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2021年1月20日 (水)

学校の思い出-その3 松山南高校(NO.1426)

 1952年(昭和27年)4月、松山南高校へ入学しました。

 松山には普通高校は南高校以外に東高校と北高校がありましたが、学区制により郡中中学校の生徒は普通高校は南高校に進学することに決まっていました。松山南高校は戦前は県立女学校でした。夏目漱石が先生だったり、坂の上の雲の秋山兄弟が学んだ松山中学は松山東校となりました。

 松山南高は我が家から数分の伊予鉄郡中駅から乗車時間25分の松山市駅で下車、歩いて5分の所にありました。当時はあまり有名ではありませんでしたが、今は観光地となっている正岡子規の子規堂が近くにありました。

 高校生活3年間は個性豊かな多くの先生に会ったこと、多くの友人に恵まれたこと、大学受験を目指して懸命に勉強したことが記憶に残っています。

 優しかった英語のH先生、厳しく指導してくださった国語古文の女性のI先生、ユーモアあふれる漢文のY先生、本名が思い出せないあだ名のタコ先生などが印象的でした。特にお世話になったのは3年生の時のクラス担当のM先生でした。何人かでご自宅にお邪魔したのを覚えています。

 高校では他の中学出身の友達も多くなりました。今でも付き合っている友人は高校時代の同級生が一番多い感じです。南高同級生の関東地区の会は80歳でやめましたが、有志は年1回集まっています。あこがれた女性もいましたがあこがれだけに終わりました。

 小学校の修学旅行は愛媛県内の宇和島市、中学の修学旅行は京阪神で、高校の修学旅行は関東でした。神戸まで関西汽船に乗り、三宮から急行列車に乗りました。修学旅行の専用列車や指定席などはなく、一般乗客と一緒で途中からやっと座れるといった状態でした。箱根、江ノ島、東京、日光などに行った記憶があります。どこも初めての場所だったので大変楽しい思いをしたのを覚えています。当時は前もって米原まで米を送っておき、米原で駅弁を調達するという時代でした。たぶん今の中年以下の人にはわかってもらえないと思います。

 大学受験は今以上に大変でした。一橋大学と東京外語大学を受けましたが予想通り落ちました。浪人生活に入りましたが、当時は1年の浪人は当たり前という感じでした。

 楽しくもあり、苦い思いもした3年間でした。

 

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