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2020年12月13日 (日)

住んだ場所の思い出-その9 東京都三鷹市(NO.1412)

 1966年(昭和41年)5月国立市から同じ中央線の三鷹市に引っ越しました。

 新婚家庭を築くためでした。新婚生活はできれば住宅公団のアパートで始めたかったのですが、何度申し込んでも抽選に当たらず、民間のアパートを借りました。

 婚約者と中央線沿線の不動産屋をあたり、何軒もの住宅を見て歩きました。そして地名は三鷹市ですが、中央線武蔵境駅から歩いて10分足らずのところにまずまずのアパートを見つけました。木造新築の2階で六畳一間ですが台所と水洗トイレがついていました。新築で水洗トイレ付というのが気に入りました。それまで住んだ場所には水洗トイレはありませんでした。お風呂は近所に公衆浴場がありました。

 結婚式は5月15日、赤坂の健保会館で行いました。妻は三井生命勤務、三井生命では1年後輩ですが、学歴の関係で6歳の年の差がありました。三井生命のハイキングクラブで知り合いました。そのため結婚式には三井生命と日本アイ・ビー・エムの上司や友人が来てくれました。

 武蔵境での共稼ぎの生活はその年の12月まで約半年間続きました。中央線で私は四谷まで、妻は神田まで通いました。妻は帰宅後家事が待っているので大変だったと思います。振り返ってみるとあっという間の生活だったためか、あまり印象に残っていません。夢の中で過ごしたような半年間でした。

 なぜ半年で終わったかとというと、間もなく公団住宅の抽選に当たったのです。たしか15回以上落選すると、当選率が10倍に上がるというルールがあったように覚えています。そのルールで当選したのです。しかも幸運にも同じ中央線沿線で、妻の実家に近い「けやき台団地」に当たりました。最寄り駅は国立駅です。

 ほかの団地の抽選のとき当たらなくて幸いでした。そして12月にけやき台団地に引っ越しました。

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