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2021年7月 7日 (水)

学校の思い出-その10 中国語講座(NO.1485)

 2004年(平成16年)4月から2009年(平成21年)4月まで5年間アビスタでの中国語教室中級に通いました。67歳から72歳のころです。

 月3回、火曜日の12時10分から約2時間、先生は台湾出身で日本人と結婚している中年の女性でした。楽しい先生でした。

 それまでに中国に2度行き、中国語は面白いと感じていました。そしてNHKラジオ講座で中国語の初級を何年か聴講していました。あびこ広報で中国語講座の受講生を募集していたのでそれに応募したのです。

 その教室はちょっと変わっていました。中国語の発音は通常ピンインを使って習うのですが、ピンインではなく昔からある(?)特殊な発音記号を使うのです。先生はピアノとエレクトーンの達人だったので、エレクトーンのある部屋が取れた時は中国語の歌を教えてくれました。例えば「北国の春」を中国語で歌うのです。

 生徒数は多い年で20名くらい、少ない時は10名あまりでした。ピンインを使わないので途中でやめる人もいました。大変家庭的な雰囲気で、5年間同じ顔触れの人が多くいました。一度台湾への旅行がありましたが、私は都合で参加できませんでした。

 2009年4月には発表会が行われました。先生が担当している他の教室との合同で、自己紹介を兼ねた中国語のスピーチ、中国語劇、中国語の歌の独唱などでした。

 それを最後に教室をやめました。友人から誘われていたグラウンドゴルフの会が同じ火曜日にあるためでした。

 5年間の教室は楽しかったですが、あまり上達した手ごたえはありませんでした。今は中国語の世界から外れたため、すっかり忘れた感じです。言葉は使わないと忘れるということを実感しています。

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