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2020年8月 1日 (土)

台湾の李登輝と司馬遼太郎(NO.1369)

 2020年7月30日台湾の李登輝元総統が死去しました。97歳でした。

 読売新聞によると「李登輝元総統は民主化を通じて人々に『台湾人』意識を根付かせ、中国から自立した台湾の土台を築いた。第2次世界大戦終結まで、日本統治下の台湾で日本人として生きた世代の代表的存在でもあった。

 李氏は1923年新竹市で生まれた。京都帝国大学農学部に在学中、学徒出陣で陸軍に入った。45年少尉として日本で終戦を迎え、国民党独裁下の台湾に戻った。

 台湾大を卒業後、農業経済専門家としての活躍が認められ、台湾市長、台湾省主席などを歴任した。副総統だった88年蒋経国総統が死去し、台湾出身者として初めて総統に就任した。」とあります。

 司馬遼太郎は「街道をゆく40 台湾紀行」を書きました。出版されたのは1994年11月ですが、記事は1993年1月と4月に訪問した内容です。司馬遼太郎は李登輝と同い年、訪問の都度会って意気投合しています。李登輝は当時台湾の総統でした。

 ここでちょっと歴史をさかのぼります。戦後台湾には共産党に敗れた中華民国の蒋介石がやってきて国民党党首として国を治めました。蒋介石と一緒に台湾にやってきた「外省人」が、元から台湾にいる「本省人(本島人)」を支配したのです。わずか10数%の外省人が支配階級となって、好き放題の政治を行いました。外省人の国民党は当然のことながら反共、反中国でした。今の台湾は国民党が中国のほうを向いていますが、当時は逆でした。

 1971年中華民国は国連から追放され脱退します。1975年に蒋介石が死去、息子の蒋経国が総統を受け継ぎますが、88年死去、副総統の李登輝が後を継いだのです。李登輝は「本省人」ですが国民党だったのです。そこから政治改革が始まります。

 ここからは司馬遼太郎の「台湾紀行」から借りてきた文章です。

 「が、この人は総統になってしまった。61歳のときに、蒋経国晩年の『台湾化政策』によって副総統に指名され、農業経済という学問の世界から、政治にひき入れられたのである。望んだことではなかった。」

 「1990年、国民大会で第8代総統に選出され、その地位は正当なものとなった。この人が2年後の1992年、年頭の祝辞で、『最優先課題として、憲法を改革したい』と演説した。」

 「自分は、とこの人は言う。初等教育以来、先生たちから日本人はいかに素晴らしい心を持っているかという教育を受け続けたんです。たしかに、そういわれてみると、李登輝さんは日本人の理想像に近い人かとも思えてくる。」

 「2人のインタビューで司馬氏の言葉-政治学の学者は李登輝さんをテーマにするといいですね。つまり李登輝さんがおっしゃったように派閥も持たない、金もない、欲もない、ただひとり李登輝博士がいるだけです。この人があと2年半務めていい業績を残したら、世界の政治学のいいテーマになるでしょう。やはり珍しい存在です。」

 司馬遼太郎氏は李登輝さんに会って、その人柄に魅了され、すっかり台湾にはまってしまったようです。

 心からご冥福をお祈りします。





















 

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