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2020年12月 3日 (木)

住んだ場所の思い出-その7 東京都目黒区・東横線学芸大学駅/都立大学駅(NO.1407)

 千葉県我孫子町の三井生命我孫子寮から1963年(昭和38年)に三井生命の学芸大学駅の寮に引っ越しました。

 実ははっきりした年月日の記録も記憶もないのですが、前後の事情から推測すると1963年に間違いないと思います。学芸大学駅の寮に住んだのは1年足らずで、1964年には同じ東横線の隣の駅の都立大学駅の寮に引っ越しました。

 都立大学駅に新築の三井生命寮ができたのです。しかし都立大学駅の寮に住んだのも数か月でした。三井生命を退職し日本アイ・ビー・エムに転職することになったためです。転職については「職場の思い出」シリーズで書くつもりです。

 学芸大学駅の寮は東急東横線の渋谷から4つ目の駅で時刻表を見ると乗車時間は8分となっています。駅からも歩いて数分でした。

 三井生命は1961年に大手町の自社ビルに移っていたので、学芸大学駅からは渋谷で地下鉄銀座線に乗り換え、赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えて大手町に下車すれば50分ほどでつきました。我孫子寮からの通勤時間と比べると30分くらい短縮されました。都立大学駅の寮からも同じくらいの通勤時間でした。しかも1964年には地下鉄日比谷線が全線開通し、東横線との乗り入れが行われたため、乗り換えが1回減りさらに便利になりました。

 ただ振り返ってみるとこの2つの寮での生活はあまり記憶に残るようなことはありませんでした。覚えているのは学芸大学駅の寮に引っ越した前後から、その後結婚することになる女性と付き合い始めたということです。女性は中央線の国立に住んでいたため、新宿あたりで時々一緒に食事をした記憶があります。また会社の仲間とも新宿の歌舞伎町などでよく飲みましたが、我孫子のように長時間電車に乗ることがなかったので乗り越したことはありませんでした。

 そして1964年9月三井生命を退職し、女性の住む国立に部屋を見つけ引っ越しました。

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