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2019年8月23日 (金)

星稜高校優勝を逃す(NO.1264)

 令和元年8月22日夏の高校野球決勝戦が行われ、履正社高校が星稜高校を5-3で破り優勝しました。

 履正社高校は4回目の出場、星稜高校は20回目の出場、どちらが勝っても初優勝でした。私の予想というより願望は星稜高校の優勝でしたが、履正社に軍配が上がりました。

 今年の星稜高校はエース奥川が大会ナンバーワンの投手と言われ順調に勝ち進んできました。特に印象的だったのは3回戦で智弁和歌山高校を延長14回タイブレークの末、サヨナラホームランで4-1のスコアで破った試合です。奥川は23奪三振の快投でした。

 履正社高校には今年の春選抜で、3-0で完封勝ちしていました。決勝戦は星稜高校が勝つと予想したのです。

 しかし「やはり大阪代表は強かった」結果となりました。過去の都道府県別優勝校を見ても、大阪代表は13回優勝。2ケタの回数は大阪代表だけです。2位は愛知の8回です。昨年までの10年間を見ても大阪桐蔭高校が3回優勝しています。履正社高校はその伝統を守ったことになりました。

 私は愛媛県出身、住んでいるのは千葉県で、石川県の星稜高校とは関係はありません。ただ高校野球ファンとして星稜高校は以前から注目していました。

 最初に関心を抱いたのは1979年(昭和54年)3回戦で和歌山の簑島高校との延長18回の死闘でした。延長に入って先攻の星稜が1点を入れると簑島がホームランで1点返し、さらに17回に星稜が1点を入れるとその裏に簑島がまたホームランで1点返し、18回に簑島がサヨナラで勝った試合でした。17回の裏は簑島のバッターが打ったファールフライを1塁手がグラウンドのシートにつまずいて転んだあとのホームランでした。

 2回目は1992年(平成4年)星稜の松井秀喜が明徳義塾高校に5打席連続敬遠で負けた試合が強烈に印象に残りました。そのあと松井がドラフトでジャイアンツに入っただけに、よけいに星稜を応援することになりました。

 そして3年後の1995年(平成7年)夏の甲子園では初めて決勝戦に進みましたが、帝京高校に1-3で敗れ準優勝でした。

 今年はそれ以来24年ぶりの決勝戦でした。残念でしたが仕方ありません。奥川投手は負けてもすがすがしい印象を残しました。

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