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2021年2月 6日 (土)

学校の思い出-その4 予備校一橋学院(NO.1433)

 1955年(昭和30年)一橋大学の入学試験に失敗したため浪人生活となりました。そして同年7月末上京し、予備校の一橋学院に入学しました。

 一橋学院は1953年に高田馬場に開設された予備校で、主として一橋大学を目指す浪人が通っていました。まだ出来立ての予備校でした。創設者の金子泰蔵先生が英語の講座を担当していました。ネットで調べてみると、一橋学院はその後東京国際大学の傘下に入っています。

 当時の予備校は東大なら駿台予備校、私立大には代々木ゼミナールなどがありました。約10年後の予備校全盛時代の幕開けといったころだったのではないかと思います。

 下宿は西武池袋線の富士見台でした。高田馬場までは池袋で乗り換えて30数分の通学時間でした。この時は予備校と下宿を往復するだけの勉強のみの生活でしたが、勉強がつらいと感じたことはなく、ホームシックになることもありませんでした。同じ松山南高の同級生の竹田君と同じ部屋に下宿していたのと、近くに叔父一家が住んでいたので勉強に打ち込むことができました。

 予備校時代で一番印象に残っているのは、最初の模擬試験で1番になったことです。生徒の数は覚えていませんが、全校生徒一斉の模擬試験です。田舎から出てきてしかも学年の途中から入学した人間が、東京や全国から集まった浪人のなかで1番になったのは何かの間違いではないかと思いました。その後何度か模擬試験がありましたが、2度とそんな奇跡は起こりませんでした。

 大学入試はまず早稲田大学の政経学部に合格、本命の一橋大学経済学部も合格でした。努力が結果に結びつくことを知りました。その後の人生でもこれほど素直に喜べたのは、結婚した時と子供が生まれた時以外にはなかったような気がしています。

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