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2019年10月28日 (月)

第25回手賀沼エコマラソン(NO.1282)

 令和元年10月27日第25回手賀沼エコマラソンが行われました。

 柏のふるさと公園がスタートとゴール会場で、手賀沼を1周するハーフマラソンです。毎年約1万人近くが参加しています。

 私は走ったことはありませんが、3回ボランティアで参加しました。選手受付と給水所のサポートとコースでの見守りを1回ずつ経験しました。

 10時スタート、うす曇りで風も弱く、絶好のマラソン日和です。すぐ近くの若松信号交差点で写真を撮りました。

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 今年も我孫子市の中央学院の選手がゲストとして参加していました。一般の選手は4桁のゼッケンですが、2から始まる5ケタの番号を付けていました。中央学院は今年はシード校として箱根駅伝に出場します。

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2019年10月23日 (水)

天皇陛下即位を宣言(NO.1281)

 令和元年10月22日天皇陛下は「即位礼正殿の儀」で天皇に即位されたことを内外に宣言されました。

 即位礼正殿の儀は午後1時5分に皇居・宮殿で始まりました。天皇陛下は「黄櫨染御袍」姿で「高御座」に、皇后陛下は十二単姿で「御帳台」に昇られました。天皇陛下は用意されたお言葉を「ここに即位を内外に宣明いたします」「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民の統合の象徴としての務めを果たすことを誓います。」などと述べられました。皇后陛下の体調が心配でしたが、重い十二単姿で立派に務めを果たされました。

 儀式には186か国や国際機関、各界の代表者など1999人が参列しました。海外からの参列者は、ベルギー・フィリップ国王夫妻、スペイン・フェリペ国王、イギリス・チャールズ皇太子、オランダ・アレクサンダー国王と王妃、ミャンマ-・国家顧問、中国・王岐山国家副主席、韓国・李洛渕首相、ブータン・ワンチュク国王夫妻などでした。

 驚いたのはアメリカです。当初はぺンス副大統領の予定でしたが、チャオ運輸長官に変わりました。トランプが日本や日本の天皇を見下しているのか、あるいはトランプが礼儀を知らないのかわかりませんが、しょせんトランプです。

 夜は宮殿で「饗宴の儀」が行われ、外国元首などを招いた祝宴で、約400人が出席しました。そのテレビ中継はありませんでした。なお午前中には、皇居・宮中三殿で「即位礼当日賢所大前の儀」が行われていました。

 天皇の即位を祝うために22日に予定されていたパレード「祝賀御列の儀」は台風19号による被害を考慮して11月10日に延期されました。

 両陛下のご健康とご活躍をお祈りいたします。

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2019年10月18日 (金)

玄関に手すりを付ける(NO.1280)

 令和元年10月16日玄関に手すりを付けてもらいました。

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 私も妻も脊柱管狭窄症で足の痛みを抱えています。高齢もあって玄関に手すりがあると転ぶ恐れが少なくなります。

 私は8月1日に介護認定を受け、9月4日に要支援1の認定の通知が我孫子市の高齢者支援課から届きました。要支援になると介護予防のための住宅改修に補助が受けられます。自己負担が3割で済みます。

 玄関の手すりは以前からほしいと思っていました。さっそく我孫子市の高齢者なんでも相談室に手すりを付ける工事をお願いしました。「株式会社日本ドライ 介護用品のスマイル柏営業所」が担当することに決まりました。千葉県は台風15号の被害が大きく、工事が遅れましたが10月16日に2時間くらいで工事が終わりました。

 これで荷物を抱えての玄関の出入りが楽になりました。転ばないよう大いに利用しようと思っています。

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2019年10月15日 (火)

ラグビーワールドカップ日本代表が初のベスト8(NO.1279)

 2019年10月13日ラグビーワールドカップで日本代表がスコットランドに28-21で快勝、プールAで4戦全勝となり、初のベスト8に進みました。ここからはトーナメント戦です。準々決勝では前回世界的な番狂わせと言われた勝利の相手の南アフリカと対戦します。

 日本はスコットランドに先制のトライを許します。一瞬前回大会での大敗の悪夢が頭をよぎりましたが、今回は違いました。前半は日本が3トライで21-7で終了しました。後半は開始早々日本が4トライ目を挙げましたが、ここからスコットランドの反撃が始まり7点差まで追い上げられました。その後日本のチャンスもありましたが、追加点は挙げられませんでした。そして時間切れが迫る中、日本は必死に守り抜き勝利を勝ち取りました。

 妻はワールドカップが始まるまで全くラグビーには関心がありませんでしたが、今回すっかりラグビーにはまってしまいました。野球やサッカーよりも断然面白いとテレビを見通しでした。その直後のNHKのスポーツタイムは2人でビールを飲みながら試合を振り返りました。私は巨人がクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズへの進出が決まった2重の喜びとなりました。

 ラグビーの準決勝は20日東京スタジアムで行われます。あと3勝して頂点に立つのも夢ではありません。次回も楽しみです。

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2019年10月14日 (月)

大型台風19号の爪痕(NO.1278)

 大型で非常に強い台風19号は令和元年10月12日から13日未明にかけて、東海、関東、東北地方を縦断しました。

 10月14日の読売新聞朝刊には、31名死亡20名不明と出ていました。死者は神奈川県から岩手県まで10県にわたっていました。

 台風は12日午後7時ころ静岡県伊豆半島に上陸し、神奈川県、東京都、千葉県、茨城県、福島県を通過し太平洋に抜けました。

 大型台風のため各方面で事前の大きな備えをしました。12日は交通機関の計画運休が行われ、多くのデパートやスーパーやコンビニや商店が閉店しました。いろいろなイベントが中止となり、ラグビーワールドカップも2試合が中止、クライマックスシリーズも延期になりました。

 その前の11日には各家庭での買い揃えのため、食料品や水の在庫が少なくなり、懐中電灯や電池の販売が増えました。我が家でも停電に備えて懐中電灯を買いそろえ、植木鉢を玄関に持ち込み、雨漏りの備えなどをしました。近くに住む子供たちや愛媛県の妹は心配して電話をかけてきました。

 しかし我孫子は大雨も降らず、風も大したことはなく無事に13日の朝を迎えました。

 ところがその後各地の被害がテレビで放送され、台風19号はやはり予想通りというかそれを超えた災害を待たらしました。新聞には治水能力を超える雨が降ったと出ていました。21河川が24か所で決壊し、142か所で越水しました。

 テレビで大きく報道されたのが長野県千曲川の氾濫です。数多くの家屋が水につかり、長野新幹線車両センターでは新幹線車両120両が水浸しになりました。

 今回の台風では台風の通ったところだけでなく、離れた場所でも大雨の被害が出ました。日本は毎年のように水の被害に遭っています。昔の伊勢湾台風や狩野川台風などの大型の台風だけでなく、昨年の西日本豪雨など台風以外の水の災害もあります。地球温暖化で大型台風が増えるとも言われています。

 今回の19号のように事前に警告がなされ、それぞれ考えられる備えをしても、台風が通ったあとの報道される風景は変わりません。今回は昨年の西日本豪雨やつい最近の台風15号での千葉県の惨状や停電の被害を見てそれぞれ備えていたはずです。

 今後どうすればいいのでしょうか。解決策は見つかるのでしょうか。私にはわかりません。

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2019年10月10日 (木)

吉野彰博士ノーベル化学賞を受賞(NO.1277)

 2019年10月9日リチュウムイオン電池を開発した吉野彰博士がノーベル化学賞をスウェーデン王立科学アカデミーより受賞しました。同賞はアメリカテキサス大学のジョン・グッドイナフ教授とアメリカニューヨーク州立大学のスタンリー・ウィッティンガム教授との共同受賞となります。

 吉野氏は現在旭化成の名誉フェローです。1981年から旭化成で充電池の開発に取り組みました。

 電気を通すプラスティック「ポリアセチレン」をマイナス極に使う手法を思いつき、プラス極にグッドイナフ氏らが開発したコバルト酸リチウムを用いて電池を試作しました。さらに同社が開発した特殊な炭素繊維を用いて小型化する方法も開発し、85年に電池の充電に成功しました。これが現在のリチウムイオン電池の原型となったのです。

 リチウムイオン電池は軽量かつ高出力で、充電して何度も使えます。スマートフォンやノートパソコン、電気自動車などに広く使われています。電気自動車は二酸化炭素を排出せず、太陽光発電や風力発電で作られた電気をリチウムイオン電池に蓄えれば環境面での改善につながります。リチウムイオン電池は今後の科学発展や社会生活にも大いに資することが予想されます。

 ノーベル賞の日本人受賞者はこれで27人目、化学賞は8人目となりました。2年連続です。大変誇らしく思います。また企業内での研究者は島津製作所の田中耕一さんに続いて2人目です。

 これからも人類の発展に貢献できる日本人のノーベル賞受賞者が出てくるよう願っています。

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2019年10月 7日 (月)

巨星金田正一元投手死去(NO.1276)

 令和元年10月6日、投手として数々の記録を残した剛腕金田正一元投手が敗血症で亡くなりました。86歳でした。

 金田投手は長嶋選手や王選手らとともに私たちの世代を共に生きた英雄でした。

 金田投手は投手として不滅の記録を残しています。通算勝利400勝、通算完投365回、通算投球回数5526と3/2回、連続シーズン20勝以上14年、通算奪三振4490、連続無失点64と3/1回、などです。投手の分業制が増え、完投が少なくなり、シーズン20勝投手がほとんど出なくなった現在、金田投手の記録が破られることはまず考えられません。沢村賞に3回輝き、完全試合とノーヒットノーランも各1回やっています。

 金田投手にはいろいろなエピソードや思い出があります。まず語られるのが長嶋選手が新人として金田投手に対戦した時、4打数4三振で打ち取られたことです。私は当時大学3年生、下宿でラジオを聞いていました。当時下宿の部屋にはテレビなどはありませんでした。巨人ファンだったので悔しい思いをしたのを覚えています。

 王選手には超山なりのスローカーブを投げた記憶もあります。当時のピッチャーは球種が限られていました。金田投手は直球とカーブで400勝を成し遂げたのです。今の投手のようにスライダー、フォーク、カットボール、ツーシームなどは投げませんでした。

 金田投手は1950年愛知県の享栄商業から弱小球団だった国鉄スワローズに入団、15年スワローズで活躍し、1965年巨人に移籍しました。すでに盛りを過ぎており巨人在籍は5年でしたが、巨人での最初の1勝がV9の始まりとなったのです。そして400勝をとった年引退しました。

 金田投手は打者としても1流でした。通算ホームランは38本、そのうち2本は代打ホームランです。代打ホームランの1本は私も覚えています。敬遠されたのは8回、代打で登場し敬遠されたこともありました。

 引退後ロッテの監督を経験しました。私は1975年から78年まで仙台に赴任していましたが、当時仙台の宮城球場はロッテが本拠地を構えていました。そして監督は金田監督でした。何度か家族で宮城球場に応援に行きました。1974年にはロッテが優勝し金田監督が胴上げされましたが、私のいた3年間は優勝できませんでした。

 その後200勝投手と2000本安打の選手からなる名球会を設立しました。プロ野球の発展に尽くした功績は国民栄誉賞ものと考えています。心からお悔やみ申し上げます。

 

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2019年10月 6日 (日)

時之栖へ行ってきたー再編集版(NO.1275)

2010年2月10日以前はブログ管理者のココログのシステムでは写真をきれいに載せることができませんでした。 掲載した写真は、小さくぼんやりした写真になりました。旅行のブログでは見られたものではなかったのです。

 昨年夏、2010年2月以前の海外旅行と国内旅行(1泊以上)のブログを再編集して載せました。2010年以前の日帰りの旅行を再編集します。
 平成21年12月4日、妻と二人で御殿場の「時之栖(ときのすみか)」に行ってきました。

  クラブツーリズムの「御殿場プレミアムアウトレットとビール工場見学 時之栖・光りのトンネルとみらとみらい・赤レンガ倉庫」というタイトルの日帰りバスツアーです。

 最初は神戸ルミナリエに行くつもりだったのですが、日程や交通機関が希望に合わず、師走の夜のライトアップの名所を探し回って決めたツアーでした。

  我孫子駅から観光バスが出るというのも決めた理由の一つです。お目当ての時之栖に夜ちょうどの時間につくため、みなとみらい赤レンガ倉庫、神奈川ビール工場、御殿場わさびの里、御殿場プレミアムアウトレットと4ヶ所も寄り道をします。

 出発も日帰りバスツアーにしては始発の我孫子が8時50分発という遅い出発でした。

 前日のつめたい雨がうそのような快晴で暖かい1日でした。バスは44人の満席、珍しく男性の添乗員です。参加者は男性5名、あとは高齢者中心の女性でした。

  横浜みなとみらい赤レンガ倉庫には途中混雑のため予定より30分以上遅れて到着。元倉庫内の崎陽軒で中華そばの昼食を食べると、あとは倉庫内の店をちょっとだけ見物する時間しかありませんでした。

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 アサヒビール神奈川工場は神奈川県南足柄市にありました。昔仕事で通った第一生命大井本社が酒匂川の対岸に見えるすばらしい環境のところです。

  機器点検で動いていない生産ラインをガイドの案内で見学のあと、お目当てのビールの試飲をしました。出来立てのスーパードライと赤と白のベルギービールのコップ3杯のビールでいい気持ちになりました。

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 わさびの郷とアウトレットは私にとってはただ立ち寄っただけ、特に面白い場所ではありませんでした。

 時之栖には日もとっぷり暮れた夜、6時前に到着しました。

  び物の「時之栖冬のイルミネーション」は430メートルの光りのトンネルでした。400万個以上の電球、トナカイの北極そり6台18頭、シャンデリア30台、氷上の妖精150体のまばゆいばかりの光りのファンタジーでした。

 ちなみに入場料は無料とのことでした。

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  7時過ぎに時之栖を出発、9時半ころに我孫子に着きました。

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2019年10月 3日 (木)

メジャーリーグのポストシーズンが始まった(NO.1274)

 2019年10月1日アメリカMLBのポストシーズンが始まりました。

 アメリカ大リーグはアメリカンリーグとナショナルリーグともに東地区、西地区、中地区に5チームずつ合計30チームがあります。まず両リーグのそれぞれの地区の優勝チームとワイルドカード勝者の4チームでリーグ優勝を争い、最後にワールドシリーズで今年のチャンピオンチームを決めることになっています。

 アメリカンリーグはヤンキース、アストロズ、ツインズが各地区の優勝チームとなりました。ワイルドカードは東地区2位のレイズと西地区2位のアスレチックスが今の時間戦っています。この勝者(1回戦)がアストロズと5回戦を戦います。ヤンキースとツインズも5回戦を戦い、先に3勝した勝者が7回戦でリーグ優勝を戦います。先に4勝したチームがワールドシリーズに出るのです。

 ナショナルリーグは、ブレーブス、ドジャース、カージナルスが各地区の勝者となりました。ワイルドカードは昨日東地区2位のナショナルズと中地区2位のブルワーズが戦い、ナショナルズが勝ちました。ナショナルズはドジャースと、ブレーブスとカージナルスが5回戦を戦い、勝者同士がナショナルリーグ優勝をかけて7回戦を戦います。

 日本人はヤンキースの田中投手とドジャース前田投手が出場します。田中投手は先発で前田投手はリリーフの切り札でしょう。2人が日本シリーズで戦う姿を見たいと思います。

 ワールドシリーズは10月22日から始まります。MLBチャンピオンが決まるまで約1か月の戦いです。私はこのポストシーズンが大好きです。

 これが10月にあるのがオリンピックが暑い夏になっている原因の1つです。オリンピックに放映権として高額のお金を払っているアメリカのテレビ業界はポストシーズンにも高いお金を出しています。

 私は昨年は10月に2週間入院していました。病院のテレビで見ていましたが、今年は自宅のテレビでゆっくり楽しみたいと思っています。

 

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