趣味、嗜好の思い出-その1 身体を動かすもの(NO.1502)
また思い出シリーズに戻ります。今回は体を使う趣味、嗜好です。
はっきりした年齢は覚えていませんが最初に熱中したのは水泳です。
終戦は小学校3年のときですから、海で泳ぎ始めたのはそれ以後だと思います。私の家は瀬戸内海に面した愛媛県伊予市です。そのころは郡中町でした。海岸は家から歩いて数分で何もない砂浜でした。
当時は海水パンツなどはなく、家から6尺ふんどしを絞めて海に通っていました。6月末ころから9月半ばまでは泳ぐことができました。近所の仲間や弟が一緒でした。誰かに教わったわけではありませんが、犬かきから始まって小学生の間に、クロール、平泳ぎ、背泳は泳げるようになりました。仲間の中では水泳は得意な方でした。バタフライという泳法は当時はありませんでした。大人になって試みましたが最後まで泳ぐことはできませんでした。
そのうち砂浜が港に変わったので、一文字という防波堤でまで泳いで行ってそこで泳いでいました。飛び込みができるのが楽しみでした。高校生ころになると防波堤で泳ぐのはやめ、港から2キロほど先にあった海水浴場まで泳いで往復し、そこで泳いでいました。
水泳はその後やめました。今は大人になって始める人も多いようですが、私は逆になりました。子供とたまに海水浴場に行くくらいでした。三井生命で部門対抗の水泳大会があり駆り出されましたが、プールで泳ぐのが初めてだったため、コースロープに沿った泳ぎやターンがうまくできず惨敗したのを覚えています。
水泳と同時に釣りもよくやりました。防波堤から釣ったり、伝馬船を借りて小鯛やメゴチなどを釣りました。伝馬船漕ぎも得意でした。
釣りに凝ったのはその後時間をおいて2回あります。IBMの仙台時代、同僚と女川に船釣りに通いました。カレイとアイナメ(現地ではネウ)がねらいでした。我孫子に戻ってからは手賀沼のコイ釣と山中湖でのルアー釣りでした。
水泳の後はまったのが登山です。三井生命でハイキングクラブに入り毎月のように山登りをしていました。ハイキング部は冬はスキー部に変わりスキーをやりました。登山については別の機会を設けて詳しく書きます。
IBMに入ってからゴルフを覚えました。ただゴルフはそれほど好きでなくうまくもなりませんでした。その後もお付き合いでほそぼそ続けていましたが、50歳のときバイクで転倒し鎖骨を折るけがをしたのをきっかけにやめました。
45歳でテニスを始め、テニスに熱中しました。テニススクールの仲間と合宿したり、IBMの研修の仲間とテニスのため忍野村で泊まり込みをしたりしました。ただこれもバイク事故でやめざるを得ませんでした。
その次に熱中したのがウォーキングです。肩や腕がうまく使えないなら足があると思ったのです。これも別の機会に詳しく書きます。
そして最後に凝ったのがグラウンドゴルフです。72歳のとき友人の勧めでグラウンドゴルフのサークルに入りました。75歳で体調を壊すまで毎週のように楽しみました。高齢者にとっては体に優しいスポーツです。女性に負けるときも多かったと思います。
人生の後半を一番輝かせてくれたのは何といっても旅行です。海外旅行、国内旅行、日帰りバス旅行などいろいろ楽しみました。妻と行った旅行が大半です。旅行についても別の機会で詳しく書くつもりです。
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