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2019年5月25日 (土)

四国の実家がなくなった(NO.1237)

 2019年5月愛媛県伊予市にあった実家の建物が取り壊されました。

 実家は山丈商店という店舗名で主に竹製品、台所用品、掃除道具、ロープなどのいわゆる荒物を扱っていました。私の妹が4代目店主として守ってきましたが、大正時代に山崎丈三が愛媛県伊予郡郡中町で創業したという歴史があります。2代目は創業者の息子です。私の父の義理の兄になります。サラリーマンだった父が3代目を継いだのは昭和13年、今から80年前です。そして父が亡くなったあとを妹が継いだのです。

 郡中町は戦後の市制改革で伊予市となりましたが、家は創業時代のまま、築100年は超えていました。郡中町は戦災に遭っていません。郡中町の町家は歴史的にも珍しい建て方になっていました。間口が狭く奥行きが長いというウナギの寝床のような商家が立ち並んでいたのです。家と家との間隔はなく、お互い支え合って立っていたのです。 

 我が家は間口4間(約7.3メートル)、奥行きは25間(約45メートル)くらいあったようです。築100年を超えていたのは、街道側の店舗に使っていた表側で、奥のほうは妹の家族が住むため改築していました。今回取り壊すことになったのは、店舗の部分です。片側の家はすでに取り壊されて駐車場になっていました。

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 今回反対側の家を壊したので家が傾き、改築が必要になったのです。しかし家が古いため改築も多額の費用が掛かり、妹も80歳近い高齢、後継者のいないため思い切って店をやめ、取り壊すことになりました。

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 古い家をなくすのは大変だったようです。父や2代目の持ち物がかなり残っており、それを廃棄するには、妹と同居している三男が大汗をかいたようです。

 私は遠く離れているため何もできず、申し訳ない思いでした。その苦心談を聴くと、自分の終活も本気で考える必要があると感じた次第です。

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