山の思い出-その6 仙台赴任時代と65歳前後の山(NO.1524)
1975年から1978年まで約3年間、日本アイ・ビー・エムの仙台事業所に赴任していました。その間家族で登った山の思い出が鮮明に残っています。
一つ目は山寺立石寺です。正確に言えば山寺は山ではないかもしれませんが、ちょっとした登山に匹敵する険しさです。仙台から山形までのローカル線の仙山線の山寺駅に降り、登山口から山道の途中途中に敷かれた合計1015段を石段を上ると立石寺があります。
立石寺は山のあちこちに山門、根本中道、五大堂、開山堂などが散在しており、五大堂からの眺めは素晴らしいです。松尾芭蕉の句「閑さや岩にしみいる蝉の声」で有名で、参道に句碑が立っていました。
そこに家族で3回登りました。最初下の子は4歳でしたががんばりました。秋には紅葉が見事でした。
二つ目は仙台郊外の泉ヶ岳です。家族4人でバスを利用して1175メートルの山頂に登りました。
1998年にサラリーマンをやめてからはウォーキングに打ち込んでいましたが、2001年から3年ほど、思い出したようにまた登山をしました。64歳になっていました。
海外旅行で知り合ったうなぎ屋のご主人が50歳を過ぎてから登山を始め、その人に誘われたためです。
まず日光白根山に登りました。久しぶりの登山だったため、高度に慣れず最後の岩壁では怖さを感じました。20代では平気だったところに足がすくむ感じでした。
20代の登山と違ったのは、車で一番便利な登山口の駐車場に行き、山に登った後は駐車場に戻って帰宅するいうスピード登山になったことです。
その後、奥日光の男体山、福島の磐梯山、安達太良山に行きました。いずれも紅葉のシーズン、安達太良山はロープウェイを使ったので日帰りでした。うなぎ屋のご主人の車でした。
私が山に打ち込んだのは、20代のころで、山は若い人ばかりでした。そのころは、車も高速道路も新幹線もなく、山小屋や山の装備や食材などもなどもお粗末でした。今は様変わりです。高齢者になって山の楽しみを知る人が増えるというのもうなづけます。
ただ山の素晴らしさは昔も今も変わらないと思っています。
2017年1月号の手賀沼通信は「私と日本百名山」をテーマに書きましたが、私が登った百名山は34座です。百名山以外にも多くの山に登りました。山の思い出シリーズは再度それらの記憶をたどる旅となりました。
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