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2021年5月14日 (金)

職場の思い出-その7 日本アイ・ビー・エム 人事部門(NO.1466)

 1986年(昭和61年)9月1日、研修部門から人事部門に異動しました。人事部門の勤務が日本アイ・ビー・エムでの私の勤務の最後の職場となりました。

 日本アイ・ビー・エムの人事システムの特徴は、今はどうなっているかわかりませんが、当時は現場が人事権を持っていました。そして人事部門がいくつかに分かれていました。

 まず、大きくは本社人事部門と職場別人事部門に分かれていました。本社人事部門は会社全体の人事システムや規則などを作ることがおもな職務となっていました。職場別人事部門は、私が所属していた営業部門のほかに、CE部門、工場部門、管理部門などにそれぞれ人事があり、さらに営業部門では、お客様の業種ごとの統括本部に人事部門がありました。

 私が移動したのは営業人事で六本木の本社にありました。私の主な職務は、管理者研修、人材管理、合弁会社への出向、海外アサインメントなどでした。出向に関しては合弁会社から要求される人材と、出向要員の現場からノミネートされる人材がなかなか折り合わなかったことを覚えています。

 1988年からは人材管理担当としてスタッフからライン管理者となり仕事の範囲が増えました。1998年(昭和64年)1月には昭和天皇が崩御され、平成元年になりました。

 1991年7月から流通サービス統括本部の人材管理に異動しました。現場と直結した人事部門です。勤務場所が六本木から箱崎になりました。現場と直結していると言っても、人事評価や人事異動は所属長が行います。人事の役割は、人事上の情報の提供や調整、数字の管理や報告などです。

 1992年にはアイ・ビー・エムの本社が巨額の赤字を出し、12月にリストラが発表されました。日本アイ・ビー・エムの社内ではリストラではなく、SCP(セカンドキャリアプログラム)として発表されました。

 SCPは対象は50歳以上、目標人数は日本アイ・ビー・エム全体で3000人、期限は1993年6月30日でした。日本国内ではおそらく最初となる大規模なリストラでした。

 余談ですが、女性社員の重用や週休2日制など、働き方改革は日本アイ・ビー・エムが日本国内で先陣を切った感じでした。大規模リストラも日本アイ・ビー・エムが最初だったのではないかと思っています。良いほうも、悪いほうもトップランナーでした。

 SCPは強制ではありませんでした。4つの道が示され、定年まで勤務することも可能でした。退職者には退職金以外に、少なくない一時金が支給されました。一時金が出るため退職金は年金にする人が多かったように思います。退職者にはIBMの子会社に移る方法やIBMが紹介する人材配置会社を利用して転職先を探す方法もありました。

 1993年1月にはスタッフからラインになり、統括本部内のSCPを管理する立場になりました。楽しい仕事ではありませんでした。

 4月27日には四国の父がなくなりました。忙しい中5日間ほど休暇を取り伊予市へ帰省しました。

 そして自分も率先垂範で退職を決め、上司の紹介でアコムに就職することに決まりました。流通サービス統括本部からは対象者62名中40名が退職することになりました。

 1993年6月30日、56歳で28年8か月勤務した日本アイ・ビー・エムを退職しました。最後はストレスがたまりましたが、それまでの28年間は総じて楽しく仕事ができたと感じています。会社に、一緒に仕事をした仲間に心から「ありがとう」と言いたいと思います。

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