山の思い出-その4 南アルプスと中央アルプス(NO.1514)
JR中央本線で甲府を過ぎ韮崎あたりに差し掛かると、左側の車窓から頂上に尖った岩を持つ山などの山並みがが見えてきます。これが南アルプスの前衛の山と言われる鳳凰三山です。とがった岩(オベリスク)を持つ山が地蔵岳、その左の観音岳、薬師岳を合わせて鳳凰三山と呼ばれます。
1961年7月、三井生命のハイキング部でこの山に登りました。初めての日本アルプスでした。地蔵岳の頂上からは、北岳、仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳などの南アルプスの名峰の絶景が眺められ、後方には富士山が顔を出していました。反対側には甲府盆地が一望できました。
ただこの登山には苦い経験があります。かなり険しい急坂を登る必要があるため稜線近くで足にけいれんを起こして歩けなくなり、先輩に山小屋まで負ぶってもらうという無様な姿となりました。
その2年後の1963年には南アルプスの盟主で日本第2位の北岳に登りました。やはりハイキング部の仲間と一緒でした。そして北岳から間ノ岳を経て農鳥岳まで、日本一の天空の稜線歩きを楽しみました。
その数年後には日本第5位の槍ヶ岳に登っていますので、1位から5位までの日本の高峰に登ったことになります。
1961年8月には中央アルプスの最高峰の木曽駒ケ岳にハイキング部9名で行きました。
新宿駅を土曜日夜10時45分発の長野行準急「穂高」で出発、途中辰野駅で飯田線に乗り換え日曜日朝5時10分に伊那駅着。バスに乗り換えて6時40分から歩き始めました。ところがその日は雨だったので予定を変更し途中の西駒山荘に2時15分に到着。自分たちで夕食を作りゆっくり過ごしました。
翌月曜日は天気が回復、ご来光を楽しんで、朝食を作り、6時45分に出発、木曽駒ケ岳、宝剣岳に登山、濃が池を経て下山しました。帰りもバスと列車2本を利用し、新宿駅に着いたのは火曜日の朝4時45分でした。
今ではちょっと考えられない往復とも夜行列車を利用するという山行でした。火曜日はいったん家に帰って、着替えて会社に出勤しました。
この登山についてはアルバムに写真と記録が残っていたので、細かく書いた次第です。
その後は南アルプスと中央アルプスに行く機会はありませんでした。
中央アルプスは1967年に駒ヶ岳ロープウェイが宝剣岳下の千畳敷まで開業しました。これを利用すると初心者でも楽に駒ヶ岳や宝剣岳まで行くことができます。
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