月)
 
金沢、白川郷旅行記-2
 
 今回のツアーのうたい文句は「新幹線指定席+金沢2連泊+1・3日目観光付で2万円」でした。
 
 しかしホテルが金沢セントラルホテルか同等クラスで、2名で申し込んでもシングルルーム利用となる可能性があるとのことでした。せっかくの観光がホテルが良くなければ面白くありません。
 
 1泊1人3500円プラスすればANAクラウンプラザホテルに泊まれるとあったのでそれを選びました。広い部屋で設備もよくバイキングの朝食も種類が豊富でした。 

 2日目からは典型的な冬型の天候となりました。前日金沢に到着した時は雨でしたが、夜半から雪に変わりかなり積もっていました。気象情報は日本海側は雪マークです。

   2日目はオプショナルツアーで兼六園と永平寺観光です。1人4980円で永平寺門前町での精進料理つきとなっていました。寒い1日を予想してしっかり防寒具を用意しました。
 
 朝9時過ぎにホテルを出発、ほかのホテルに泊まっていた人を拾って、兼六園に着きました。約1時間の観光です。ガイドさんの説明はユーモアたっぷり、手馴れた説明でした。終わったあとお土産屋の店員に変身したのでなるほどと納得でした。
 
 兼六園は見事な雪景色でした。雪つりがその役目を100%発揮し、雪で重くなった木の枝をりりしく支えていました。風もなく静かで神々しい感じを受けました。
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 その後バスは北陸自動車道を福井県の永平寺へ向かいました。兼六園も永平寺も2度目です。
 永平寺門前町の田中屋で精進料理をいただきました。ゴマ豆腐、山芋とろろ、永平寺そば、豆腐蒲鉾、ゆばまんじゅう、コンニャク刺身などでした。味付けが工夫され大変美味しい料理でした。
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 永平寺は1244年、道元禅師によって開かれた曹洞宗の大本山です。約200人の若い雲水が激しい修行に励んでいます。永平寺もすばらしい雪景色でしたが、すれ違ったお坊さんは素足でした。
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 月うさぎの里と九谷焼の販売店に立ち寄ったあとホテルに戻りました。

  夕食はホテル内の中華レストランでいただきました。
 
 
2010年2月 9日 (火)
  
金沢、白川郷旅行-3
 
 3日目は今回の旅行で一番行きたかった白川郷を訪ねました。

 3日目も冬型の気候で日本海側は大雪、白川郷の手前の東海北陸自動車道は吹雪いていて前もよく見えない状態でした。このままではせっかくの白川郷も何も見えないのではないかと心配しましたが、白川郷に近づくと雪はやんでいて薄日がさすほどの天気でした。

  妻と孫娘は晴れ女を自称しています。今回は孫娘は同行していませんが、妻のパワーが健在でした。 

 でも積もっている雪の多さは今回の観光地では一番多くさすが白川郷でした。

  まず飛騨牛のほうば焼昼食をいただいたあと、町営のマイクロバスで荻町城址展望台に行きました。このバスが驚きでした。ややくたびれた車体に乗れるだけの観光客を詰め込みます。ひところの東京の国電並みです。時刻表では20分おきとなっていましたが、1台の車でピストン輸送しているため、遅れ遅れとなっていました。 

 展望台からの眺めは圧巻でした。雪の積もった合掌造りの家々が折り重なるように遠望できました。ポスターなどに載っている写真はここからとったものが多いようです。

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 展望台からの帰りは途中でバスを降りて観光ルートを一巡りしました。 

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    国の重要文化財となっている「和田家」では中に入ってみました。想像していた通りの重厚な家構えです。昔は2階は蚕を飼っていたそうですが、今は観光のため昔の民具や生活道具などが展示されていました。昔の雪に埋もれた厳しい生活が偲ばれました。 

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  明善寺には、本堂のほかに県の重要文化財の鐘楼や庫裏が残されていました。 

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  できれば合掌造りのカフェでお茶などいただきたかったのですが、時間がないためちょっとした買物だけで帰途につきました。 

 帰りは3本の高速道を通って上田駅まで大廻り、新幹線に乗り継いで夜10時過ぎに家に無事到着しました。

 

 

 

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2018年9月 7日 (金)

佐渡旅行(NO.1167)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

佐渡旅行-再編集版

2009年11月 6日 (金)

佐渡旅行-その1

  平成21年10月31日(日)から11月2日(月)まで妻と一緒に佐渡旅行に行ってきました。

  阪急交通社クリスタルハート「宝の島 佐渡 絶景の旅 3日間」のツアーです。 往復新幹線グリーン利用がうたい文句で、やや割高の料金でした。
 
 午前8時58分発「MAXとき」に上野駅から乗車、11時14分に新潟駅に着きました。貸切バスで新潟港まで移動、13時発のジェットフォイルを待つ間、待合室で支給されたお弁当をいただきました。 

 お天気は快晴、風も弱く、時期外れの暖かさで絶好の行楽日和です。

  定時に出航したジェットフォイルはちょうど1時間で両津港に着きました。ジェットフォイルは航空機製造のボーイング社が開発製造した高速艇で船体を海面から浮かせて走り、最高時速80キロまで出ます。航海中は航空機の座席そっくりの席にシートベルトをして座る必要があります。
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 両津港からは30人乗りの中型観光バスで回りました。島の道路や橋は中型バスでないと通れないところがあります。ガイドさんの話では島の北の端は大型バスでは行くことができないと のことでした。
 
 まず紅葉で有名な大佐渡スカイラインを通って島の一番高い展望台に行きました。上のほうは紅葉の最盛期はすぎていました。途中は紅葉していましたが、期待したほどではありませんでした。
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 ガイドさんに聞くと、今年は葉っぱの病気や台風や温かい日が続いたこともあって紅葉はきれいでないとのことでした。ここにも温暖化の影響があるのでしょうか。
 
 そのあとは佐渡金山の見学でした。昔の坑道が観光用に整備され、穴の中では実物大の電気仕掛けの人形が動いていました。本物そっくりの人形です。一人で回ったらきっと怖いと思います。
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 資料館では模型の人形を使って昔の鉱山が再現されていました。残念ながらじっくり見るには時間が足りませんでした。
 

 4時15分頃ホテル吾妻に到着しました。

   夕食は佐渡の魚介類や海藻などをふんだんに使った和食でした。
 
 夕食後ホテルのロビーで民謡ショーがありました。相川甚句、相川音頭、佐渡おけさを男性の踊り手が踊りました。情緒豊かな踊りでした。
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佐渡旅行-その2

 佐渡旅行2日目です。

 朝6時前に温泉に入りました。露天風呂に入ると、雲が厚く、生暖かな風が顔を打ちました。

 天気予報では今日は曇りのち雨で気温は高め。低気圧が日本を横断するとのことでした。明日は雨で気温が10度も下がり寒波が来るとなっていました。

 朝9時に宿を出発しました。今日は佐渡の北のほうを回ります。ガイドさんの説明では北は佐渡の僻地だそうです。

  天候を考えてコースを変更、まず尖閣湾に向かいました。途中で雨が降り始めました。 

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 尖閣湾は佐渡の日本海側、外海府に面し、佐渡島の中央部、ちょうど両津港の反対側になります。パンフレットにあるように、雄大な景観と詩情あふれるところで、揚島展望台からのパノラマが見事でした。北陸の東尋坊や沖縄の万座毛に似ていました。昔「君の名は」のロケが行われたそうで、その写真が飾られていました。

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  風が強いため岩壁に大波が打ち寄せていました。 

 そのあとバスは北の端、大野亀に向かいました。道がだんだん狭くなり、中型バスでもやっとのところがありました。

  大野亀は初夏にはカンゾウの花が咲き乱れる絶景の地だそうですが、今の時期は何もないただの岩山でした。 

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 二つ亀のフィッシャーマンズホテルで刺身定食の昼食、内海府海岸を通ってトキの森公園に行きました。

  トキ資料館で予備知識をつけ、観察用の回廊からちょっと離れた繁殖ケージにいるトキを観察しました。 

 一時絶滅の危機に瀕したトキは、平成21年10月12日現在、日本には162羽いるそうです。そのうち佐渡トキ保護センターに120羽がいます。野生で暮らしているのは28羽です。

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 そのあと妙宣寺へいきました。ガイドさんはお寺は雨が似合いますねと言いましたが、たしかに雨のなか静かにたたずむお寺はなんともいえない風情がありました。 

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  最後に尾畑酒造に立ち寄り、本日の観光が終わりました。尾畑酒造では大吟醸や吟醸の4合ビンのお酒3本と柿焼酎を購入、宅配便で自宅に送りました。

  宿はホテル大佐渡、昨日のホテルより快適でした。
2009年11月 7日 (土)
 
佐渡旅行-その3
 
 佐渡旅行3日目、最終日です。

  天気予報がしっかり当たり厳しい1日になりました。1日雨、気温は昨日より10度低い最高気温12度となりました。宿から見る海は三角波が立ち、岸辺の岩壁には激しい波が打ち寄せていました。

 宿の朝食は昨日と違ってバイキング、佐渡はイカが名産となっていて、朝昼晩にイカの刺身が出てきました。

  30分繰り上げて8時半に雨の中を小木に向けて出発しました。今日は昨日と違って島の南のほうを回ります。 

 小木は両津と並ぶ佐渡の玄関です。直江津港と結んでいます。

  そこで名物のたらい舟に乗りました。幸いなことに雨が小止みとなり、濡れることなくたらい舟を楽しみました。湾になっているうえ港の中のためにほとんど波もありませんでした。普段ならかなり待つことがあるようですが、待ち時間もありませんでした。 

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 佐渡が島南端の沢崎鼻灯台で佐渡の荒波を見物したあと、宿根木に行きまし た。宿根木は江戸時代廻船業で栄えた集落で、当時を思わせる古い建物が立ち並んでいます。伝統的建造物群保存地区となっています。

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 天候悪化のため観光はこれで終え、両津港へ向かいました。途中昼食をとる予定でしたが、15時30分発のジェットフォイルを12時35分発に変更したため、バスの中でお弁当が配られました。 

 両津港についてみると、12時35分発のジェットフォイルのあとの便はすべて欠航になっていました。添乗員他のスタッフの決断が正しかったようです。フェリーに替えることも検討したようですが、2時間半かかるためやめたようです。

   ジェットフォイルはかなり揺れました。飛行機で気流の悪い場所を飛んでいるような感じでした。私は船内でお弁当を食べましたが、他に食べている人はいませんでした。港について下船するまではもっとゆれました。妻は港内の揺れでダウン寸前でした。 

 新潟で時間が余りました。新幹線の時間は変更できないためです。そこで「新潟ふるさと村」に行きました。

  そこのバザール館は新潟県のお土産販売所といった感じでした。ぶらぶらしな がらなんとか時間をつぶしました。 

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 2日目と3日目は天候に悩まされましたが、食べ物が美味しく、観光もほぼ予定通り回ることができ、冬の佐渡の厳しさも垣間見ることができて面白い旅でした。

 

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仙台・田沢湖温泉旅行-再編集版(NO.1166)

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仙台・田沢湖温泉旅行-再編集版

シルバーウィーク仙台旅行

 平成21年9月19日から23日までのシルバーウィークに仙台の長男の家に行きました。シルバーウィークというのはゴールデンウィークから生まれた新語で、今年急に使われ始めたようです。

 長男一家は長男の嫁さんと3歳の孫娘の3人家族、昨年夏に我孫子から転勤になりました。私たち夫婦が仙台を訪れたのは昨年11月に孫の七五三で行って以来今回で2回目です。

 4泊5日のゆったりしたスケジュールでしたので、3日目から1泊2日で田沢湖温泉に行きました。なお田沢湖温泉の報告は次のブログに載せます。

 長男が借りたマンションは仙山線の陸前落合の駅から徒歩5分のところにあります。仙山線は仙台と山形を結ぶ単線のローカル電車です。

 以前は1時間に1本くらいののんびりした田舎の汽車でしたが、今は仙台と愛子の間に新しい駅がかなり多く新設され、新しい団地やマンションが建設されて、通勤列車に変身しています。

 滞在2日目に仙台郊外の定義如来に行きました。正式名称は西方寺です。縁結びや安産の御利益があるとのこと。門前町の名物は「三角油揚げ」です。 若いカップルのデートコースとして、またはまたはファミリー層のドライブコースの目的地の1つとして人気があるそうです。

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 私たちはおまいりしたあと、名物のそばを食べ、三角油揚げを賞味しました。

 途中の大倉湖はかなり水が減っていました。晴天が続いたためでしょうか。

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 そのあと以前住んでいた中山ニュータウンを訪れました。私たち一家は1975年から78年まで仙台に転勤していました。私たちの小さなマンションは新しい大型のマンションに立て替えられていました。31年前に卒業した長男が通っていた尚絅教会の幼稚園の建物は残っていましたが、幼稚園は閉鎖されていました。教会の方が親切に昔のアルバムを見せてくださいましたが、そんな昔の写真は残っていませんでした。でも昔を偲ぶことはできました。

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 そのかわり近くに当時はなかった高さ100メートルの中山観音が聳え立っていました。

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 最終日は仙台天文台を訪れました。東京にもこのような興味深い天文台はありません。大勢の子供たちが連休最終日を楽しんでいました。

2009年9月26日 (土)

小岩井農場、田沢湖温泉、田沢湖、角館に行く
 平成21年9月21日から1泊旅行で田沢湖温泉に行ってきました。

 長男の家を訪れた際、私たち夫婦と長男一家3人でマイカー旅行を楽しんだわけです。

 朝8時15分仙台のマンションを出発、東北自動車道を盛岡で降り、まず小岩井農場に向いました。

 5連休の中日、高速道路1000円の効果もあって、小岩井農場は大勢の家族連れで賑わっていました。

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 ちょうど昼食時もあって、食堂は2時間待ちの大混雑。待ちきれないので、これも大混雑の売店でパンやお菓子やチーズなどを購入、牧場の広場でいただきました。孫娘は「遠足ごっこみたい」と大喜びでした。

 そのあと孫たちは「トロ馬車」に乗ったり、「牛の乳しぼり」を体験したりして楽しみました。

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 宿は田沢湖温泉の「田沢湖高原ホテル」でした。旅行を思い立ったのが遅かったため、なかなか望みどおりの場所の宿がとれず、やっと妻と嫁さんがインターネットで苦労して予約しました。

 こじんまりしたホテルで、部屋や設備はややお粗末でしたが、家族的な雰囲気で、温泉や食事は満足できました。小さな子供に対する心配りが感じられました。

  翌日は雨模様でした。まず田沢湖の辰子像のある場所に行きました。雨の中でも大勢の観光客が訪れていました。

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 孫娘が気に入ったのは田沢湖の湖岸での魚のエサやりです。孫がえさをやるとウグイの群れが折り重なるように群がってえさの取り合いをしました。

 そのあと角館に立ち寄り、武家屋敷のある通りを散策しました。知覧や萩の武家屋敷にも行きましたが、角館の特徴は屋敷の敷地が広いのと大きい木が多い ことです。桜のころはさぞ見事な景観になることでしょう。

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 昼食には稲庭そばをいただきました。孫娘はぐっすり寝込んでいました。そのため孫娘の食事時間を別にとる必要がありました。

 旅行中の食事や行動はすべて孫のペースです。仙台に帰り着いたときは夜の10時半になっていました。

 旅行会社のツアーと違ってのんびりした余裕のある旅を楽しむことができました。これもマイカーとドライバーの息子夫婦と孫娘のおかげでした。

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2018年9月 5日 (水)

中国地方旅行-再編集版(NO.1165)

<2010年10月10日以前の手賀沼通信ブログはプロバイダーのココログの写真の処理が不十分だったため、きれいに見られませんでした。そのためそれ以前に書いたブログを再編集しています。>

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2009年5月15日 (金)

中国地方旅行(その1)

 平成21年5月10日から12日まで、妻と一緒にクラブツーリズムの「世界遺産安芸の宮島・萩・津和野と、きらめく瀬戸内海尾道・原爆ドーム・広島・岩国・青海島・秋吉台」という長たらしい名前のツアーに行ってきました。

 その報告を3回にわたってまとめてみます。

 初日の10日は東京駅10時30分集合、10時50分発というゆっくりの出発でした。関東地方の遠隔地からの参加者も集めようという旅行会社の方針なのでしょう。

 参加者は35名、いつものように高齢者、女性中心です。添乗員も高齢者の女性でした。往復とも新幹線のグリーン車利用がうたい文句です。

 岡山駅で下車、バスに乗り換えました。岡山の観光はありません。

 最初の観光地は尾道でした。尾道はしまなみ海道の本州側の起点です。過去2回しまなみ海道のウォーキング大会で尾道から今治まで歩いて渡ったことがあります。

 尾道の千光寺公園の駐車場でバスを降り展望台に登りました。天気は快晴、5月10日というのに途中の高速道路の温度計は32度をさしていました。展望台からはすばらしい眺めが楽しめました。

 眼下には尾道水道が対岸の向島との間を隔てています。ゴルフのドライバーで打てば届きそうな距離です。その向こうはしまなみ海道の諸島、しまなみ海道の道筋や島と島をつなぐ橋も見えていました。

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 夕食は広島駅前のビルの6階にある、広島焼きの村でいただきました。そこには20軒以上の広島焼の店が並んでいました。

 妻が同じフロアのお土産屋の店員から美味しい店を聞き出し、迷わずそこに行きました。広島焼は広島風のお好み焼きです。添乗員の女性も加わりました。

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 宿泊は旧プリンス系の「グランドプリンスホテル広島」でした。旧宇品港の近くにあるホテルで、クラブツーリズムの案内には「オーシャンビューの豪華ホテル」とありました。

 翌朝早くホテルの周りを散歩しました。多くの釣り人が集まり、コウイカやイワシを釣っていました。

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2009年5月16日 (土)

中国地方旅行(その2)

 前回に続いての中国地方旅行記です。

 2日目は朝7時45分にグランドプリンスホテルをバスで出発、まず広島の平和記念公園に向いました。

 ちなみに広島は平和記念公園、長崎は平和公園、沖縄は平和祈念公園というようです。

 広島には3度ほど来たことばありますが、平和記念公園に 来るのは初めてです。原爆ドームを見るのも初めてでした。

 丹下建三氏の設計になる原爆ドームと慰霊塔と原爆資料館が直線で結ばれた公園は圧巻でした。時間の関係で原爆資料館に入れなかったのが残念でした。

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 次は世界遺産安芸の宮島です。宮島口からフェリーで宮島へわたりましたが、初夏の抜けるような青空の下、新緑 の小山を背景に、鮮やかな朱色の宮島の大鳥居がだんだん近づいてくるのは、なんともいえないすばらしい光景でした。

 厳島神社も見事でした。ほぼ満潮の時間で、神社の欄干は海の上に浮いている感じがしました。

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 ツアーとあってここも駆け足の観光、妻は次回は島に泊まってゆっくり見物したいと言っていました。

 次に訪れたのは岩国の錦帯橋です。厳島神社は朱色が目に鮮やかでしたが、錦帯橋は材木の色がそのままで、日本の代表的な橋を感じさせます。下から見上げると橋のつくりが見事でした。

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 渡る前に昼食です。岩国寿司をいただきました。

 橋を渡って対岸の「岩国のシロヘビ」まで行って戻ってきました。

 その後2時間ほどバスに乗り、津和野を訪れました。津和野は島根県の小京都といわれる山間の小さな美しい街で す。街中に掘割があり、大きなコイが群れていました。農業と林業よりも、観光が最大の産業という感じでした。

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 2日目の最後の観光は萩市の松蔭神社と松下村塾でした。言うまでもなく吉田松陰ゆかりの場所です。松蔭は29歳で安政の大獄により処刑されるのですが、松蔭の松下村塾で3年足らずの間に教えを受けた弟子たちが、明治維新を起こす一大勢力になったのです。

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 松下村塾は小さな普通の民家といった感じでした。

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 この日の宿は萩観光ホテルでした。

2009年5月17日 (日)

中国地方旅行(その3)

 前回に続いて中国地方旅行です。

 3日目も朝から快晴、午後からは雲が多くなり、広島駅に着く頃には雨が落ちてきましたが、まだ気温の高い日は続いていました。長期予報では3日目は雨だったのですが、3日間とも旅行には快適なお天気でした。

  8時に萩観光ホテルを出発、萩の城下町を歩いて回りました。城下町は昔の雰囲気を伝える静かな屋敷町です。現在人が住んでいる家もありますが、そんなに広くない一角に、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)、田中儀一、青木周弼の住居や、重要文化財の菊屋家住宅などが残っていて、有料で公開されていました。

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 そのあと、萩焼の販売店とかまぼこの販売店に立ちよりました。ツアーでは観光用の物産店やお土産屋に立ち寄るのは仕方ありません。

 萩焼は見るだけでしたが、かまぼこ店では山口県の名産の蒲鉾を買い込みました。

 こちらの蒲鉾は「えそ」という魚が主原料です。たらが原料の関東の蒲鉾とは味が違います。たらは大味の魚ですが、えそは細やかな味で風味があります。私のふるさと愛媛県の蒲鉾もやはりえそを使います。その美味しさは一度食べると忘れられません。関東の名産小田原蒲鉾も味ではかないません。

 次は仙崎港から小型の快速艇に乗り、青海島遊覧を楽しみました。

 青海島は北長門海岸国定公園の中心で、仙崎港から橋で繋がっている周囲40 キロほどの島です。日本海側は岸壁、断層、洞窟、石柱など波の浸食によってできた景色が楽しめます。

 船は洞窟に入れるよう、20人乗りほどの小型船です。風があったので豪快な乗り心地でした。

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 船上からの観光のあとは内陸部の秋吉台でした。秋吉台はカルスト台地で草原の中に大小の岩が点在しています。カルスト展望台からは360度の大パノラマが楽しめました。トルコのカッパドキアには及びもつきませんが、日本では珍しい眺めです。

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 最後の観光は秋吉台の地下にある秋芳洞探索でした。私たちは正規の入口と反対の黒谷口から入洞し、約1キロの通路を下りながら、洞窟内に次々に繰り広げられる景勝や奇観に目を見張りました。

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 それからは山陽自動車道に出て、一路広島まで走りました。広島からは新幹線グリーン車で東京まで、我孫子の家に着いたのは夜の12時15分前でした。

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裏磐梯旅行-再編集版(NO.1164)

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裏磐梯旅行-再編集版

2009年5月 4日 (月)

 ゴールデンウィークに裏磐梯旅行
 平成21年5月1日から2日にかけて、裏磐梯に旅行に行ってきました。前回ゴールデンウィークに泊りがけで出かけたのは、何十年前か記憶にないほど久しぶりのことです。
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  退職してからは、ゴールデンウィークはどこも混雑して、料金も高いと出かけることさえ敬遠していました。

 今回裏磐梯に行ったのは、仙台に転勤しいている長男一家が我孫子の我が家に帰るのに、途中で合流して1泊し、翌日の高速料金1000円を利用して帰りたいと言ったので、妻と話し合って企画したものです。高速料金1000円はやはり政府の予想通り消費に繋がりますね。

 宿泊は裏磐梯の桧原湖畔にある猫魔ホテルを予約しました。昨年6月にさくらんぼ狩りのツアーで利用して気に入ったため、再度泊 まることに決めたわけです。

 猫魔ホテルまではホテルで運行している直通バスで行きました。東京始発ですが、武蔵野線の南越谷からも乗ることができます。新幹線を使うと一人片道8000円以上かかりますが、ホテルのバスだと2500円です。

 南越谷を午前9時に出発し、ホテルには午後1時過ぎに到着しました。ゴールデ ンウィークにもかかわらず、道もホテルもすいていました。5月1日はまだ高速道路の通行料が1000円になっていなかったせいかもしれません。

 幼稚園児の孫といっしょに桧原湖の湖上遊覧を楽しみ、そのあと、五色沼を弁天沼まで散策しました。

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 お天気は五月晴れ、やや暑いくらいでアウトドアの行動には最高のコンディションでした。

 ホテルの夕食は美味しい和食、宿泊料もゴールデンウィークで高くなってもいず、ゆったりと温泉を楽しむことが出来ました。

 翌日は磐梯ゴールドラインを通って猪苗代湖に出て観光しました。

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 帰りの磐越自動車道も、常盤自動車道も渋滞は全くなし、快適なゴールデンウィーク観光旅行でした。

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2018年9月 4日 (火)

ジャカルタアジア大会が閉幕した(NO.1163)

 2018年9月2日インドネシアのジャカルタで行われていたアジア大会が閉幕しました。

 メダルの最終獲得数は次の通りです。

      金  銀  銅  

中国  132 92 65 

日本   75 56 74

韓国   49 58 70

 前回の韓国仁川大会の成績は次の通りですから、順位とメダル数ともに成績を上げました。

      金  銀  銅

中国  151 108 83

韓国   79  71 84

日本   47  76 77

 日本選手団の山下泰裕団長は「予想をはるかに上回る成績だった」と述べました。

 金メダルの数は1966年のバンコク大会の78個に迫る数でした。

 金メダルが増えたこと以外に、女子が活躍したこと、若手が活躍したこと、球技やチーム競技で金メダルが増えたこと、東京オリンピックで新たに採用される種目で多くのメダルが取れたことなどが注目されました。

 ただ、体操やレスリングやバドミントンなどで期待を裏切る成績もありました。

 今回の大会で大きく変わったのは、中国、日本、韓国の3大強国のメダル総数が671個で前回の776個を大幅に下回ったことです。

 それだけアジアの他の国や地域が力をつけてきたと言えると思います。開催国のインドネシアをはじめとして、ウズベキスタン、イラン、台湾、インド、カザフスタンなどもメダルを増やしたと思います。

 日本にとってうれしかったことは、池江璃花子選手が競泳女子で6つの金メダルを取り最優秀選手(MVP)に輝いたことです。女子では史上初、日本人選手ではバンコク大会の伊東浩司、釜山大会の北島康介、仁川大会の萩野公介の各選手に続いて4人目の受賞となりました。

 2年後の東京オリンピックに望みがつながるアジア大会でした。

 

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2018年9月 3日 (月)

読売新聞読者からの西日本豪雨救援募金(NO.1162)

 平成30年8月30日読売新聞の西日本豪雨救援募金が締め切られました。

 読売光と愛の事業団が読売新聞を通じて読者から救援金を受け取り、全額被害が甚大だった自治体に送り被災者への義捐金に役立ててもらうものです。事務経費には充てないことになっています。

 西日本豪雨の募金は地方のマスコミは別にして、読売、朝日、毎日、日経、産経の中央紙、NHK,日本テレビ、TBS,テレビ朝日、フジテレビ、テレビ東京などが募っていました。

 読売新聞では千葉県の紙面に千葉県民からの募金実績をタイムリーに載せていました。それをパソコンで取り込みまとめてみました。

 1回分抜けてしまいましたが、7月10日から8月31日までの結果は次の通りです。

 応募者と応募企業・団体の総数495件、募金額合計1361万0830円でした。応募者などの所属自治体のベスト5は、千葉市81件、船橋市56件、松戸市44件、柏市33件、市原市26件でした。私の住む我孫子市は我が家を含め9件でした。

 応募総数489件のうち匿名が120件でした。1件当たりの金額は最高額100万円3件、最低額1000円9件、1万円が一番多く202件でした。匿名で50万円や30万円を出しているケースもありました。なおこれは読売新聞の千葉県だけなので読売新聞の全国では数億円にはなると思います。

 被害額は農林水産関係だけでも2000億円を超えると報道されています。住宅やインフラなどの被害を合わせるとおそらく1兆円を超えるのではないでしょうか。

 それに比べると全国から集まった義捐金はささやかかもしれませんが、少しでも被害者の方に役立ってもらえればと思っています。

 9月4日に新聞に出た分を追加しています。

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2018年9月 1日 (土)

松山道後温泉旅行(NO.1161)

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松山道後温泉旅行-再編集版

2009年4月 8日 (水)

道後温泉と松山城の桜
 平成21年4月6日、道後温泉の道後公園と松山城の桜をみてきました。

 4月5日に父の17回忌で四国愛媛県の松山市と伊予市に帰省しました。松山市で生まれ、ものごごろついてからは伊予市で育ち、松山南高校で学びました。その後はほとんど首都圏で過ごしています。

 サラリーマンになって以後、桜の時期に帰省するのは初めてです。50年ぶりのふるさとでの花見となりました。

 妻の希望で道後温泉に泊まりました。道後温泉本館に行くのが目的でした。

 道後温泉は最も歴史の古い温泉の一つです。以前は旅館には温泉はなく、宿泊客は旅館から道後温泉本館に通っていました。今ではどの旅館やホテルも温泉があるので通う必要はないのですが、歴史を偲ぶためわざわざ出かける人が多いのです。

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 道後温泉の近くには道後公園があります。道後公園は湯築城跡で私が子供の頃は動物園がありました。今は 広々とした公園になっており桜の名所です。

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 道後公園は宿から歩いて10分くらいでした。桜を眺めながら公園の中心の小高い丘に登りました。展望台があり、どちらをむいても桜、桜でした。

 次に向かったのが松山城です。松山城は豊臣秀吉の武将加藤嘉明が築城した名城です。江戸時代以前に建築された天主が現存する 全国12城の1つです。山の上に聳える松山城は近隣のどこからでも望めます。やはり桜の名所です。

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 天守閣からの眺めは素晴らしく、いつまでも眺めていたい気持ちでした。

 

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仙台七五三旅行-再編集版(NO.1160)

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仙台七五三旅行-再編集版

2008年11月18日 (火)

孫の七五三で仙台へ

  平成20年11月14日から16日まで仙台へ行ってきました。孫の七五三を祝うためでした。

 仙台には1975(昭和50)年6月から1978年(昭和53)年3月まで、仕事で家族とともに赴任していました。今から約30数年前のことです。

  その後は仙台へはほとんど足を向けたことはありませんでした。今回仙台の街を歩いてみて、その変貌振りに驚きました。以前から美しい街でしたが、一層きれいな近代的な都市になり、交通の便がよくなっていました。 

 私が赴任した時には、まだ市内電車が路上を走っていました。記憶が薄れていますが、仙台駅は木造建てだったように思います。東京に帰任する直前に今の駅舎ができました。

 東北新幹線はありませんでした。東京まで特急で4時間以上かかっていました。地下鉄もまだ敷設されていませんでした。

  住んでいた中山ニュータウンへのバス停は青葉通り にありましたが、バス停のそばにはパチンコ屋があり、バスを待つ間よく入ったのを覚えています。 

 宮城球場は金田監督のロッテが後楽園と半々に使っていました。家族で見に行ったことも覚えています。

  今回はその当時はなかったメトロポリタンホテルに泊まり、青葉通りや宮城球場まで歩いてみました。宮城球場のある仙台駅の東側は当時は狭い通りが多く、ごちゃごちゃしていました。今 は駅から球場まで大きな通りがまっすぐ伸びており、見違えるように整備されていました。 

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 孫娘の七五三は長男と同じ大崎八幡宮に参拝しました。くしくも親子で赴任先の大崎八幡宮でご祈祷をお願いすることになった次第です。

  大崎八幡宮は国宝の神社でドント祭やはだかまいりで有名です。 

 3歳の孫娘はきれいな着物を着てみんなに囲まれ大満足でした。私たちも孫娘の喜ぶ顔をみてこれまた大満足でした。

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 吉田カメラ店で記念の写真を撮り、息子の妻のご両親と一緒に、7人で秋保温泉に行きました。秋保温泉はちょうど紅葉が見ごろでした。 

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 翌日は秋保大滝や磐司岩まで足を延ばし、紅葉真っ盛りの秋保の秋を満喫しました。

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