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2019年12月 1日 (日)

中曽根康弘元首相死去(NO.1294)

 令和元年11月23日、中曽根康弘元首相が101歳で亡くなりました

 中曽根氏は1982年11月から1987年11月まで約5年間、1806日間首相を務めました2003年に引退するまで連続20回の当選を重ね、衆議院議員在職期間は56年間に及びました

 一時は三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の「三角大福中」の1人として話題を呼びましたが、私は中曽根康弘の名前を5人の中で一番最初に知りました。1950年代の後半、大学生として東京から愛媛県に帰省する途中の東海道線の車窓から、「日本の首相は国民投票で選ぼう 中曽根康弘」の看板を見かけたのです。正確な文章は違ったかもしれませんが、大統領のように直接国民が選ぶべきという表現でした。そこで中曽根さんの名前を知ったのです。

 そのあと考えを変えたのかもしれませんが、それから20数年後に首相に選ばれたのです。

 読売新聞の社説には「戦後史に刻む『大統領的』首相」とのタイトルで載っていました。

 中曽根氏は「戦後政治の総決算」を掲げ,多くの改革を成し遂げました。「聖域なき行財政改革」に取り組み、国鉄、電電公社、専売公社の3公社の民営化を成し遂げました。

 当時国鉄は大赤字にありながら、国鉄労組が「順法闘争」の名目で違法闘争を繰り返し、ダイヤは乱れるやら、電車の車体に落書きをするやらめちゃめちゃの状態でした。電電公社は国内の通信を独占し、法外な市外電話料金を課したり、電話を引くのに待たせた挙句債券を購入させたり、こちらは大もうけをしていました。

 中曽根首相はトップダウンで,民営化を図りました。生まれ変わったJRは便利になり、サービスを向上させました。NTTは他の新規参入の通信会社と熾烈な競争をする羽目になりましたが、国民は技術発展と低料金化で大きな利益を得ることとなりました。

 中曽根首相は、外交面では強固な日米関係を築きました。ロナルド・レーガン大統領とは、「ロン」、「ヤス」と呼び合うような親密な関係となりました。青梅線沿線の中曽根首相の別荘にレーガン大統領が招かれたことを思い出しています。首相として立派な業績を残したと思います。

 今、国会は「桜を見る会」騒動でもめていますが、日本の国会はもっと重要なことを決める機関だと思います。国会議員と政治家と政治の堕落を見ているような気がしてなりません。

 

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