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2021年2月24日 (水)

学校の思い出-その5 一橋大学(NO.1438)

 1956年(昭和31年)4月、1年浪人をして一橋大学経済学部に入学しました。

 当時の一橋大学は1学年の定員が、経済学部120名、商学部120名、法学部100名、社会学部100名の少人数の大学でした。現在は2倍近くの1学年約1000名ほどになっているようです。

 私たちの学年は全員男性で、4年間の在学中別の学年に1名の女性がいただけでした。今は女性の数は大幅に増えています。

 当時は教養過程の2年間は小平キャンパス、あとの2年間は国立キャンパスで学びました。教養課程の小平キャンパスは1996年に廃止され、今は全員国立で学ぶようになりました。小平分校の後は小平国際キャンパスとなっているようです。

 一橋大学に入ってまず心を躍らせたのは、当時中労委の会長をされていた中山伊知郎、学生に人気絶大だった高島善哉、上原専禄などの諸先生の講義を聴くことができたことです。

 西武多摩湖線の一橋大学駅から2つ目の青梅街道駅近くに下宿を見つけて通いました。下宿については「住んだ場所の思い出-その5」に詳しく書いています。

 教養課程のクラス分けは第2外国語によって分けられました。私たちはドイツ語のクラスの1つでした。このクラス会は今年はコロナで集まれませんでしたが今も続いています。

 同好会を選ぶのは迷いました。体力的にスポーツは自信がありませんでした。いろいろ考えた末、親父が尺八をやっていたのでなじみがあった尺八の「一竹会」に入りました。東京女子大の琴の会との交流というおまけがついていました。一竹会の師範はのち人間国宝になって65歳で亡くなられた山口五郎先生でした。まだ結婚されたばかりの若手バリバリのころでした。

 後半の専門課程の2年間はゼミナール単位で学ぶのが一橋大学の特徴でした。近代経済学の関恒義先生のゼミを選びました。関先生はマルクス経済学にも精通されていたまだ30代の新進気鋭の先生でした。ゼミの同期は10名でした。関先生は大の酒豪、勉強よりもお酒を楽しむことを学んだと言ってもいいと思います。先生のお宅や飲み屋やゼミ旅行でよく飲んだのを覚えています。関ゼミの集まりは、各年代のゼミテンも入れて先生の傘寿のお祝いまで続きました。卒論には当時はやっていた「ゲームの理論」を選びました。

 大学の4年間はあまり勉強に励んだ記憶はありませんが、先生、同級生、先輩、後輩、下宿のおばさんとの交流などその後の人生を豊かにしてくれた4年間だったと言えると思います。

 それに何より感謝することは、あまり経済的に豊かでなかった両親が、浪人時代も含めて、学費だけでなく毎月1万円を送ってくれたことです。就職してもらった最初の給与が1万4000円だったのでその金額の大きさがわかります。弟も東京で一緒だったので、同じ期間同じ負担をかけました。さぞ大変だったことと思います。自分が子供を持った時、それがよくわかりました。両親に感謝してもしきれない学生生活でした。

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2021年2月20日 (土)

コロナの中で手賀沼公園に小さな春を見つけた(NO.1437)

 令和3年2月20日、日差しが暖かかったので手賀沼公園に散歩に出かけました。

 緊急事態宣言が出ているので不要不急の外出は自粛ですが、脚の衰えを少しでも防ごうと出来るだけ人出を避けて散歩するようにしています。

 手賀沼公園はそれほど密にはなっていません。家族ずれがテントを持ったり、ボールを持ったりしてきていました。繁華街に行くより、公園で過ごすほうがコロナは避けられます。小さな春を楽しんでいました。

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 今年は早く暖かくなったせいか、渡り鳥が早くいなくなったような気がします。見かけたのは留鳥がほとんどでした。これも春の気配です。

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 手賀沼公園は今2カ所で工事を行っています。バリアフリーのための鋪道の工事とあゆみの里の列車倉庫の補修工事です。いずれも3月半ばの完成となっていました。春を迎える準備でしょう。

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 そして最も春を感じさせてくれたのがカワヅザクラでした。満開はまだですが、結構花をつけていました。木はまだ成長途中です。あと何年かすれば大木となって見事な花を咲かせてくれるでしょう。

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 コロナの中で見つけた小さな癒しでした。

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2021年2月18日 (木)

遅まきながらやっと日本国内でのワクチン接種が始まった(NO.1436)

 2021年2月17日午前9時、日本国内初となる新型コロナウィルスワクチンの接種が国立病院機構東京医療センターで始まりました。やっと始まったという感じです。

 2月中に国立病院機構などの約4万人の接種が終わります。3月は約370万人の一般の医療従事者が対象となります。4月以降は約3600万人の高齢者と基礎疾患のある人などが対象となります。一般国民に接種されるのは夏以降となります。

 7月下旬からオリンピックが始まるのになぜこんなに遅れたのでしょうか。昨年12月にはイギリス、アメリカ、ヨーロッパのなどで接種が始まりました。今までに世界では少なくとも90か国でワクチンの接種が始まっています。日本はOECD加盟37か国では33番目の接種国となっています。

 オリンピック、パラリンピックを無事に開催するには何が何でも最優先でワクチンの接種を始めるべきだったと思います。

 遅れた理由が読売新聞に出ていました。一つは日本は国際的な臨床試験に参加しておらず、国内で臨床試験を行う必要があったからです。日本人のデ-タが必要と判断したためです。ちょっと慎重になりすぎたのではないでしょうか。その間死者が増えています。めったに起こらない副反応を探すより目の前の死者を減らすべきだったと思います。

 二つ目は日本では戦後ワクチンの副反応が社会問題化し、接種に消極的になり大規模な開発が行われず、国内の開発メーカーの開発力が低下したことです。日本製のワクチンはありません。コロナのワクチンはアメリカやイギリスだけでなく、中国、ロシア、インドでも開発されています。日本は外国製のワクチンの有効性や安全性を議論しているにすぎません。

 ノーベル医学生理学賞を何度も取っている日本がワクチンを開発できないとは信じられません。これも日本人の慎重すぎる性格と日本の科学軽視の政治のせいでしょうか。

 話が飛んでしまいましたが、こうなった以上は外国製のワクチンの確保と、ワクチン接種の体制の確立に全力を挙げるしかありません。私も1日も早く接種してほしいと願っています。

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2021年2月12日 (金)

森オリンピック・パラリンピック大会組織委員長が辞任してよかった(NO.1435)

 2021年2月11日、森喜朗オリンピック・パラリンピック大会組織委員長が女性蔑視と受け取れる発言の責任を取って辞任する意向を示しました。後任には川淵三郎氏が就任する予定です。正式決定は12日の組織委の緊急会合になります。

 森氏は2月4日の記者会見で発言を撤回し謝罪しましたが、委員長は続けるつもりでした。ところが国の内外から批判が集中し、大会ボランティアが多数辞退する状況などを招いていました。辞任を決めたのは、IOCが当初「謝罪したのだから問題は終結」としていたのが、「絶対的に不適切な発言であり、IOCの制約に反する」との声明を発表したためだと思います。

 森喜朗氏は私と同年齢の1937年生まれ、あの年でよく頑張っているなと見ていたのですが、やはり地が出てしまいました。

 2000年4月、脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三総理大臣の後を継いで、密室会議で総理大臣になったのですが、1年でやめてしまいました。その大きな原因は、私のふるさと愛媛県の水産高校の練習船「えひめ丸」がアメリカの原子力潜水艦の急浮上でぶつけられて沈没したとき、森総理はゴルフをしていましたが、その際の言動が国民の不評を買い、支持率が急低下、やめざるを得なくなってしまったのです。

 今回はその繰り返しのような気がしています。森氏はもともと失言が多く、私にとっては人格的にあまり尊敬できる人ではありませんでした。こんな人がオリンピックの大会組織委員長でいいのだろうかと思っていました。愛媛県の高校生や先生が9人も亡くなったときに、「あれは危機管理でなく事故でしょ」と言ってゴルフを続けた態度と、今回の言動が通ずるような気がするのは、地元びいきのせいだけではないと感じていました。

 後を継ぐ川淵三郎氏は初代のJリーグのチェアマンで立派な方だと思います。それにしても森氏より1歳上の高齢です。若人の祭典です。もっと若い人材が日本にはいないのでしょうか。コロナで先は見えませんが、とにかくオリンピック・パラリンピックを無事に終わらせてほしいと願っています。

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2021年2月10日 (水)

運転免許証もパスポートも自動的に使えなくなった(NO.1434)

 クルマの運転免許証が1月29日の84歳の誕生日を過ぎたため使えなくなりました。パスポートは昨年2月で有効期限を過ぎました。どちらも更新の手続きを取らなかったため使えなくなりました。

 免許証は誕生日前に返納して運転経歴証明書をもらうつもりでした。返納には流山の免許センターに行く方法と我孫子警察に行く方法があります。マイナンバーカードがあるため運転経歴証明書をもらう必要はないのですが、いつも免許の更新は我孫子警察でやっていたため、最後に免許センターに行くのも面白いと思っていました。好奇心からです。

 ところが1月7日に緊急事態宣言が出されました。我が家から免許センターに行くにはバスと電車ともう一度バスに乗る必要があります。免許センターに行くのは不要不急の外出です。往復6回の公共交通機関に乗るのは密になる可能性が大です。センターも混んでいるかもしれません。行くのをやめることにしました。

 パスポートは健康上の理由から海外旅行をあきらめました。いつまで有効かも知りませんでした。このブログを書くにあたって確かめたところ昨年2月まででした。車は昨年は1度も運転しませんでした。海外とも車とも縁が切れて寂しいですがさっぱりした気分でもあります。

 

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2021年2月 6日 (土)

学校の思い出-その4 予備校一橋学院(NO.1433)

 1955年(昭和30年)一橋大学の入学試験に失敗したため浪人生活となりました。そして同年7月末上京し、予備校の一橋学院に入学しました。

 一橋学院は1953年に高田馬場に開設された予備校で、主として一橋大学を目指す浪人が通っていました。まだ出来立ての予備校でした。創設者の金子泰蔵先生が英語の講座を担当していました。ネットで調べてみると、一橋学院はその後東京国際大学の傘下に入っています。

 当時の予備校は東大なら駿台予備校、私立大には代々木ゼミナールなどがありました。約10年後の予備校全盛時代の幕開けといったころだったのではないかと思います。

 下宿は西武池袋線の富士見台でした。高田馬場までは池袋で乗り換えて30数分の通学時間でした。この時は予備校と下宿を往復するだけの勉強のみの生活でしたが、勉強がつらいと感じたことはなく、ホームシックになることもありませんでした。同じ松山南高の同級生の竹田君と同じ部屋に下宿していたのと、近くに叔父一家が住んでいたので勉強に打ち込むことができました。

 予備校時代で一番印象に残っているのは、最初の模擬試験で1番になったことです。生徒の数は覚えていませんが、全校生徒一斉の模擬試験です。田舎から出てきてしかも学年の途中から入学した人間が、東京や全国から集まった浪人のなかで1番になったのは何かの間違いではないかと思いました。その後何度か模擬試験がありましたが、2度とそんな奇跡は起こりませんでした。

 大学入試はまず早稲田大学の政経学部に合格、本命の一橋大学経済学部も合格でした。努力が結果に結びつくことを知りました。その後の人生でもこれほど素直に喜べたのは、結婚した時と子供が生まれた時以外にはなかったような気がしています。

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2021年2月 3日 (水)

緊急事態宣言1か月延長とお粗末な国会議員(NO.1432)

 令和3年2月2日、菅首相は2月7日までの緊急事態宣言を3月7日まで延長すると発表しました。

 栃木県は解除され、東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜、福岡の10都府県が延長されます。最近になって感染者は減ってきていますが、死亡者は逆に増えており、医療提供体制の改善は不十分で、ひっ迫しています。「GO TO トラベル」の全国停止や外国人の新規入国停止も継続されます。

 ただテレビのニュースなどで見ると人出はあまり減っていないように見受けられます。日本人がコロナ慣れしたのではないでしょうか。今減らさないとオリンピックに大きな影響が出ることは間違いありません。

 国会議員のお粗末さも目立ちます。自民党の松本純、大塚高司、田野瀬太道、公明党の遠山清彦、4衆議院議員は東京銀座の高級クラブで深夜まで遊んでいました。国民には8時までの自粛を求めながら、国の政治をつかさどる国会議員がルールを破るとは言語道断です。

 自民党の3議員は自らの進退を決められず、党から辞職勧告を受けてやっと離党しました。公明党の遠山氏は衆議院議員を辞職しました。自民党の3議員も議員をやめるべきと考えます。

 

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2021年2月 2日 (火)

2021年のプロ野球キャンプは無観客で始まった(NO.1431)

 2021年2月1日プロ野球のスプリングキャンプが始まりました。

 今年はコロナの影響を受けて全チーム無観客でのキャンプです。例年キャンプには大勢の見物客が訪れます。今年は密を避けるため見物客お断りとなりました。また、西武と楽天と広島は前半と後半にキャンプ地を変えていましたが、今年は1カ所となりました。これもコロナの影響と思われます。

 今年は2人の新監督が誕生しました。パリーグでは楽天の三木監督が石井監督に、セリーグではDeNAのラミレス監督が三浦監督に代わりました。

パリーグ

・ソフトバンク(工藤監督) 宮崎

・ロッテ(井口監督) 沖縄石垣島

・西武(辻監督) 日南

・楽天(石井監督) 沖縄金武

・日本ハム(栗山監督) 沖縄名護

・オリックス(中嶋監督) 宮崎

セリーグ

・巨人(原監督) 宮崎、沖縄那覇

・阪神(矢野監督) 沖縄宜野座

・中日(与田監督) 沖縄北谷

・DeNA(三浦監督) 沖縄宜野湾

・広島(佐々岡監督) 沖縄沖縄

・ヤクルト(高津監督) 沖縄浦添

 今年も外国からの助っ人、社会人、大学、高校などから新人が多く入団しました。それを別にして最も注目されるのはヤンキースから楽天に戻った田中投手です。東日本大震災から10年目の今年、東北楽天に優勝をもたらすことができるか、注目と期待を集めています。

 今年の開幕はセ・パ両リーグとも3月26日です。昨年はオリンピックに備えて3月20日開幕の予定でしたが、コロナのため6月19日の開幕となってしまいました。

 今年はぜひ予定通り開幕してほしいと思っています。そしてオリンピックが開催され、侍ジャパンが金メダルを取ることを願っています。

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