住んだ場所の思い出-その13 千葉県我孫子市若松(NO.1420)
1984年(昭和59年)5月、我孫子台マンションから若松の2世帯住宅に引っ越しました。そして今も住んでいます。
引っ越した時は妻と長女と長男と妻の両親と愛犬の6人と1匹の家族でしたが、今は2人です。47歳でしたが、83歳となりました。
若松は我孫子駅から歩くと18分くらい、今は歩くのが遅くなったので30分近くかかります。駅まで坂東バスが頻繁に出ています。バス停までは2分くらいです。
若松は手賀沼を埋め立てて造られた住宅団地です。1区画60平米以上あります。今は住人が高齢化しているので、若松ではなく老松などと言われることもあります。空き家になって売却されると1区画に2軒建てられることが多くなっています。
手賀沼ふれあいラインに沿っているため、沿線にスーパー、ドラッグストア、100円ショップ、コンビニ、ファミレス、飲食店、その他のお店がいろいろあって、駅からはちょっと離れていますが、我孫子では一番便利といわれています。若松の裏側には手賀沼遊歩道があり、手賀沼や手賀沼公園にも近く、環境にも恵まれています。散歩やサイクリングは景色を楽しめながらできます。手賀沼エコマラソンや手賀沼花火や手賀沼トライアスロンも開催されます。ここで妻に看取られながら逝くのが願いです。
若松に来て36年になりました。2人の子供は結婚して家を出ましたが、同じ我孫子市に住んでいます。長女の子供は、社会人と大学生、長男の子供は中学生です。妻の両親は87歳と94歳で亡くなりました。
若松で一番頑張ったのは妻です。自分も働きながら子育て、両親の介護と看護、勤めを辞めてからは、孫たちの面倒を見たりの大活躍でした。今も新田ファミリーの大黒柱として、子供や孫たちに頼りにされて存在感を放っています。何かあるたびに我が家で食事会をして料理の腕をふるっています。私も妻には頭が上がりません。
仕事は別として、私が若松で楽しんだのは、妻と二人での旅行と孫たちとの交流です。旅行は海外と国内を体が言うことをきかなくなるまで行きました。孫の運動会や野球大会やピアノや琴の発表会にもほとんど出ています。男の孫2人のポケモンスタンプラリーには毎年付き合いました。孫娘が小学校に入学した年は1年間集団下校を見守りました。
また若松地区のためには防犯パトロールと小学生の下校見守りを週1回10数年やっています。
「住んだ場所の思い出」はこれでおしまいですが、次に「学校の思い出」シリーズを書きたいと思っています。またお付き合いください。
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