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2020年10月29日 (木)

ドジャースが32年ぶりにワールドシリーズ優勝(NO.1393)

 2020年10月27日、アメリカテキサス州で野球大リーグのワールドシリーズ第6戦が行われ、ナショナルリーグのロサンジェルス・ドジャースがアメリカンリーグのタンパベイ・レイズを破り、4勝2敗でワールドチャンピオンになりました。

 ドジャースの優勝は32年ぶりのことです。ドジャースは最近ポストシーズンによく出ていたので32年ぶりとは知りませんでした。私はナショナルリーグでは以前からドジャースのファンだったので大喜びで祝杯を挙げました。

 大リーグに関心を持ち始めたのは、はっきりと覚えていませんが、おそらく中学生のころからだったと思います。当時は大リーグはアメリカンリーグ、ナショナルリーグとも8球団で、ドジャースはニューヨークのブルックリンに本拠地を構えブルックリン・ドジャースと言われていました。ニューヨークにはアメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースとナショナルリーグのブルックリン・ドジャース、ニューヨーク・ジャイアンツの3球団がありました。

 1958年、ドジャースとジャイアンツがそれぞれ西海岸のロサンジェルスとサンフランシスコにフランチャイズを移しました。

 私がドジャースのファンになったのはロサンジェルスに移った後からです。ドジャースは日本と一番関係の深い球団になりました。ラソーダ監督は日本に好意的な監督でした。「ドジャースの戦法」という本からヒントを得て川上監督の読売ジャイアンツが9連覇しました。長島・王の活躍した時代のスプリングキャンプはドジャースのキャンプ地のベロビーチから始まりました。日本人として初めて大リーグで本格的に活躍することとなった野茂英雄は1995年ドジャースに入団しました。それ以後8人の日本人がドジャースに入団しています。大リーグではドジャースが日本人最多です。昨年まで活躍した前田投手がのこっていたらと残念でなりません。

 今年のアメリカの短い野球シーズンが終わりました。

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2020年10月27日 (火)

読書の終活「義経」を読み終え「播磨灘物語」へ(NO.1392)

 令和2年10月25日書棚の司馬遼太郎の小説「義経」文庫本2冊を読み終えました。これで司馬遼太郎10作品を読みました。

 「義経」の主人公は源義経です。対抗する人物は平家ではなく源頼朝です。義経はご存じの通り国民的ヒーローで、判官びいきと言われるほど歴史的に人気の高い人物です。ジンギスカンは義経だったなどという伝説まで生まれています。

 ところが司馬遼太郎の「義経」はそれを期待して読むと当てが外れます。戦には天才的な力を発揮しますが、世の中を知らない子供のような人物として描かれています。この小説は義経以外の源頼朝、後白河法皇、梶原景時、などは底意地の悪い人物として登場します。司馬遼太郎はこれらの人物を大変個性的に強調して描いています。また義経といえば弁慶が大きな役目を果たした感じですが、この小説では弁慶にはあまり筆を割いてはいません。

 大河ドラマになった村上元三の「源義経」とは大きな違いを感じました。

 次は戦国時代に戻り「播磨灘物語」を読むことにしました。昭和50年(1975年)年に発売されたハードカバー3巻です。主人公は秀吉の軍師の黒田官兵衛です。

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2020年10月26日 (月)

住んだ場所の思い出-その1 愛媛県伊予市(NO.1391)

 83年間の思い出をいろいろなシリーズでまとめようと思っています。まずは住んだところ、過ごした場所からです。

 私は1937年(昭和12年)愛媛県の松山市で生まれました。そして1歳の誕生日を迎える前に、松山市から10キロほど西の郡中町に引っ越しました。父の姉夫婦がやっていたの荒物屋を引き継ぐことになったからです。その店は郡中町では一番賑やかなところにありました。当時の荒物屋は竹製品、木製品、わら製品、ロープ類、などの日用品を販売する店でした。今はほとんどがプラスチックなどに変わっている商品です。隣は金物屋で鉄やブリキなどの商品を売っている店でした。そこで18歳まで過ごしました。

 郡中町は松山平野の西の端、前は瀬戸内海の伊予灘、後ろはあまり高くない谷上山があり、静かな田舎町です。名産品はヤマキやマルトモの花かつおが有名です。

 物心ついたときは世の中は大東亜戦争(太平洋戦争)の真っ最中でした。私は4人兄弟の長男、1歳下と5歳下の弟、3歳下の妹がいました。そのころは4人ぐらい子供がいるのは普通だったと思います。

 1941年12月8日開戦、1943年に国民学校に入学しました。その前の年には幼稚園に通っていた記憶があります。戦争の記憶は、ラジオの大本営発表、灯火管制、芋と麦飯、父が防空壕を掘ったこと、学校の運動場が芋畑になったことなどです。松山は空襲で焼けましたが、郡中は特に被害はありませんでした。

 1944年に母が肺結核でなくなり、翌年には新しい母が来てくれました。私は肺門リンパ腺炎で1945年4月から学校を休んでいました。そして間もなく終戦、郡中の2つの国民学校は、小学校と中学校に変わり、3学期から小学校に復帰しました。3年生でした。

 国民学校、小学校、中学校の2年までは勉強した記憶がありません。健康を取り戻してからは遊んだ記憶ばかりです。海のそばだったので、泳いだり砂浜で野球のまねごとをしたりしていました。

 高校は松山南高校でした。学区制がはっきりしていて、郡中は普通校は南高と決まっていました。高校受験はほとんどの生徒が希望校に入れた感じであまり苦労した記憶はありません。

 大学受験が大変でした。高校3年間は高校生活を楽しんだというより、大学受験の準備のためという感じでした。高校3年の1月、郡中町は近くの3つの村と合併して伊予市となりました。

 そして1955年大学受験に失敗浪人となりました。当時は地元の大学は別として、都会の大学は1年浪人が当たり前、東京で浪人生活を送るため伊予市を離れました。

 それ以後は故郷を離れて過ごしましたが、歳を重ねると一番心に残っているのは故郷の風景です。しかし今はその風景が変わりました。荒物屋は妹が守って店を続けていましたが、昨年5月建物が老朽化して取り壊すことになったとき廃業しました。妹も80近くなって無理がきかなくなっていました。実家の周りの伊予市の商店街も他の街でよくみられるように廃業する店が増えシャッター通りになってきました。

 最近は思い出に残っている昔の町の面影を追っかけています。

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2020年10月23日 (金)

これからの手賀沼通信ブログ(NO.1390)

 コロナの中、毎日繰り返しのような静かな生活が続いています。

 朝の軽い散歩、パソコン、読書、テレビが日課です。たまに近所での買い物、病院通いが加わります。高齢者にコロナを移すのを恐れて、子供たちや孫たちも我が家に来る回数を減らしています。

 手賀沼通信の話題もコロナが中心で、その他の話題を何とか見つけてはあまり変わり映えのしないことを書くようになってしまっています。

 もともとコロナが来る前から取り上げるテーマが少なくなっていました。75歳のとき体調を崩し、海外旅行はやめました。昨年3月大腸憩室出血で3度目の入院をして以後、国内旅行もやめました。何の前触れもなく突然出血するので泊りがけで出かけるのは怖くなったのです。昨年から脊椎間狭窄症で歩くのがつらくなり、日帰りのバス旅行もやめました。全く旅行の記事が書けなくなりました。

 また民謡の会やその他のもろもろの会もやめたり、出席をあきらめたりしています。手賀沼通信に楽しみながら書く話題がなくなったのです。

 来年1月で84歳になります。どちらかといえば長生きしたほうになるのでしょうか。もう思い出を作る年齢ではなく、思い出に浸る年齢だと思います。

 そこでこれからの手賀沼通信はそんな思い出を少しずつ書いてみようと考えました。本にするような自分史を書くエネルギーは残っていませんので、つれずれなるままに、あやふやな記憶をたどりながら、ブログに残そうと思っています。

 いつもの手賀沼通信に交えながら、話題の見つからないときに埋め草として書くつもりです。他人のことなど面白くないと思いますので、読むのをパスしてくださってもかまいません。

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2020年10月21日 (水)

MLBのワールドシリーズは観客を入れて始まった(NO.1388)

 2020年10月20日、アメリカメジャーリーグのワールドシリーズが始まりました。第1戦はナショナルリーグのドジャースが8-3でアメリカンリーグのレイズを破りました。

 例年ならワールドシリーズは両チームの地元で行われます。ロサンゼルスとタンパベイです。ところが今年は新型コロナウィルスのために地元と関係ないテキサス州のアーリントンのグローブライフ・フィールドで行われています。そしてもう一つ違うのはそれまでの無観客ではなく、1万5千人以下の観客を入れて行われているのです。実はナショナルリーグの優勝決定シリーズもアーリントンで観客を入れて行われたのです。

 不思議に思ってネットで調べてみました。

 テキサス州はスポーツイベントに観客を入れることを許可している数少ない州だったのです。日本では県によって違う方針は打ち出せませんが、アメリカは州によってコロナ対策が違うようです。MLBのコミッショナーが、地元ではなく、アーリントンで観客を入れて行うように決めたようです。

 やはり観客のいる球場でやるほうが選手もファンも満足します。熱戦を繰り広げ、無事にワールドシリーズが終了するよう祈っています。

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2020年10月13日 (火)

読書の終活「世に棲む日々」を読み終え「義経」へ(NO.1388)

 令和2年10月12日書棚の司馬遼太郎の小説「世に棲む日々」全3巻を読み終えました。これで9作品を読みました。

 「世に棲む日々」の主人公は吉田松陰と高杉晋作です。最後のほうに伊藤俊輔(博文)や山形狂介(有朋)が登場します。

 司馬遼太郎は幕末の英雄を3段階に分けています。最初に出てくるのは吉田松陰のように思想や世界観で維新の発端になる人たちで維新の実現を見ることなく死んでいきます。次に登場するのは高杉晋作のように先人の思いを実現すべく先頭に立って活躍し維新を成し遂げる人たちで、この人たちの多くも命を落とします。最後は伊藤博文や山形有朋のように生き延びて維新の果実を得て栄達する人たちです。

 この小説は高杉晋作の活躍を大きく取り上げ、晋作の死で終わっています。27年8か月の短い生涯でした。

 次は戦国時代でも幕末でもない「義経」です。1997年(平成9年)に出版された文庫本2冊です。義経も弘法大師空海と同じく日本の思いがけない場所に足跡を残しています。

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2020年10月10日 (土)

1964年の今日は東京オリンピックの開会式だった(NO.1387)

 1964年の東京オリンピックは10月10日に開幕しました。そのころのことを振り返ってみたいと思います。

 私は27歳、9月15日に4年半勤めた三井生命を退職し、10月15日から日本IBMに転職することが決まっていました。

 1か月フリーでしたのでオリンピックの開会式を見るつもりでしたが、チケットが手に入りませんでした。三井生命の退職金でテレビを購入しアパートの部屋で見ました。14インチの白黒テレビでしたが、日本で開催される初めてのオリンピックに目を凝らしてみていました。今の開幕式と違って日中で、まばゆいばかりの晴天の下に行われました。

 オリンピックに先立って10月1日には東海道新幹線が開通しました。10月1日の切符は取れなかったので、2日の東京-大阪間の切符を購入し愛媛県の実家に帰省しました。そのスピードに興奮しっぱなしだったのを覚えています。

 10月15日にはIBMに出社しました。オリンピックの期間中、国立の駅から四谷の駅まで、国立競技場の聖火を見ながら中央線で通ったような記憶があります。IBMはオリンピックの記録を管理するオンラインシステムを受注し運営していました。国内初のオンラインシステムです。大勢のシステムエンジニアが投入されていました。

 IBMも東京も日本もオリンピック一色でした。IBMではその年、System/360という画期的なコンピュータを発表していました。日本はオリンピックをきっかけに高度経済成長に入りました。

 10月10日は1966年から体育の日として休日になりました。2000年以降は10月の第2月曜が体育の日になりました。今年からスポーツの日に名前が変わり、今年は東京オリンピックのため開催日に当たる7月24日に変わりました。コロナのため無駄な休日になりましたが、来年も開幕日に変更されるかもしれません。

 オリンピックは私の青春時代の記憶として大きく輝いています。

 

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2020年10月 8日 (木)

コロナの日本国内の感染者が中国の感染者の数を超えた(NO.1386)

 2020年10月7日、日本国内のコロナの感染者の数(クルーズ船や空港での感染者の数を除く)が中国の感染者の数を上回りました。

 ただ、中国の数字はアメリカのジョンズ・ホプキンス大の集計によりますが、5月19日以後死亡者がゼロとなっており、信頼性を疑う人もおります。

 同大学の数字からまとめた、日本、中国、韓国、台湾の10月7日現在の感染者と死亡者の比較です。

      感染者  死亡者  人口(百万)

・日本 85,965 1,615  1億27

・中国 85,489 4,634 14億33

・韓国 24,353   425    51

・台湾    521     7           24

 この数字を人口で平準化してみると、日本が他の3国より多くの感染者と死亡者を出しているのがわかります。

      感染者  死亡者

・対中国 11.3倍  4倍

・対韓国  1.4倍  1.5倍

・対台湾 31.2倍 42.3倍

 東アジア4国では日本が一番コロナ対策が遅れています。今後どうするか、経済への影響と天秤にかけながら考えていく必要があると思います。

 ただ、世界を見渡すと東アジアはコロナをよく抑え込んでると言えるかもしれません。

 コロナにかかりながらわずか3日で退院したトランプ大統領のアメリカは10月7日現在、感染者は750万人を超え死者は21万人を超えました。ヨーロッパのフランス、イギリス、スペイン、イタリアなどでも再び感染が広がり、現在のところ1日の感染者が数千人から1万人台になっています。

 10月5日、WHOは世界の感染者は3500万人を超えたと伝えています。推計では77億人の世界の人口の10%が感染したとも述べています。どこまで続くのでしょうか。

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2020年10月 3日 (土)

トランプ大統領がコロナ陽性、アメリカの感染はどうなる(NO.1385)

 2020年10月2日アメリカのトランプ大統領が新型コロナウィルス陽性と判明しました。メラニア夫人も陽性でした。

 読売新聞には「来月大統領選 影響は必至」「終盤 再選戦略狂う」「米政権中枢 甘い認識」「マスク・社会的距離 ルール無視」「中国紙 軽視の代償」などの見出しが紙面を満たしていました。

 たしかにテレビや新聞でトランプ大統領を見る限りいつ感染してもおかしくない感じでした。テレビでマスクをしてヘリコプターに乗り込むところを見ましたが、ちょっと遅すぎたようです。

 私が一番関心を寄せているのは、これでアメリカのコロナの感染が収まるように向かってほしいということです。トランプ大統領が自ら感染したことにより、コロナの怖さを自覚して感染対策にリーダーシップを発揮することが肝要です。

 過去の各国の首脳が感染した後、その国がどうなったかを見ると感染は拡大しています。

 イギリスではジョンソン首相が3月に感染しました。4月1日にはイギリスの感染者は2万2千人ほどでしたが、10月3日には約46万3千人になっています。イギリスは当初は他のヨーロッパ諸国より感染が少なかったのですが、あっという間に他のヨーロッパ諸国を追い越して感染者や死亡者が増えました。死亡者数と死亡率はヨーロッパ最高になっています。

 4月にはロシアのミシュスチン首相が感染しました。ロシアでは5月12日に約22万だった感染者が10月3日には約119万人に達しました。感染者数はブラジルに次いで世界第4位です。

 7月にはブラジルのボルソナロ大統領が感染しました。トランプ大統領と同じくコロナはただの風邪と軽視していました。8月1日には約261万人だった感染者は10月3日には約485万人に増えています。死者は9万1千人から約14万5千人に増えました。

 これらの例から見ると、3人とも感染を抑える有効な手が打てなかったと言えます。国のリーダーの感染はむしろ悪い方向に向かっています。

 はたしてトランプ大統領の感染が吉と出るか凶と出るか、今までの悪例をひっくり返してほしいものです。

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