ごくろうさん、松坂大輔投手(NO.1525)
令和3年10月19日、西武の松坂投手が日本ハムとの引退試合に先発し、プロ野球を引退しました。41歳、プロ23年目の引退でした。長い間ご苦労さんでした。
その23年間には含まれませんが、私の松坂投手の印象は横浜高校時代にも強烈に残っています。
1998年の春の甲子園大会では他を寄せ付けない強さで優勝しました。
ドラマを見せてくれたのは同年の夏の甲子園大会です。準々決勝でPL学園との延長17回の死闘を演じました。追いついたり追いつかれたりしながら松坂投手は250球を投げ完投勝利しました。この試合は、私の記憶している松山商業-三沢高校、徳島商業-魚津高校、簑島高校ー星稜高校、早稲田実業-駒大苫小牧高校などの延長戦にも匹敵する試合でした。準決勝では明徳義塾高校戦に1イニング登板して逆転勝ちのきっかけを作りました。そして決勝戦では京都成章高校にノーヒットノーランで完投勝ちしました。春夏連覇でした。
そして高卒のピッチャーとして、西武、ボストンレッドソックス、ニューヨークメッツ、ソフトバンク、中日、西武で活躍しました。江川投手が昭和の怪物でしたが、松坂投手は平成の怪物と呼ばれました。最初の西武時代には、沢村賞を始め、投手部門に賞を総なめしています。
2度のパリーグ優勝、1度の日本一、1度のワールドシリーズ優勝、1回目の王監督と2回目の原監督のWBCでいずれも優勝しいずれもMVPになっています。アテネオリンピックでは銅メダルを取りました。中日ではカムバック賞をもらっています。
最後はけがで満足な登板ができませんでしたが、全盛時代にはプロ野球ファンに多くの楽しみと夢を与えてくれました。
ご苦労さんでした。これからも何らかの形で野球界に貢献してくれることを祈っています。
| 固定リンク | 0
コメント