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2021年3月11日 (木)

10年前の東日本大震災時の記録と新聞(NO.1442)

 今日令和3年(2021年)3月11日は東日本大震災から10年です。

 かなり前から新聞やテレビなどでは東日本大震災のいろいろな記事や番組が見られました。今になってもその爪痕があちらこちらに残っています。心が痛むことが多いです。

 10年前の記録を探してみました。

 まず日記の記録です。当時の日記は10年日記だったため1日分がわずか4行しか書けないので簡単なメモ程度です。

 「東北・関東大地震発生、震源地は三陸沖、マグニチュード8.8。小学校下校見守りに行く途中で遭遇。仙台の長男一家と連絡取れず。電話・携帯不通」などと書いてありました。翌日連絡が取れて、親子3人無事で、車の中で生活していると記していました。3月4日には我孫子でも電池が買えないので、愛媛県の伊予市の妹から仙台に送ってもらったことが書いていました。

 次に手賀沼通信ブログには、3月12日に「『東北地方太平洋沖地震』による若松と手賀沼遊歩道の被害」を書きました。12日に被害状況を写真に撮って載せたのです。なお「東日本大震災」は最初は「東北地方太平洋沖地震」と呼ばれていました。

 3月25日のブログには「美しかった東北の海岸の思い出」というタイトルで、約3年間の仙台赴任中に訪れた場所や、地震の半年前にツアーで行った三陸海岸の思い出を書きました。

 このブログの左の欄のバックナンバーをクリックし、2011年3月をクリックしていただければご覧いただけます。

 最後に2011年5月発行の手賀沼通信第158号には「東日本大震災体験記」を載せました。仙台で被災した長男の妻が自分のブログに書いたものを借りてきたものです。生々しい体験を、地震に遭った直後から我孫子の私の家に戻ってくるまでをドキュメンタリー風に記録していました。マンションの中がめちゃめちゃに壊れた写真も載せました。

 手賀沼通信は文末のアドレスでご覧いただけます。

 震災後の3月12日から4月末までの読売新聞を保存しています。

 朝刊も夕刊も連日、地震と津波と原発の記事と写真で埋め尽くされています。あらためて眺めても、悲しい記事と写真ばかりで、心が折れそうになりました。計画停電による混乱も大きく取り上げられました。

 12日から16日までの新聞のテレビ版を調べてみました。NHKは5日間とも東日本大震災関連の放送ばかりでした。民放も12日は通常番組が載ってましたが、13日からはテレビ東京以外は大震災関連がかなり増えています。

 もう2度とこのような災害は経験したくないと感じています。

 http://tegatu1.web.fc2.com./(手賀沼通信バックナンバー)

 

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