« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »

2021年8月28日 (土)

趣味、嗜好の思い出-その2 体を動かさないもの(NO.1504)

 今回は体を動かさないものの思い出です。変な言葉ですが、体を動かす趣味、例えばスポーツなどに当てはまらないその他一般の趣味や嗜好のことです。

 まず大人になってから今まで、約65年間一貫して好きなものはお酒です。学生時代や社会人の独身時代は別ですが、結婚してからはほぼ毎日お酒を嗜んできました。

 学生時代や独身時代は毎日飲むことはありませんでしたが、飲むときは飲みすぎることが多く、何度か失敗を繰り返しました。結婚してからも家内の迷惑をかけることがあり申し訳ないと思っていますが、夜会社から帰って飲む晩酌が毎日の楽しみでした。

 若い時はトリスなどの安いウィスキー、結婚してからはビール、高齢になってからは、ビール、日本酒、焼酎、ワイン、紹興酒、泡盛、ウィスキー、梅酒、レモンチェッロなどいろいろ味わっています。コロナや、脚の痛みなどであまり外出できなくなった今は、なおさら晩酌が最大の楽しみになっています。

 もう一つ生涯の友は読書です。読書の対象は年齢とともに変わっています。これについては別の機会に書きましょう。

 映画も大好きです。好きなのは小学生時代から今まで変わりませんが、現役時代は時間がなかったせいもありますが映画から遠ざかっていました。今はテレビの映画を録画して見ています。ただ、最近の映画は話題作を除いてあまり見ません。どちらかというと昔の映画を楽しんでいます。

 賭け事は学生時代にマージャン、仙台赴任時にパチンコ、アコム時代に競馬を少しやりましたが、一時的なものではまり込むことはありませんでした。パチンコは通勤時の帰りのバス停の前がパチンコ店だったため、競馬は通勤で中山競馬場の駅を通るのと部長に感化されたためでした。負けることが多く、自分にはばく才がないとつくづく感じさせられました。

 定年後多くの人が始める俳句と写真にも関心はありませんでした。私のふるさと伊予の松山は俳句の聖地です。多くの人が嗜んでいます。弟もやっています。私は俳句の代りに文章を書く方に行きました。そして定年後始めたのは情報発信です。これについても機会を改めて書きます。

 趣味としての写真は始めませんでしたが、デジカメを買ったのは早かったと思います。最初に買ったデジカメはプロッピーディスクに記憶するデジカメでした。画質が悪く容量も少なかったのですぐ市場から消えました。私のデジカメは旅行や日常の記録のためで芸術作品を取るためではありません。その後何台か新しくしましたが、常に小さくて軽くて安価な携帯カメラでした。

 パソコン、パソコン通信、無線LANなども割と早く始めました。最初はIBM製のパソコンでしたが、途中からデルになりました。今のは7台目くらいです。パソコン通信のため専用の電話回線を引いたりしましたが、これも間もなくインターネットに替わったので回線は売りました。

 ただスマホを使い始めたのは家族9人の中で最も遅くなりました。今でもスマホ入力は苦手で、パソコンのほうを愛用しています。平成31年間にわたって熱中したのは民謡です。脚と喉がおかしくなって、1昨年12月にやめましたが、愛友会で民謡を学びました。民謡の仲間とカラオケに行くのも楽しみでした。これも別の機会に書きましょう。

 コロナで自粛の毎日、楽しみは、家内の手料理とお酒、テレビ、パソコン、読書となっています。

| | コメント (0)

2021年8月25日 (水)

パラリンピックの開会式と緊急事態宣言およびまんえん防止措置の拡大(NO.1503)

 2021年8月24日夜8時より東京・国立競技場で東京パラリンピックの開会式が行われました。

 東京パラリンピックには161の国・地域と難民選手団が参加します。2012年のロンドン大会の164に次ぐ史上2番目の規模で、選手の数は約4500人になります。日本からは過去最大の254人が出場する予定です。8月25日から9月5日まで、22競技539種目で競うことになります。

 開会式は東京オリンピックと同じく、光と映像があふれ、「WE HAVE WINGS」のテーマで行われた見事なアトラクションが展開されました。開会式も東京オリンピックと同じく無観客でしたが、テレビを通じてその素晴らしさが全世界に伝わったことと思います。

 なお競技もコロナの感染拡大を防ぐため無観客で行われます。

 開会式の一部です。

Conv0001_20210825125401

Conv0002_20210825125401

Conv0003_20210825125401

Conv0004_20210825125401

Conv0005_20210825125401

Conv0006_20210825125401

Conv0007_20210825125401

Conv0008_20210825125401

Conv0009_20210825125401

 

 同じ8月24日に政府は新型コロナウィルス対策として13都府県に発令中の緊急事態宣言に、北海道、宮城、岐阜、愛知、三重、滋賀、岡山、広島の8道府県を追加すると発表しました。

 またまんえん防止等重点措置に高知、佐賀、宮崎、長崎を追加します。期限は8月27日から9月12日までです。これで47都道府県のうち、33都道府県がどちらかの対象となります。私はいっそのこと全国を対象にすべきと思うのですが、政府はそこまでは踏み切れないのでしょう。

 何度も同じことを言いますが、これで最後にしたいと感じています。

 日本の日毎の感染者数は、イギリス以外のヨーロッパの国やロシアの感染者数を追い越し、デルタ型の本家インドに迫る勢いです。国民の皆さんはどう思っているのでしょうか。

| | コメント (0)

2021年8月21日 (土)

趣味、嗜好の思い出-その1 身体を動かすもの(NO.1502)

 また思い出シリーズに戻ります。今回は体を使う趣味、嗜好です。

 はっきりした年齢は覚えていませんが最初に熱中したのは水泳です。

 終戦は小学校3年のときですから、海で泳ぎ始めたのはそれ以後だと思います。私の家は瀬戸内海に面した愛媛県伊予市です。そのころは郡中町でした。海岸は家から歩いて数分で何もない砂浜でした。

 当時は海水パンツなどはなく、家から6尺ふんどしを絞めて海に通っていました。6月末ころから9月半ばまでは泳ぐことができました。近所の仲間や弟が一緒でした。誰かに教わったわけではありませんが、犬かきから始まって小学生の間に、クロール、平泳ぎ、背泳は泳げるようになりました。仲間の中では水泳は得意な方でした。バタフライという泳法は当時はありませんでした。大人になって試みましたが最後まで泳ぐことはできませんでした。

 そのうち砂浜が港に変わったので、一文字という防波堤でまで泳いで行ってそこで泳いでいました。飛び込みができるのが楽しみでした。高校生ころになると防波堤で泳ぐのはやめ、港から2キロほど先にあった海水浴場まで泳いで往復し、そこで泳いでいました。

 水泳はその後やめました。今は大人になって始める人も多いようですが、私は逆になりました。子供とたまに海水浴場に行くくらいでした。三井生命で部門対抗の水泳大会があり駆り出されましたが、プールで泳ぐのが初めてだったため、コースロープに沿った泳ぎやターンがうまくできず惨敗したのを覚えています。

 水泳と同時に釣りもよくやりました。防波堤から釣ったり、伝馬船を借りて小鯛やメゴチなどを釣りました。伝馬船漕ぎも得意でした。

 釣りに凝ったのはその後時間をおいて2回あります。IBMの仙台時代、同僚と女川に船釣りに通いました。カレイとアイナメ(現地ではネウ)がねらいでした。我孫子に戻ってからは手賀沼のコイ釣と山中湖でのルアー釣りでした。

 水泳の後はまったのが登山です。三井生命でハイキングクラブに入り毎月のように山登りをしていました。ハイキング部は冬はスキー部に変わりスキーをやりました。登山については別の機会を設けて詳しく書きます。

 IBMに入ってからゴルフを覚えました。ただゴルフはそれほど好きでなくうまくもなりませんでした。その後もお付き合いでほそぼそ続けていましたが、50歳のときバイクで転倒し鎖骨を折るけがをしたのをきっかけにやめました。

 45歳でテニスを始め、テニスに熱中しました。テニススクールの仲間と合宿したり、IBMの研修の仲間とテニスのため忍野村で泊まり込みをしたりしました。ただこれもバイク事故でやめざるを得ませんでした。

 その次に熱中したのがウォーキングです。肩や腕がうまく使えないなら足があると思ったのです。これも別の機会に詳しく書きます。

 そして最後に凝ったのがグラウンドゴルフです。72歳のとき友人の勧めでグラウンドゴルフのサークルに入りました。75歳で体調を壊すまで毎週のように楽しみました。高齢者にとっては体に優しいスポーツです。女性に負けるときも多かったと思います。

 人生の後半を一番輝かせてくれたのは何といっても旅行です。海外旅行、国内旅行、日帰りバス旅行などいろいろ楽しみました。妻と行った旅行が大半です。旅行についても別の機会で詳しく書くつもりです。

| | コメント (0)

2021年8月18日 (水)

過去最大の緊急事態宣言(NO.1501)

 2021年8月17日菅首相は記者会見を開き、8月20日から9月21日まで緊急事態宣言とまんえん防止措置の追加と延長を発表しました。

 これで緊急事態宣言は、東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、沖縄に加えて、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の13都府県になりました。まんえん防止措置は、北海道、福島、石川、愛知、滋賀、熊本に加えて、宮城、富山、山梨、岐阜、三重、岡山、広島、香川、愛媛、鹿児島の16道県になりました。合計29都道府県で過去最大です。

 感染者も7月30日に1日あたり1万人を超えてからだんだん増え、8月14日からは2万人前後を数えています。少なかった死者も8月17日には1日あたり47人になりました。感染力の強いデルタ型のせいと思われます。

 パラリンピックも無観客で行われることが決まりました。高校野球も2校がコロナ感染者が出たため辞退することになりました。夏の大会で大会期間中の辞退は初めてです。

 緊急事態宣言を出しても感染を防ぐ効果的な手は見つからず、国民の自粛とワクチンの普及しかないようです。世界的に見てもアメリカやイギリスなどは、特に規制はせず、ワクチン任せ、コロナ任せというようになっています。そのうち収まると感じているのではないでしょうか。もしかしたら、日本もそんな感じになるかもしれません。

 たしかに過去の歴史を見ても収まらなかったパンデミックはありません。ただ、それまでにどれほど犠牲者がでるかでしょう。犠牲者を少なくする努力は怠ってはならないと思います。

| | コメント (0)

2021年8月15日 (日)

手賀沼通信ブログが1500回になった(NO.1500)

 2019年8月15日この手賀沼通信ブログが1500回目を迎えました。

 このブログは2006年(平成18年)8月4日に書き始めました。15年前です。平均すると1年に100回書いたことになります。月平均約8.3回です。コロナは広がり始めてから多くなり月10回位くらい書いています。

 ブログへのアクセスの数は1日平均43.1となっています。ピーク時は60回くらいでしたが、だんだん減ってきています。

 手賀沼通信ブログを書き始めた動機は、1998年(平成10年)に出し始めた月1回の手賀沼通信に書ききれないことを、タイミングよく書くためでした。ブログは好きな時に好きなことを好きな長さで手軽に書くことができます。プロバイダーはniftyココログの無料バージョンを利用しているのでお金もかかりません。借りている2000メガバイトはまだ53%しか使っていません。年齢を考えると使い切ることはないでしょう。

 ブログの内容は年齢とともに変わってきました。書き始めたころは69歳で行動半径も広く話題も豊富でした。海外旅行や国内旅行は必ずブログで取り上げました。今は旅行ができなくなり、身の回りのことしか書けなくなりました。趣味も少なくなりました。代わりに増えたのが病気や健康に関することです。おそらく読む方にとっては面白くなくなったと思います。

 後どれだけ続けることができるかわかりませんが、書ける間は頑張るつもりです。

| | コメント (0)

2021年8月13日 (金)

4回目の大腸憩室出血(NO.1499)

 2021年8月7日朝いつものようにトイレに行くと出血がありました。今までの経験からまた大腸憩室出血だと分かりました。4度目です。

 私の場合この病気は突然やってきます。何の前触れもなく痛みもありません。しかし突然出血するので、旅行や泊りがけの外出はあきらめています。

 1度目は2016年10月でした。早朝に何度も出血があり、何の原因かわからずあわてて救急車を呼びました。名戸ヶ谷あびこ病院に運ばれそのまま入院となりました。そこで初めて大腸憩室出血という病名がわかりました。絶食し、止血剤と食事代わりの点滴が6日間続き、11日間の入院でした。

 2回目は2年後の2018年10月日曜日の午後でした。トイレに行ったら便器が真っ赤な血で染まりました。大腸憩室出血の再発間違いなしと分かりました。名戸ヶ谷あびこ病院に電話して妻に送ってもらいそのまま入院となりました。前と同じ治療で13日間入院しました。

 3度目は5か月後の2019年3月でした。前2回と様子が違っていました。出血が少量で済んだのです。連続してトイレに行くこともありませんでした。それで止まったと思い軽く食事をとりました。ところが夜中に何度か出血したので、翌日妻に名戸ヶ谷あびこ病院に送ってもらい外来で診察、点滴と薬をもらって帰りました。そしてやはり軽く食事をとったのです。それが間違いでした。その夜も出血が止まらず結局は入院となってしまいました。入院期間も一番長く14日間となりました。

 4度目の今回は3度目の経験が活きました。出血後、昼食と夕食は取らず、前回もらった薬がほとんど手つかずで残っていたためその薬だけ少量の水で飲みました。翌日からは流動食にしました。アルコールも禁酒です。3日目に完全に出血は止まり、6日目には普通の食事がとれるようになりました。

 入院せずにすんだのです。私の入院は命を懸けている方の入院や、入院しても肉体的または精神的な苦痛のある方に比べると、まったく楽な入院かもしれません。痛みや恐怖はありませんし、点滴だけ我慢して時を待てばいいのです。それでも入院は避けたかったのです。コロナの影響で誰にも会えず、じっとベッドで我慢をしているのはいやなものです。

 いつ5回目がやってくるかもしれませんが、貴重な体験でした。

| | コメント (0)

2021年8月11日 (水)

84歳で高校数学の勉強を始める(NO.1498)

 令和3年8月1日、65年ぶりに数学の勉強を始めました。

 動機は高校1年の孫娘と一緒に数学を学ぼうと思ったからです。孫娘はほかの科目と比べると数学の成績がよくなく、中学のころから学習塾にも通っているのですがなかなか成績が上がりません。高校は受験校なのでついていくのに苦労しているようです。

 そこで暇のたっぷりある私と一緒に勉強すれば、すこしは理解が進むきっかけになるのではないかと考えたのです。

 私は高校時代は数学は好きな科目で受験のときも手ごたえはありましたが、大学に入った後は数学とは全く縁のない生活を送ってきました。65年という時間は知識をなくすには十分な時間です。また84歳という年齢は理解力と集中力も衰えさせています。はたして高校の数学を理解できるか全く自信はありません。

 そこで我孫子図書館で「やさしく理解する大人のための中学・高校数学」「忘れてしまった高校の数学を復習する本」の2冊を借りてきて読み始めました。高校の数学を理解するためには中学の数学の知識が必要と分かりました。ただ読むだけではわからないので、問題を紙に書いて解きながら進めています。

 孫娘の都合もありまだ1回だけしか一緒に勉強できていませんが、高校で使っている教科書や参考書を見ると考えていたよりレベルが高く、ちょっと勉強したくらいでは追いつかない感じです。

 はたして孫娘の成績向上につながるかどうかわかりませんが、頑張ってみたいと思っています。

 

| | コメント (0)

2021年8月 9日 (月)

「ありがとう」の東京オリンピックが終わった(NO.1497)

 2021年8月8日、17日間の「2020東京オリンピック」が終わりました。

 8日夜8時からの閉会式は、無観客といつもより少ない選手での閉会式でした。開会式と同じように映像技術と多彩な登場人物によるアトラクションで、色彩にあふれた閉会式となりました。五輪旗が小池都知事から次の開催地のパリ市長に引き継がれました。

 今回のオリンピックは新型コロナウィルスのため、開催が1年延期となり、ほとんどの競技場が無観客という異常事態の元で開催されました。それでもアスリートたちは力いっぱい頑張り、数々のドラマを見せてくれました。

 前半のドラマは以前のブログで書きました。後半もいろいろ感動をもらいました。

 個人的には野球の金メダルが一番でした。1992年バルセロナ大会で野球がオリンピックの正式競技になって以後北京大会まで、日本は銀と銅メダルは1度づつありましたが金メダルは取っていませんでした。念願の金メダルをこの東京大会で獲得したのです。うれしいの一言です。

 日本が獲得したメダルは金27、銀14,銅17の合計58個、メダルの合計では5番目、金メダルはアメリカ、中国に次いで3番目となりました。日本のメダル数は過去最高です。

 28競技、306種目、参加選手数338人のリオ・オリンピックと比べると、今回は33競技、339種目、583人と増えていますが、リオの金12、銀8、銅21、合計41個をはるかに上回っています。地元の有利もあったのでしょう。アスリートの皆さんに、「お疲れ様」「本当にありがとう」と言いたいと思います。

 今回のオリンピック開催はコロナのため賛否両論の中で始まりました。中止を社説で唱えた新聞もありました。私はブログで何度も書きましたが、やるべきだと思っていました。コロナという未曽有の事態の中で実施すれば特別な大会になる、5年間頑張っていたアスリートの努力に報いると言ってきました。

 8月9日の読売新聞によると、各国のメディアはほぼ好意的なコメントを出しているようです。

 8月8日の読売新聞には、金メダル9個のアメリカのカール・ルイス氏の観戦記が載っていました。その一部です。

 「それにしても日本はよくぞ大会を開催してくれた。このコロナ渦で、オリンピックを成功させられる国は世界にもほとんどない。多くの人が今大会の開催に反対したが、アスリートのために、最終的には、やり遂げようと決意してくれた。(中略)

 今大会のヒーローは日本の皆さんだ。大会成功のためにコロナ対策を怠らず、献身的な取り組みを通じ、この素晴らしい機会を世界中のアスリートたちに与えてくれた。本当に心から、感謝の気持ちを伝えたい。」

 閉会式では日本のボランティアの代表の人たちに、バッハIOC会長から感謝の言葉と花束が贈られていました。そして閉会式の最後に「ARIGATOU」の文字がスクリーンに映されました。

 最後まで感動的な東京オリンピックでした。

| | コメント (0)

2021年8月 7日 (土)

新型コロナウィルスの日本国内の感染者が100万人を超えた(NO.1496)

 2021年8月6日新型コロナウィルスの日本国内の感染者がついに100万人を超えました。

 私は昨年の2020年3月1日から読売新聞に掲載されるコロナの感染者と死亡者の統計をパソコンに転載し始めました。

 それによると2020年3月1日は感染者が218人、死亡者は5人でした。前日までの数字です。そして2021年4月11日に感染者が50万1473人、死亡者が9389人となって、50万を超えました。これも前日までの累計です。約1年1か月後です。

 そして今日8月7日の新聞には感染者が100万2096人、死亡者が1万5261人となりました。50万人に達してから4か月足らずです。

 ただ感染者の増加スピードに比べると死亡者の増加スピードは減っています。ワクチンと医療関係者の努力が効果を発揮したものと思われます。

 感染の拡大はコロナ感染力の強いデルタ株のせいと言われています。

 ジョンズ・ホプキンス大の集計による世界の主要国の数字が読売新聞に出ています。それによると、約3545万のアメリカを筆頭に、インド、ブラジル、ロシア、フランス、イギリスと続き、日本は21番目となっています。

 増加のスピードは一時よりは減りましたが、デルタ株のせいか最近はあまり減っていません。ワクチンの普及が世界をどう変えていくか期待と不安が交錯しています。

 新聞からコロナ統計が1日も早く消える日が来ることを願っています。

| | コメント (0)

2021年8月 2日 (月)

4回目の緊急事態宣言が首都圏3県と大阪府に拡大(NO.1495)

 2021年8月2日、東京都と沖縄県に出されていた緊急事態宣言が、神奈川、埼玉、千葉の3県と大阪府に拡大され、期間も8月31日まで延長されました。またまんえん防止措置が、北海道、京都、兵庫、石川、福岡に発令されました。

 日本国内の感染者が、7月29日に初めて1万人を超え、8月1日まで4日連続1万人超えが続いています。7月31日には1万2千人を超えています。

 東京では緊急事態宣言下でも各地で人出が増えています。7月23日にほとんどの競技場で無観客で始まった東京オリンピックの影響もあるかもしれませんが、日本各県で感染者が増えております。4月下旬の4連休や夏休みに入ったことで、人の動きが増えたことが原因と考えられます。そして何よりもインドで発生した、感染力の強いデルタ株が広まったのが大きいと思われます。

 この傾向は日本よりワクチン接種の進んでいる欧米でも見られます。アメリカは8月1日約19万5千人、イギリスは7月31日約3万人、フランスは7月30日約2万8千人となっています。日付はいずれも新聞発表の日です。一方死亡者はどの国も以前より極端に減っています。欧米で各種の制限が減った理由は、死亡者が減ったためかもしれません。

 日本では緊急事態宣言が4回目ともなると、飲食店へのアルコール自粛の徹底などが守られなくなっているようで、また国民全体の気のゆるみも出てきています。政府も打つ手がなく、宣言や措置を出すだけで、あとはワクチン待ちといった感じです。

 そのワクチンも不足気味で、自治体に接種体制拡充を薦めたのを途中でブレーキをかけるなどのお粗末を繰り返しています。

 今のところは、ワクチン接種が若者にいきわたるまでの時間待ちでしょうか。歴史を見るとどんなパンデミックも時間が立てば収まっています。政府も国民も内心はたかをくくっているのでしょう。これは私の独断です。

| | コメント (0)

« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »