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2021年11月28日 (日)

あっぱれヤクルトー今年の日本シリーズは面白かった(NO.1539)

 令和3年11月27日、プロ野球日本シリーズでセ・リーグのヤクルトがパ・リーグのオリックスを破り4勝2敗で日本一を勝ち取りました。

 ヤクルトは20年ぶり6度目の日本一です。セ・リーグのチームが勝ったのは9年ぶりのことです。ヤクルトもオリックスも昨年は最下位でした。前年最下位同士のチームが日本シリーズを戦うのは史上初です。どちらが勝っても1960年の大洋ホエールズ以来の前年最下位が優勝という記録に並ぶことになっていました。ヤクルトがやりました。

 今年の日本シリーズは、6戦中5戦が1点差、残り1試合も2点差というまれに見る好試合でした。昨年、一昨年のだらしない巨人とは大違いです。巨人はソフトバンクに8連敗でした。

 巨人ファンの私はどちらかというとセ・リーグのチームを応援するのですが、シリーズが始まる前は25年ぶりの優勝がかかったオリックスが勝ってもいいと思っていました。しかし第1戦でヤクルトがサヨナラ負けをしたため、やはりセリーグを応援することになりました。

 それにしても面白かったです。ヤクルト、オリックス、ありがとう。そしてヤクルト、おめでとう。

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2021年11月27日 (土)

海外旅行の思い出-その1 夫婦での初めての海外旅行-ヨーロッパ(NO.1538)

 海外旅行の思い出を7回にわたってまとめてみたいと思います。仕事や会社のイベントで行った海外出張は省略します。

 最初は夫婦での初めての海外旅行、ヨーロッパの旅です。

 私たちの世代は新婚旅行で海外に行く人はほとんどいませんでした。定年間際のリストラで移った新しい職場での仕事がやっと落ち着いてきたので、それまで果たせなかった夫婦での海外旅行を実現したい気になったのです。

 1995年5月クラブ・ツーリズムの旅で9泊10日間、イギリス、ドイツ、オーストリア、イタリア、スイス、フランスの6か国を訪ねました。今から26年前、58歳の時です。

 今は海外旅行では1つの国を回るケースが多いのですが、当時は限られた時間で多くの国の有名な都市をつまみ食いする旅行が流行っていました。

 当時のヨーロッパはEUになっていたので、入出国は楽でしたが、まだユーロは採用されてなく、国が変わるごとにその国の通貨に両替する必要がありました。1台のバスでドイツからスイスまで走ったときは、国境を超えるたびに両替所に走って行って両替しました。デジタルカメラはまだ普及していなくてフィルムをたくさん用意しなくてはなりませんでした。携帯やスマホもなかったため、家に電話するときはホテルから電話するか、公衆電話を使いました。公衆電話はコインでは足りないため、クレジットカードが利用できました。

 初めてのヨーロッパは驚きの連続でした。5月下旬だったため、10時ころまで明るかったのが最初の驚きでした。ロンドンでルームサービスを頼んだら、1皿が3人前くらいあったのが2つ目の驚きでした。水がビールより高いのも知りました。ルーブル美術館では名画の写真が撮り放題でした。

 見るもの聞くものが楽しく二人で旅を満喫しました。昼食と夕食時にはワインかビールか時には両方をいただきました。

 妻が行く前から楽しみにしていたドイツのノイシュバイシュタイン城は期待以上でした。ベネティアの素晴らしさと人の多さも驚きでした。パリのタクシーで英語が通用しないのも経験しました。各国の食事のおいしさも堪能しました。

 妻は帰国してから焼き付けた写真や頂いた資料をまとめ、訪問先の情報を調べて8冊のアルバムを作りました。今でもそれを眺めては楽しかった旅行を思い出しています。

 その後何度か行ったヨーロッパの写真はデジカメで撮ったためアルバムにはなっていません。フィルム写真もまた良きかなです。

 その後妻が両親の介護と看護の期間の中断はありましたが、この旅行を契機に私が75歳で体調を崩すまで二人での海外旅行が続きました。

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2021年11月25日 (木)

ウォーキングの思い出-その2 いろいろなウォーキングを楽しむ(NO.1537)

 1987年(昭和62年)8月小型バイクを運転中誤って転倒し、鎖骨を粉砕骨折しました。50歳のときです。約1か月間入院、それを機会に熱中していたテニスとたまにやっていたゴルフをやめました。

 50歳代は,IBMでのリストラとアコムへの転職、父母や親しい人の死去、長女の結婚などが相次ぎ、自分の趣味を追いかける暇はありませんでした。

 1996年5月、59歳になってやっと足を使う運動を始めることになりました。IBM健保が定期的にやっていたウォークラリーです。すでにIBMは退職していましたが、健保には加入していました。

 ウォークラリーは数人の仲間とチームを組み、地図に定められたコースをクイズを解きながら歩きタイムを競う競技です。この時はコースは鎌倉でした。その後、2000年5月まで合計5回IBMの同じ仲間とお台場や、調布や、横浜などでウォークラリーを楽しみました。

 60歳代から70代前半まではいくつかの会に入会したり、いろいろなイベントに参加したりしながらウォーキングを楽しみました。

 「東京都中推協余暇研究会」では各地の七福神巡りやご府内八十八カ所めぐりを実施しました。ご府内八十八カ所巡りとは東京都に点在する88の寺院を、四国八十八カ所に見立てて回ります。23区内の各地のお寺7~9カ所を日帰りで何回かに分けて回りました。各地区ごとにリーダーとなる先達を決め、先達は前もって下見をする必要があります。私も何回か先達を務めました。

 千葉県生涯大学の在校生と卒業生の「歩こう会」では大集団で歩くことがありました。たいていは20名~30名でしたが、小石川後楽園や植物園に行ったときは220名が参加、コースに当たるところの迷惑を恐れながら歩きました。泊りがけで日本平近辺を歩いたこともありました。

 70代になってからは「わいわい楽遊会」で珍しいコースを歩きました。生涯大学の同級生のKOさんが常に一人で幹事を務め、下見をして仲間に驚きのコースを提供してくれました。

 読売新聞が主催する水ウォークというイベントがありました。川を巡ったり河川敷を歩いたりすることが多かったのですが、2003年3月には琵琶湖の「びわこなぎさ公園」から大阪の「中之島公園」までの90キロを3日かけて歩くというイベントがありました。それにも迷わず参加しました。しまなみ海道の1回目を歩いた年でした。3日目は足にマメを作りながら淀川の堤を歩いたのを覚えています。

 東京国際スリーデーマーチには2004年と2005年に参加しています。日本スリーデーマーチや浅川ツーデーマーチにも行きました。これはいずれも1日毎に自宅から参加するもので泊まり込む必要はありませんでした。1日のみの参加も可能でした。

 JR主催の「駅からハイキング」もよく利用しました。決められた駅に決められた日に集合し決められたコースを歩くものです。6回くらい参加しています。

 スリーデーマーチや駅からハイキングは生涯大学の同級生のKAさんとよく歩きました。KAさんの奥様が参加されたこともあります。

 我が家の近くで毎年11月に行われる「手賀沼ふれあいウォーク」には毎年のように参加していました。半周コースは10キロ、一周コースは20キロです。手賀沼はイベントと関係なく一人で歩くこともありました。

 そのほか気の向くまま日帰りで好きなところに出かけ歩きました。都内が一番多かったように思います。

 ウォーキングは75歳で体調を崩したため、心残りでしたがやめることになりました。

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2021年11月22日 (月)

ウォーキングの思い出-その1 しまなみ海道スリーデーマーチ(NO.1536)

 ウォーキングの思い出を何回かに分けて書くつもりですが、一番素晴らしかったしまなみ海道のウォーキングを最初にまとめました。

 瀬戸内海を本州と四国を結ぶルートは3つあります。1988年に開通した児島-坂出ルート(瀬戸大橋)、1998年に開通した神戸-鳴門ルート(鳴門大橋と明石海峡大橋)、1999年に開通した尾道-今治ルート(しまなみ海道)です。

 どのルートも自動車専用道路が基本ですが、瀬戸大橋は鉄道との併用です。最後に開通したしまなみ海道は自転車と人が通れる歩道がついています。

 しまなみ海道は今はサイクリングの聖地になっているようで、コロナ前は海外からもサイクリストが大勢やってきていました。しかし私が歩いたころはまだサイクリングにはほとんど使われていなくて自転車に悩まされることもなく、歩いて渡るには最高に快適なウォーキングロードでした。

 私が歩いたのは朝日新聞社主催の2003年の「第3回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」と2004年の第4回のスリーデーマーチでした。

 しまなみ海道は広島県の尾道と6つの島と愛媛県の今治を7つの橋でつないでいます。橋は4つの吊橋とと2つの斜張橋と1つのアーチ橋です。橋は下を大型船が通るため数十メートルの高さがあります。島では一般道路を歩くため橋からの取り付け道路を上り下りする必要があります。橋からの瀬戸内海の眺めは天下一品、上り下りの苦労は全く感じられませんでした。

 スリーデーマーチは尾道市の「しまなみ交流館」から今治市の今治城までの80キロです。初日と3日目は30キロ、2日目は20キロとなっていました。

 2003年は10月3日から5日までで、高校時代の同級生のSさんと歩きました。2004年は10月1日から3日までで、私の弟と歩きました。両年とも晴天に恵まれ、瀬戸内の島々と橋からの眺めを十分堪能しました。年齢も66歳と67歳、まだまだ体力もありました。一番楽しい思い出となっているウォーキングです。

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2021年11月21日 (日)

やっと喉頭白板症が完全治癒となる(NO.1535)

 令和3年11月18日、3か月ごとの慈恵医大柏付属病院の定期健診で、喉頭白板症の完全治癒が確認されて定期健診は今回が最後となりました。解放感いっぱいの気持ちです。ばんざいです。

 約2年かかりました。一昨年12月ごろ、声がおかしくなり、しゃべりにくくなったので、昨年1月名戸ヶ谷あびこ病院の耳鼻咽喉科に行きました。のどに白いものが見えるので柏のがんセンターで精密検査を受けるように言われ、がんセンターで精密検査を受けました。がんは見つからず、喉頭白板症と診断され、柏の慈恵医大病院で手術を受けるよう勧められました。

 ところがそのころからコロナの影響が出始め、急を要しない手術は延期されて、やっと7月に手術を受けることができました。そして術後の検診が続き、昨年12月からは3か月ごとの定期健診となりました。それが今年の11月まで続き、今回やっと解放されたのです。

 最悪の昨年春頃には声がほとんどでなくなって、小型のホワイトボードを購入し筆談で会話をしていました。手術後声の質は変わりましたが声は出るようになりました。

 病気に気づいたころから車の運転をやめたので、がんセンターや慈恵医大病院の通院は妻の運転に頼りました。妻も高齢のため来年3月の免許更改はやめるつもりなのでいいタイミングでした。妻には本当に苦労を掛けました。感謝いっぱいです。

 またがんセンターや慈恵医大の先生がた、その他かかわってくださった方々にも、深くお礼を申し上げたいと思います。

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2021年11月20日 (土)

MVPおめでとう大谷翔平選手(NO.1534)

 2021年11月18日ロサンジェルス・エンゼルスの大谷翔平選手がアメリカンリーグのMVPを獲得しました。

 全米野球記者協会の30人が全員大谷選手を1位に選ぶという満票でした。日本人の受賞は2001年のイチロー選手以来20年ぶりで、MVPに選ばれたのはイチロー選手と大谷選手の2人だけです。

 大谷選手の受賞は読売新聞の夕刊のトップ記事で報道されました。テレビでも各社が大きく取り上げました。イチロー選手のときは、はっきりした記憶はありませんが、社会的にはこれほど騒がれなかったと思います。

 イチロー選手は2001年初の日本人野手としてシアトル・マリナーズに入団、いきなり首位打者と盗塁王の記録を残して、新人王とアリーグMVPに選ばれました。新人王とMVPを同時にとった選手は初めてでした。野球界ではこの快挙に大騒ぎでした。

 大谷選手のMVP獲得はアメリカの野球など知らない人を巻き込むほどの大きなニュースになりました。地元アメリカでも大谷選手の活躍はシーズン中から大きく報道され、大ニュースになっています。社会現象にもなったと言えます。

 おそらくその原因はベーブルース以来と言われる投手と打者の「二刀流」にあったと思われます。投手としてはチームトップの9勝2敗、奪三振156、防御率3.18という堂々たる成績でした。打者としては、打率こそ.257でしたが、ホームラン46本(あと2本でホームラン王)、盗塁26個、3塁打8個(リーグトップ)、申告敬遠20個(リーグトップ)の好成績を残しました。両方が素晴らしい成績だったのが人々を驚かせたのです。野球界に革命をもたらしたと言えましょう。ベーブルースも二刀流のときはこんなにホームランを打っていません。

 記録には残りませんが、大谷選手の人柄の良さも人気を呼んでいる原因でしょう。エンゼルスのファンだけでなく、対戦相手の選手や他球団のファン、報道関係者や審判や球場のスタッフなどにも好印象を与えているようです。

 これからもますます活躍するよう祈っています。

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2021年11月13日 (土)

巨人は今こそ2回目の「地獄の伊東キャンプ」をやるべき(NO.1533)

 令和3年11月12日プロ野球セ・パのクライマックスシリーズ・ファイナルステージが行われ、ヤクルトとオリックスがくしくも同じ2勝1分けで日本シリーズに進出することが決まりました。

 初めての対戦です。巨人ファンなので巨人が出ないときはセリーグのチームを応援することが多いのですが、今年は日本一から一番遠ざかっているオリックスが勝ってもいいかなと思っています。悔しい結末でしたが、3年振りに気楽に日本シリーズを楽しむことができます。

 だらしないのが巨人です。はっきり言って選手個々の力が弱いのです。

 チーム打率はセリーグ6球団中5位です。打撃ベストテンに誰も入っていません。やっと17位に松原、20位に坂本が入っているだけです。

 岡本がかろうじて本塁打王と打点王を取りましたが、シリーズ終盤には打てなくなり、クライマックスシリーズはわき腹を痛めて欠場しました。長嶋や王は現役時代体調を悪くして欠場することはありませんでした。

 投手もチーム防御率は6球団中4位でした。投手成績では戸郷がやっと9位に入っているだけです。期待されていた菅野は体調不良でシーズン通して投げられず、6勝7敗、規定回数にも達していません。

 若い選手が育っていません。今までフリーエージェントなどでの補強を重視し、選手育成を怠っていたつけが回ってきています。FAでの補強選手もほとんど活躍していません。活躍しているのは丸くらいです。

 巨人には今でも語り継がれる「地獄の伊東キャンプ」という伝説があります。第1次の長嶋監督の時代の1979年に、5位で終わったシーズンの秋、10月から11月にかけて伊東でキャンプを張りました。

 今では各球団とも秋のキャンプがあたりまえになりましたが、当時は秋のキャンプは珍しかったのです。集められたのは、投手は江川、西本など6人、捕手は山倉など2人、内野手は篠塚、中畑など5人、外野手は中井、松本など5人でした。

 長嶋監督はこのキャンプで選手を徹底的にしごきました。それで「地獄」と言われたのです。翌年は結果が出ず、長嶋監督は解任されて藤田監督に変わりましたが、藤田監督は1981年見事優勝を果たし日本一にもなりました。地獄の伊東キャンプが実を結んだのです。ここで鍛えられた選手はその後も活躍しています。

 今年こそ巨人は選手を鍛えるべきです。若手だけでなく、今年結果を出せなかった選手は猛練習すべきと考えます。原監督はお休みいただき、阿部慎之助コーチを中心にチーム一丸となって「地獄」を体験してほしいと思います。

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2021年11月 8日 (月)

コロナの日本国内の1日の死亡者の数がゼロとなった(NO.1532)

 令和3年11月7日、コロナの日本国内の死亡者がゼロとなりました。

 昨年の8月2日以来のことです。11月6日が2名でしたから間もなくゼロの日が出ると思ったのですが、その翌日にゼロになりました。一番多かったのは5月7日で148名でしたので、半年ぶりに最小日を迎えました。うれしいことです。

 11月7日は日本国内の感染者も162名と第5波以降3番目に少ない人数でした。

 海外はヨーロッパや韓国などでは、最近感染者数が再度増大し死亡者もそれほど減っていないので、日本のコロナ対応が一段と注目を浴びるのではないかと思います。このまま推移していけば万々歳となります。

 ただ海外からの人の受け入れが緩和されそうなので、国内を抑えても海外からの感染が増えるのではないかとの心配があります。政府の方針を見守っていきましょう。

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2021年11月 3日 (水)

山の思い出-その7 スキー(NO.1531)

 スキーに初めて行ったのは1957年(昭和32年)の冬でした。

 一橋大学1年の終わりのころ、体育の出席日数不足を補うため大学主催のスキー合宿に参加したのです。四国愛媛県育ちのためそれまではスキーには全く縁がなく、初めての経験でした。場所は妙高高原にある大学の寮でした。上野から信越線の夜行で同じ合宿の仲間たちと行ったのを覚えています。スキー靴もスキー板も寮に備えていたものを使いましたが、スキー板はエッジもなく、塗料ははげ落ちてゲレンデに立っても全く滑らない代物でした。ワックスを塗ってやっと滑りましたが、初めてスキーを履くものにとっては幸いだったかもしれません。あまりスピードが出なかったからです。

 スキーの楽しさを知ったのは三井生命のハイキング部に入ってからです。ハイキング部は冬にはスキー部に変身しました。冬山はやらなかったのです。

 スキー靴やスキー板や身に着けるものを購入、4年間、冬はスキーに行きました。志賀高原、鹿沢高原、湯沢高原、天神平などに通いました。ただ熱心なスキーヤーではなかったため、あまり上達はしませんでした。

 IBMに転職してからは、2回行ったくらいでスキーとはほぼ縁がなくなりました。

 IBM入社11年後に仙台に転勤となり、その翌年家族で鳴子温泉に行ったとき、久しぶりにスキーを楽しみました。仙台はスキー場が近く、家族で簡単に行けました。仙台赴任中は家族で2度、会社の同僚と蔵王で1度スキーを楽しみました。

 東京に戻ってからは、家族で2度、個人で1度行きました。私の最後のスキーは45歳のとき中里スキー場で終わりました。その後はテニスに変わったのです。でもスキー場の最高地に立った時のワクワク感、滑っているときの爽快感は、今でも体が覚えています。

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2021年11月 2日 (火)

コロナの日本の1日あたりの新規感染者が百人を下回った(NO.1530)

 令和3年11月1日、コロナの日本の1日あたりの新規感染者が86人となり百人を下回りました。これは昨年の6月27日以来のことです。1日あたりの新規感染者が千人を下回ったのが10月3日ですから、29日間で1桁少ない数字になったのです。素晴らしいことです。

 11月1日には東京の1日あたりの感染者が9人と1桁になりました。これは昨年の5月31日以来のことです。また同日には21県で新規感染者がゼロになりました。そして感染者が出た26都道府県でも新規感染者はすべて1桁でした。

 なぜこんなに新規感染者が減ったのか、政府も学者先生も明確な理由を言っていません。

 ワクチンの2回目の接種率は日本全体の72.04%となっています。私の独断は、おそらくワクチンの接種が進んだこと、飲食店をはじめ商業施設や各種施設でコロナ対策が十分行われていること、国民がマスク着用や三密を守っていることなどではないかと思われます。減少傾向がこのまま進んでいってほしいものです。

 ただ油断は禁物です。世界の新規感染者はアメリカは相変わらず多いですし、ワクチン接種の進んだヨーロッパでも増えてきています。コロナを抑え込んでいた中国でも増加傾向にあります。日本のコロナ終息のキーは海外からの侵入をいかに抑えるかにあるのではないでしょうか。

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2021年11月 1日 (月)

衆議院議員選挙-中選挙区制に戻すべき(NO.1529)

 令和3年10月31日衆議院議員選挙が行われました。岸田新首相になって、新内閣、新党組織のもとに約1か月後に行われた選挙でした。結果は次の通りでした。

    獲得議席 選挙前議席

・自民 261  276

・立民  96  110

・維新  41   10

・公明  32   29

・国民  11    8

・共産  10   12

・その他 14   16

 自民党は選挙前の議席から減らしたものの、過半数(233)を上回りました。公明党と合わせた与党では国会を安定的に運営できる絶対安定多数(261)を上回りました。

 立憲民主党は、共産、国民、れいわ新撰組、社民と5党連合を組みましたが、かえってそれが逆に作用したものと思われ数を減らしました。極端に政策の違う共産党と組んだため、支持者離れをおこし、無党派層からもそっぽを向かれたのではないでしょうか。私の独断ですが、日本の共産党は、名前が同じ一党独裁の中国の習近平の共産党とイメージが重なると思います。

 日本維新の会は41名と4倍以上に数を伸ばしました。大阪を中心として関西地方で強さを発揮しました。

 驚いたのは自民党の派閥の領袖の1人の石原伸晃氏と自民党の甘利幹事長が落選したことです。甘利氏は比例で救われましたが、石原氏は比例も及びませんでした。

 私の千葉8区は失言を繰り返しオリンピック大臣を更迭された桜田義孝氏が敗れました。私が当選してほしくないと願っていた人です。ところが比例で当選しました。比例で救われたのは3回目です。

 今の小選挙区制は改革すべきです。私は自民党の候補に投票したいのですが、桜田氏以外に候補がいないのです。仕方なく嫌いな共産党と結びついた立憲民主党の本庄氏に投票することになりました。棄権も考えましたが、棄権はしたくないと思ったからです。

 若い人の投票率が低いと問題になっていますが、投票したい人がいないと棄権するしかありません。以前の中選挙区制のほうがよかったと思います。

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