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2019年5月21日 (火)

ありがとう上原浩治投手(NO.1236)

 2019年5月20日巨人の上原浩治投手が現役を引退しました。現役最年長の44歳21シーズン目でした。

 上原投手は大阪体育大出身、1998年のドラフト会議で長嶋監督の巨人を逆指名で1位で入団しました。松阪大輔選手と同じ年です。

 当時は大学又は社会人の選手に限って選手が球団と合意すると1名または2名、抽選でなく選手が希望する球団に入団できました。この制度は2006年を最後に廃止されましたが、上原投手はこの制度で巨人に入ったのです。

 そして入団1年目は20勝4敗の成績を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4部門のタイトルを独占、沢村賞、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブの各賞を獲得しました。自分自身を「雑草魂」と唱えた言葉はその年の流行語大賞にも選ばれました。

 この年私が強烈に記憶していることがあります。すでに中日の優勝が決まっており、勝敗は関係のないヤクルトの最終戦でヤクルトのペタジーニが42本、巨人の松井が41本とホームラン王を争っていました。松井は敬遠気味の四球で全打席歩かされていました。ペタジーニの第3打席で上原に歩かせるよう指示が出たのです。それまでペタジーニは打ち取っており、上原には20勝がかかっていました。上原は指示に従いましたが、悔しさのためピッチャープレート上で涙を見せました。勝負できなかった悔しさからです。

 それから10年間巨人で活躍、数々の賞を獲得しました。2006年にはWBCで王監督のもと日本代表の初優勝にも貢献しました。

 2008年にはFA権を獲得、それを活かして2009年に大リーグのオリオールズに移籍しました。ところが怪我で移籍当初は思うような活躍はできませんでした。

 上原が大リーグで陽の目を見たのはレッドソックスに移ってからです。特に2013年にはクローザーに指名され、ワールドシリーズで胴上げ投手になるなど大活躍をしました。上原投手も野茂投手と同じく、ストレート(フォーシーム)とフォーク(スプリット)の球種だけですが、この2つの球種で三振の山を築くのは見ていて胸のすく思いでした。

 上原投手長い間ありがとう。これからも日本野球界のため頑張ってください。期待しています。

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