今年の暑さで思い出すこと(NO.1375)
今年は異常な暑さが続いています。8月17日には静岡県浜松市で41.1度と2年前に埼玉県熊谷市で出た記録に並びました。私の住んでいる我孫子市でも猛暑日が続きました。8月に入って雨が降ったのは23日に数時間降っただけでまた暑さがぶり返しました。
熱中症で運ばれる人や亡くなる人の数字が連日報道されています。
そこで暑さについての記憶をたどってみました。思い出すのは今から60年~70年前の中学生から大学生のころです。
私が育ったのは愛媛県伊予市です。瀬戸内海に面した人口3万くらいの田舎町でした。大学は東京でしたが、夏には帰省して伊予市で過ごしました。
小学生から高校の低学年のころまでは夏は毎日海に通っていました。家から水着のままで海に行き何時間か泳いではそのまま家に戻りました。
夏は暑いのが当たり前、暑さをとことん楽しんでいました。海と言っても海水浴場ではなく、堤防と小さな港があるだけでしたが、そこで泳いでいたのです。いつも仲間と一緒でした。たまには一人で2キロほど離れた海水浴場に泳いで往復しました。
暑さを感じたのは家にいるときです。町中の商家でしたので、家が隣家とくっついて建っており、風通しは悪く、特に朝夕は海沿いのため、朝凪、夕凪で風は全くなくなりました。当時はエアコンなどはなく、冷蔵庫もありません。
夜は蚊を防ぐため、蚊帳を吊ります。この蚊帳の中が暑いのです。とてもふとんの上では寝られず、ござを敷いて寝ていました。窓は玄関を除いては開けっ放しでしたが、とにかく暑かったのを覚えています。
でも熱中症で亡くなったという話は聞いたことはありませんでした。水分を取れと言われたこともなく、のどが渇くと井戸から汲んだ水を飲んでいました。今のようにペットボトルの飲み物はなく、遠足などでは水筒を持っていきましたが、普段は水筒を持つこともありませんでした。
家の日よけにはすだれを使っていました。家の前の道には時々水を撒いていました。家の中は暑いので、家の前に縁台を出して、蚊取り線香を焚いて涼んでいました。
そのころは夏の気温は今ほど高くなかったのでしょう。熱中症で死ぬ人が少なかったのは、今ほど長生きではなかったので、高齢者も少なかったためかもしれません。
日中は今のようになるべく家の中で過ごすよりは、外に出て海につかっていたほうが楽しかったのがそのころでした。
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