« 職場の思い出-その3 日本アイ・ビー・エム 保険担当営業所(NO.1457) | トップページ | 職場の思い出-その5 日本アイ・ビー・エム 仙台営業所(NO.1459) »

2021年4月18日 (日)

職場の思い出-その4 日本アイ・ビー・エム 証券・地銀・信金担当営業所(NO.1458)

 1974年(昭和49年)7月、証券・地銀・信金担当の営業所に異動となりました。

 この営業所に所属したのは1年弱で、1975年6月には仙台営業所への転勤となりました。また1974年8月には我が家をけやき台団地から我孫子台マンションに引っ越しました。1974年にはオイルショックが始まり日本経済も大打撃を受けた年でもありました。

 新しい営業所では証券会社担当のフィールドSEマネージャーになりました。1974年にSEの組織変更がありました。それまでのSE課長を、部下を管轄するラインとしてのBOSEマネージャーと、部下はBOSEマネージャーに所属するが実質的には部下としてSEを率いるスタッフのフィールドSEマネージャーに分けたのです。

 私は証券会社担当SEのリーダーになりました。なぜか松本市にある松本信金も担当することになりました。証券会社や信金の業務やシステムは全く知りません。まずは担当SEから業務やシステムについて教わることから始めました。

 大和証券と日興証券は新しいオンラインシステムへの移行、山一證券はコンピュータ売込みでユニバックとの激しい競争になっていました。営業所全体の業績は好調でしたが、証券グループはオイルショックも重なり厳しい状態でした。

 証券担当SEグループのリーダーとして営業所長とぶつかることが何度かありました。もっと証券グループの抱えている問題に関心を持ってほしいと注文を付けたこともあります。

 それが原因かどうかはわかりませんが、赴任した翌年の6月突然仙台営業所への転勤が決まりました。何のために証券担当としてその営業所に呼ばれたのか理解できず、仕事をしたという充実感も味わう時間がありませんでした。

 短い間でしたが一緒に仕事をしたセールスやSEはとてもいい仲間でした。一緒に飲みに行ったのは保険担当のときより多かったと記憶しています。六本木や新橋のバーが証券グループのたまり場になっていました。今も証券グループの集まりには必ず参加しています。

| |

« 職場の思い出-その3 日本アイ・ビー・エム 保険担当営業所(NO.1457) | トップページ | 職場の思い出-その5 日本アイ・ビー・エム 仙台営業所(NO.1459) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 職場の思い出-その3 日本アイ・ビー・エム 保険担当営業所(NO.1457) | トップページ | 職場の思い出-その5 日本アイ・ビー・エム 仙台営業所(NO.1459) »